すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2019-04-21 21:01:37 (3 ヒット)

2019年4月28日聖書教育の学び(2018年11月28日祈祷会、ガラテヤ書1章、福音から離れ始めたガラテヤの諸教会へ)

1.福音から離れ始めたガラテヤ諸教会へ

・パウロは小アジアのアンティオキアやルステラ、イコニウム等の諸都市を何度か訪れて伝道し、ガラテヤ地方にいくつかの教会が生まれた。彼はその後エペソに移るが、そのパウロの所に、「ガラテヤの人々がパウロの伝えた福音から離れ、割礼を受けようとしている」との知らせが届いた。パウロは、ガラテヤの人々がこんなにも簡単に福音から離れて行ったことに驚き、失望して、手紙を書く。
−ガラテヤ1:1-7「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、ならびに、私と一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ・・・キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、私はあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです」。
・エルサレムからの宣教師たちはユダヤ教の支配下にあり、「割礼を受けなければ救われない」と主張し、人々に割礼を受けさせようとしていた。パウロは「割礼なしに救われないなら、キリストは何のために死なれたのか」と人々に迫る。
−ガラテヤ2:21「私は、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます」。
・イエスの直弟子である十二使徒を中心に形成されたエルサレム教会は、パウロを母教会から派遣した正式の教師ではなく、その信仰は正統から逸脱した異端だと攻撃した。そのため、パウロは手紙の冒頭で、自分の使徒性は人によらず、キリストと神からの直接の召しによるものであるあることを強調する。
−ガラテヤ1:1-2「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ・・・から、ガラテヤ地方の諸教会へ」。
・パウロは語る「私は復活の主に出会い、直接召された。そのキリストは私たちの罪の赦しのために死んで下さった。福音とはキリストに示された十字架と復活以外にはないのだ」と。
−ガラテヤ1:4「キリストは、私たちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世から私たちを救い出そうとして、御自身を私たちの罪のために献げてくださったのです」。
・異なる福音などない。キリストを信じるか、サタンを信じるかのどちらかだとパウロは迫る。パウロは母教会のエルサレムからの宣教師たちを「サタン」と呼ぶ激しさで攻撃する。
−ガラテヤ1:8-9「たとえ私たち自身であれ、天使であれ、私たちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。私たちが前にも言っておいたように、今また、私は繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい」。

2.神から直接受けた福音を私は伝えた

・反対者たちは、パウロの教えはエルサレム教会の教えと異なると批判した。エルサレム教会の主力はヘブライ主義者(ヘブライ語を話す地元ユダヤ人)であり、律法を重視する。だから彼らはユダヤ教当局からの迫害は受けていない。他方、パウロの属するヘレニズム主義者(海外居住のユダヤ人)はユダヤ教から異端として迫害された。パウロは復活のキリストとの直接の出会いによって回心した。だから彼は反論する「自分は人から教えられたのではなく、直接キリストから啓示された福音を伝えている」。
−ガラテヤ1:11-12「あなたがたにはっきり言います。私が告げ知らせた福音は、人によるものではありません。私はこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」。
・パウロはかつて熱心な律法主義者であったが、キリストとの出会いにより変えられた。パウロは語る「今あなたがたは福音から律法に後戻りしようとしているが、律法はキリストの福音と対立する」と。
−ガラテヤ1:13-14「あなたがたは、私がかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。私は、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」。
・キリストに出会って全てが変えられた。福音の迫害者であったパウロが福音の宣教者として召され、アラビアの荒野でその確信を持たされ、直ちにダマスコでの宣教に赴いている。
−ガラテヤ1:15-17「私を母の胎内にある時から選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子を私に示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、私は、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、私より先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした」。
・3年後にパウロはエルサレムに行き、使徒たちと会い、その後アンティオキア教会で伝道を行った。その期間は14年にも及ぶが、詳細を聖書は述べない。恐らくは特記すべき業績を上げなかったのだろう。パウロのような劇的な召命を受けた伝道者でも、長い間の訓練と忍耐の時を必要とした。
−ガラテヤ1:21-23「その後、私はシリアおよびキリキアの地方へ行きました。キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。ただ彼らは『かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている』と聞いて、私のことで神をほめたたえておりました」。

3.ガラテヤ書は何故書かれたのか

・パウロはバルナバによりアンティオキア教会に招かれ、宣教の働きを始めた。アンティオキアにはユダヤ人もギリシア人もいたが、民族の差異に関らず、信徒の交わりが行われ、ここで始めて教会の信徒たちが、「キリスト者」と呼ばれた。キリスト教の誕生である。他方、エルサレム教会はユダヤ教キリスト派に留まっていた。
−使徒11:25-26「バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」。
・エルサレム教会の主流派は、「異邦人も割礼を受けて律法を守らなければいけない」と主張し、教会に混乱が起き始めた。バルナバとパウロは問題を話し合うためにエルサレムに行った。
−使徒15:1-2「ある人々がユダヤから下って来て『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった」。
・これがガラテヤ書にある問題の背景だ。キリスト教がユダヤ教から脱皮するための混乱だった。
−ガラテヤ2:11-13「ケファがアンティオキアに来た時・・・ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました」。
・割礼とは何か。最初に割礼を受けるように求められたのはアブラハムだった。選ばれて神の民となったのだから、「恵みのしるしとして一族すべてが割礼を受けなさい」と命じられた(創世記17:9)。祝福のしるしとしての割礼がそのうちに、「割礼を受けない者は救われない」、「割礼を受けない者は呪われる」と変わっていく。エルサレム教会から派遣された伝道者たちも、ユダヤ人(アブラハムの子孫)として割礼を受けていた。だから他者にも割礼を強要するようになり、いつの間にか、割礼を受けることが救いの要件になっていった。恵みとしての律法が、人を縛り、不自由にさせるものに変化していく。
・私たちの中にも、「洗礼を受けなければ救われない」との考え方がある。洗礼は救われた感謝として受けるが、いつの間にか「洗礼を受けたのだから私は天国に行ける、あの人は洗礼を受けていないから救われない」と言い始める。洗礼という感謝の行為が、救いの条件になってしまい、受けない人を排除する行為になり、時には、それが教会を二分する争いになる。
・パウロは語る「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる」。人を救うのは神であり、人の行為ではない。キリストが死んでくださったように私たちも罪に死ぬ、そのことを通して神の恵みが見えてくる。その恵みを通して、「この悪の世のしがらみから救われ」、新しい人生に導かれるのである。


