すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2017-05-01 21:02:26 (121 ヒット)

1.神との平和

・義とされた者は神との和解が成立し、神による平安が生まれるとパウロは説く。
−ローマ5:1-2「私たちは信仰によって義とされたのだから、主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています」。
・世の人は自分の功績を積むことによって、他の人から認められ、平安を得ようとする。しかし、他の人が認めてくれないと、その平安は崩れる。人の平安ではなく、神の平安を求めよ。神の前に誇るべき何物のないことを認める時、自分が罪人で弱い者であることを承認する時、神の平安が恵みとして与えられる。
−競灰12:9-10「主は『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。・・・なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです」。
・弱い時にこそ強い事を知れば、苦難を喜ぶことが出来る。苦難が弱い自分を強くするために与えられた神の恵みである事を知るからだ。苦難はその意味を見出した時に、祝福になる。
−ローマ5:3-5「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。私たちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望は私たちを欺くことがありません。」
・この平安を私たちは値なしにいただいた。だから恵みに感謝する。
-ローマ5:6-8「実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。」
・それはキリストが十字架で血を流して勝ち取ってくださった。
−ローマ5:9-11「それで今や、私たちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であった時でさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。」
・この神との和解、平和が、隣人との平和をもたらす。隣人との平和がない時、私たちは神との和解をいただいていない。
−汽茱魯4:20「神を愛していると言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません」。

2.原罪

・私たちの中には、自分ではどうしようもない罪=原罪がある。それは「アダムが罪を犯したように、全ての人も罪を犯したからだ」とパウロは言う。原罪はカトリックが教えるように、遺伝によってアダムから伝えられたものではない。しかし人の中に厳然として罪の支配があることは明らかだ。
−ローマ5:12「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです」。
・アダムはエデンの園の中央に植えられた「善悪の知識の木」の実を食べた。「食べるなと命じられた」神の戒めに背いた。神の被造物が神から離れようとすれば、死ぬ。人間の中にある神から離れようとする心、それが原罪だ。
−創世記3:17-19「神はアダムに向かって言われた。『お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して、土は茨とあざみを生えいでさせる、野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。』」
・アダムはヘブライ語で「人」を指す。アダムという人類の始祖が罪を犯したというよりも、アダムに代表される人間が「罪を犯し続ける存在」であることを示すために、創世記は物語化された。以降、人間の罪の問題を「アダムの堕罪の結果」とする原罪論が広く承認され、パウロもこの流れの中にいる。ラテン語聖書はこの原罪論を取るが、しかし聖書には「原罪」という言葉はない。ラテン語訳聖書は明らかに誤訳であり、この語訳をもとに、「アダムによる性行為を通じて、全人類に罪がもたらされた」という「生殖-遺伝説」(アウグスティヌス)が定着することとなってしまった。
-ラテン語聖書・ローマ5:12「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。彼(アダム)において、すべての人が罪を犯したからです。」
・罪は律法が与えられるモーセ時代以前から存在したが、罪の認識が生まれたのは、律法以降であり、パウロは「人間が神に背いていることを明らかにするために律法が与えられた」と理解する。
-ローマ5:13「律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。」
-ローマ3:20「なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。」

3.一人の従順がこの罪からの解放をもたらした

・アダムの罪によってこの世界に死がもたらされた。しかしキリストの死に至るまでの従順が、アダムの罪をはるかに超える恵みをもたらしたとパウロは語る。
-ローマ5:15「しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。」
・その恵みは「多くの罪過があっても、神の前に義とされる」恵みである。有罪の人間が、キリストの恵みによって無罪とされたとパウロは語る。
-ローマ5:16「この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働く時には、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。」
・一人の人の不従順によって死が支配したように、一人の人の正しい行為によって、多くのものに命の恵みがもたらされた。
-ローマ5:17-19「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。」
・人がアダムであった時=人間の本性に従って生きている時、そこは罪が支配する死の世界であった。神に背いているという人の在り方が、多くの個々の罪を生んだ。しかしキリストにあっては、恵み(カリス)が支配する。人はキリストの贖いの業によって、罪の世界から恵みの世界に移される。それを受け入れることが信仰なのである。

4.パウロのアダム・キリスト論をどのように考えるか

・パウロは創世記のアダムに人間の原型を見て、彼の神への背きこそが「罪と死」をもたらしたと考えた。2千年前に生きたパウロにとって、アダムはまさに人類の始祖であった。しかし現代の私たちはアダムを人類の始祖とは考えない。人類は地球上に生命が発生してから何億年という長い時間をかけて進化し、人となったと理解する。その意味で創世記のアダム物語は神話である。
・しかしその神話の中に深遠な真理が示されていると理解する。「人とはどのような存在か」、「人はなぜ罪を犯し続けるのか」、を探求し、物語るものが創世記なのである。その書かれた目的は世界を科学的に説明するためではなく、神がいかにして人を救済するのかを物語る書なのである。その意味で、パウロが展開した「アダムこそが、来たるべきキリストの予型である」との論述は納得できる。
-第一コリント15:21-22「死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。 つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-04-23 19:05:14 (97 ヒット)

