すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2019-05-05 17:27:33 (124 ヒット)

2019年5月12日聖書教育の学び(2018年12月12日祈祷会、ガラテヤ書3章、律法の回復として福音)

1.律法と福音の意味

・ガラテヤ諸教会はパウロの伝道によって設立されたが、パウロが去った後、エルサレムから派遣された教師たちが来て、「割礼を受けなければ本当の救いはない」と説いて、教会に混乱が生じていた。ガラテヤの人々は、割礼を受けようとしていた。パウロは「キリストの十字架を仰いで信仰に入ったのに、何故今割礼を受けようとするのか、霊で始めたものを肉で完成しようとしているのか」と批判する。
−ガラテヤ3:1-3「物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。あなたがたが“霊”を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか」。
・中心になる言葉は「割礼」だ。割礼とは男性性器の包皮を切り取る行為で、砂漠の不衛生の中で体を清潔に保つために、与えられた戒めとされる。神はユダヤ人の父祖アブラハムに、「選びのしるしとして割礼を受けなさい」と言われた(創世記17:9-11)。それ以降、ユダヤ人の男子は生まれてから8日目に割礼を受けるようになる。その割礼がやがて、「割礼を受けなければ救われない」とされ、救いの条件になってきた。パウロは「それはおかしい」と主張し、エルサレムの使徒会議もその主張を受け入れたが、一部の人々は依然として割礼の必要性を主張していた。「割礼を受けなければ救われない、そうであればこれまでの信仰は無駄であったのか。そんなことがあるわけはないではないか」とパウロは反論する。
−ガラテヤ3:4-5「あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずはないでしょうに。あなたがたに“霊”を授け、また、あなたがたの間で奇跡を行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それとも、あなたがたが福音を聞いて信じたからですか」。
・主はアブラハムの信仰を義とされたが、それは割礼を受ける前であった(創世記15:6-7)。アブラハムは「義とされた」しるしとして割礼を受けたのであり、「割礼を受けたから義とされた」のではない。
−ガラテヤ3:6-7「それは、『アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた』と言われているとおりです。だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい」。
・信仰があって行いが生じるのであり、その逆ではない。律法は恵みに対する感謝として与えられたものである。出エジプト記を見よ。主が解放してくださった故に、主の言葉に従えと命じられている。
−出エジプト記 20:2-3「 私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。 あなたには、私をおいてほかに神があってはならない」。

2.律法は人を救わない

・パウロは創世記にあるアブラハムの生涯を通して、救いとは何かを解き明かしていく。「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた。その時、アブラハムは割礼を受けていない。無割礼の時に救われたのであれば、何故割礼が救いの条件になるのか」とパウロは問いかける。
−ガラテヤ3:7-9「だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、『あなたのゆえに異邦人は皆祝福される』という福音をアブラハムに予告しました。それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています」。
・律法は人を救わない。人は律法を守ることが出来ない。「殺すな」と言われても、私たちは怒りに駆られて人を呪い、呪いの先には殺人がある。人間は戦争をやめることができない、それは「殺すな」という命令を守ることの出来ないことを意味する。「姦淫するな」と言われても私たちは姦淫を犯し続けている。
−ガラテヤ3:10-12「律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。『律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている』と書いてあるからです。律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。なぜなら、「正しい者は信仰によって生きる」からです。律法は、信仰をよりどころとしていません。『律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる』のです」。
・人は律法を守ることは出来ない、律法によっては救われない、だからこそ、キリストが十字架で死なれた。律法の視点から見れば、「木にかけられたキリスト」は呪われている。しかし神はそのキリストを十字架の死から起こされた、律法の呪いから起こされ、神は律法の無効を宣言されたとパウロは語る。
−ガラテヤ3:13-14「キリストは、私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです。それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、私たちが、約束された"霊"を信仰によって受けるためでした」。

3.律法から福音へ

・人は信じて義とされる。それでは律法は何のために与えられたのか。律法は人々に対する祝福として与えられた。奴隷として働かされたエジプトでは休息の日はなかった。疲れた身体を休めるように安息日が出エジプトの民に与えられた。祝福である安息日がやがて、安息日を守らない者は罰すると言う規定に変わっていく。イエスは祝福を呪いに変えてしまった律法学者の罪を指摘する(ルカ14:1-6)。
−ルカ14:1-6「安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。『安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか』。彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。そして、言われた。『あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか』。彼らは、これに対して答えることができなかった」。
・パウロがガラテヤ書で力説するのも、意味の変えられた律法の虚しさである。
−ガラテヤ3:23-25「信仰が現れる前には、私たちは律法の下で監視され、信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。こうして律法は、私たちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。私たちが信仰によって義とされるためです。しかし、信仰が現れたので、もはや、私たちはこのような養育係の下にはいません」。
・「神の子とされたしるしとして割礼を受けよ」という祝福が、「割礼を受けなければ救われない」という呪いに変えられてしまう。そこに人の罪があり、その罪の贖いのためにイエスが十字架につかれた。人が再び神の子とさせていただく道がキリストによって与えられた。それが福音だ。
−ガラテヤ3:26-27「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」。
・キリストを着た私たちにとって、自分がユダヤ人であるかギリシア人であるか、男であるか女であるかはもう問題にはならない。神の前に、私たちは子として、一つになったからだ。
−ガラテヤ3:28「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」。

