すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2009-05-20 09:11:45 (2531 ヒット)

同志社大学大学院教授で経済学者の浜矩子さんが、2009年5月13日朝日新聞朝刊に「バッドペニー(悪貨)は繰り返し手元に戻る」として、民主党小沢一郎氏の代表辞任・新しい代表選挙についてコメントを寄せた。内容は概ね次のようだ「バッドペニーは繰り返し手元に戻る・・・小沢一郎というバッドペニーもその執拗なカムバックぶりに一種の見事さがあった・・・彼がここまで世にはばかり続けてこられたことについては、彼が果たすべき一定の歴史的、社会的役割があったのではないか・・・聖書に出てくる古代の圧制者キュロス(ペルシャ王)はバビロニアに捕囚されていたユダヤ人たちを解放し、伝道者パウロは元々はキリスト教の迫害者だった・・・圧制者が民族解放の役割を果たし、迫害者が転じて信仰の熱き担い手になる。ことほどさように、天は意外な人物を意外な場面で起用する・・・小沢一郎にヒーロー役は明らかに不似合いだ。新しい流れを呼び起こすイメージはない。むしろ悪しき旧弊に色濃く染まった人物だ・・・だがそのような人物に対してであっても、必要とあらば天命が下る。そこが歴史の面白いところだ」。

浜矩子さんがクリスチャンかどうか知らない。しかし聖書を深く学び、聖書の出来事から、現代の政治を見て分析した。その結果、これまでにない洞察が可能になった。キュロスは捕囚地の預言者第二イザヤが「主の僕」「主が油注がれた人」とさえ賞賛した人物だ(イザヤ44:28-45:1)。今、教会の木曜祈祷会でイザヤ書を読んでいるので、浜さんのこの意見を興味深く呼んだ。同時にこの記事を読みながら、同じくイザヤ書を用いて日本の針路を憂えた矢内原忠雄を思い出した。矢内原は1937年「国家の理想」という論文を中央公論に発表した。「国家の理想は正義と平和にある、戦争という方法で弱者をしいたげることではない。理想にしたがって歩まないと国は栄えない、一時栄えるように見えても滅びる」と矢内原は書いた。

矢内原は古代の覇権国家アッシリアの例を引いて、「日本は中国を懲らしめるための神の鞭、アッシリアに過ぎないのに、いつの間にか自分が神のように振舞い始めている」として、1937年7月に盧溝橋事件を起こして、中国本土を征服しようとした日本を批判したのである。戦時中に軍部批判をすることは大きな勇気が必要だったと思う。予想通り、雑誌は発禁処分を受け、矢内原の論文は全文削除となり、これが契機になり、矢内原は東大教授の職を追われた。

矢内原論文にあるアッシリアは旧約イザヤ書や列王記に出てくるが、紀元前8世紀に世界帝国となり、パレスチナ諸国を次々に征服した。イザヤは預言の中で、それは神が不信のイスラエルを打つ「鞭」として用いられたからだと言った。ところがアッシリアは神の委託を超えて、自分が主人であるように振舞い始め、「私の前には敵はいない、私こそ神である」と驕り始めた。ここに至って主はアッシリアを撃つことを決意されたとイザヤは預言した。紀元前701年、エルサレムを包囲したアッシリア軍内に疫病が発生し、数十万人の兵が死に、アッシリアは軍を引き揚げ、世界帝国アッシリアはこのごろから勢力を弱め、やがて滅んだ。

聖書から世界を見ると、見えなかったものが見えてくる。聖書は「歴史を支配されておられるのは神であり、人間はそこに役割を果たすだけだ」という。聖書を通して、私たちはこの世の出来事や愛国心を相対化し、自己の利益だけでなく公の利益を考えることが出来るようになることを改めて思った。


投稿者 : admin 投稿日時: 2009-05-14 08:59:40 (1254 ヒット)

2009年春、東京国立博物館で興福寺・阿修羅展が開催され、人気を集めている。阿修羅像は天平6年(734)、光明皇后が母橘三千代の1周忌供養の菩提を弔うために造像して以来、戦乱や大火など幾つもの災難を乗り越えてきた。1300年の時を超えて守り伝えられた日本の文化、そして何よりも阿修羅像の三つの悲しみに満ちた顔が多くの人を魅了している。

先日、NHKテレビで阿修羅展特集を行っていたが、その中で阿修羅像は光明皇后がモデルとなっているのではないかとの話があった。藤原家出身の光明皇后は自分の子を天皇にするために自分の兄弟たちと争う。ある人は阿修羅像の三顔の内右側には皇位継承権を持つ大津皇子・長屋王等のライバルを打倒する顔であり、左側は甥である広嗣の乱や四兄弟の天然痘による死などの重なる災害を見る苦悩の顔であり、正面(真顔)は懺悔して仏に縋り、悲田院や施薬院を設立して一門の安寧を願う姿ではないかとの見方が紹介されていた。

