すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2017-04-16 17:26:09 (75 ヒット)

 
1.ローマ教会へのパウロからの手紙

・10月に入り、今週から3ヶ月にわたって「ローマの信徒への手紙」を読んでいきます。この手紙(以下ローマ書と言います)は、パウロが帝国の首都ローマにあります教会に宛てた書簡です。このローマ書は、世界の教会を変革してきた書簡でもあります。ルターが「信仰のみ」の真理を見出して宗教改革を始める契機になったのはこのローマ書ですし、内村鑑三の「ローマ書の研究」は日本の教会の礎を作ってきました。また、現在でも多くの人に影響を与えている神学者カール・バルトの出発点もこのローマ書です。これから3ヶ月間、この書簡を、「篠崎の信徒への手紙」として、つまり私たちに宛てられた手紙として読んでいきます。
・この手紙を書いているパウロはコリントにいます。彼は2年半にわたったアジア州での伝道活動を終え、陸路コリントに到着し、エルサレムに渡るための船便を待っています。マケドニア州とアカイア州の諸集会からのエルサレム教会への献金を持って帰るためです。異邦人教会とユダヤ人教会の間には、いろいろな対立がありました。そのため、パウロは異邦人教会からの捧げ物をエルサレム教会に持参し、両教会の和解の使者になろうとしています。しかし、パウロの心は西へ、ローマに向いています。パウロは手紙の結びで、これからの計画を述べています「今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます・・・私はこのことを済ませてから・・・あなたがたのところを経てイスパニアに行きます」(15:25-29)。
・コリントから西に向かう船に乗れば、帝国の首都ローマはすぐですが、今は東のエルサレムに向かわなければなりません。パウロは生きている内に、福音を全世界に宣べ伝えなければいけないと考えていました。そして帝国の東半分に福音を伝えた今、帝国の西の果て、イスパニアまで福音を伝えることは、パウロの悲願であったのです。同時に、帝国の首都ローマに福音を確立したいという長年の夢もありました。しかし、ローマはパウロが伝道した土地ではありませんし、ローマの信徒たちにはまだ会ったことがありません。それで、パウロはローマ訪問に先立って、自分が宣べ伝えている福音を理解してもらうために、コリントから手紙を書き送った、それがこの「ローマ書」です。 
・書簡の宛先はローマにいる信徒たちです(1:7)。当時、帝国内の大都市には、ユダヤ人共同体があり、それぞれの共同体はエルサレムと活発な交流がありました。多分、30年代初頭にエルサレムで始まったイエスを「キリスト」と信じる新しい信仰がローマにも伝えられて、40年代にはユダヤ人や異邦人を含む信徒の群れが形成されていたのでしょう。最初のキリスト者たちは、ユダヤ教の一派としてユダヤの会堂で活動していたようです。ところが、ユダヤ人の間に騒乱が起こったので、皇帝クラウディウスは49年にユダヤ人をローマから追放します。この「ユダヤ人の騒乱」は、律法順守をめぐるユダヤ人指導者とイエスを信じるユダヤ人との対立から出たものと考えられます。その中に、アキラとプリスキラ夫妻がいました。夫妻はこの追放令によってローマを去ってコリントに行き、そこでパウロと出会い、以後福音宣教の働きを共にするようになります。パウロはこのアキラとプリスキラ夫妻からローマ教会の状況を聴いたものと思われます(16:3)。
・ユダヤ人信徒がローマから追放された後、異邦人信徒たちは個人の家で小さい集会を続けることになりますが、クラウディウス帝の死とともにユダヤ人追放令は解除され(54年)、ユダヤ人たちがローマに帰ってくるようになります。ユダヤ人信徒が追放されている5年間に状況は大きく変わりました。残された異邦人信徒は力強く伝道して、多くの信徒を獲得し、帝国の首都のキリスト信仰が「全世界に言い伝えられる」ようになりました(1:8)。そこへユダヤ人信徒が戻って来て、問題が生じました。生活慣習が異なり、信仰の在り方が違う両者の間に対立が生まれていきます。また異邦人教会にも、エルサレムを拠点とするユダヤ主義者(異邦人が改心した場合でも、律法を守り、割礼を受けなければならないと彼らは主張していました)の影響が及んできています。「異邦人への使徒」の責任を持つパウロは心配でなりません。その懸念が手紙のあちこちに顔を出しています。