4.ガラテヤ3章の黙想

・パウロは、「律法全体は「隣人を自分のように愛しなさいという一句によって全うされる」(5:14)と語る。人はキリストに出会い、自由にさせられることを通して、自分の中の「肉の欲」が、「霊の愛」に変えられていく。肉の欲とは相手を自分に仕えさせようとする欲だ。飲酒を断念した人は隣人に言う「自分も飲まないのだからあなたも飲むな」。これが肉の欲だ。
・他方、愛は自分が相手に仕えていく。「私は飲まない、しかしあなたは飲んで楽しみなさい」。これが律法から解放されたキリスト者のあり方だ。福音さえも律法化する。礼拝は恵みの時、神に出会う時であり、私たちは礼拝を大事にする。しかし大事にした時、礼拝を休む人のことが気になり、やがて「礼拝を守らない人は救われない」と言い出しかねない。その時、福音が律法化する。礼拝に来ない人を呪うのではなく、「礼拝に来ることの出来ない人のために祈り続けていく」、それが福音に生かされた者のあり方だ。
・どうすればそのような生き方が出来るのか。福音の原点、キリストの十字架に立ち戻った時だ。パウロはガラテヤ書の終わりに言う「私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世は私に対し、私は世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」(6:14-15)。「その兄弟のためにもキリストが死んでくださった」(1コリント8:11)ことを思い起こす時、私たちはもはや兄弟を憎むことは出来ない。私たちには、兄弟を憎まない自由、兄弟の悪口を言わない自由、兄弟のために祈る自由が、与えられている。キリストの十字架に接して、私たちはその自由を強制ではなく、自由意志で選び取っていく。


投稿者 : admin 投稿日時: 2019-04-28 21:53:51 (107 ヒット)

2019年5月5日聖書教育の学び(2018年12月5日祈祷会、ガラテヤ2章、律法かキリストか)

1.アンティオキア教会での出来事

・パウロはバルナバによりアンティオキア教会に招かれ、宣教の働きを始めた。アンティオキアにはユダヤ人もギリシア人もいたが、お互いの差異に関らず信徒の交わりが行われ、人々は始めて「キリスト者」と呼ばれた。ユダヤ教から独立したキリスト教会の成立である。
−使徒11:25-26「バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」。
・しかし、ユダヤ教の支配下にあったエルサレム教会の指導者たちは、「異邦人も割礼を受けて律法を守らなければいけない」と主張を続け、教会に混乱が起きた。バルナバとパウロは問題を話し合うためにエルサレムに行った。紀元49年頃に開催されたエルサレム使徒会議である。
−使徒15:1-2「ある人々がユダヤから下って来て『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった」。
・これがガラテヤ2章にある問題の背景だ。異邦人が救われるためには、「ユダヤ人と同じように割礼を受けることが必要なのか」という議論である。ガラテヤ教会の人々も、割礼を求めるエルサレム教会からの圧力で混乱していた。そのガラテヤの人々にパウロは使徒会議で起こった出来事を報告している。
−ガラテヤ2:1-2「十四年たってから、私はバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際テトスも連れて行きました。エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。私は、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、主だった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました」。
・パウロが「異邦人に宣べ伝えている福音」とは、「人が救われるのは割礼によってではなく、キリストの十字架の恵みによる」という教えだった。会議では誰もパウロに反論できなかった。
−ガラテヤ2:3-5「しかし、私と同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、私たちを奴隷にしようとして、私たちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、私たちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした」。
・会議では異邦人に割礼を強要しないことが決められ、ペテロにはユダヤ人への宣教の業が、パウロには異邦人への宣教の業が委ねられることになった。
−ガラテヤ2:6-9「主だった人たちからも強制されませんでした。この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、私にはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。実際、その主だった人たちは、私にどんな義務も負わせませんでした。彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、私には割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました・・・また、彼らは私に与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、私とバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、私たちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです」。