1. ローマ書の示す罪のあり様

・今私たちは、「ローマの信徒への手紙」を毎週読んでいます。今日が三回目ですが、説教を準備しながら、この手紙は「難しい」と感じています。手紙は単にパウロがローマの教会の問題を指摘して悔い改めるように勧めているだけのものではなく、パウロが自分の信じていることを論理的に解説する教理書でもあるからです。説教準備のために何冊もの注解書を読みましたが、納得できる注解書はほとんどありませんでした。その中でこれはと思えたものが、北森嘉蔵「ローマ書講話」(教文館)でした。北森先生は「神の痛みの神学」等を書かれた著名な神学者ですが、他方、伝道のためにカルチャーセンター等で一般の方向けのお話もされています。「ローマ書講話」は先生が朝日カルチャーセンターで行った聖書講話をテープ起こししたもので、わかりやすくローマ書が解説されています。今日は北森先生の助けを借りて、ご一緒にローマ3章を読んでいきたいと思います。
・パウロはいつの日か、世界の中心であるローマに行って伝道したいと願っていました。しかし、ローマ教会には問題がありました。教会内のユダヤ人信徒と異邦人信徒の間に対立があったのです。ユダヤ人信徒は異邦人が律法を守らないと言って責め、異邦人信徒はユダヤ人を堅苦しいことばかり言うが、やっていることは自分たちと同じではないかと見下していました。同じ教えを信じる信仰者の間に、なぜ対立や争いが生じるのか、パウロはその根本原因に人間の罪を見ました。そのため最初の挨拶の言葉を終えるや、パウロは「罪とは何か」を説き始めます。それが1章18節から3章20節までの箇所です。この個所は大事な個所ですので、今日は最初に、この罪の問題をもう一度振り返ってみたいと思います。
・北森先生は1−2章の記述の中で、「パラディドナイ」という言葉に注目されます。「任された、渡された」という意味の言葉で、1:24「神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするに任せられた」、1:26「神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた」、1:28「神は彼らを無価値な思いに渡された(任された)」とあります。人の罪に対して、神は怒りを持って臨まれ、その怒りとして「人を為すがままに任せられた、放置された」とパウロは言うのです。人は歴史以来、争い合い、殺し合ってきました。人間の歴史は戦争の歴史であり、今でも戦争をやめることはできません。何故か、神が人を「無価値な思いに渡された」(1:28)からです。人は生命を継承するために男と女に造られましたが、人間はこの性を快楽の道具として、不倫や強姦や同性愛を繰り返してきました。何故でしょうか、それは神が人を「恥ずべき情欲に任せられた」(1:26)からです。神の怒りとして、この世は罪と不正に満ちている、あなた方もその中にあるのだとパウロは指摘しているのです。
・しかし、神の怒りは何故、「人を為すがままに任せる」という形で現れるのでしょうか。それは神が人を愛しているからです。人に自分の罪をわかってほしい、悔い改めてほしいと神は願っておられる。そして人間が自分の罪を自覚するのは、「落ちる所まで落ちる」、何も頼りに出来るものがなくなった時です。「落ちる所まで落ちるために、神は人が為すがままに任せ」られる。その結果、社会は欲望と欲望がぶつかり合う弱肉強食の世界になり、弱い者は排除され、圧迫されていく。その時、彼は神を求める。他に頼るものがないからです。北森先生の文章を読みながら思い起こしたのは、ルカ15章にあります「放蕩息子の例え」です。放蕩息子が自分の罪を認めたのは、お金を使い果たし、だれも助けてくれず、空腹の中で豚のえさでさえも食べたいと思った時でした。落ちるところまで落ちて初めて分かる自分の罪、それを知らせるために神は私たちを放置されるのです。

