すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2008-12-14 14:03:49 (1453 ヒット)

篠崎キリスト教会では今年のクリスマスを次の日程でお祝いします。

2008年12月20日(土)19時半
クリスマスイブ礼拝  キャンドルサービスをおこないます。

2008年12月21日(日)11時
クリスマス主日礼拝 礼拝後愛餐の時を持ちます。

2008年12月23日(火)10時
子どもクリスマス 讃美をしてゲームをします。


投稿者 : admin 投稿日時: 2008-10-18 09:21:05 (1237 ヒット)

毎月、第三土曜日午後4時から、葛西集会が開かれています(南葛西1-2-18、喫茶ロビン)。この集会では、短い奨励が話された後で、コーヒーを飲みながら、その内容についての話し合いの時を持っています。

テーマはその時々で変わり、今月は安息日です。安息日=主の日=礼拝の日であり、クリスチャンは礼拝を守りたいと思いますが、いろいろな用事で守れない時もあります。例えば

・子供の運動会があるときは礼拝を休んでいいのか
・夫が病気で寝込んでいる時はどうするのか
・会社に日曜出勤しなければいけない時はどうするのか

決まった答えはありません。それぞれが信仰に基づいて決定する問題です。しかし、聖書はどう教えるかを知っている必要はあります。そのためには「安息日」とは何かを考える機会として、このテーマを奨励に選びました。

これからも毎月開きますので、よろしければご参加下さい。

篠崎キリスト教会 川口通治


投稿者 : admin 投稿日時: 2008-10-08 09:05:03 (1150 ヒット)

篠崎キリスト教会では、水曜日祈祷会で学んできたルカ福音書の学びを今日終わります。ルカ最後の学びは24章後半でしたが、改めて復活について、どう理解すべきか、考え込みました。以下は現時点での私の理解です。

復活を多くの聖書学者たちは、「十字架の神話的象徴」、あるいは「弟子たちの宗教体験」と考えます。聖書学者ブルトマンは「イエスの十字架の上での刑死は史実だが、復活はその史実としてのイエスの十字架の意味を、当時の神話的象徴で表現したものである」といい、作家の遠藤周作は「復活は歴史的事実であるというよりも、弟子たちの宗教体験と考えるべきだ」といいます。

復活は聖書の中心的使信であり、多くの歴史的事柄を含んでいます。「隠れていた弟子たちが復活のイエスに出会って、「主はよみがえられた」と宣教を始めたのは、歴史的事実」です。また「初代教会が、ユダヤ教安息日の土曜日ではなく、イエス復活日の日曜日に聖日礼拝を始めたことは歴史的事実」です。更には「教会の迫害者であったパウロが、復活のイエスに出会って伝道者に変えられたことも歴史的事実」です。

他方、復活は歴史的な検証が出来ない面があるのも事実です。「十二弟子が復活のキリストに出会ったことは学問的に検証できる事柄」でないことは事実でしょう。「パウロの復活のイエスとの出会いは他の人には見えない出来事」でした。復活のイエスに出会ったのは弟子たちだけであり、信仰なしには出会いがなかった。逆に言うと、歴史的な事柄と言いにくいことを意味します。ブルトマンや遠藤の理解もそこにあります。

両者を総合する時、復活とは人格的なイエスとの出会いであり、それを生物学的なイエスとの出会いと考える故に混乱が生じているのではないかと思えます。ギリシャ語の命には「ビオス」と「ゾーエー」の二つがあります。ビオスは生物学的命、ゾーエーは人格的な命です。復活はゾーエー(人格的な命)との出会いであり、ビオス(生物学的命)との出会いと考えてはいけないのではないかと思いました。

いずれにせよ、復活をどのように理解するかは、私たちの信仰の根幹に関わってきます。もし私たちが復活を受入れることが出来れば、私たちは他者と共存する生き方、「人を生かす人生」、「人を生む人生」を歩むことが出来ます。この世で勝つ必要はなくなる、何故なら死で人生は終わらないからです。

水曜祈祷会ではルカ福音書の学びを終え、次週から「マルコ福音書の学び」に入ります。このマルコが終われば、新約聖書の1章づつの学びは完了します。

篠崎キリスト教会 牧師 川口通治


投稿者 : admin 投稿日時: 2008-09-10 10:07:11 (1018 ヒット)

教会の新約聖書の学び(水曜祈祷会)ではルカ福音書を学んでいますが、9月10日はルカ22章後半「イエスの裁判」の箇所でした。イエスがメシア(救い主)の名を騙ったとして涜神罪で裁かれる場面です。ユダヤ人は長い間メシアを待望していました。しかし、そのメシアが現れると、迷惑だとして殺してしまう。人間はもしかしたら、メシアに来られたら迷惑と考えているのではないかと思わせる場面です。釈義ノートを書きながら、「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官」の場面を思い起こしました。16世紀のスペインに来られたイエスを、大審問官が追い返す物語です。釈義ノートに書き切れなかった場面を補足報告します。

(以下は「ギリシア・ローマ古典文学案内」(岩波文庫)からの要約です)

異端を処刑する薪が燃えさかる16世紀のスペインの町セビリアに、ある日キリストが現れた。彼は泣き叫ぶ母親のため、たちどころに死んだ女の子を蘇らせた。町の善男善女は、すわイエス様と色めき立ったが、この話を耳にした宗教裁判の責任者たる老大審問官は、ただちにイエスを捕縛し、牢獄に閉じこめさせた。そして深夜、密かに獄を訪れイエスをなじった。