2.律法から自由でない人々との戦い

・会議で割礼を強制しないことが決まったものの、ユダヤ人信徒の割礼に対するこだわりは消えなかった。習慣や伝統の怖さである。ペテロやバルナバでさえも律法主義者に押されてその態度を後退させている。
−ガラテヤ2:11-13「さて、ケファがアンティオキアに来た時、非難すべきところがあったので、私は面と向かって反対しました。何故なら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました」。
・パウロは彼らの変節を鋭く批判する。パウロはエルサレム教会の代表者であるペテロにも遠慮しない。
−ガラテヤ2:14「しかし、私は、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。『あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか』」。
・当時、主の晩餐式は共同の食事の中で営まれていた。共に食卓につかないことは、共に礼拝をしないことを意味し、見過ごしに出来ない問題だった。「割礼により救われるのならキリストは何のために十字架で死なれたのか」とパウロは問う。
−ガラテヤ2:15-16「私たちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです」。
・律法によっては誰も救われない。だからキリストの十字架を仰ぐ。それなのにまた律法に戻ろうとするのはなぜかとパウロは説く。
−ガラテヤ2:17-18「もし私たちが、キリストによって義とされるように努めながら、自分自身も罪人であるなら、キリストは罪に仕える者ということになるのでしょうか。決してそうではない。もし自分で打ち壊したものを再び建てるとすれば、私は自分が違犯者であると証明することになります」。
・自分ほど律法による救いを求めて苦闘した者はいない。しかし、律法は人を救わない。私は復活のキリストに出会ってそれを知った。だから私は律法に死に、キリストに生きるようになった。
−ガラテヤ2:19-20「私は神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。私は、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」。
・そしてパウロは彼の信仰の核心を語る「律法によって人が義とされるのであれば、キリストは何のために死なれたのか。律法は人を救いには導かないのだ」。
−ガラテヤ2:21「私は、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます」。

3.ガラテヤ2章の黙想(北森嘉蔵・聖書の読み方から)

・「神の痛みの神学」を著した神学者・北森嘉蔵は、ガラテヤ2:19-20について、それは宗教学者・西田幾多郎の特愛の言葉であったと語る。
−北森「聖書の読み方」p153から「西田はこれを宗教の極致として受け取った。『生きているのはもはや私ではない』という言葉は宗教を宗教たらしめるものだ。それは親鸞の『他力本願』、禅の『心身脱落』に通じる「神秘主義的」と言われている宗教性である。この人間主体と宗教的実存の合一こそ宗教の本質であると西田は語る」。
・西田は「すべての宗教に救いがある」と信じている。これに対して内村鑑三は、「この言葉はキリストの十字架の死を語るものであり、仏教的な心身合一ではない。ここにあるのは福音であり、救いはキリストの十字架なしにはあり得ない(仏教によっては、人は救われない)」と説く。
−北森・聖書の読み方p154〜158から「内村はこの個所の『私が今肉にあって生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を捧げられた神の御子を信じることによって、生きているのである』という部分を重点的に理解する。人間は神への反逆を持っているゆえに神と直接的に合一することが出来ない。それ故、救い主の自己放棄という犠牲が払われた。あくまでも仲保者キリストとの合一であり、キリストが十字架で死なれたことにより、人間は律法(自分の正しさ)に死に、神に生きるのである。だから私たちも十字架に死ぬのである」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2019-04-21 21:01:37 (186 ヒット)

2019年4月28日聖書教育の学び(2018年11月28日祈祷会、ガラテヤ書1章、福音から離れ始めたガラテヤの諸教会へ)

1.福音から離れ始めたガラテヤ諸教会へ

・パウロは小アジアのアンティオキアやルステラ、イコニウム等の諸都市を何度か訪れて伝道し、ガラテヤ地方にいくつかの教会が生まれた。彼はその後エペソに移るが、そのパウロの所に、「ガラテヤの人々がパウロの伝えた福音から離れ、割礼を受けようとしている」との知らせが届いた。パウロは、ガラテヤの人々がこんなにも簡単に福音から離れて行ったことに驚き、失望して、手紙を書く。
−ガラテヤ1:1-7「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、ならびに、私と一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ・・・キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、私はあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです」。
・エルサレムからの宣教師たちはユダヤ教の支配下にあり、「割礼を受けなければ救われない」と主張し、人々に割礼を受けさせようとしていた。パウロは「割礼なしに救われないなら、キリストは何のために死なれたのか」と人々に迫る。
−ガラテヤ2:21「私は、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます」。
・イエスの直弟子である十二使徒を中心に形成されたエルサレム教会は、パウロを母教会から派遣した正式の教師ではなく、その信仰は正統から逸脱した異端だと攻撃した。そのため、パウロは手紙の冒頭で、自分の使徒性は人によらず、キリストと神からの直接の召しによるものであるあることを強調する。
−ガラテヤ1:1-2「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ・・・から、ガラテヤ地方の諸教会へ」。
・パウロは語る「私は復活の主に出会い、直接召された。そのキリストは私たちの罪の赦しのために死んで下さった。福音とはキリストに示された十字架と復活以外にはないのだ」と。
−ガラテヤ1:4「キリストは、私たちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世から私たちを救い出そうとして、御自身を私たちの罪のために献げてくださったのです」。
・異なる福音などない。キリストを信じるか、サタンを信じるかのどちらかだとパウロは迫る。パウロは母教会のエルサレムからの宣教師たちを「サタン」と呼ぶ激しさで攻撃する。
−ガラテヤ1:8-9「たとえ私たち自身であれ、天使であれ、私たちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。私たちが前にも言っておいたように、今また、私は繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい」。