投稿者 : admin 投稿日時: 2019-04-14 17:35:08 (43 ヒット)

2019年4月21日聖書教育の学び(2009年4月26日説教、ルカ24:35-48、全ての国々へのメッセージ)

1.復活のイエスに気づかない弟子たち

・復活節の今月は福音書からイエスの復活物語を聞いています。第三主日の今日は、ルカ福音書から物語を聞いていきますが、ルカ福音書もまた「弟子たちの信仰の目がふさがれて主イエスがわからなかった」と記します。弟子たちは三度にわたるイエスの受難予告(死と復活の予告)を聞いても理解できないまま、エルサレムに入り、事態はどんどん進行し、いまやイエスは十字架で死なれ、弟子たちは失意の内に復活の日を迎えています。ルカ24章後半では、エルサレムから60スタディオン(約11キロメートル)離れたエマオに向かう弟子たちに復活されたイエスが同道されますが、弟子たちはそれが主イエスであると気づきません。ルカは記します「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」(24:15-16)。
・二人はイエスに気づかないどころか、イエスから「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と聞かれ、クレオパという弟子は、エルサレムでイエスに起こった事の次第と、墓からイエスの遺体が消えていたことを話します。まさに釈迦に説法で、弟子たちにはイエスがまったくわからなかったのです。イエスは彼らの物分かりの悪さを嘆かれ、「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」と改めて聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明されます。それでも二人は、この方がイエスであることに気づきません。
・エマオに着いた弟子たちは、先に行こうとされるイエスを無理に引き止めて、一緒に宿泊します。イエスは食事の席でパンを取り、讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡します。弟子たちが、「この人はイエスだ」とわかったのはその時でした。この物語は、例え復活のイエスが目の前に現れても、それを疑うほどの不信が強ければイエスを見ることは出来ないことを示唆します。復活のキリストは信仰の目がなければ見えないのです。しかし一度イエスを見た、イエスに出会った者は、心が燃やされます。ルカは記します「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか」(24:32)。弟子たちは「時を移さず出発して、エルサレムに戻って」(24:33)行きます。復活日の午後、二人の弟子は絶望の中をエルサレムからエマオに向って歩んでいました。その彼らが今、「イエスは生きておられた」ことを知って、急ぎ足でエルサレムに戻ります。イエスと出会った者はそれを告げずにはいられないのです。そこから、今日の物語が始まります。
・エマオから戻った弟子たちが、他の弟子たちに「自分たちは主に出会った」という話をしているその時、その部屋の中にイエスが来られます。ルカはその時の情景を次のように記します「こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」(24:36-37)。弟子たちは「亡霊を見ているのだと思った」、これは無理の無いことでしょう。人間はこのような時空を超えた、説明のつかない出来事を受入れることはなかなか出来ません。復活とは人間の理解の限界を超えた出来事なのです。
・そのような弟子たちに、イエスは“恐れるな”、“信じよ”と、事実を持って、復活を示されます。亡霊でないしるしに、焼いた魚さえ食べて見せられます。何故イエスはそこまでして弟子たちの所に来られたのでしょうか。それは父なる神がイエスを死より蘇らせて下さった事実を示すことにより、イエスの死が人間の罪を贖うための贖罪死であったことを弟子たちに知らせ、弟子たちに新しい命を与えるためでした。
・「ナザレのイエスこそが、復活されたキリストである」とルカは主張します。これはとても大事なことを私たちに教えます。復活のキリストに従うということは、十字架を担った方に従うということです。この方は生前、罪人として社会から排除されていた徴税人やらい病者に近づいていかれ、「あなた方の苦しみを私は知っている」と言われた方です。この方は、十字架につけられた時、一言も相手をののしることなく、自分を殺そうとする者の赦しを祈られた方です。この方は、自分を見捨てた弟子たちのために、何度もその復活の身体を見せてくださった方です。この方が私たちの主なのです。ですから、私たちも人に裏切られても絶望せず、人が評価しなくともやるべきことを行っていくのです。これがイエスから与えられた新しい命の生き方です。