2. ローマ書の指摘を放蕩息子の例えから見る

・ここで「放蕩息子の例え」を振り返ってみましょう。物語は、「ある人に二人の息子がいた」という言葉で始まります。弟息子は堅苦しい父と兄との生活にうんざりし、家を出て行く決意を固め、父親に財産の分け前を要求します。父は息子の意思を尊重し、財産である土地や家畜を分け与えます。弟息子は財産を金に換え、遠い国に旅立ちました。彼はお金を湯水のごとくに浪費し、使い果たしてしまいます。その時、ひどい飢饉が起こり、彼は食べるものにも困るようになり、豚を飼う者となります。豚はユダヤ人にとっては汚れたもの、その世話をする弟息子は落ちるところまで落ちたことを意味します。
・彼は終には、「豚のえさであるいなご豆でさえ食べたい」と思うほど飢えに苦しみます。人は落ちるところまで落ちた時、初めて悔い改めます。弟息子は「豚のえさを食べても飢えをしのぎたい」と思った時に、我に返りました「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、私はここで飢え死にしそうだ。ここを発ち、父のところに行こう」(ルカ15:17−18)。ここに「人を為すがままに任せる」ことを通して、人を救おうとされる神の配慮が例話化されています。
・放蕩息子は誰も頼るものがなくなって初めて、自分が「父の子」であることを思い起こしました。彼は自分の罪を認め、息子と呼ばれる資格は無いと考え、どのような裁きを受けようとも父の家に帰ることを決意します。父親は息子を「為すがままに任せて」いましたが、実は息子の身を案じ、息子が帰って来るのを待っていました。ある日、その息子が帰ってくるのが見えます。「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」(同15:20)。息子は父親を見ると、謝罪の言葉を口にし始めますが、父親はそれをさえぎって使用人に命じます「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい」。最上の着物を着せる、子として迎えることです。手に指輪をはめる、指輪には印象がついていますので、彼を再び相続人として迎え入れたことを意味します。足に履物を履かせる、奴隷は履物を履きません。父親はこの息子の帰還を無条件で迎え、祝宴の支度をするように命じます。何故ならば「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」(同15:24)。
・自分の罪を認め、悔い改めて帰って来た息子を、父親は無条件で迎え入れました。それが赦し、パウロの言う福音です。パウロはローマ書の中で言います「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです」(ローマ3:20)。人は自分の努力によっては救われません。放蕩息子もどうしようもない所まで追い込まれました。「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました」(3:21)。放蕩息子は父親の所に帰ることによって、無条件に彼を赦す神と出会ったのです。そしてパウロは人を赦しに導くために、神はキリストをお立てになったと言います「すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません」(3:22)。この赦しを通して、人は罪から解放されていきます。パウロは続けます「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(3:23-24)。

3.神の引渡しとしての受難

・すべての罪は赦されます。しかも無償で赦されます。赦されるほうは無償ですが、赦す神は代価を払われます。それがキリストの贖い、十字架です。今日の招詞としてローマ8:32を選びました。次のような言葉です「私たちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを私たちに賜らないはずがありましょうか」。この御子を「死に渡された」、「渡す」という言葉は先に見ました「パラディドナイ」という言葉です。神は御子を「死に引き渡された」、何故ならば「血を流すことなしには罪の赦しはありえない」(へブル9:22)からです。犠牲なしには赦しはありえない、だから神は御子を私たちのために「放り投げて下さった」、それが御子の十字架なのだとパウロは言います。
・「私のために神はその一人子を捨てられた」事実を知ることを通して、私たちは自分たちの罪を知るようになります。ちょうど、放蕩息子が父の愛を通じて自分の罪を知ったように、です。人は「神が私を救うために、御子を死に引き渡された」事実を知った時、痛みを覚えて、自分の罪を悔い改め、御子の前に跪きます。それこそパウロがロ−マ書3章で述べていることなのです。そしてパウロはこの手紙の中核となる言葉を語ります「なぜなら、私たちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです」(3:28)。これこそが「信仰義認の真理」、私たちプロテスタント教会の信仰の基盤となっている教えです。
・パウロは律法を厳格に守るパリサイ派に属するユダヤ人でした。彼は自らを「同年輩の多くの者たちに比べ,はるかにユダヤ教に進んでおり,先祖からの伝承に人一倍熱心」であったと語ります(ガラテヤ1:14)。その律法への熱心がパウロに、律法を軽視するキリスト教徒の迫害に走らせました。彼にとって、十字架で殺されたイエスを救い主として仰ぎ、律法を軽視するキリスト教徒は許しがたい存在でした。その彼がキリスト教徒を捕縛するためにダマスコに向かう途中で、突然の回心を経験します。天からの光に打ちのめされ、「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」という声を聞きます。彼は問います「あなたはどなたですか」。それに対して答えがありました「私は、あなたが迫害しているイエスである」(使徒9:5)。具体的に何が起こったのかはわかりません。わかることは、パウロが復活のキリストに出会ったという事実だけです。
・そのパウロはキリストに出会う前にどのような状況に置かれていたかをローマ7章に書いています。律法に熱心な者として戒めの一点一画までも守ろうとした時、彼が見出したのは、「律法を守ることの出来ない自分、神の前に罪を指摘される自分」でした。律法によって、自分の力によって、救いを得ようとした時、パウロが出会ったのは裁きの神でした。律法を通してパウロが見出したものは自分が罪人であり、その罪から解放されていない事実でした。だからパウロはうめきの声を上げました。放蕩息子のように、です。その声に応えて復活のキリストが彼に現れました。パウロは限界状況に直面して、自己の有限性を知り、神に出会ったのです。その救済体験が「私たちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えます」(3:28)という確信になっているのです。
・宗教改革者マルティン・ルターもパウロと同じ経験をしています。彼は、若い時には、厳格な修道院生活を送り、毎日を労働と祈りで過ごしていました。しかし、どんなに修行しても、ルターに平安は与えられず、彼は激しい罪意識を抱くようになります。彼にとって神は、怒りに満ちた、裁きの神でした。しかし、そのルターに、突然、光が与えられます。ローマ書の学びを通して、彼は「人間は苦行や努力による善行によってではなく、ただ信仰によってのみ救われる。人間を義とするのは神の恵みである」という理解に達し、ようやく心の平安を得ることができました。パウロと同じように、律法や行いを通して救いを求めた時、神は怒りの神、裁きの神として立ちふさがりましたが、すべてを放棄して神の名を呼び求めた時、世を救おうとされる恵みの神に出会ったのです。この新しい光のもとで聖書を読み直したルターの福音理解が宗教改革を導いていきました。
・人間がどのように努力しても、救われることも義とされることも出来ない。そういう窮地に陥っている人間に神の方から救いの手が伸ばされた。それがキリストの十字架です。この真理は理性で理解できるものではありません。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です」(汽灰螢鵐1:18)、神の子が地上に来た、御子の十字架死を通して救いが来た、この世の知恵では愚かな言葉です。しかし「救われる者には神の力」、私たち自身がキリストと出会った時に初めてわかる真理なのです。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-04-16 17:26:09 (95 ヒット)