2.ローマに特別の思い入れを持つパウロ
 
・あいさつの言葉を終えた後、パウロは続けます「あなたがたの信仰が全世界に言い広められている」ことを神に感謝しています(1:8)。それに続いて、これまでローマの人たちのために祈ってきたこと、また何とかしてローマを訪れたたいと熱望してきたことを述べます(1:9-10)。パウロがローマを訪れ、ローマの信徒たちに会い、そこで福音のために働くことを熱望してきたことは、「異邦人への使徒」としては当然です。ローマは異邦世界の首都であり、一切がそこへ集まり、そこから出て行く場所です。パウロはそこに自分に委ねられた福音を確立し、そこを拠点として全世界に福音を伝える働きを進めたいのです。
・パウロがローマを訪れ、ローマの信徒たちに会いたいと熱望しているのは、ローマの地で福音のために共に働きたいという願いがあるからです。ただローマの信徒はパウロ自身が信仰に導いた人たちではないので、パウロは彼らを指導するのではなく、「あなたがたにぜひ会いたいのは、"霊"の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです」と言います(1:11)。そしてさらに、「あなたがたのところで、あなたがたと私が互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」(1:12)と言い直して、自分と彼らを対等の立場に置きます。それは、お互いの協力によって、「ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望む」(1:13) という願いを実現し、世界の首都ローマに福音の拠点を確立したいのです。
・パウロは「他人の築いた土台の上に建てたりしない」(15:20)という原則で伝道活動をしてきました。しかし、世界宣教の視点から、ローマではすでにいる信徒たちと協力して、より強力な福音の拠点を形成したいのです。それに、パウロはローマにおいてまったくの新参者ではありません。ローマにはアキラとプリスキラ夫妻を始め、多くの信仰の友がおり、パウロは期待を込めてこの人たちに挨拶を送っています(16:3-16に知り合いの名前が30人近く挙げてあります)。そしてパウロは改めて「異邦人への使徒」としての使命感を語ります「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります」(1:14)。当時ギリシア人は、ギリシア文化をもつ自分たちこそ世界文明の担い手であると自負し、それを持たない人たちを「未開の人」(バルバロイ)と呼んで見下げていました。パウロは、そのギリシア人にも、「未開の人(ギリシア文明以外の人々)」のも福音を確立することも、自分の責任だと感じているのです。文明の種類を問わず、文化や教養の程度を問わず(知恵ある人にもない人にも)、人間がいる所に福音が伝えられなければならない、こうして、「ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも」、世界の全体に福音を満たす責任があると感じているパウロは、その帝国の中心であるローマに福音を確立することを熱望するのです(1:15)。

3.福音を分かち合うために

・パウロは「私は福音を恥としない」と宣言します(1:16)。福音は「イエスの死の購いを通して、人間の罪が赦され、救いが与えられた」と宣べ伝えますが、そのイエスはローマによって十字架刑で殺された一属州民にすぎません。そのような者を主であるとか世界の救済者であるとすることは、ギリシア・ローマ世界の人から見れば、愚かさの極みです。その「福音を恥としない」とあえて言い表し、宣べ伝える理由をパウロはこう続けます「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです」(1:16)。現代の私たちもまた、科学文明の成果を誇り、神などいないとうそぶく世の人々に、「私は福音を恥とはしない」と宣言する勇気を持つ必要があります。何故ならば「福音は信じる者すべてに救いをもたらす神の力」からです。
・福音は言葉です。しかし、それは単なる言葉ではなく、信じて聴く者に変化をもたらす現実の力です。その力は信じる者の内に働いて、人を造り変え、新しい姿へと変容させ、救いに至らせるのです。では、「救い」とは何でしょうか。それは罪と死の支配から解放されて、永遠の命をいただくことです。そして、その救いは未来の出来事ではなく、現在すでに始まっているのです。救いの完成は将来に待ち望まねばなりませんが、現在すでに「救いに至らせる」神の力、聖霊の働きが私たちの中に始まっており、それ故に、未来が確実な将来として待ち望まれるのです。
・そして、「信じる」とは、ひれ伏して聴き、その言葉に全存在を委ねることです。福音は主イエス・キリストを告知する言葉ですから、福音を信じるとは、主イエス・キリストに自分を明け渡し、この方との交わりに生きることです。このように「信じる」者は、誰であっても「救いに至らせる神の力」を受けるのです。「すべて」、ユダヤ人を始めギリシア人にもすべてです。パウロは、異邦人は割礼を受けて律法を順守するユダヤ教徒にならなくても、そのままでキリストを信じることで救われ、神の民となると宣べ伝えてきました。それに対して、イエスを信じないユダヤ人からは聖なる律法を否定する背教者として命を狙われ、イエスを信じる一部のユダヤ人からも律法を否定する偽使徒と非難されてきました。それに対してパウロは、命がけで戦ってきました。その主張をこの一句にこめて掲げるのです。
・ここで「ギリシア人」は、ユダヤ人以外の異民族全体を代表しています。そして、ユダヤ人であるか異邦人であるかに関係なく、信じる者には福音が「救いに至らせる神の力」であります。それは、「福音には神の義が現れている」からです。ここで「神の義」とは、人を義とする(罪を赦す)神の働きです。「福音の中に」、すなわち福音が告知する十字架につけられた復活者キリストの出来事の中に、神が人の罪を贖い、ご自分との交わりに生きることができる者としてくださる働きが実現しているのです。その働きが、受ける側のいっさいの資格を問題にしないで、徹頭徹尾「信じる者に」なされることが、「初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです」という句で表現されます。「福音には、神の義が啓示されています」(1:17)、義(救い)が信じる者に与えられることを、「義人は信仰によって生きる」というハバクク2:4の引用で根拠づけられます。このローマ書1:16-17はローマ書の主題であるだけでなく、パウロによる福音の核心を表現しています。
・今日の招詞に汽灰螢鵐9:23を選びました。次のような言葉です「福音のためなら、私はどんなことでもします。それは、私が福音に共にあずかる者となるためです」。パウロにとって真の喜びは神の栄光にあずかることを許されているという希望の中にありました。この希望は苦難さえも喜んで耐える力を与えます。パウロは伝道者として相次ぐ苦難を与えられました。彼はコリント書の中に書きます「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし・・・ 苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました」(第二コリント2:24-27)。
・パウロはこのロ−マ書を書いた後、コリントからエルサレムに向かいます。エルサレムでは、パウロの命を狙うユダヤ人の騒乱に巻き込まれ、逮捕されて2年間監禁され、皇帝の裁判を受けるために囚人としてローマに送られます。神は不思議な方法でパウロをローマへ導かれ、パウロはローマで伝道する機会を与えられました。そしてパウロは紀元64年のローマ皇帝ネロのキリスト教徒迫害の中で、殉教死したと言われています。パウロは「福音を恥としない」と言います。それは「福音のためなら何でもする」ということです。
・私たちの教会は今年、新会堂を建て直す準備をしています。教会員40名弱の小さな群れにとって7千万円を超える建築費用は重い負担です。もし、私たちが、自分たちがより快適に礼拝を行うために会堂を建て直すのであれば、会堂は建たないでしょう。教会堂を建てるという行為は、余った時間やかき集めたお金で完成するような安易な事業ではないからです。しかし私たちが会堂を「福音を分かち合うための器」、として、神に捧げる決意であれば、必要なものは与えられるでしょう。私たちにも、今パウロの決意、「福音のためなら何でもする」という決意が求められているのです。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-04-09 16:59:27 (86 ヒット)