2.ふさがれていた信仰の目が開けられる

・ルカ福音書のイエスの復活記事は、私たちに多くのことを伝えます。エマオに向かう弟子たちは、復活の主が共に歩まれても、イエスに気づきませんでした。その弟子たちにイエスは聖書全体について教えられ、弟子たちの心は熱くなりました。そしてイエスは弟子たちと共にエマオに宿泊され、食事の席で、讃美と祈りの後にパンを裂かれました。その時、始めて弟子たちの目が開け、共におられる方がイエスであるとわかりました。これは歴史上、最初に為された聖餐式(主の晩餐)です。私たちは主の晩餐を通して、イエスの死と復活を想起し、イエスと出会うのです。またイエスご自身が聖書について解き明かされ、弟子たちと共に家に入り宿泊されたことは、聖書の解き明かし、すなわち説教を通して、「この方がどなたであるのか」が明らかにされ、信仰に導かれてバプテスマを受け、共に主の家(教会)に連なる者になることが象徴されています。私たちは、主の言葉(説教)とサクラメント(聖餐)を通して、主にお会いするのです。
・復活の主イエスは、イエスだと気づかない時にも一緒に歩んで下さり、導いて下さる方です。しかし私たちの信仰の目がふさがれている時は、このイエスが見えません。この世においては私たちの目をさえぎるものがたくさんあります。人の目を奪う欲望は限りなくありますし、私たちが悩みや悲しみに打ちひしがれている時にも、イエスが見えなくなる時があります。その時には、「足跡」という詩を思い起こしてください。次のような詩です。「ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、渚を歩いていた。暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人の足跡が残されていた。一つは私の足跡、もう一つは主の足跡であった。これまでの人生の最後の光景が映し出された時、私は、砂の上の足跡に目を留めた。そこには一つの足跡しかなかった。私の人生でいちばんつらく、悲しい時だった。このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした『主よ・・・私の人生のいちばんつらい時、一人の足跡しかなかったのです。一番あなたを必要とした時に、あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、私にはわかりません』。主は、ささやかれた『私の大切な子よ。私は、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。足跡が一つだった時、私はあなたを背負って歩いていた』」。イエスが見えない時こそ、イエスは私たちのために労しておられる、そのような信仰がここにあります。私たちの心の目を主が開いて下さった時(24:45)、私たちは主と出会います。

3.全ての国々へのメッセージの委託

・弟子たちの心の目を開いて下さったイエスは言われます「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる」(24:46-48)。「全ての国々へのメッセージ」をイエスは弟子たちに委託したのです。教会の伝道はこのようにして始められました。今日の招詞にマルコ16:19-20を選びました。ルカの宣教命令の基になったマルコ福音書の言葉です。「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」。
・今年2009年は日本宣教150年の記念の年です。多くの宣教師たちが、イエスの宣教命令を聞いて「全ての国々の人々へのメッセージ」を携えて、日本に来ました。今日はその中の一人、J.C.ヘボンの生涯を辿りながら、イエスの言葉がどのように人々を動かしていったのかを見てみます。私たちの教会はこの7月に「宣教150年記念バスツアー」を計画していますが、訪れる場所の多くが、ヘボンゆかりの地です。
・J.C.ヘボンは、米国ペンシルベニア州に生まれ、大学医学部に学んで、医学博士となりました。当初彼は、妻と共に、宣教医として中国のアモイに派遣され、医療伝道に従事しますが、妻が病み、5年後に帰国します。その後、ニューヨークで開業し、名医として知られ、富と名声を得ますが、なお外国伝道の志が消えることはありませんでした。ある日曜日の午後、我が子の墓の前にたたずんでいる時、彼は「来て、私たちを助けて下さい」(使徒言行録16:9)という声を聞き、その声に動かされて、再び海外宣教を志します。ちょうどその頃、日米通商条約が結ばれ、ヘボンは北米長老ミッション本部宣教医として、妻とともに日本に向かいました。1859(安政6)年日本に到着し、神奈川宿にあった成仏寺本堂に住み、医療伝道を開始し、同時に日本語の研究と和英辞書の編集につとめました。1863(文久3)年横浜居留地39番のヘボン邸に移り、施療所も併設して日本人を無料で診療するとともに、邸内で夫人とともに「ヘボン塾」を開きます
・この「ヘボン塾」で学んだ人々の中から、明治期の指導者が多く出ています。後に外務大臣となった林董、総理大臣を務めた高橋是清、三井物産の創始者である益田孝、毎日新聞社創設の沼間守一、日本最初の医学博士となった三宅秀などがそうです。やがてヘボン塾はJ.C.バラに引き継がれて「バラ学校」となり、その男子部が今日の「明治学院」、女子部がフェリス女学院となります。またヘボンは、伝道の傍ら、日本語の習得に努め、その成果は日本最初の和英辞典となり、この辞典に使われたローマ字がいわゆる「ヘボン式ローマ字」のもととなります。彼は更に「新約聖書」、「旧約聖書」の翻訳にも取り組み、1880年(明治13)年には「新約聖書」が、1887年(明治20)年「旧約聖書」の翻訳が完成しました。また1874(明治7)年ヘボン邸で18人の信徒により横浜第一長老公会が開設されますがこれが後の横浜海岸教会へ、更に彼が自費で建てた住吉町教会が後に横浜指路教会となっていきます。彼はこのように多くの成果を上げますが、晩年の手紙の中でこのように書きます「もう私が日本で働く時は長くないと思います。妻と私の二人は気候の加減でリュウマチに悩んでいます。私は家に引きこもっています。車でなければ外に出られません。妻はこの点で悪くはないのですが、苦痛と眠れない夜のために苦しんでいます。この三月で私は76歳になります。そしてその時は引退の時です」(ヘボン書簡集・1890年1月21日)。
・彼が日本に来る契機になったのは、使徒言行録の言葉に励まされたからです。使徒言行録の中でルカは記します「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、私たちを助けてください』と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、私たちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神が私たちを召されているのだと、確信するに至ったからである」(使徒16:9-10)。そして30年以上にわたる宣教の働きの後、ヘボンは言います「世を去る時が近づきました。私は、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました(競謄皀4:6-7)。ヘボンを動かしたのは「イエスは生きておられる。そして私に“全ての国々へのメッセージ”を伝えるように使命を与えられた」との信仰です。この信仰が日本にキリストの教会を建て、今ここで私たちが礼拝する礎を与えてくれたのです。私たちが今ここで礼拝をしている、その基礎には、大勢の宣教師たちの働きがあります。「イエスは復活された。イエスは生きておられる。そして私たちの働きを望んでおられる」、私たちはこの信仰にどのように応答すべきかが、問われています。


投稿者 : admin 投稿日時: 2019-04-07 19:15:05 (39 ヒット)

2019年4月14日聖書教育の学び(2015年3月29日説教、ルカ23:32−43、三つの十字架)