 
1.ローマ教会へのパウロからの手紙

・10月に入り、今週から3ヶ月にわたって「ローマの信徒への手紙」を読んでいきます。この手紙(以下ローマ書と言います)は、パウロが帝国の首都ローマにあります教会に宛てた書簡です。このローマ書は、世界の教会を変革してきた書簡でもあります。ルターが「信仰のみ」の真理を見出して宗教改革を始める契機になったのはこのローマ書ですし、内村鑑三の「ローマ書の研究」は日本の教会の礎を作ってきました。また、現在でも多くの人に影響を与えている神学者カール・バルトの出発点もこのローマ書です。これから3ヶ月間、この書簡を、「篠崎の信徒への手紙」として、つまり私たちに宛てられた手紙として読んでいきます。
・この手紙を書いているパウロはコリントにいます。彼は2年半にわたったアジア州での伝道活動を終え、陸路コリントに到着し、エルサレムに渡るための船便を待っています。マケドニア州とアカイア州の諸集会からのエルサレム教会への献金を持って帰るためです。異邦人教会とユダヤ人教会の間には、いろいろな対立がありました。そのため、パウロは異邦人教会からの捧げ物をエルサレム教会に持参し、両教会の和解の使者になろうとしています。しかし、パウロの心は西へ、ローマに向いています。パウロは手紙の結びで、これからの計画を述べています「今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます・・・私はこのことを済ませてから・・・あなたがたのところを経てイスパニアに行きます」(15:25-29)。
・コリントから西に向かう船に乗れば、帝国の首都ローマはすぐですが、今は東のエルサレムに向かわなければなりません。パウロは生きている内に、福音を全世界に宣べ伝えなければいけないと考えていました。そして帝国の東半分に福音を伝えた今、帝国の西の果て、イスパニアまで福音を伝えることは、パウロの悲願であったのです。同時に、帝国の首都ローマに福音を確立したいという長年の夢もありました。しかし、ローマはパウロが伝道した土地ではありませんし、ローマの信徒たちにはまだ会ったことがありません。それで、パウロはローマ訪問に先立って、自分が宣べ伝えている福音を理解してもらうために、コリントから手紙を書き送った、それがこの「ローマ書」です。 
・書簡の宛先はローマにいる信徒たちです(1:7)。当時、帝国内の大都市には、ユダヤ人共同体があり、それぞれの共同体はエルサレムと活発な交流がありました。多分、30年代初頭にエルサレムで始まったイエスを「キリスト」と信じる新しい信仰がローマにも伝えられて、40年代にはユダヤ人や異邦人を含む信徒の群れが形成されていたのでしょう。最初のキリスト者たちは、ユダヤ教の一派としてユダヤの会堂で活動していたようです。ところが、ユダヤ人の間に騒乱が起こったので、皇帝クラウディウスは49年にユダヤ人をローマから追放します。この「ユダヤ人の騒乱」は、律法順守をめぐるユダヤ人指導者とイエスを信じるユダヤ人との対立から出たものと考えられます。その中に、アキラとプリスキラ夫妻がいました。夫妻はこの追放令によってローマを去ってコリントに行き、そこでパウロと出会い、以後福音宣教の働きを共にするようになります。パウロはこのアキラとプリスキラ夫妻からローマ教会の状況を聴いたものと思われます(16:3)。
・ユダヤ人信徒がローマから追放された後、異邦人信徒たちは個人の家で小さい集会を続けることになりますが、クラウディウス帝の死とともにユダヤ人追放令は解除され(54年)、ユダヤ人たちがローマに帰ってくるようになります。ユダヤ人信徒が追放されている5年間に状況は大きく変わりました。残された異邦人信徒は力強く伝道して、多くの信徒を獲得し、帝国の首都のキリスト信仰が「全世界に言い伝えられる」ようになりました(1:8)。そこへユダヤ人信徒が戻って来て、問題が生じました。生活慣習が異なり、信仰の在り方が違う両者の間に対立が生まれていきます。また異邦人教会にも、エルサレムを拠点とするユダヤ主義者(異邦人が改心した場合でも、律法を守り、割礼を受けなければならないと彼らは主張していました)の影響が及んできています。「異邦人への使徒」の責任を持つパウロは心配でなりません。その懸念が手紙のあちこちに顔を出しています。