1.墓に葬られる

・イエス時代、十字架刑に処された罪人の遺体は、十字架上に放置されて曝しものにされるか、共同墓地に葬られるか、いずれにしても罪人の遺体は租末な扱いを受けていた。しかし、イエスの遺体は、アリマタヤのヨセフに引き取られ、新しい墓に葬られた。男の弟子たちは逃走してその場にはいなかったが、婦人たち(マグダラのマリアともう一人のマリア)が、埋葬を見守った。エルサレムでは岩穴が墓となっていた(今も昔の岩穴の墓が残っている)。遺体は棺に納めず布で包み、岩穴の壇上に安置した。野獣の侵入を防ぐために、墓の入り口は丸石を転がして閉じられた。
−マタイ27:57−61「夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。」
・イエス処刑日の日没から安息日が始まった。祭司長たちとファリサイ派の人々は、総督ピラトのもとに集まり、イエスの墓を警備するようピラトに願い出た。「三日後に復活する」と言っていたイエスの言葉が彼らの脳裏にあり、弟子たちがイエスの遺体を奪い、復活したと言いふらしかねないと懸念した。ユダヤ人たちはイエスの墓を封印し、番兵に見張らせた。
−マタイ27:62−66「明くる日、すなわち準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。『閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていた時、「自分は三日後に復活する」と言っていたのを思い出しました。ですから、三日後まで墓を見張るよう命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、「イエスは死者の中から復活した」などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。』ピラトは言った。『あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。』そこで、彼らは行って墓に封印をし、番兵をおいた。」
・聖書学者の佐藤研は初代教会の復活信仰形成について、「イエスの墓が空であった」という事実が基礎になったと想定する「日曜日の朝、イエスの死体が葬られたはずの墓から消失してしまっていたのであり、その事態が当所を訪れた女たちにまず明らかになったのである。このことの史実性だけはカンペンハウゼンの言うとおり、ほとんど否定できない。そしてそのことは、その報を受けた弟子たちを甚だしい混乱に陥れたことであろう」。

2.復活する

・安息日が終わった週の初めの日の明け方(日曜日の明け方)になった。マグダラのマリアともう一人のマリアが墓へ行くと、地震が起こり、墓を封印した石は脇へ転がされて墓は開かれていた。そして、まっ白に輝く衣の天使が石の上に座っていた。番兵たちは、目の前に起こったことの、驚きと恐れで、死人のように青ざめ震えていた。
−マタイ28:1−4「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上り、死人のようになった」。
・天使は婦人たちに「イエスは復活した。もうこの墓にはいない。弟子たちとガリラヤで再会するであろう」と告げた。
−マタイ28:5−8「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなた方より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」確かにあなたがたに伝えました。』」
・天使からイエスの復活を告げられた二人の女性は、弟子たちに知らせようと駈けだした。ところがイエスが彼女らの前方に立ち、彼女らを迎えた。二人はイエスの前にひれ伏した。
−マタイ28:9−10「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。『恐れることはない。行って、私の兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこで私に会うことになる。』」
・番兵から「イエスの遺体が無くなった」と聞き、祭司長たちは狼狽した。彼らはイエスの弟子たちが、イエスの遺体を盗んだという虚偽の情報を流し、番兵に口止めした。マタイ独自の記事である。
−マタイ28:11−15「婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて言った。『「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」と言いなさい。もし、このことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしょう』。兵士たちは金を受け取って、教えられた通りにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。」
・復活伝承はパウロにより初代教会の言い伝えが文言として残されている。
-第一コリント15:3-5「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです」。
・カトリックの聖書学者・百瀬文晃は「イエス・キリストを学ぶ、下からのキリスト論」の中で述べる「イエスの復活と呼ばれる出来事も、ユダヤ教黙示文学の中で流布していた『終末時の死者の復活』という概念抜きには理解出来ない。無類の出来事を経験したイエスの弟子たちは、これを黙示文学の概念に則って、終末に起こる『死者の復活』という出来事が、イエスにおいて先取られたものと理解し、これを『イエスの復活』と呼んだのである」。