「お前は人類に自由を与えたが、そのため人類がいかに苦しんだか知っているのか。お前は荒野で悪魔に試みられて、「人はパンのみに生くるに非ず」と答えた。あるいは我に従えば地上の栄華を悉くとらせようという申し出に対して、「主なる神にのみつかえん」と、すげない返事をした。この時お前は身をもって、良心の自由を人間どもに示したのだ。(中略)お前は自由なる良心からの信仰を望んだからだ。だがお前の人間どもはどうだ。この哀れな生物には自由や天上のパンよりも地上のパンが遙かに大事で、お前の言う自由のためにかえって困惑し、苦悶した。我々はお前の名のもとに、その彼らから自由を取り上げて、彼らの救済という大事業に着手し、すでにその完成を見ている。今頃お前が出てきては、彼らを再び苦しめるだけだ。明日は我々の仕事の妨害に来たお前を火あぶりにする」。

大審問官の難詰に囚人イエスは終始沈黙を守っていた。だがついに立ち上がって、大審問官の血の気のない唇に静かに口づけした。大審問官はぎくりとした。彼は突然牢獄の扉を開け、出ていけ、二度と来るなと叫ぶ。囚人は静かに暗い巷へ消えていく。
                  
川口通治


投稿者 : admin 投稿日時: 2008-09-08 09:09:46 (1336 ヒット)

作家の中井俊已さんが配信するメルマガに「心の糧」がありますが、今日は三浦綾子さんの「生かされている」と言う言葉が紹介されていましたので、要約部分を転記します。


心の糧・きっとよくなる!いい言葉 発行者:作家 中井俊已(なかいとしみ)08.9.8 Vol.344

生かされている。今日は、生と死に関わる超真面目なお話です。生と死? ふーん。いま忙しいなあ・・・
という方は、あとでじっくりお読みください。では、どうぞ・・・

▼「わたしたちは、なぜ生きなければならないのか……という問いを発しがちですが、生きるとか、死ぬとか、という人生の一大事の「なぜ」は、だれにもわからないものですね。それよりもわたしたちは、だれも「生きる」のではなく、「生かされている」と考えると、おのずと生き方も変わってくると思うんですよね。」          三浦綾子著『永遠のことば』
▼三浦綾子さんは、小説のような人生を歩んだ人です。24歳までは熱心な小学校教師でした。しかし、敗戦によって、それまでの国家のあり方や、自らも関わった軍国主義教育に疑問を抱き、退職。その直後、肺結核を発病します。(以来、脊椎カリエスも併発し、13年間の入院生活)
▼入院中に、幼なじみで同じく結核患者だった前川正氏に再会します。が、虚無と自棄に支配されていた彼女は自殺未遂をします。前川氏は敬虔なクリスチャンであり、彼女に多大な影響を与えました。そのため、彼女も洗礼を受けます。が、それもつかの間、愛する前川氏が死去します。病床でギブスに臥したまま、身動きもできず、
涙にくれる1年間を過ごします。 そのとき、こんな歌を詠んでいます。
 「妻の如く想うと吾を抱きしめし君よ帰り来よ天の国より」
▼その後、まるで生前の前川氏を思わせるような三浦光世氏が、不思議な縁で現れ、互いに惹かれ合うようになります。三浦光世氏は、いつ治るともわからない病床の綾子さんに求婚。その4年後に綾子さんは退院し、二人は結婚します。(以上のことは、三浦綾子著『道ありき』に詳しく書かれています。)
▼その後、雑貨屋の主婦をしながら書いた初の小説『氷点』が朝日新聞社の懸賞小説に入選。以来、三浦綾子さんは42歳で作家としての活動を始めることになります。その後もパーキンソン病などと闘いながら、夫、三浦光世氏との二人三脚の口述筆記で、77歳で亡くなるまで執筆を続けていきました。数々の素晴らしい文学やエッセーを残し、いまも多くの本が国内外で愛読されています。(参照 ★三浦綾子記念文学館HP 三浦綾子業績年譜)
▼さて、三浦綾子さんの言葉
 「『生かされている』と考えると、おのずと生き方も変わってくると思う」とは、どういうことでしょうか。
▼彼女は、若いときは「生きていても意味がない」と思い、自ら命を絶とうとしましたが、「生かされてきた」人です。24歳で結核が発病してからは、脊椎カリエス、パーキンソン病など様々な病気と闘いながら、
 結果的に77歳になるまで「生かされてきた」人です。その間に、最愛の恋人を病で亡くし、悲嘆に暮れながらも、「生かされてきた」のです。
▼死のうと思っていたのに、生きるように言われた。病と闘いながらも、自分のいのちは長らえている。自分は生かされている。生かされているのなら、自分の人生にも意味があるはずだ。彼女は、そう考えてきました。
生かされている苦しみを人一倍受けなければならなかったのですが、生かされている喜びも、それ以上に味わってきた人ではないかと思います。
▼彼女は生かされている苦しみに、価値ある意味を見出せた人でした。生かされている喜びを、失うことのない人でした。ゆえに、かつて自分を支配していた虚無感も自棄の心も消えました。体は病と闘いながらも、心は平安でした。彼女の心の底には、ずっと生かされてきた喜びがあったのです。
▼生かされている喜びを他の人にも伝えたい。生かしてくれている人のことをもっと伝えたい。これは彼女が雑貨屋の主婦をしていたときからの願いでした。彼女はその願いをペンで紙に書くことで実現していくことが、自分の使命だと考えるようになったようです。彼女の文学を読んで何らかの救いを感じる人は、彼女のそんな願いを心のどこかで受けとめているのだと思います。
★ あなたが幸運になれるヒント ★
苦しくても「生かされている」と考えよう。きっと生き方が変わってくる。(^.^)

出典:三浦綾子著『永遠のことば』http://tinyurl.com/66s9dw
   三浦綾子著『道ありきー青春編』 http://tinyurl.com/2th3tq
   (これは超オススメ!私はこれまで4回くらい読みました)


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