2.神から直接受けた福音を私は伝えた

・反対者たちは、パウロの教えはエルサレム教会の教えと異なると批判した。エルサレム教会の主力はヘブライ主義者(ヘブライ語を話す地元ユダヤ人)であり、律法を重視する。だから彼らはユダヤ教当局からの迫害は受けていない。他方、パウロの属するヘレニズム主義者(海外居住のユダヤ人)はユダヤ教から異端として迫害された。パウロは復活のキリストとの直接の出会いによって回心した。だから彼は反論する「自分は人から教えられたのではなく、直接キリストから啓示された福音を伝えている」。
−ガラテヤ1:11-12「あなたがたにはっきり言います。私が告げ知らせた福音は、人によるものではありません。私はこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」。
・パウロはかつて熱心な律法主義者であったが、キリストとの出会いにより変えられた。パウロは語る「今あなたがたは福音から律法に後戻りしようとしているが、律法はキリストの福音と対立する」と。
−ガラテヤ1:13-14「あなたがたは、私がかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。私は、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」。
・キリストに出会って全てが変えられた。福音の迫害者であったパウロが福音の宣教者として召され、アラビアの荒野でその確信を持たされ、直ちにダマスコでの宣教に赴いている。
−ガラテヤ1:15-17「私を母の胎内にある時から選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子を私に示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、私は、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、私より先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした」。
・3年後にパウロはエルサレムに行き、使徒たちと会い、その後アンティオキア教会で伝道を行った。その期間は14年にも及ぶが、詳細を聖書は述べない。恐らくは特記すべき業績を上げなかったのだろう。パウロのような劇的な召命を受けた伝道者でも、長い間の訓練と忍耐の時を必要とした。
−ガラテヤ1:21-23「その後、私はシリアおよびキリキアの地方へ行きました。キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。ただ彼らは『かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている』と聞いて、私のことで神をほめたたえておりました」。

3.ガラテヤ書は何故書かれたのか

・パウロはバルナバによりアンティオキア教会に招かれ、宣教の働きを始めた。アンティオキアにはユダヤ人もギリシア人もいたが、民族の差異に関らず、信徒の交わりが行われ、ここで始めて教会の信徒たちが、「キリスト者」と呼ばれた。キリスト教の誕生である。他方、エルサレム教会はユダヤ教キリスト派に留まっていた。
−使徒11:25-26「バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」。
・エルサレム教会の主流派は、「異邦人も割礼を受けて律法を守らなければいけない」と主張し、教会に混乱が起き始めた。バルナバとパウロは問題を話し合うためにエルサレムに行った。
−使徒15:1-2「ある人々がユダヤから下って来て『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった」。
・これがガラテヤ書にある問題の背景だ。キリスト教がユダヤ教から脱皮するための混乱だった。
−ガラテヤ2:11-13「ケファがアンティオキアに来た時・・・ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました」。
・割礼とは何か。最初に割礼を受けるように求められたのはアブラハムだった。選ばれて神の民となったのだから、「恵みのしるしとして一族すべてが割礼を受けなさい」と命じられた(創世記17:9)。祝福のしるしとしての割礼がそのうちに、「割礼を受けない者は救われない」、「割礼を受けない者は呪われる」と変わっていく。エルサレム教会から派遣された伝道者たちも、ユダヤ人(アブラハムの子孫)として割礼を受けていた。だから他者にも割礼を強要するようになり、いつの間にか、割礼を受けることが救いの要件になっていった。恵みとしての律法が、人を縛り、不自由にさせるものに変化していく。
・私たちの中にも、「洗礼を受けなければ救われない」との考え方がある。洗礼は救われた感謝として受けるが、いつの間にか「洗礼を受けたのだから私は天国に行ける、あの人は洗礼を受けていないから救われない」と言い始める。洗礼という感謝の行為が、救いの条件になってしまい、受けない人を排除する行為になり、時には、それが教会を二分する争いになる。
・パウロは語る「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる」。人を救うのは神であり、人の行為ではない。キリストが死んでくださったように私たちも罪に死ぬ、そのことを通して神の恵みが見えてくる。その恵みを通して、「この悪の世のしがらみから救われ」、新しい人生に導かれるのである。


投稿者 : admin 投稿日時: 2019-04-14 17:35:08 (201 ヒット)

2019年4月21日聖書教育の学び(2009年4月26日説教、ルカ24:35-48、全ての国々へのメッセージ)