3.弟子たちへの派遣命令

・弟子たちはガリラヤでイエスに再会する。そして世界伝道への宣教命令が弟子たちに下される。弟子たちはこの命令を受けて、ユダヤ人社会の枠を越えて異邦人世界へ向かって宣教した。
−マタイ28:16−20「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い。ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは近寄って来て言われた。『私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るよう教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」
・社会学者ロドニー・スターク「キリスト教とローマ帝国」によれば、福音書が書かれた紀元100年当時のキリスト教徒は数千人という小さな集団であり、紀元200年においても数十万人に満たない少数であった。その彼らが紀元300年には600万人を超え、キリスト教が国教となる紀元350年頃には3千万人、人口の50%を超えたとされる。何故彼らはそのように増えたのか、スタークは「キリスト教の中心教義が人を惹き付け、自由にし、効果的な社会関係と組織を生み出していった」からだとする。ローマ時代には疫病が繰り返し発生し、時には人口の1/3〜1/4を失わせるほどの猛威を振るった。人々は感染を恐れて避難したが、キリスト教徒たちは病人を訪問し、死にゆく人々を看取り、死者を埋葬したと伝えられている。何故ならば聖書がそうせよと命じ、教会もそれを勧めたからだ(紀元251年司教ディオニシウスの手紙、エウセビオス「教会史7.22.7-8」)。この「食物と飲み物を与え、死者を葬り、自らも犠牲になって死んでいく」信徒の行為が、疫病の蔓延を防ぎ、人々の関心をキリスト教に向けさせた一因だったとスタークは考えている。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-04-02 18:17:18 (94 ヒット)

1.兵士から侮辱され、十字架につけられる

・総督の兵士たちはイエスを官邸へ連行し、取り囲み、ユダヤ人の王に見立てて侮辱した。着衣を脱がせて、王衣に見立てた赤い外套に着せ替え、王冠として茨の冠を頭に載せ、王笏に見立てた葦の棒を持たせ、跪き、「ユダヤ人の王万歳」と叫んだ。そして、イエスに唾を吐きかけ、葦の棒でイエスの頭を叩き続けた。
−マタイ27:27−31「それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸へ連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、『ユダヤ人の王、万歳』と言って侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて、頭を叩き続けた。このようにイエスを散々侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いていった。」
・十字架刑を宣告された囚人は、十字架の横棒を担がされて、刑場まで歩いて行く。人目に曝し、見せしめとするためだった。イエスは徹夜で調べられ、鞭打たれ、疲れていた。彼は十字架を担ぐことが出来ず、兵士たちは、通りかかったキレネ人シモンに、むりやり十字架を担がせた。
−マタイ27:32「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理にかつがせた。」
・イエスの十字架を代りに背負った人の名前が明記され、その出身地まで記されていることは、シモンが教会の人々に知られていたことを示す。またマルコは子供たちの名前も記している(マルコ15:21)。シモンは十字架を無理やりに背負わされた。そしてイエスの十字架を目撃した。そのことが契機となって、彼は信仰に入り、妻や息子たちも信徒になった事が推測される。
・処刑場はゴルゴタ(されこうべ)と呼ばれた丘の上だった。刑場に着くとイエスは手の平に釘を打ち込まれ、十字架につけられ、痛みを和らげるため、ぶどう酒を与えられたが、イエスは飲まれなかった。兵士たちはイエスを十字架に付けた後、剥ぎ取ったイエスの着衣をくじ引きで分配した。
−マタイ27:33−36「そして、ゴルゴタという所、すなわち『されこうべの場所』へ着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分けあい、そこに座って見張りをしていた。」
・イエスの頭上には「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれていた。二人の強盗がイエスの両隣の十字架に架けられた。処刑を見に来た人々はイエスを揶揄し、嘲笑した。
−マタイ27:37−40「イエスの頭の上には『これはユダヤ人の王イエスである』と書いた罪状書きを掲げた。折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスを罵って言った。『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。』」
・ユダヤ教指導者たちもまたイエスを口汚く罵った。
−マタイ27:41−44「同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。『他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。「私は神の子だ」と言っていたのだから。』一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った。」
・兵士たちはイエスを十字架につけ、その服を分け合い、見物していた人々は頭を振って、「神の子なら神に救ってもらえ」と罵った。マタイの記述の背景には詩篇22編が流れている。
-詩篇22:8-19「私を見る人は皆、私を嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る。『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら助けてくださるだろう』・・・ 犬どもが私を取り囲み、さいなむ者が群がって私を囲み・・・骨が数えられる程になった私のからだを、彼らはさらしものにして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」。