1.自分を救わない救い主

・ルカ福音書を読んでいます。今日はルカ23章から、イエスがどのようにして、十字架上で死んでいかれたかを読んで行きます。イエスはローマ総督ピラトから死刑の宣告を受け(23:25)、兵士たちに引き渡され、鞭打たれ、十字架を背負って刑場まで歩かされました。そして「されこうべ」と呼ばれていた場所まで連れて来られます。「されこうべ」(ギリシア語クラニオン、ヘブル語ゴルゴダ、ラテン語カルバリ)、エルサレム郊外の石切り場が処刑場とされていて、周りから見ると「人間の頭蓋骨」のような形に見えたのでしょう。
・十字架刑を宣告された囚人は横木を担いて街中を引き回され、刑場に着くと両手首を十字架に釘で打ち付けて固定され、十字架が立てられます。手足が固定されていますから囚人の全体重は腕にかかり、傷口からは血が流れ続け、次第に息ができなくなり、死んでいきます。死ねばその遺体は共同墓地等に投げ込まれ、禽獣の餌食にされます。十字架刑は人間の尊厳を徹底的に貶める残酷刑で、重罪を犯した奴隷やローマに逆らった反逆者等に対してのみ行われる特殊刑です。イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札が掲げてありました。イエスはローマ帝国への反逆者として処刑されたのです。
・ルカは「他にも二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行き」、「犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた」(23:32-33)と記します。処刑場には三本の十字架が立てられました。そこには処刑を見るために来た議員たちがいました。彼らは十字架につけられたイエスを嘲笑して叫びます「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい」(23:35)。「自分を救えない者がメシア(救済者)といえるのか」という嘲りです。処刑の実行役であるローマ兵たちもイエスを侮辱します「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」(23:37)。兵士たちは「お前のどこに王の威厳があるのか」と嘲ります。彼らの嘲笑の言葉は同じです「お前は救い主ではないのか。何故自分を救えないのか」。
・イエスは「自分を救えない救い主」と嘲笑されています。人々がイエスに求めたのは、栄光の救い主です。力によって敵を打ち倒し、人々の尊敬と信頼を勝ち取って、自ら道を切り開いていく救い主です。人々は、病人を癒し、悪霊を追い出されるイエスの行為に、神の力を見ました。力強い説教に、神の息吹を感じました。神の力があれば、自分たちの生活を豊かにしてくれるに違いないと人々は期待しました。しかし、イエスはその期待に応えることが出来ず、今惨めな姿を十字架に晒しています。「民衆は立って見つめていた」(23:35)。彼らもイエスに失望しています。全ての人が自分を嘲笑する中で、イエスは驚くべき言葉を語られます「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(23:34)。
・この言葉は新共同訳では括弧の中にあります。凡例によれば、「新約聖書においては後代の加筆と見られているが、年代的に古く重要である箇所を示す」とあります。つまり早期の有力写本の中にないため、本来のルカ福音書には含まれておらず、一部の聖書学者たちは「これは真正のイエスの言葉ではない」とします。しかし使徒行伝7:60ではステパノがこの祈りに通じる祈りを祈っており(「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」)、初期の教会伝承の中にこの言葉があったことは確かで、多くの聖書学者はこの祈りは「イエスに遡る」と考えています。私自身もこの祈りはイエスに遡ると理解しています。イエスは「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(6:36)と言われ、「もし兄弟が罪悔い改めれば、赦してやりなさい」(17:3)とも語られました。そのイエスだからこそ、自分を殺そうとする者たちのために、とりなしを祈ることが出来た。そのように思います。

2.一人は罵り、一人は憐れみを求める

・「父よ、彼らをお赦しください」というイエスの祈りは、イエスと共に十字架につけられていた二人の人間に別々の反応を引き起こしました。犯罪人の一人はイエスを罵ります「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」。私が欲しいのは今この十字架の苦しみから解放する力なのだと。彼はイエスを嘲笑した議員や兵士たちと同じ立場に立ちます。世の人々も同じ考えでしょう。この世の理解では、「自分を救えない者は他者をも救えない」のです。同時に救いとは「今現在の苦しみからの解放」です。
・しかし、もう一人の犯罪人は別の立場に立ちます。彼は「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」(23:40-41)。そしてイエスに懇願します「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください」(23:42)。彼は訴えました「私は罪を犯したのだから、死刑にされても仕方がない。私には救って下さいと要求する資格はないが、それでも憐れんで下さい」と。その男にイエスは言われました「はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」(23:43)。
・二人の犯罪人はイエスと共に十字架につけられ、イエスの「父よ、彼らをお赦しください」という祈りを聞きました。一人はその言葉をイエスの祈りを虚しい言葉として聞きました。もう一人はその言葉の中に神を見出しました。イエスと共に十字架にかけられたこの二人はどういう人々なのでしょうか。ルカは彼らを「犯罪人」と呼び(23:32)、マルコは「盗賊」(マルコ15:27)と呼びます。しかし二人共ローマ軍によって十字架につけられていますので、単なる犯罪者や盗賊ではなく、ローマからの独立運動に従事した熱心党(ゼロータイ)と呼ばれた人々だったのでしょう。彼らもまたローマへの反逆者として、見せしめの刑に処せられています。