1.復活のイエスに気づかない弟子たち

・復活節の今月は福音書からイエスの復活物語を聞いています。第三主日の今日は、ルカ福音書から物語を聞いていきますが、ルカ福音書もまた「弟子たちの信仰の目がふさがれて主イエスがわからなかった」と記します。弟子たちは三度にわたるイエスの受難予告(死と復活の予告)を聞いても理解できないまま、エルサレムに入り、事態はどんどん進行し、いまやイエスは十字架で死なれ、弟子たちは失意の内に復活の日を迎えています。ルカ24章後半では、エルサレムから60スタディオン(約11キロメートル)離れたエマオに向かう弟子たちに復活されたイエスが同道されますが、弟子たちはそれが主イエスであると気づきません。ルカは記します「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」(24:15-16)。
・二人はイエスに気づかないどころか、イエスから「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と聞かれ、クレオパという弟子は、エルサレムでイエスに起こった事の次第と、墓からイエスの遺体が消えていたことを話します。まさに釈迦に説法で、弟子たちにはイエスがまったくわからなかったのです。イエスは彼らの物分かりの悪さを嘆かれ、「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」と改めて聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明されます。それでも二人は、この方がイエスであることに気づきません。
・エマオに着いた弟子たちは、先に行こうとされるイエスを無理に引き止めて、一緒に宿泊します。イエスは食事の席でパンを取り、讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡します。弟子たちが、「この人はイエスだ」とわかったのはその時でした。この物語は、例え復活のイエスが目の前に現れても、それを疑うほどの不信が強ければイエスを見ることは出来ないことを示唆します。復活のキリストは信仰の目がなければ見えないのです。しかし一度イエスを見た、イエスに出会った者は、心が燃やされます。ルカは記します「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか」(24:32)。弟子たちは「時を移さず出発して、エルサレムに戻って」(24:33)行きます。復活日の午後、二人の弟子は絶望の中をエルサレムからエマオに向って歩んでいました。その彼らが今、「イエスは生きておられた」ことを知って、急ぎ足でエルサレムに戻ります。イエスと出会った者はそれを告げずにはいられないのです。そこから、今日の物語が始まります。
・エマオから戻った弟子たちが、他の弟子たちに「自分たちは主に出会った」という話をしているその時、その部屋の中にイエスが来られます。ルカはその時の情景を次のように記します「こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」(24:36-37)。弟子たちは「亡霊を見ているのだと思った」、これは無理の無いことでしょう。人間はこのような時空を超えた、説明のつかない出来事を受入れることはなかなか出来ません。復活とは人間の理解の限界を超えた出来事なのです。
・そのような弟子たちに、イエスは“恐れるな”、“信じよ”と、事実を持って、復活を示されます。亡霊でないしるしに、焼いた魚さえ食べて見せられます。何故イエスはそこまでして弟子たちの所に来られたのでしょうか。それは父なる神がイエスを死より蘇らせて下さった事実を示すことにより、イエスの死が人間の罪を贖うための贖罪死であったことを弟子たちに知らせ、弟子たちに新しい命を与えるためでした。
・「ナザレのイエスこそが、復活されたキリストである」とルカは主張します。これはとても大事なことを私たちに教えます。復活のキリストに従うということは、十字架を担った方に従うということです。この方は生前、罪人として社会から排除されていた徴税人やらい病者に近づいていかれ、「あなた方の苦しみを私は知っている」と言われた方です。この方は、十字架につけられた時、一言も相手をののしることなく、自分を殺そうとする者の赦しを祈られた方です。この方は、自分を見捨てた弟子たちのために、何度もその復活の身体を見せてくださった方です。この方が私たちの主なのです。ですから、私たちも人に裏切られても絶望せず、人が評価しなくともやるべきことを行っていくのです。これがイエスから与えられた新しい命の生き方です。