2.イエスの死

・イエスが十字架に付けられたのは朝の九時ごろだった(マルコ15:25)。十二時を過ぎると天地が暗くなり、三時ごろイエスは大声で叫んだ。マタイはイエスが「わが神(エリ)、わが神(エリ)、なぜ(レマ)、私をお見捨てになったのですか(サバクタニ)」と叫んだと記述する。「エリ、エリ」というイエスの叫びを、兵士たちはイエスが「預言者エリヤを呼んでいる」と誤解した。
−マタイ27:45−47「さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』。これは、『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、『この人はエリヤを呼んでいる』と言う者もいた。」
・兵士の一人が海綿に含ませた酸いぶどう酒(麻酔薬)をイエスに差し出そうしたが、「エリヤが助けに来るかどうか、少し待て」と他の兵士たちが制止した。
−マタイ27:48−50「そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした。ほかの人々は、『待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見てみよう』と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。」
・しかし神は共におられた。マタイは詩篇22編を引用することによってそれを主張する。
―詩篇22:1-5「わが神、わが神、なにゆえ私を捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れて私を助けず、私の嘆きの言葉を聞かれないのですか。わが神よ、私が昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。しかしイスラエルの讃美の上に座しておられるあなたは聖なるお方です・・・ 彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。」

3.イエスの死の後で

・マタイは、イエスが息を引き取った時、三つの出来事が起こったことを記している。最初は「神殿の垂れ幕が二つに裂けた」ことである。神殿の垂れ幕は至聖所において聖界と俗界を隔てた幕であるが、イエスの犠牲の死で神殿犠牲が無意味になったことを象徴している。二番目の「地震」は神の裁きを意味する。三番目の「聖徒の復活」は終末の到来を象徴している。いずれも実際に起きた出来事というよりも、マタイ独特のイエスの死に対する象徴的解釈である。
−マタイ27:51−53「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そしてイエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。」
・弟子たちは逃げ去ってその場にいなかった。神は何の救済行為をもされなかった。イエスは神と人の見捨ての中で死んでいかれた。しかし処刑を指揮したローマの百卒長は、「この人は神の子であった」と告白する。何故だろうか。
−マタイ27:54「百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、『本当にこの人々は神の子だった』と言った。」
・大勢の女性たちがイエスの処刑を遠くから見守った。イエスが逮捕され、男の弟子たちが逃げ去った後も彼女たちはイエスを見守り、この婦人たちが復活の証人となる。闇の中にわずかな光が残されていた。
−マタイ27:55−56「またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」
・当時のユダヤでは毎日のように処刑が為されていた。イエスの死も数多い処刑の一つであり、それが歴史を変える出来事になるとは誰も思わなかった。無意味な、惨めな死であった。その意味が変わったのはイエスの復活の後であった。
-イザヤ53:4-5「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちはいやされた」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-03-26 21:24:11 (115 ヒット)

1.ゲッセマネにて

・マタイ26章はある意味でこの福音書のハイライトです。26章を最初から読んでいきますと、まず気がつくのは、イスカリオテのユダが既にイエスを裏切る行動を始めていることです(26:16)。木曜日にイエスは弟子たちと過ぎ越しの食事を持たれますが、この最後の晩餐においても、ユダの裏切りが暗い影を及ぼしています(26:26-29)。食事を終えた一行は祈るためにオリーブ山に向かいますが、その途上でイエスは弟子たちに「今夜、あなたがたは私につまずく」と預言されます(26:31)。ユダは既に一行から離脱しています。イエスはユダの行動を見て、今夜にも捕り手たちが来て、その時に他の弟子たちも逃げ出すであろうと予期されています。そのような重苦しさの中で、一行はオリーブ山に到着しました。
・オリーブ山はエルサレム郊外の小高い丘で、そのふもとにゲッセマネ(油絞り)の園がありました。オリーブの油を絞る設備があったところからその名がつけられましたが、イエスたちは以前にもよくこの場所に来ておられました。イエスは三人の弟子を連れて、園の奥深くに進んで行かれます。マタイはその時の情況を「イエスは弟子たちと一緒にゲッセマネという所に来て、『私が向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい』と言われた。ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた」。(26:36-37)。これから起こるであろう受難を前に、「イエスは悲しみもだえ始められた」とマタイは記します。
・私たちが驚くのは、イエスが自分の弱さを弟子たちにお隠しにならなかったことです。私たちが苦しみの中にある時、普通はその苦しみを人から隠し、自分の力で何とかしようと思います。人は他者に対して弱さを見せることを嫌がり、自分を閉じるのです。しかしイエスは自分のもだえ苦しむさまをありのままに弟子たちに示され、共に祈ってほしいと言われます「私は死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、私と共に目を覚ましていなさい」(26:38)。祈りを通して私を支えてほしいとイエスは言われたのです。
・「私は死ぬばかりに悲しい」、この言葉を弟子たちも聞き、彼らも祈り始めます。イエスは祈られます「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください」(26:39)。「死の杯を取り去って下さい」とイエスは祈られたのです。しかし、父なる神は何の応答もされません。イエスは神の沈黙の中に、その御心を見られました。だから彼は続けて祈られます「しかし、私の願い通りではなく、御心のままに」、「どうしても飲むことが必要であれば、その杯を飲みます」とイエスは言われたのです。ここに偉大な信仰があります。自分に理解できないことであっても、御心であれば受け入れていくという信仰です。
・イエスは死を受け入れる決心をされると弟子たちの所に戻られます。しかし、弟子たちは、睡魔に負けて眠り込んでいます。人は自分のためであれば、徹夜で祈ることができても、他者の苦しみや悲しみのためには徹夜できない。イエスはその人間の弱さ、限界を知っておられるゆえに、ペテロを叱責されません。イエスはペテロに言われます「あなたがたはこのように、わずか一時も私と共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」(26:40-41)。
・「心は燃えても、肉体は弱い」、ここにイエスの赦しがあります。イエスは再び奥の方に進み、祈られます「父よ、私が飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように」(26:42)。ここではもう「この杯を私から過ぎ去らせてください」という祈りはありません。イエスは苦闘の末、十字架を受け入れられたのです。見ると、弟子たちはまた眠り込んでいます。イエスは弟子たちを起こさないように、祈りを続けられます。三度目の祈りを終えて帰ってきても、弟子たちはまだ眠り込んだままです。イエスは弟子たちを起こして言われます「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、私を裏切る者が来た」(26:45-46)。山の下の方から、ユダに率いられた捕り手が来るのが見えたのでしょう。もうイエスには迷いはありません。三度の祈りを通してイエスは神の御心を受け入れられた、誰かが苦しまなければ人々の救いはないのであれば、私が苦しんでいこう。その決意が「立て、行こう」という言葉の中に現れています。