2.ローマに特別の思い入れを持つパウロ
 
・あいさつの言葉を終えた後、パウロは続けます「あなたがたの信仰が全世界に言い広められている」ことを神に感謝しています(1:8)。それに続いて、これまでローマの人たちのために祈ってきたこと、また何とかしてローマを訪れたたいと熱望してきたことを述べます(1:9-10)。パウロがローマを訪れ、ローマの信徒たちに会い、そこで福音のために働くことを熱望してきたことは、「異邦人への使徒」としては当然です。ローマは異邦世界の首都であり、一切がそこへ集まり、そこから出て行く場所です。パウロはそこに自分に委ねられた福音を確立し、そこを拠点として全世界に福音を伝える働きを進めたいのです。
・パウロがローマを訪れ、ローマの信徒たちに会いたいと熱望しているのは、ローマの地で福音のために共に働きたいという願いがあるからです。ただローマの信徒はパウロ自身が信仰に導いた人たちではないので、パウロは彼らを指導するのではなく、「あなたがたにぜひ会いたいのは、"霊"の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです」と言います(1:11)。そしてさらに、「あなたがたのところで、あなたがたと私が互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」(1:12)と言い直して、自分と彼らを対等の立場に置きます。それは、お互いの協力によって、「ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望む」(1:13) という願いを実現し、世界の首都ローマに福音の拠点を確立したいのです。
・パウロは「他人の築いた土台の上に建てたりしない」(15:20)という原則で伝道活動をしてきました。しかし、世界宣教の視点から、ローマではすでにいる信徒たちと協力して、より強力な福音の拠点を形成したいのです。それに、パウロはローマにおいてまったくの新参者ではありません。ローマにはアキラとプリスキラ夫妻を始め、多くの信仰の友がおり、パウロは期待を込めてこの人たちに挨拶を送っています(16:3-16に知り合いの名前が30人近く挙げてあります)。そしてパウロは改めて「異邦人への使徒」としての使命感を語ります「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります」(1:14)。当時ギリシア人は、ギリシア文化をもつ自分たちこそ世界文明の担い手であると自負し、それを持たない人たちを「未開の人」(バルバロイ)と呼んで見下げていました。パウロは、そのギリシア人にも、「未開の人(ギリシア文明以外の人々)」のも福音を確立することも、自分の責任だと感じているのです。文明の種類を問わず、文化や教養の程度を問わず(知恵ある人にもない人にも)、人間がいる所に福音が伝えられなければならない、こうして、「ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも」、世界の全体に福音を満たす責任があると感じているパウロは、その帝国の中心であるローマに福音を確立することを熱望するのです(1:15)。