2.ふさがれていた信仰の目が開けられる

・ルカ福音書のイエスの復活記事は、私たちに多くのことを伝えます。エマオに向かう弟子たちは、復活の主が共に歩まれても、イエスに気づきませんでした。その弟子たちにイエスは聖書全体について教えられ、弟子たちの心は熱くなりました。そしてイエスは弟子たちと共にエマオに宿泊され、食事の席で、讃美と祈りの後にパンを裂かれました。その時、始めて弟子たちの目が開け、共におられる方がイエスであるとわかりました。これは歴史上、最初に為された聖餐式(主の晩餐)です。私たちは主の晩餐を通して、イエスの死と復活を想起し、イエスと出会うのです。またイエスご自身が聖書について解き明かされ、弟子たちと共に家に入り宿泊されたことは、聖書の解き明かし、すなわち説教を通して、「この方がどなたであるのか」が明らかにされ、信仰に導かれてバプテスマを受け、共に主の家(教会)に連なる者になることが象徴されています。私たちは、主の言葉(説教)とサクラメント(聖餐)を通して、主にお会いするのです。
・復活の主イエスは、イエスだと気づかない時にも一緒に歩んで下さり、導いて下さる方です。しかし私たちの信仰の目がふさがれている時は、このイエスが見えません。この世においては私たちの目をさえぎるものがたくさんあります。人の目を奪う欲望は限りなくありますし、私たちが悩みや悲しみに打ちひしがれている時にも、イエスが見えなくなる時があります。その時には、「足跡」という詩を思い起こしてください。次のような詩です。「ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、渚を歩いていた。暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人の足跡が残されていた。一つは私の足跡、もう一つは主の足跡であった。これまでの人生の最後の光景が映し出された時、私は、砂の上の足跡に目を留めた。そこには一つの足跡しかなかった。私の人生でいちばんつらく、悲しい時だった。このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした『主よ・・・私の人生のいちばんつらい時、一人の足跡しかなかったのです。一番あなたを必要とした時に、あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、私にはわかりません』。主は、ささやかれた『私の大切な子よ。私は、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。足跡が一つだった時、私はあなたを背負って歩いていた』」。イエスが見えない時こそ、イエスは私たちのために労しておられる、そのような信仰がここにあります。私たちの心の目を主が開いて下さった時(24:45)、私たちは主と出会います。

3.全ての国々へのメッセージの委託

・弟子たちの心の目を開いて下さったイエスは言われます「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる」(24:46-48)。「全ての国々へのメッセージ」をイエスは弟子たちに委託したのです。教会の伝道はこのようにして始められました。今日の招詞にマルコ16:19-20を選びました。ルカの宣教命令の基になったマルコ福音書の言葉です。「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」。
・今年2009年は日本宣教150年の記念の年です。多くの宣教師たちが、イエスの宣教命令を聞いて「全ての国々の人々へのメッセージ」を携えて、日本に来ました。今日はその中の一人、J.C.ヘボンの生涯を辿りながら、イエスの言葉がどのように人々を動かしていったのかを見てみます。私たちの教会はこの7月に「宣教150年記念バスツアー」を計画していますが、訪れる場所の多くが、ヘボンゆかりの地です。
・J.C.ヘボンは、米国ペンシルベニア州に生まれ、大学医学部に学んで、医学博士となりました。当初彼は、妻と共に、宣教医として中国のアモイに派遣され、医療伝道に従事しますが、妻が病み、5年後に帰国します。その後、ニューヨークで開業し、名医として知られ、富と名声を得ますが、なお外国伝道の志が消えることはありませんでした。ある日曜日の午後、我が子の墓の前にたたずんでいる時、彼は「来て、私たちを助けて下さい」(使徒言行録16:9)という声を聞き、その声に動かされて、再び海外宣教を志します。ちょうどその頃、日米通商条約が結ばれ、ヘボンは北米長老ミッション本部宣教医として、妻とともに日本に向かいました。1859(安政6)年日本に到着し、神奈川宿にあった成仏寺本堂に住み、医療伝道を開始し、同時に日本語の研究と和英辞書の編集につとめました。1863(文久3)年横浜居留地39番のヘボン邸に移り、施療所も併設して日本人を無料で診療するとともに、邸内で夫人とともに「ヘボン塾」を開きます
・この「ヘボン塾」で学んだ人々の中から、明治期の指導者が多く出ています。後に外務大臣となった林董、総理大臣を務めた高橋是清、三井物産の創始者である益田孝、毎日新聞社創設の沼間守一、日本最初の医学博士となった三宅秀などがそうです。やがてヘボン塾はJ.C.バラに引き継がれて「バラ学校」となり、その男子部が今日の「明治学院」、女子部がフェリス女学院となります。またヘボンは、伝道の傍ら、日本語の習得に努め、その成果は日本最初の和英辞典となり、この辞典に使われたローマ字がいわゆる「ヘボン式ローマ字」のもととなります。彼は更に「新約聖書」、「旧約聖書」の翻訳にも取り組み、1880年(明治13)年には「新約聖書」が、1887年(明治20)年「旧約聖書」の翻訳が完成しました。また1874(明治7)年ヘボン邸で18人の信徒により横浜第一長老公会が開設されますがこれが後の横浜海岸教会へ、更に彼が自費で建てた住吉町教会が後に横浜指路教会となっていきます。彼はこのように多くの成果を上げますが、晩年の手紙の中でこのように書きます「もう私が日本で働く時は長くないと思います。妻と私の二人は気候の加減でリュウマチに悩んでいます。私は家に引きこもっています。車でなければ外に出られません。妻はこの点で悪くはないのですが、苦痛と眠れない夜のために苦しんでいます。この三月で私は76歳になります。そしてその時は引退の時です」(ヘボン書簡集・1890年1月21日)。
・彼が日本に来る契機になったのは、使徒言行録の言葉に励まされたからです。使徒言行録の中でルカは記します「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、私たちを助けてください』と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、私たちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神が私たちを召されているのだと、確信するに至ったからである」(使徒16:9-10)。そして30年以上にわたる宣教の働きの後、ヘボンは言います「世を去る時が近づきました。私は、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました(競謄皀4:6-7)。ヘボンを動かしたのは「イエスは生きておられる。そして私に“全ての国々へのメッセージ”を伝えるように使命を与えられた」との信仰です。この信仰が日本にキリストの教会を建て、今ここで私たちが礼拝する礎を与えてくれたのです。私たちが今ここで礼拝をしている、その基礎には、大勢の宣教師たちの働きがあります。「イエスは復活された。イエスは生きておられる。そして私たちの働きを望んでおられる」、私たちはこの信仰にどのように応答すべきかが、問われています。