2.私たちを赦される主

・この物語を通して私たちは人間の弱さを見ます。最初の弱さはイエスの弱さです。イエスは「死を前におののかれた」、ある人は言うでしょう「ソクラテスは不当な判決を受け入れ、毒薬を飲んで死んでいった。それなのにイエスは死を前におののく」。しかし私たちはイエスの弱さを恥じるのではなく、慰めを覚えます。私たちもまた、苦しみの杯を飲まなければいけない時があります。重い病に冒された、生涯をかけた事業が破綻に追い込まれた、愛する人が亡くなった、人生波風の中で私たちは必死に祈りますが、神が答えて下さらない時があります。どうして良いのか分からず、私たちは「もだえ苦しみます」。その時、私たちはイエスさえおののかれたことを知り、慰められます。へブル書は言います「大祭司(イエス)は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです」(へブル5:2)。私たちのために弱さを隠されなかったからこそ、この人は私たちの友となられるのです。
・ペテロはイエスが「今夜、あなたがたは皆私につまずく」(26:31)と言われた時に「たとえ、みんながあなたにつまずいても、私は決してつまずきません」と答えました。そのペテロはイエスが血の汗を流して祈っておられた時、眠りこけ、捕り手たちが来た時は逃げ出しました。イエスが大祭司の屋敷に連行された時、ペテロは後を追いますが、屋敷の人々に「おまえもイエスの仲間だ」と問い詰められると、「そんな人は知らない」と三度否認します(26:74)。イエスが十字架につかれた時、ペテロはそこにはいませんでした。イエスを裏切ったのはイスカリオテのユダだけでなく、ペテロも同罪だったのです。
・ヨハネ福音書に依れば、イエスが十字架で死なれた後、弟子たちは故郷ガリラヤに帰って漁師に戻り、そこに復活のイエスが現れます。イエスはペテロが裏切ったことを責められず、ペテロに「私を愛するか」と三度聞かれます。三度目の時にペテロは悲しんで言います「主よ、あなたは全てをご存知です。あなたは私の弱さを知っておられます。私はかつてあなたを裏切ったし、これからも裏切るかも知れません。しかし、私がどんなにあなたを愛しているかをあなたはご存知です」。そのペテロにイエスは「私の羊を飼いなさい」と命じられます(ヨハネ20:17)。復活のイエスから、イエスを裏切った自分に教会が委ねられた事を知った時、ペテロは生れ変りました。ペテロは弱い人間でした。しかし、自らの弱さを知り、祈り求め、主によって強くされた人間です。私たちもこのペテロにならうことができると希望を持ちます。

3.私たちにとってのゲッセマネ

・今日の招詞にローマ5:6-8を選びました「実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました」。キリストを信じる前のパウロは、「神の怒り」の前に恐れおののいていました。彼は熱心なパリサイ派であり、律法を守ることによって救われようと努力していましたが、心に平和はありませんでした。彼は告白します「私は、自分の内には、つまり私の肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです」(ローマ7:18-19)。「善をなそうという意志はあるが、それを実行できない」、それを妨げているのは彼の中にある罪です。この罪のために、「自分は神の怒りの下にある、自分は滅ぼされるに違いない」との恐れをパウロは抱き、その恐れがパウロに、「律法を守ろうとしない」、邪教徒としか思えないキリスト教徒への迫害に走らせます。
・しかし、ダマスコ郊外で復活のイエスと出会い、パウロの恐れは一撃の下に葬り去られました。パウロは死を覚悟しましたが、そのパウロを待っていたのは死の宣告ではなく、キリストの赦しでした。恐ろしい神との敵対は一瞬のうちに終結し、反逆者パウロに神との平和が与えられました。キリストが命を捨ててまで救おうとされたのは、キリストの迫害者として憎んでも余りある自分であった。ダマスコで復活の主イエスにまみえた時、パウロはこの驚くべき真理によって打ちのめされ、キリストの愛が彼の敵意を溶かしました。こうして彼はキリストの迫害者からキリストの伝道者に変えられていきます。しかし、そのことによって、彼はユダヤ人からは「裏切り者」として命を狙われるようになります。苦難が彼を訪れたのです。しかし彼はその苦難を喜ぶことができる者に変えられました。神との平和をいただいたからです。
・ペテロや他の弟子たちが経験したのも、同じ回心です。私たちは、何かあれば、主を裏切り、見捨てて逃げかねない存在です。私たちがユダであり、ペテロなのです。初代教会はやがてローマ帝国の各地に広がって行きますが、ある時は迫害され、ある時は容認されました。迫害があると多くの信徒が棄教し、迫害が止むと教会に戻ってくる出来事が歴史上繰り返し起こっています。目を覚ましていることができない私たちがそこにいます。心は燃えても肉体は弱い存在なのです。「その我々のためにキリストは弱くなられた」、イエスは苦しみの中でも自分を閉じず、弟子たちに弱さを見せて下さった。そのことによって私たちは救われた。だから私たちも教会の中で、お互いの弱さを隠さず、「祈ってほしい」と頼むことができます。教会はお互いの弱さを受け入れ、赦すことのできる唯一の場所です。教会にあって、私たちは神の赦しを受け、神との平和をいただいています。神は弱い私たちを招き、神の業に参加することを許されています。その幸いに感謝したいと思います。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-03-19 19:15:04 (108 ヒット)