人は罪を犯さざるを得ないが、その罪を贖う存在を持たない人々は偶像に頼るしかないのだろうか。イザヤ書は偶像崇拝の愚かさを繰り返し説く。第二イザヤ自身が捕囚地バビロンで、敗戦と捕囚の悲しみの中で、偶像に頼る同族を見てきたからだ。第二イザヤは記す「木工は寸法を計り、石筆で図を描き、のみで削り、コンパスで図を描き、人の形に似せ、人間の美しさに似せて作り、神殿に置く。・・・木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め、一部を燃やしてパンを焼き、その木で神を造ってそれにひれ伏し、木像に仕立ててそれを拝むのか」(イザヤ44:13-15)。しかし「彼は自分の魂を救うことができず、『私の右の手にあるのは偽りではないか』」(イザヤ44:20)と言う。いくら懺悔の思いを込めて偶像を造り、それを拝んだとしても罪の赦しは来ない。罪を赦す方は、人間でも偶像でもなく、神しかおられないからだ。

川口通治


投稿者 : admin 投稿日時: 2009-05-04 10:33:04 (3389 ヒット)

この世には理由のつかない不条理があります。幸せな結婚をしても障害のある子が生まれて結婚が壊れることがあります。一生懸命に生きても報われずに惨めに死んでいく生涯もあります。原爆で死んで行った多くの人たちは運が悪かったとしかいえないでしょう。何故、世に“不条理”があるのか、神がおられるなら神はこの不条理をどのように考えておられるのか。私たちにとって重要な課題の一つです。

それを考える素材が、曽野綾子の小説「哀歌」の中にあるような気がします。哀歌はアフリカの国ルワンダに赴任した一人の修道女の物語です。主人公・鳥飼春菜は所属する修道会に命じられて、部族対立の続くルワンダへ赴任します。彼女は、教会や学校を併設する修道院で、現地人の修道女たちと協力しながら、子どもたちの世話をします。ところがルワンダの部族対立が激化し、多数派フツ族の少数民族ツチ族に対する集団虐殺が始まります。フツ族の民兵は軍を後ろ盾にツチ族への暴行、虐殺、略奪を開始し、避難民を受け入れた修道院や教会でも彼らは暴虐の限りを尽くします。その混乱のなかで修道院にいた春菜は暴徒にレイプされ、そのことが原因で妊娠します。「善なる思いが悪の行為として彼女に降りかかった」のです。彼女は身も心も疲弊しきって日本に帰国しますが、修道会は妊娠した修道女に冷淡であり、春菜はどうしてよいかわかりません。

主人公春菜は、この不条理に、最初は自分の論理で物事を処理しようと考えます。「あれは悪夢だった。悪夢を悪夢として処理する方法も日本の社会は備えている」。暴行を受けて妊娠した子を中絶することは誰も非難しませんし、中絶さえすれば、「何事も無かった」ように生きていくことが出来ます。他方、子を中絶しない場合、生まれる子は「皮膚の色が黒い子」となり、そのような混血児を抱えて日本社会で生きていくことは大変なことです。

しかし相談した神父の言葉、「神は御自分で為されたことには必ずその結果に対して何らかの責任をお取りになるだろう」という信仰が、春菜の気持ちを変えて生きます。神は私にこの子を与えて下さった、それが納得できない形で与えられたにせよ、おなかの子には何の責任もない、この子を守って暮らそう、そのことによって不利益を受けるのであれば受けていこうと決意します。

神父の言葉を契機に、考えの中心点が自己から他者(この場合はおなかの子)に変えられていきます。彼女の決断はこの世の基準では愚かな決断になるでしょう。しかし信仰の決断としては別の評価が成立します。「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ10:11)。良い羊飼いの最大の関心は自分ではなく羊ですから、羊のために命を捨てても悔いません。彼女はおなかの子を、自分に与えられた羊として生きていくことを決意したのです。そのことによって不利益を受ける=現在の自分に死ぬことは、無意味なことではありません。イエスは言われました「私は命を、再び受けるために、捨てる」(ヨハネ10:17)。現在に死ぬことは将来に生きるためなのです。

イエスは十字架を通して、すなわち現在を死ぬことを通して、復活されました。弱い私たちも現在与えられた十字架を担って死ぬことにより、新しい命に生きる者と変えられるのです。復活を信じることによって、私たちに新しい力が与えられるのです。そして「十字架なしに復活はない」、ここに不条理(十字架)が与えられている意味があるのではと思いました。