3.福音を分かち合うために

・パウロは「私は福音を恥としない」と宣言します(1:16)。福音は「イエスの死の購いを通して、人間の罪が赦され、救いが与えられた」と宣べ伝えますが、そのイエスはローマによって十字架刑で殺された一属州民にすぎません。そのような者を主であるとか世界の救済者であるとすることは、ギリシア・ローマ世界の人から見れば、愚かさの極みです。その「福音を恥としない」とあえて言い表し、宣べ伝える理由をパウロはこう続けます「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです」(1:16)。現代の私たちもまた、科学文明の成果を誇り、神などいないとうそぶく世の人々に、「私は福音を恥とはしない」と宣言する勇気を持つ必要があります。何故ならば「福音は信じる者すべてに救いをもたらす神の力」からです。
・福音は言葉です。しかし、それは単なる言葉ではなく、信じて聴く者に変化をもたらす現実の力です。その力は信じる者の内に働いて、人を造り変え、新しい姿へと変容させ、救いに至らせるのです。では、「救い」とは何でしょうか。それは罪と死の支配から解放されて、永遠の命をいただくことです。そして、その救いは未来の出来事ではなく、現在すでに始まっているのです。救いの完成は将来に待ち望まねばなりませんが、現在すでに「救いに至らせる」神の力、聖霊の働きが私たちの中に始まっており、それ故に、未来が確実な将来として待ち望まれるのです。
・そして、「信じる」とは、ひれ伏して聴き、その言葉に全存在を委ねることです。福音は主イエス・キリストを告知する言葉ですから、福音を信じるとは、主イエス・キリストに自分を明け渡し、この方との交わりに生きることです。このように「信じる」者は、誰であっても「救いに至らせる神の力」を受けるのです。「すべて」、ユダヤ人を始めギリシア人にもすべてです。パウロは、異邦人は割礼を受けて律法を順守するユダヤ教徒にならなくても、そのままでキリストを信じることで救われ、神の民となると宣べ伝えてきました。それに対して、イエスを信じないユダヤ人からは聖なる律法を否定する背教者として命を狙われ、イエスを信じる一部のユダヤ人からも律法を否定する偽使徒と非難されてきました。それに対してパウロは、命がけで戦ってきました。その主張をこの一句にこめて掲げるのです。
・ここで「ギリシア人」は、ユダヤ人以外の異民族全体を代表しています。そして、ユダヤ人であるか異邦人であるかに関係なく、信じる者には福音が「救いに至らせる神の力」であります。それは、「福音には神の義が現れている」からです。ここで「神の義」とは、人を義とする(罪を赦す)神の働きです。「福音の中に」、すなわち福音が告知する十字架につけられた復活者キリストの出来事の中に、神が人の罪を贖い、ご自分との交わりに生きることができる者としてくださる働きが実現しているのです。その働きが、受ける側のいっさいの資格を問題にしないで、徹頭徹尾「信じる者に」なされることが、「初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです」という句で表現されます。「福音には、神の義が啓示されています」(1:17)、義(救い)が信じる者に与えられることを、「義人は信仰によって生きる」というハバクク2:4の引用で根拠づけられます。このローマ書1:16-17はローマ書の主題であるだけでなく、パウロによる福音の核心を表現しています。
・今日の招詞に汽灰螢鵐9:23を選びました。次のような言葉です「福音のためなら、私はどんなことでもします。それは、私が福音に共にあずかる者となるためです」。パウロにとって真の喜びは神の栄光にあずかることを許されているという希望の中にありました。この希望は苦難さえも喜んで耐える力を与えます。パウロは伝道者として相次ぐ苦難を与えられました。彼はコリント書の中に書きます「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし・・・ 苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました」(第二コリント2:24-27)。
・パウロはこのロ−マ書を書いた後、コリントからエルサレムに向かいます。エルサレムでは、パウロの命を狙うユダヤ人の騒乱に巻き込まれ、逮捕されて2年間監禁され、皇帝の裁判を受けるために囚人としてローマに送られます。神は不思議な方法でパウロをローマへ導かれ、パウロはローマで伝道する機会を与えられました。そしてパウロは紀元64年のローマ皇帝ネロのキリスト教徒迫害の中で、殉教死したと言われています。パウロは「福音を恥としない」と言います。それは「福音のためなら何でもする」ということです。
・私たちの教会は今年、新会堂を建て直す準備をしています。教会員40名弱の小さな群れにとって7千万円を超える建築費用は重い負担です。もし、私たちが、自分たちがより快適に礼拝を行うために会堂を建て直すのであれば、会堂は建たないでしょう。教会堂を建てるという行為は、余った時間やかき集めたお金で完成するような安易な事業ではないからです。しかし私たちが会堂を「福音を分かち合うための器」、として、神に捧げる決意であれば、必要なものは与えられるでしょう。私たちにも、今パウロの決意、「福音のためなら何でもする」という決意が求められているのです。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-04-09 16:59:27 (103 ヒット)

1.墓に葬られる

・イエス時代、十字架刑に処された罪人の遺体は、十字架上に放置されて曝しものにされるか、共同墓地に葬られるか、いずれにしても罪人の遺体は租末な扱いを受けていた。しかし、イエスの遺体は、アリマタヤのヨセフに引き取られ、新しい墓に葬られた。男の弟子たちは逃走してその場にはいなかったが、婦人たち(マグダラのマリアともう一人のマリア)が、埋葬を見守った。エルサレムでは岩穴が墓となっていた(今も昔の岩穴の墓が残っている)。遺体は棺に納めず布で包み、岩穴の壇上に安置した。野獣の侵入を防ぐために、墓の入り口は丸石を転がして閉じられた。
−マタイ27:57−61「夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。」
・イエス処刑日の日没から安息日が始まった。祭司長たちとファリサイ派の人々は、総督ピラトのもとに集まり、イエスの墓を警備するようピラトに願い出た。「三日後に復活する」と言っていたイエスの言葉が彼らの脳裏にあり、弟子たちがイエスの遺体を奪い、復活したと言いふらしかねないと懸念した。ユダヤ人たちはイエスの墓を封印し、番兵に見張らせた。
−マタイ27:62−66「明くる日、すなわち準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。『閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていた時、「自分は三日後に復活する」と言っていたのを思い出しました。ですから、三日後まで墓を見張るよう命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、「イエスは死者の中から復活した」などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。』ピラトは言った。『あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。』そこで、彼らは行って墓に封印をし、番兵をおいた。」
・聖書学者の佐藤研は初代教会の復活信仰形成について、「イエスの墓が空であった」という事実が基礎になったと想定する「日曜日の朝、イエスの死体が葬られたはずの墓から消失してしまっていたのであり、その事態が当所を訪れた女たちにまず明らかになったのである。このことの史実性だけはカンペンハウゼンの言うとおり、ほとんど否定できない。そしてそのことは、その報を受けた弟子たちを甚だしい混乱に陥れたことであろう」。