1.主の晩餐式の起源

・マルコ福音書の「受難物語」を読んでいます。イエスと弟子たちは、最後の晩餐を「過越しの食事」として祝いました。それはエジプトからの救済を祝って犠牲の子羊を屠って食する時です。最後の晩餐において、イエスはパンを取り、感謝してそれを裂き、弟子たちに与えられました。また杯も同じように弟子たちに与えられました。この最後の晩餐でのイエスの言葉「取りなさい、これは私の体である。飲みなさい、これは私の血である」を後の教会は深く覚えて、礼拝の中で唱和するようになり、それが今日の教会においても祝われる主の晩餐式となりました。今日は、最後の晩餐においてイエスが語られた言葉の意味を考えていきます。
・マルコは記します「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた『取りなさい。これは私の体である』」(14:22)。ヨハネによれば、イスカリオテのユダは食事半ばに既に席を立っています(ヨハネ13:30)。イエスは会食の席上でユダが悔い改めるように努力されましたが、ユダは聞かず、席を去ります。その悲しみの中でイエスは弟子たちのためにパンを裂きます。
・パンが配られた後、イエスは「杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた『これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である』」(14:23-24)。ユダヤでは「血」は契約の徴です。古代の契約は動物を二つに裂いて、当事者がその間を通ることによって成立しました。「契約を結ぶ」はヘブル語=カーラトですが、この動詞は、本来、「切る、切り裂く」という意味を持ちます。アブラハムは主と契約を結ぶ時、雌牛と雌山羊を二つに切り裂きました(創世記15:17)。切り裂かれた動物の間を通ることによって、もし契約を破るなら二つに切り裂かれてもかまいませんという同意を表わすためでした。血は契約の徴なのです。だからイエスは、「これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である」で言われたのです。
・この箇所はわずかに3節しかありませんが、そこにはイエスの万感の思いが込められています。聖書学者の加山宏路先生はこの箇所を次のように言い換えられます「私は私自身をあなた方に与える。今、私がここで裂いてあなた方に渡すパンのように、ほどなく十字架で引き裂かれようとする私の体を、いや私自身をあなた方に与える。これを私と思って受け取りなさい。私は十字架につけられて血を流そうとしている。イスラエルの先祖たちが裂かれた動物の間で血の契約を立てたように、私の流す血、それが私の契約の徴だ。あなた方に与えるこのぶどう酒のように、私は私のいのちをあなた方に与える」。
・「私自身をあなた方に与える」、イエスの言葉を弟子たちは忘れることが出来ませんでした。ですからイエス復活後の教会においては、最後の晩餐を記念する「主の晩餐式」が礼拝の中心になっていきました。原崎百子というキリスト者がおられます。1978年、肺癌のため43歳で亡くなられましたが、死後彼女の日記が公開され、「わが涙よ、わが歌となれ」として刊行されました。彼女は4人の子の母でしたが、幼い子どもたちに書き送ります「お母さんを、お母さん自身を、あなた方にあげます」。子の成長を見ることなく死んでいく無念さ、しかし神はこの子たちを見守ってくださるという信仰がそこにあふれています。イエスも志半ばで死んでいかなければいけない無念さと、それでも父なる神は弟子たちを守ってくださるという信仰の中に、「私は私自身をあなた方に与える」と言われました。この言葉はイエスが私たちに残された遺書なのです。