3.ゴルゴダで教会が生まれた

・今日の招詞にローマ6:6−8を選びました「私たちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。私たちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます」。イエスの十字架の場には民衆がいました。彼らは黙ってイエスの処刑を見つめています。そして二人の犯罪者たちもいました。彼らはイエスと同じように十字架につけられ、苦しんでいます。民衆は傍観者ですが、二人の犯罪人は当事者です。二人は手足を釘で十字架に固定され、その場から去ることが出来ないからです。彼らは否応なしに「イエスと共に死んで」いきます。その中の一人はイエスに語ります「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください」。それに対してイエスは約束されます「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」。彼は「キリストと共に死んだから、キリストと共に生きる」、復活の恵みに預かったことでしょう。
・もう一人の犯罪人はイエスを罵りました「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」。彼もまたイエスと一緒に死んだから、イエスと一緒に復活の恵みに預かるのでしょうか。私たちにはわかりません。しかしイエスはかつて言われました「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉もすべて赦される」(マルコ3:28)。自分を殺そうとする者に対して「父よ、彼らをお赦しください」と祈られた方は、自分に罵りの言葉を投げかけたこの犯罪人のためにも祈られています。
・イエスの「父よ、彼らをお赦し下さい」という祈りについて、ある人は「人間が生まれて、祈り始めてから、これ以上に神聖な祈りの言葉が天に捧げられたことはない」と語ります。何故、イエスはこのような祈りをすることができたのでしょうか。神の子だから出来たのでしょうか。しかし、聖書は、イエスが激しい葛藤の末に、この祈りに到達された事を示しています。捕らえられる前の晩、イエスはゲッセマネで祈られました「父よ、御心なら、この杯を私から取りのけて下さい」(22:42)。イエスは死を恐れ、自分を殺そうとする者に憎しみと恐怖を持たれていたのです。しかし、イエスは続いて祈られます「しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください」。人間としての思いと神の子としての思いが葛藤し、「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」(22:44)。その試練に勝たれたゆえに、今イエスは、自分を殺そうとする者たちのために祈ることが出来るのです。
・このイエスの祈りが二人の人間を信仰に導きました。一人はイエスと共に十字架にかけられていた男です。彼はローマ支配に武力で抵抗し、反逆罪で捕えられ、十字架にかけられています。彼は武力でローマを倒そうとして失敗し、今その過ちを悟りました。神の名によって為されても、暴力は暴力であり、そこからは何も良いものは生まれない。そして心からイエスに求めます「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出して下さい」(23:42)。イエスの十字架上の祈りが、ここに最初のクリスチャンを生みました。
・十字架の現場では、さらにもう一人のクリスチャンが生まれています。イエスの十字架刑の執行を指揮していたローマ軍の百人隊長です。ルカは記します「百人隊長はこの出来事を見て、『本当にこの人は正しい人だった』と言って、神を賛美した」(23:47)。彼はイエスが、自分を殺そうとする者たちの赦しを祈って死んでいかれたのを見て、そこに神の存在を感じたのです。その時、十字架というおぞましい出来事が、「神を讃美する」出来事に変えられていきました。復活のイエスに出会って信じた人たちはいます。聖霊降臨に動かされて信徒になった人たちも大勢います。しかし、それに先立って、十字架の現場で信じた二人がここにいるのです。ゴルゴダの丘で教会が生まれたことを私たちは銘記したいと思います。


投稿者 : admin 投稿日時: 2019-03-31 20:47:33 (55 ヒット)

2019年4月7日聖書教育の学び(2011年12月4日説教、ルカ22:54-62、挫折からの回復)

1.「そんな人は知らない」と否認するペテロ

・今月からルカ福音書の学びに入ります。今日与えられましたのはルカ22章54節〜62節の記事で、「ペテロの否認」として有名な個所です。ペテロは12弟子の筆頭であり、初代キリスト教会の中心的人物です。そのペテロが、イエスが捕えられ裁判を受けている時、イエスを三度知らないと否認したことを聖書は伝えます。しかも四つの福音書全てがペテロの裏切りを詳細に書きます。人間的に見れば隠しておきたいことを、なぜ聖書はあからさまに書くのでしょうか。一つの疑問です。また、ペテロはイエスこそ救い主と思い、3年間従って来ましたが、決定的な瞬間に、師であるイエスを裏切りました。自分は取り返しのつかない過ちを犯したという悔いと絶望が彼に残ったことでしょう。そのペテロが挫折から立ち直り、教会の創立者といわれるほどの者になります。その回復の過程を私たちは知りたい。この2つの視点から、今日はルカ22章を読んでいきたいと思います。
・イエスと弟子たちは最後の晩餐を終えて、一晩を過ごすためにゲッセマネの園に行きました。そこに大祭司から派遣された兵士たちが来て、イエスを捕えます。その時、一緒にいた弟子たちはみな逃げてしまいました。ペテロも逃げましたが、イエスのことが気にかかり、「遠く離れて従った」とルカは書きます(22:54)。ペテロは「イエスに従った」、イエスを愛していたからです。「遠く離れて」、自分も捕えられることを恐れていたからです。ペテロは邸の中庭まで入り込み、人々が火にあたりながらイエスを見張っている所まで行きました。イエスは夜中に捕らえられ、夜が明けるまで大祭司の中庭に拘留され、その間、兵士たちから暴行や侮辱を受けていたとルカは語ります(22:63-66)。その大祭司の中庭にペテロは忍び込んだのです。彼は目立たないように身を潜めて、イエスの様子をうかがっていました。しかし焚き火の明かりがペテロの顔を照らし出します。そこにいた女中の一人が、「この人も一緒にいました」(22:56)とペテロを告発します。ペテロは予想もしない所からの指摘にあわてて、「私はあの人を知らない」(22:57)と言いました。最初の否認です。
・ペテロは最後の晩餐の席上で、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」(22:33)と言っています。彼はイエスと一緒に死ぬ覚悟だったのです。だから他の弟子たちが逃げ去っていった中で、危険を冒して大祭司の邸まで追って来ました。そのペテロの覚悟が女中の一言で吹き飛びました。女中に指摘されて、ペテロは身の危険を感じ始めます。すると火の周りにいた他の者が、「お前もあの連中の仲間だ」と告発します。ペテロは「いや、そうではない」と否定します。二回目の否認です。人々は疑わしそうにペテロを見つめ、別の人が言います「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」(22:60)。ペテロの言葉の中にガリラヤの訛りを聞いたのでしょう。ペテロはそれをも否定します「あなたの言うことは分からない」(22:60)。