2.復活する

・安息日が終わった週の初めの日の明け方(日曜日の明け方)になった。マグダラのマリアともう一人のマリアが墓へ行くと、地震が起こり、墓を封印した石は脇へ転がされて墓は開かれていた。そして、まっ白に輝く衣の天使が石の上に座っていた。番兵たちは、目の前に起こったことの、驚きと恐れで、死人のように青ざめ震えていた。
−マタイ28:1−4「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上り、死人のようになった」。
・天使は婦人たちに「イエスは復活した。もうこの墓にはいない。弟子たちとガリラヤで再会するであろう」と告げた。
−マタイ28:5−8「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなた方より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」確かにあなたがたに伝えました。』」
・天使からイエスの復活を告げられた二人の女性は、弟子たちに知らせようと駈けだした。ところがイエスが彼女らの前方に立ち、彼女らを迎えた。二人はイエスの前にひれ伏した。
−マタイ28:9−10「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。『恐れることはない。行って、私の兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこで私に会うことになる。』」
・番兵から「イエスの遺体が無くなった」と聞き、祭司長たちは狼狽した。彼らはイエスの弟子たちが、イエスの遺体を盗んだという虚偽の情報を流し、番兵に口止めした。マタイ独自の記事である。
−マタイ28:11−15「婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて言った。『「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」と言いなさい。もし、このことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしょう』。兵士たちは金を受け取って、教えられた通りにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。」
・復活伝承はパウロにより初代教会の言い伝えが文言として残されている。
-第一コリント15:3-5「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。
・カトリックの聖書学者・百瀬文晃は「イエス・キリストを学ぶ、下からのキリスト論」の中で述べる「イエスの復活と呼ばれる出来事も、ユダヤ教黙示文学の中で流布していた『終末時の死者の復活』という概念抜きには理解出来ない。無類の出来事を経験したイエスの弟子たちは、これを黙示文学の概念に則って、終末に起こる『死者の復活』という出来事が、イエスにおいて先取られたものと理解し、これを『イエスの復活』と呼んだのである」。

3.弟子たちへの派遣命令

・弟子たちはガリラヤでイエスに再会する。そして世界伝道への宣教命令が弟子たちに下される。弟子たちはこの命令を受けて、ユダヤ人社会の枠を越えて異邦人世界へ向かって宣教した。
−マタイ28:16−20「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い。ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは近寄って来て言われた。『私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るよう教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」
・社会学者ロドニー・スターク「キリスト教とローマ帝国」によれば、福音書が書かれた紀元100年当時のキリスト教徒は数千人という小さな集団であり、紀元200年においても数十万人に満たない少数であった。その彼らが紀元300年には600万人を超え、キリスト教が国教となる紀元350年頃には3千万人、人口の50%を超えたとされる。何故彼らはそのように増えたのか、スタークは「キリスト教の中心教義が人を惹き付け、自由にし、効果的な社会関係と組織を生み出していった」からだとする。ローマ時代には疫病が繰り返し発生し、時には人口の1/3〜1/4を失わせるほどの猛威を振るった。人々は感染を恐れて避難したが、キリスト教徒たちは病人を訪問し、死にゆく人々を看取り、死者を埋葬したと伝えられている。何故ならば聖書がそうせよと命じ、教会もそれを勧めたからだ(紀元251年司教ディオニシウスの手紙、エウセビオス「教会史7.22.7-8」)。この「食物と飲み物を与え、死者を葬り、自らも犠牲になって死んでいく」信徒の行為が、疫病の蔓延を防ぎ、人々の関心をキリスト教に向けさせた一因だったとスタークは考えている。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-04-02 18:17:18 (108 ヒット)