投稿者 : admin 投稿日時: 2019-04-07 19:15:05 (113 ヒット)

2019年4月14日聖書教育の学び(2015年3月29日説教、ルカ23:32−43、三つの十字架)

1.自分を救わない救い主

・ルカ福音書を読んでいます。今日はルカ23章から、イエスがどのようにして、十字架上で死んでいかれたかを読んで行きます。イエスはローマ総督ピラトから死刑の宣告を受け(23:25)、兵士たちに引き渡され、鞭打たれ、十字架を背負って刑場まで歩かされました。そして「されこうべ」と呼ばれていた場所まで連れて来られます。「されこうべ」(ギリシア語クラニオン、ヘブル語ゴルゴダ、ラテン語カルバリ)、エルサレム郊外の石切り場が処刑場とされていて、周りから見ると「人間の頭蓋骨」のような形に見えたのでしょう。
・十字架刑を宣告された囚人は横木を担いて街中を引き回され、刑場に着くと両手首を十字架に釘で打ち付けて固定され、十字架が立てられます。手足が固定されていますから囚人の全体重は腕にかかり、傷口からは血が流れ続け、次第に息ができなくなり、死んでいきます。死ねばその遺体は共同墓地等に投げ込まれ、禽獣の餌食にされます。十字架刑は人間の尊厳を徹底的に貶める残酷刑で、重罪を犯した奴隷やローマに逆らった反逆者等に対してのみ行われる特殊刑です。イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札が掲げてありました。イエスはローマ帝国への反逆者として処刑されたのです。
・ルカは「他にも二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行き」、「犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた」(23:32-33)と記します。処刑場には三本の十字架が立てられました。そこには処刑を見るために来た議員たちがいました。彼らは十字架につけられたイエスを嘲笑して叫びます「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい」(23:35)。「自分を救えない者がメシア(救済者)といえるのか」という嘲りです。処刑の実行役であるローマ兵たちもイエスを侮辱します「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」(23:37)。兵士たちは「お前のどこに王の威厳があるのか」と嘲ります。彼らの嘲笑の言葉は同じです「お前は救い主ではないのか。何故自分を救えないのか」。
・イエスは「自分を救えない救い主」と嘲笑されています。人々がイエスに求めたのは、栄光の救い主です。力によって敵を打ち倒し、人々の尊敬と信頼を勝ち取って、自ら道を切り開いていく救い主です。人々は、病人を癒し、悪霊を追い出されるイエスの行為に、神の力を見ました。力強い説教に、神の息吹を感じました。神の力があれば、自分たちの生活を豊かにしてくれるに違いないと人々は期待しました。しかし、イエスはその期待に応えることが出来ず、今惨めな姿を十字架に晒しています。「民衆は立って見つめていた」(23:35)。彼らもイエスに失望しています。全ての人が自分を嘲笑する中で、イエスは驚くべき言葉を語られます「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(23:34)。
・この言葉は新共同訳では括弧の中にあります。凡例によれば、「新約聖書においては後代の加筆と見られているが、年代的に古く重要である箇所を示す」とあります。つまり早期の有力写本の中にないため、本来のルカ福音書には含まれておらず、一部の聖書学者たちは「これは真正のイエスの言葉ではない」とします。しかし使徒行伝7:60ではステパノがこの祈りに通じる祈りを祈っており(「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」)、初期の教会伝承の中にこの言葉があったことは確かで、多くの聖書学者はこの祈りは「イエスに遡る」と考えています。私自身もこの祈りはイエスに遡ると理解しています。イエスは「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(6:36)と言われ、「もし兄弟が罪悔い改めれば、赦してやりなさい」(17:3)とも語られました。そのイエスだからこそ、自分を殺そうとする者たちのために、とりなしを祈ることが出来た。そのように思います。