「2009年5月3日説教黙想ノート」から 川口通治


投稿者 : admin 投稿日時: 2009-04-04 17:19:23 (1745 ヒット)

篠崎キリスト教会では今年のイースターを次の日程でお祝いします。よろしければご参加下さい。

2009年4月10日(金)19時半
受難日礼拝  キャンドルサービスをおこないます。

2009年4月11日(土)10時
子どもイースター  エッグハンテイングをします。

2009年4月12日(日)11時
イースター主日礼拝  礼拝の中で姉妹のバプテスマ式を行い、礼拝後愛餐の時を持ちます。


投稿者 : admin 投稿日時: 2009-03-25 00:00:39 (1437 ヒット)

佐藤賢一「王妃の離婚」を読みました。小説の題材になっているのは、1498年に提起された、フランス王ルイ12世の王妃ジャンヌに対して離婚を求める訴えを起こした事件で、小説は王妃側の弁護人になった男性を主人公にして展開します。

中世において離婚は禁止されていました。それでも離婚をするためにはローマ教皇庁の特別の許可が必要で、教皇庁の開く裁判所において、「婚姻無効」が認められた時に始めて、離婚が認められました。フランス王が訴訟まで起こしてまで離婚をしようとしたのは、当時の世界では、嫡出男子(正式に結婚した夫婦間の子)のみが王位継承権を持ち、庶子は認められなかったからです。つまり子を産まない王妃と結婚している限り、ルイ12世は王位を自分の子に継がせることが出来ないという事情がありました。そのため、ルイ12世は、王妃ジャンヌとの結婚は強制されたものであり、自分は王妃との性的交わりは持っていないから、この結婚は無効であると訴えでたのです。

これは結婚を、「聖なるもの」とする聖書の伝統の中で生きていた中世ならではの出来事です。聖書では、結婚は神のつくられた制度であり、神が人間社会の基礎となるべきものとして制定されたものであるとします(「人が,ひとりでいるのは良くない.わたしは彼のために,彼にふさわしい助け手を造ろう」(創世2:18)、 「男はその父母を離れ,妻と結び合い,ふたりは一体となる」(創世2:24))。結婚は神の摂理の中にあるから、人がそれを離してはいけないとされたのです。

しかし、実際の社会生活の中では、離婚が一切認められないといろいろな問題が出ます。そのために、聖書も一定の場合は離婚を認めています。それが旧約聖書・申命記24章の規定です「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」(申命記24:1)。

旧約聖書を生活の基盤として生きていたユダヤ社会では、この規定の意味をめぐって解釈論争が起こりました。ヒレル学派は「“妻に何か恥ずべきことを見いだし”という離婚理由について、食物を焦がすことまで含められる」と広く解釈し、他方シャンマイ学派は「妻の不品行だけに限るべきだ」と厳格に解釈していました。マルコ福音書10章の有名な離婚論争はこの申命記の解釈をめぐって為されています。イエスは次のように述べて、聖書の言葉に形だけ従えば良いとする人間の勝手を戒められています
「天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」

「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」、イエスの言葉は中世カトリック世界では絶対の基準となり、教会は「信徒の婚姻関係は神の前で結ぶものであり、それを解くこと、すなわち離婚はできない」と教えてきました。しかし、それでは困る場合が出てくるので、離婚=表面上は婚姻の無効を一定の条件の下で認めるようになります。

どのような場合に結婚は無効とされるのかをめぐって、教会法が定められ、その法規の解釈をめぐって様々の意見が出て、この小説の背景を規定します。これは笑い事ではなく、実際にイギリスのヘンリー8世の離婚を巡っては、それを容認しないカトリック教会とイギリス王が争い、その結果、イギリスがカトリックから離脱すると言う宗教改革まで起きているのです。自分の子に王位を継がせたいと言うヘンリー8世のわがままが世界史を変えていくような出来事を引き起こしました。

小説を読みながら思いましたことは、ユダヤ教の離婚論議と、カトリック教会の離婚論議がそっくりだと言うことです。つまり、人間は神の言葉を自分の都合の良いように解釈し、神の御心を生きることを願ってはいないということです。少なくとも信仰が宗教(制度)になり、その宗教が社会の多数派になるところでは、そのような堕落が必然的に起きます。その点、日本では、幸か不幸か、キリスト教徒は少数派ですので、堕落が起きにくい。

私たちは少数派としての役割を生きたいと考えています。地の塩としての生き方です。そのためには、何が神の御心であり、何が違うのかを見極める知恵が必要です。その知恵は聖書の中にあります。ですから私たちの教会では、「聖書に聞く」ことを教会形成の基本にしています。水曜日の新約聖書の学び、木曜日の旧約聖書の学び、そして主日の説教を通して、ひたすら御言葉に聞くことに徹したいと願っています。


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