2.主の晩餐を通して新しい希望へ

・最後の晩餐におけるイエスの言葉は、私たちへの遺書と申しましたが、それは同時に私たちに希望を与える言葉でもあります。イエスは最後に言われます「はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい」(14:25)。この言葉は、この会食こそ、弟子たちと取る最後の食事であるとの悲壮な覚悟を述べられたものですが、同時に死が終わりではなく、死を越えて神の国が来る、その時に「再び共に食卓につこう」という約束の言葉でもあります。死を越えた希望がここで語られています。
・多くの現代人は、今に忙殺され、将来を考えようとしません。ルカ14章の伝える盛大な宴会の譬えでは、日常生活の多忙の中で、主人が宴席(神の国の食事)に招待しようとしても、「最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言い、ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言い、別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言いました」(ルカ14:18-20)。仕事に追われて宴会どころではない、神の国の話を聞いている暇はさらにないと人々は言っています。
・しかし彼らも、人間存在の根底的問題、「死」に直面した時は平気ではいられません。1985年8月12日、日航機が群馬県上野村御巣鷹山中に墜落し520名の方々が亡くなりましたが、28年立った今も遺族の方々は慰霊登山を続けます。彼らにとって事故は終わっていないのです。2011年3月11日の東北大震災では2万人の方が亡くなられましたが、遺族にとっては10年後も20年後も忘れられない日になるでしょう。死は人間の多忙さを越えた力で迫ります。しかし現代人は不幸なことに、死を越えた命を信じることが出来なくなっています。音楽評論家・吉田秀和氏は1995年に起きた地下鉄サリン事件殉職者を悼んで語りました「TVで地下鉄サリン事件一周忌ということで、殉職した職員を弔う光景をみた。実に痛ましい事件である。あの人たちは生命を賭けて多くの人を救った。年をとって涙もろくなった私はそのまま見続けるのが難しくなり、スイッチを切った。切った後で、あの人たちの魂は浄福の天の国に行くのだろうか、そうであればいいと思う一方で、『お前は本当にそう信じるのか』という自分の一つの声を聞く。そういう一切がつくり話だったとしたら、あの死は何をもって償われるのか。この不確かさの中で、彼らがより大勢の人の危難を防いだ事実を思い、私はもう一度頭を下げる」(朝日新聞、1996年4月18日夕刊、関根清三「倫理の探索」から)。
・人はみな死後の命を求めていますが、信じることが出来なくなっています。ある牧師は述べます「21世紀に生き、科学的知識の洗礼を受けて育った私たちが、物理的な身体の復活を信じるのはもはや困難である。しかし、自らの将来、死後の状態についての恐怖心は、むしろ強まっているのではないだろうか。多くの研究にかかわらず、人間の「死」についてはいまだ克服出来ていないし、克服することは不可能であろう・・・信じる者の復活という思想は、そのような現代人にとって慰めとなりうる」(前川裕「聖書、語りの風景」から)。「再び共に食卓につこう」、イエスのこの約束は信仰者の福音です。

3.主の晩餐を通じて想起すべきこと

・教会が主の晩餐式を執り行うようになった経緯については二つの流れがあるといわれています。一つは今日見ましたように、イエスと弟子たちの最後の晩餐を記念するものです。もう一つは、イエスが群集と共に取られた荒野の食事に起源を持ちます。イエスは集まった群集が食べるものもない状況を憐れまれ、手元にあったパンと魚で5000人を養われました。大勢のものが一つのパンを食する、今日で言えば愛餐の食事が、主の晩餐式になったと考える人もいます。初代教会では、最後の晩餐と、荒野での会食が一つになって、主の晩餐式が執り行われました。人々はそれぞれが食べ物を持って教会に集まり、礼拝の後共に食事をする、それを主の晩餐として行っていたようです。
・今日の招詞に、1コリント10:16−17を選びました。次のような言葉です「私たちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。私たちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、私たちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです」。教会は神を求める人々が一つの心で集まり、互いに良いものを分け合うところです。みんなで一つのパンをいただくから、そこに大勢の人がいても、教会は一つになります。しかしコリント教会では、金持ちは金持ちで勝手に集まって自分たちの宴会を行い、貧しい人々を食事から除外しました。それは主の晩餐でも何でもないとパウロは手紙を書いたのです。私たちの教会では洗礼を受けた人も受けてない人も全て主の晩餐に招きますが、それは「皆が一つのパンを分けて食べる」という聖書理解から来ています。
・主の晩餐はイエスの死を覚えるだけでなく、その復活を覚える時でもあります。私たちは、信仰を持ってパンとぶどう酒をいただく時、復活の主が今ここに共におられると信じます。パンとぶどう酒は奇跡の食べ物ではありません。しかし、主が私たちのために死んで下さったことを信じる時、それは私たちを生かす恵みの食物になるのです。主の晩餐式は、キリストがやがて来られる、神の国がまもなく来ることを待望する時でもあります。パウロは言います「あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(1コリント11:26)。
・イエスと弟子たちは最後の晩餐を「過越の食事」として取りましたが、過越とは主がイスラエルをエジプトの奴隷から解放して下さったことを感謝すると共に、全世界に散らされたユダヤ人が再び集められ、神の都エルサレムで民族の回復を祝うことを待望する食事でもありました。同じように、私たちも、主の晩餐を守るたびに、キリストが再び来られて、私たちの救いを完成させて下さる時を待ち望みます。私たちはなお肉の体を持ってこの世に生きています。この世においては、悪があり、裏切りがあり、涙があり、病があり、死があります。私たちは罪の責めから救われ、罪の支配から自由になりましたが、いまだ罪の存在そのものからは救われていません。神の国は、まだこの地上には来ていないのです。ですから私たちは、「御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」という主の祈りを晩餐式でも待望するのです。


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