2.一人は罵り、一人は憐れみを求める

・「父よ、彼らをお赦しください」というイエスの祈りは、イエスと共に十字架につけられていた二人の人間に別々の反応を引き起こしました。犯罪人の一人はイエスを罵ります「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」。私が欲しいのは今この十字架の苦しみから解放する力なのだと。彼はイエスを嘲笑した議員や兵士たちと同じ立場に立ちます。世の人々も同じ考えでしょう。この世の理解では、「自分を救えない者は他者をも救えない」のです。同時に救いとは「今現在の苦しみからの解放」です。
・しかし、もう一人の犯罪人は別の立場に立ちます。彼は「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」(23:40-41)。そしてイエスに懇願します「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください」(23:42)。彼は訴えました「私は罪を犯したのだから、死刑にされても仕方がない。私には救って下さいと要求する資格はないが、それでも憐れんで下さい」と。その男にイエスは言われました「はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」(23:43)。
・二人の犯罪人はイエスと共に十字架につけられ、イエスの「父よ、彼らをお赦しください」という祈りを聞きました。一人はその言葉をイエスの祈りを虚しい言葉として聞きました。もう一人はその言葉の中に神を見出しました。イエスと共に十字架にかけられたこの二人はどういう人々なのでしょうか。ルカは彼らを「犯罪人」と呼び(23:32)、マルコは「盗賊」(マルコ15:27)と呼びます。しかし二人共ローマ軍によって十字架につけられていますので、単なる犯罪者や盗賊ではなく、ローマからの独立運動に従事した熱心党(ゼロータイ)と呼ばれた人々だったのでしょう。彼らもまたローマへの反逆者として、見せしめの刑に処せられています。

3.ゴルゴダで教会が生まれた

・今日の招詞にローマ6:6−8を選びました「私たちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。私たちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます」。イエスの十字架の場には民衆がいました。彼らは黙ってイエスの処刑を見つめています。そして二人の犯罪者たちもいました。彼らはイエスと同じように十字架につけられ、苦しんでいます。民衆は傍観者ですが、二人の犯罪人は当事者です。二人は手足を釘で十字架に固定され、その場から去ることが出来ないからです。彼らは否応なしに「イエスと共に死んで」いきます。その中の一人はイエスに語ります「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください」。それに対してイエスは約束されます「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」。彼は「キリストと共に死んだから、キリストと共に生きる」、復活の恵みに預かったことでしょう。
・もう一人の犯罪人はイエスを罵りました「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」。彼もまたイエスと一緒に死んだから、イエスと一緒に復活の恵みに預かるのでしょうか。私たちにはわかりません。しかしイエスはかつて言われました「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉もすべて赦される」(マルコ3:28)。自分を殺そうとする者に対して「父よ、彼らをお赦しください」と祈られた方は、自分に罵りの言葉を投げかけたこの犯罪人のためにも祈られています。
・イエスの「父よ、彼らをお赦し下さい」という祈りについて、ある人は「人間が生まれて、祈り始めてから、これ以上に神聖な祈りの言葉が天に捧げられたことはない」と語ります。何故、イエスはこのような祈りをすることができたのでしょうか。神の子だから出来たのでしょうか。しかし、聖書は、イエスが激しい葛藤の末に、この祈りに到達された事を示しています。捕らえられる前の晩、イエスはゲッセマネで祈られました「父よ、御心なら、この杯を私から取りのけて下さい」(22:42)。イエスは死を恐れ、自分を殺そうとする者に憎しみと恐怖を持たれていたのです。しかし、イエスは続いて祈られます「しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください」。人間としての思いと神の子としての思いが葛藤し、「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」(22:44)。その試練に勝たれたゆえに、今イエスは、自分を殺そうとする者たちのために祈ることが出来るのです。
・このイエスの祈りが二人の人間を信仰に導きました。一人はイエスと共に十字架にかけられていた男です。彼はローマ支配に武力で抵抗し、反逆罪で捕えられ、十字架にかけられています。彼は武力でローマを倒そうとして失敗し、今その過ちを悟りました。神の名によって為されても、暴力は暴力であり、そこからは何も良いものは生まれない。そして心からイエスに求めます「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出して下さい」(23:42)。イエスの十字架上の祈りが、ここに最初のクリスチャンを生みました。
・十字架の現場では、さらにもう一人のクリスチャンが生まれています。イエスの十字架刑の執行を指揮していたローマ軍の百人隊長です。ルカは記します「百人隊長はこの出来事を見て、『本当にこの人は正しい人だった』と言って、神を賛美した」(23:47)。彼はイエスが、自分を殺そうとする者たちの赦しを祈って死んでいかれたのを見て、そこに神の存在を感じたのです。その時、十字架というおぞましい出来事が、「神を讃美する」出来事に変えられていきました。復活のイエスに出会って信じた人たちはいます。聖霊降臨に動かされて信徒になった人たちも大勢います。しかし、それに先立って、十字架の現場で信じた二人がここにいるのです。ゴルゴダの丘で教会が生まれたことを私たちは銘記したいと思います。


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