2.そのペテロを見つめるイエスの眼差し

・「言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた」とルカは記します(22:60)。その鳴き声でペテロは我に帰ります。そしてイエスが言われた言葉を思い出しました。「あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度私を知らないと言うだろう」(22:34)。その時「主は振り向いてペテロを見つめられた」とルカは記します。拘留されていたイエスが振り返られたのでしょうか。イエスの悲しげな顔がペテロに迫って来ました。ペテロは「外に出て激しく泣いた」とルカは記します(22:62)。ペテロはイエスを裏切りました。ペテロは砕かれ、何も無くなり、ただイエスの言われた言葉だけが残りました。イエスはペテロが裏切ることを予告された時、同時に言われました「サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、私はあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:31-32)。ここにはつまずきの予告と同時に赦しの予告が為されています。人は「心は燃えても肉体は弱い」(マルコ14:38)ことをイエスはご存知だったのです。
・「心は燃えても肉体は弱い」、聖書はペテロの弱さを否定しません。むしろこの弱さを認めることによって、本当に強い人間になれると主張します。自分のしたことは間違っていた、自分がイエスを十字架につけた、この悔改めをした時に、ペテロの上にイエスの言葉がよみがえります「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」。イエスは全てをご存知です。私たちがいざと言う時には愛する人さえも容易に裏切る存在であることもご存知です。イエスが全てをご存知であれば、私たちは嘘をつくことも、自分を良く見せることも不要です。罪あるままで赦されたのですから、自分を正当化する必要はないし、全てを無かったことのように忘れ去る必要もありません。何よりも、私たちがイエスを捨ててもイエスは私たちを捨てられない。この赦しに接して、挫折からの回復が始まるのです。
・このペテロの絶望の涙を私も流したことがあります。私は50歳で勤務先を辞めて東京神学大学に入りましたが、それまでの4年間夜間神学校で学び、もう牧師としての訓練は受けたとの自負がありましたので、大学で学びながら、ある伝道所の牧師になりました。しかし1年で挫折しました。伝道所の信仰とそぐわないとの理由で、数名の方から牧師辞任を迫られました。その時、泣きながら主に祈りました「あなたが成れというから職業を捨てて牧師になったのに、1年で辞めろと言われるのですか。何のために職を捨てたのですか」。東神大の二年目は学びに専念し、卒業と同時にこの篠崎教会に招かれて来ました。牧師を1年で辞めたことは辛い経験でしたが、この挫折を通して、教会とは何か、牧師はどうあるべきかの基本を、学んだような気がします。「牧師になるために一度砕かれなければならなかった」、今ではこの挫折を恵みとして受け取っています。

3.ペテロの復活

・今日の招詞にヨハネ21:17を選びました。次のような言葉です「三度目にイエスは言われた『ヨハネの子シモン、私を愛しているか』。ペトロは、イエスが三度目も『私を愛しているか』と言われたので、悲しくなった。そして言った『主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます』。イエスは言われた『私の羊を飼いなさい』」。イエスが十字架で死なれた時、弟子たちは逃げました。イエスが死なれた以上、エルサレムにいても仕方がありません。弟子たちは故郷のガリラヤに戻り、そこで元の漁師に戻ったとヨハネ福音書は記します。そこに復活のイエスが現れました。イエスはペテロに「私を愛するか」と三度聞かれました。三度裏切ったゆえに三度確認されます。三度目の確認にペテロは悲しんで言いました「主よ、あなたは全てをご存知です」。
・「あなたは私の弱さを知っておられます。私はかってあなたを裏切ったし、これからも裏切るかも知れません。それにもかかわらず、私があなたをどれほど愛しているかを、あなたはご存知です」。この復活のイエスと出会い、罪を赦され、過ちを犯した自分に教会が委ねられた事を知った時、ペテロは生れ変りました。やがてペテロは、「イエスは復活された。私たちはその証人である」と宣教を始めます。イエスを十字架につけた大祭司はペテロに、「もしイエスを宣教し続けるならばおまえも殺す」と脅しました。その時ペテロは、「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜んだ」(使徒5:41)と使徒言行録は記します。大祭司の女中の言葉に怯えたペテロが、今、大祭司の前で「イエスこそわが主であり、救い主だ。私を殺したければ殺しなさい」と告白するほどの者にされました。
・ペテロはローマで死んだと言われています。伝承に依れば、ネロ皇帝のキリスト教徒迫害が起きた時、ペテロはローマにいました。弟子たちはローマから逃れることをペテロに勧め、ペテロはローマを後にしますが、その途上でイエスに出会います。ペテロはイエスに尋ねます「クオ・バデス・ドミネ」、ラテン語で「主よ、何処に」という意味です。そのペテロに対してイエスは言われます「おまえが私の民を置いて去るならば、私は再び十字架にかけられる為にローマに行く」。この言葉を聞いてペテロはローマに戻り、十字架につけられて殉教して死んでいったと伝えられています(シンケヴィッチ作「クオ・バデス」岩波文庫)。ペテロが殉教したと伝えられる地にサン・ピエトロ教会(聖ペテロ教会、今日のバチカン)が建てられ、教会の扉には逆さ十字架につけられたペテロの像が彫り込まれています。ペテロは最期まで弱い人間でした。しかし、自らの弱さを知り、主を求め続けました。そして主によって強くされました。
・聖書はペテロがイエスを三度否認したことを何故、こんなに詳しく知っているのでしょうか。大祭司の庭にはペテロしかいなかったはずです。おそらくペテロは弟子たちに、自分の経験を繰り返し語ったのでしょう「私はイエスを傷つけた。イエスを失望させた。それでもなおイエスは私を愛し、赦してくださった。イエスはあなた方も同じ様に赦してくださるのだ」と。人は弱い、過ちを犯す、しかし神はその過ちを責められない。自分が弱いことを認め、その弱さをも神が受け入れてくださる事を知る時に、人は挫折から立ち直ることが出来ることをペテロの経験は私たちに教えます。同じようにイエスを裏切ったイスカリオテのユダは首をくくって死にました。ユダはイエスに絶望し、自分の力で何とかできると考え、破滅しました。ペテロは自分に絶望しましたが、自分の弱さを泣き、主を求めました。主を求め続ける時、その悲しみは「救いに通じる悔い改めを生じさせ」、主に背を向ける時、その悲しみは「死をもたらす」のです(競灰螢鵐7:10)。
・ペテロはイエスを裏切りました。イエスの後に従ったからです。他の弟子たちはイエスを裏切りませんでした。イエスの後に従わなかったからです。しかしイエスが、「私の羊を飼いなさい」と群れを委託されたのはペテロであって、他の弟子たちではありませんでした。従う故に挫折があり、挫折があるゆえに恵みがありました。ペテロの挫折は「勇気ある挫折」なのです。私たちの場合もそうです。従う故に挫折があるのですから、挫折を恐れる必要などない。むしろ挫折を通して私たちは主に出会うのです。挫折は神の火による潔めなのです。ペテロが弟子の手本とされているのは彼が失敗しなかったからではなく、彼が挫折から立ち直ったからです。神の国では失敗や挫折は恥ずべきことではないことを覚えたいと思います。