1.兵士から侮辱され、十字架につけられる

・総督の兵士たちはイエスを官邸へ連行し、取り囲み、ユダヤ人の王に見立てて侮辱した。着衣を脱がせて、王衣に見立てた赤い外套に着せ替え、王冠として茨の冠を頭に載せ、王笏に見立てた葦の棒を持たせ、跪き、「ユダヤ人の王万歳」と叫んだ。そして、イエスに唾を吐きかけ、葦の棒でイエスの頭を叩き続けた。
−マタイ27:27−31「それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸へ連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、『ユダヤ人の王、万歳』と言って侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて、頭を叩き続けた。このようにイエスを散々侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いていった。」
・十字架刑を宣告された囚人は、十字架の横棒を担がされて、刑場まで歩いて行く。人目に曝し、見せしめとするためだった。イエスは徹夜で調べられ、鞭打たれ、疲れていた。彼は十字架を担ぐことが出来ず、兵士たちは、通りかかったキレネ人シモンに、むりやり十字架を担がせた。
−マタイ27:32「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理にかつがせた。」
・イエスの十字架を代りに背負った人の名前が明記され、その出身地まで記されていることは、シモンが教会の人々に知られていたことを示す。またマルコは子供たちの名前も記している(マルコ15:21)。シモンは十字架を無理やりに背負わされた。そしてイエスの十字架を目撃した。そのことが契機となって、彼は信仰に入り、妻や息子たちも信徒になった事が推測される。
・処刑場はゴルゴタ(されこうべ)と呼ばれた丘の上だった。刑場に着くとイエスは手の平に釘を打ち込まれ、十字架につけられ、痛みを和らげるため、ぶどう酒を与えられたが、イエスは飲まれなかった。兵士たちはイエスを十字架に付けた後、剥ぎ取ったイエスの着衣をくじ引きで分配した。
−マタイ27:33−36「そして、ゴルゴタという所、すなわち『されこうべの場所』へ着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分けあい、そこに座って見張りをしていた。」
・イエスの頭上には「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれていた。二人の強盗がイエスの両隣の十字架に架けられた。処刑を見に来た人々はイエスを揶揄し、嘲笑した。
−マタイ27:37−40「イエスの頭の上には『これはユダヤ人の王イエスである』と書いた罪状書きを掲げた。折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスを罵って言った。『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。』」
・ユダヤ教指導者たちもまたイエスを口汚く罵った。
−マタイ27:41−44「同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。『他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。「私は神の子だ」と言っていたのだから。』一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った。」
・兵士たちはイエスを十字架につけ、その服を分け合い、見物していた人々は頭を振って、「神の子なら神に救ってもらえ」と罵った。マタイの記述の背景には詩篇22編が流れている。
-詩篇22:8-19「私を見る人は皆、私を嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る。『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら助けてくださるだろう』・・・ 犬どもが私を取り囲み、さいなむ者が群がって私を囲み・・・骨が数えられる程になった私のからだを、彼らはさらしものにして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」。

2.イエスの死

・イエスが十字架に付けられたのは朝の九時ごろだった(マルコ15:25)。十二時を過ぎると天地が暗くなり、三時ごろイエスは大声で叫んだ。マタイはイエスが「わが神(エリ)、わが神(エリ)、なぜ(レマ)、私をお見捨てになったのですか(サバクタニ)」と叫んだと記述する。「エリ、エリ」というイエスの叫びを、兵士たちはイエスが「預言者エリヤを呼んでいる」と誤解した。
−マタイ27:45−47「さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』。これは、『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、『この人はエリヤを呼んでいる』と言う者もいた。」
・兵士の一人が海綿に含ませた酸いぶどう酒(麻酔薬)をイエスに差し出そうしたが、「エリヤが助けに来るかどうか、少し待て」と他の兵士たちが制止した。
−マタイ27:48−50「そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした。ほかの人々は、『待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見てみよう』と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。」
・しかし神は共におられた。マタイは詩篇22編を引用することによってそれを主張する。
―詩篇22:1-5「わが神、わが神、なにゆえ私を捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れて私を助けず、私の嘆きの言葉を聞かれないのですか。わが神よ、私が昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。しかしイスラエルの讃美の上に座しておられるあなたは聖なるお方です・・・ 彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。」

3.イエスの死の後で

・マタイは、イエスが息を引き取った時、三つの出来事が起こったことを記している。最初は「神殿の垂れ幕が二つに裂けた」ことである。神殿の垂れ幕は至聖所において聖界と俗界を隔てた幕であるが、イエスの犠牲の死で神殿犠牲が無意味になったことを象徴している。二番目の「地震」は神の裁きを意味する。三番目の「聖徒の復活」は終末の到来を象徴している。いずれも実際に起きた出来事というよりも、マタイ独特のイエスの死に対する象徴的解釈である。
−マタイ27:51−53「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そしてイエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。」
・弟子たちは逃げ去ってその場にいなかった。神は何の救済行為をもされなかった。イエスは神と人の見捨ての中で死んでいかれた。しかし処刑を指揮したローマの百卒長は、「この人は神の子であった」と告白する。何故だろうか。
−マタイ27:54「百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、『本当にこの人々は神の子だった』と言った。」
・大勢の女性たちがイエスの処刑を遠くから見守った。イエスが逮捕され、男の弟子たちが逃げ去った後も彼女たちはイエスを見守り、この婦人たちが復活の証人となる。闇の中にわずかな光が残されていた。
−マタイ27:55−56「またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」
・当時のユダヤでは毎日のように処刑が為されていた。イエスの死も数多い処刑の一つであり、それが歴史を変える出来事になるとは誰も思わなかった。無意味な、惨めな死であった。その意味が変わったのはイエスの復活の後であった。
-イザヤ53:4-5「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちはいやされた」。


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