投稿者 : admin 投稿日時: 2019-03-25 09:18:37 (64 ヒット)

2019年3月31日聖書教育の学び(2011年12月11日説教、ルカ24:13−35、復活の主と出会う)

1.復活の証人の話を聞く

・クリスマスを前に、ルカ福音書から御言葉を聞いています。今日の個所はルカ24章、「エマオへの旅」と呼ばれる所です。ルカは、十字架に死なれたイエスが三日目に復活されて、エマオに向かう二人の弟子たちに現れたと記します。ルカは記します「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた」(24:13-14)。この日、週の始めの日、イエスが十字架で亡くなられて三日目の日でした。エマオまでの道のりは60スタディオン、11キロ、歩いて三時間の道のりです。弟子の一人はクレオパ(24:18)、もう一人はその息子のシモンであったと言われています。ギリシャ名=クレオパ、ヘブル名=クロパ。このクロパの妻はイエスの十字架に立ち会っています(ヨハネ19:25)。おそらく、彼等の家はエマオにあったのでしょう。そして彼等はイエスの支持者だったのでしょう。彼等は過ぎ越しの祭りにイエスがエルサレムに来られるとの連絡を受けて、一家でエルサレムに行きました。そこでイエスの十字架死を目撃し、失意の中に、親子で、エマオに帰るところであったと思われます。
・彼らは「この一切の出来事について話し合っていた」とあります。一切の出来事、おそらくは、イエスが死なれて望みは絶たれたと言う嘆きと、今朝、仲間の婦人たちが体験した不思議な出来事(24:1-2、婦人たちがイエスの墓に行ったところ、墓の石が転がされて死体が無くなっていたこと)等について、ため息混じりに話し合っていたのでしょう。そこにイエスが近づかれて、彼等と一緒に歩かれ、「何を話しているのか」と尋ねられます(24:17)。しかし、二人はその同伴者がイエスであることに気がつきません。心の目が閉じている時、人はイエスを見てもわからないのです。マザー・テレサはカルカッタの高校教師でしたが、ある日、路上に捨てられて死につつある老人の顔の中にイエスを見て、教師の職を捨て、奉仕の仕事につきました。しかし、他の人には、その老人は、ただの死につつある老人にしか過ぎませんでした。同じものを見ても、心の目が閉じている人は見えない。弟子たちもイエスがわからなかった。
・「二人は暗い顔をして立ち止まった」(24:17)とルカは書きます。何故、顔が暗いのか。二人はイエスこそイスラエルを救うメシヤ(救い主)であると思っていたのに、彼は殺され、希望は挫かれたからです(24:21)。彼らはイエスこそ神の子と信じたのに、神はイエスを救うために何もされず、イエスは為すすべもなく殺されて行きました。彼等の信仰は打ち砕かれました。更にまた、今朝は、女たちがイエスの墓に行ったところ、死体さえも無くなっていました。彼らは二重にも三重にも打ち砕かれ、暗い顔をしていました。そして彼らは旅人の質問に、堰を切ったように自分たちの苦しみと失意を語り始めます。その彼等にイエスは語りかけられました「物分りが悪く、心が鈍い者たち」(24:25)。イエスの十字架に直面した弟子たちは、怖くなって逃げ去りました。そして今「イエスは生きておられる」(24:23)との使信が婦人たちを通して伝えられたのに、弟子たちは「愚かな話と思い」(24:11)、信じることができません。二人もイエスの体が取り去られたことを不思議に思いながらも、イエスが復活されたとは信じていません。それでもイエスは弟子たちに現れ、彼等の目が開かれることを期待されます。だから、彼等に聖書の解き明かしをされ、メシヤは苦難を通して栄光を受けると書いてあるではないかと語られます(24:26)。
・彼等の目はまだ開かれません。しかし、彼らは旅人の話にただならぬものを感じました。だから、目的地のエマオに着いた時、先を急ごうとする旅人をしいて引き止めます(24:29)。彼等が引き止めなかったら、イエスは先に行かれ、彼らはその人がイエスであることはわからなかったでしょう。イエスは求める者には、その姿を現されますが、求めない者はイエスに出会うことはありません。イエスは言われます「見よ、私は戸口に立って、たたいている。だれか私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう」(ヨハネ黙示録3:20)。イエスは外に立っておられ、戸を開ける者はイエスに出会い、開けない者は出会わない。二人の弟子はイエスを強いて引き止めたから、イエスに出会います。

2.二人はやっとイエスが分かった

・イエスは二人の求めに応じて、家に入られ、食事の席につかれました。そして、イエスが「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」時に、「二人の目が開き、イエスだとわかった」(24:30-31)とルカは記します。「パンを取り、祝福して裂き」、イエスはかつて5つのパンで5千人を養われたことがあります。その時、イエスは、「パンを取り、祝福して裂き」、群衆に配られました(9:16)。二人はその時、その場にいたのかもしれません。二人がイエスを認めた時、イエスの姿が見えなくなりました。しかし、二人はお互いに言います「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか」(24:32)。そして二人は「時を移さず出発してエルサレムに戻った」(24:33)。彼等がエマオに到着したのが夕暮時、食事を囲んだのが7時頃、それからエルサレムまで3時間の道のりですから、エルサレムに着いたのは夜中近くであったと思われます。二人は「心が燃えて」じっとしておれなかった。「復活の主に出会った」ことを語らずにはいられなかった。そのため、彼らは食事をとることも忘れてエルサレムに急ぎました。心が燃えて語らずにいられない。その思いが私たちを伝道に駆り立てます。
・イエスの時代、多くのメシヤと称するものが出て、一時期人々の注目を集め、弟子たちが集まったと歴史書は記します。しかし、その多くは自称メシヤの死により、運動が終っています。イエスの場合も十字架で死なれた時、弟子たちは逃げ去り、それで終るはずでした。ところが、逃げ去った弟子たちが、やがて「私たちは復活のイエスに会った。そのことによって、私たちはイエスが神の子であることを知った」と宣教を始め、信じる者たちが増やされていくという出来事が起こりました。復活があったかどうかは歴史的に証明できません。しかし「私たちは復活の主に会った」と弟子たちが証言を始め、多くの者が殺されてもその証言を曲げなかったのは歴史的事実です。復活はまた理性で認識できる事柄でもありません。現に弟子たちも自分たちの前にイエスが現れるまでは、「愚かなこと」と復活を信じていません。しかし、失意の中にエマオに戻る途上のクレオパとシモンが、エマオに着くや否や、食事をとることも忘れて、喜び勇んでエルサレムに戻っていったのは歴史的な事実でしょう(マルコ福音書も16:12-13でその伝承を伝えています)。

3.復活信仰に動かされて

・当初、弟子たちはイエスの復活を信じませんでした。信じない時、死が全ての終わりであり、死が全てを支配します。死が全ての終わりであれば、私たちには何の希望もありません。その時、人は享楽的になり、「私たちは飲み食いしようではないか。明日も分からぬ命なのだ」(1コリント15:32)と言うか、この弟子のように悲観的になり、全ては空しいとため息をつくかのどちらかです。復活を信じる時、全ては変ります。イエスがわかった時、二人の弟子は言いました「私たちの心は燃えていたではないか」。打ち砕かれてエマオに向かう二人と、喜び勇んでエルサレムに戻る彼等の間に何があったかを知って欲しい、ルカはそう語りかけています。
・詩篇126:5-6が今日の招詞です。「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」。詩篇126編はバビロン捕囚という悲しい出来事からの解放を祝った詩篇です。「泣きながら出て行った人が、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」、絶望が喜びに変えられる出来事がありました。同じように、エマオに向かう二人の弟子たちも絶望の中にエルサレムを去りました。その彼等が喜びの声をあげてエルサレムに戻っていきます。詩篇126編が記す出来事が今起こったことをルカは伝えます。「世は過ぎ去る。私たちもいつか死ぬ。全ては空しい」。しかし「空しくないもの、過ぎ去らないものがここにある」ことを二人の弟子は見出しました。復活の出来事は今、この現在を、決定する出来事です。イエスが復活され、今もここにおられることを知る者は心が燃えます。燃えた心は、二人の弟子のように食事も忘れて、「私たちは復活の主に出会った」ことを伝えるために、走ってエルサレムに戻っていきます。この復活こそ私たちの信仰の中核であり、伝道の原動力です。
・復活とは単に死んだ人が生き返るという蘇生ではありません。復活は生物学的な現象でもなく、死を超えた命が示される出来事なのです。それは、神がこの世界を支配しておられることを信じるかと問われる出来事なのです。私たちは「たまたま生まれ、たまたまここにいる」のか、それとも「人生には意味があり、生かされている」のかが問われます。二人の旅人は十字架のあるエルサレムから逃げて来ました。現実から逃げていく時、そこには悲しみしかありません。しかし、その悲しみにイエスが同行されます。そして力を与えられ、彼らはまた、十字架の待つ危険な場所に帰って行きます。私たちに苦しみや悲しみが与えられているのは、私たちが絶望して自分に死に、そこから神の名を呼ぶためです。絶望しない者は神に出会わない、神を求めないからです。「十字架なしには復活はない」のです。神は求める者には応えて下さる。二人の弟子たちはイエスを引き止めたから、イエスは共にいてくださった。私たちも神の名を呼ぶ時、目が開けて、イエスが共にいてくださることを知ります。その時、私たちは新しい命を受けます。新しい命を受けた者は次の者に命を伝えていきます。
・蓮見和男と言う牧師が、復活について詠った詩があります。その詩を読んで今日の説教を終ります。「人は死ぬ、その生は朽ち果てる、ではその生は無意味だったのか。誰がその意味を決めるのか、神のみ。無から有を造り、有を無に帰せしめ、そしてまた、無から有を造り出す神なしには、この人生は無に過ぎない。しかし、神、愛なる神がいます故、全て意味が出てくる。死んだ者は、空しく朽ち果てるのではない。アウシュヴィッツ、ヒロシマの死者は空しく葬り去られるのではない。生ける者と死せる者の主となられた復活の主はそのことを教える」(蓮見和男・聖書の使信「ルカによる福音書」から)。虚しくないものがここにある。それを伝える場所が教会です。それを証しするのが私たちです。


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