2019年6月30日聖書教育の学び(2019年3月20日祈祷会、フィリピ4章、常に喜びなさい)

投稿日時 2019-06-23 19:32:16 | カテゴリ: みんなの証

1.喜べない状況でも喜びなさい

・フィリピ教会は物心両面で常にパウロを支えてくれた教会であり、パウロは感謝していた。しかし、そのような教会の中にも争いがあった。パウロは敢えて二人の婦人の名前を出して、和解を勧める。
−フィリピ4:2「私はエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい」。
・二人は共に熱心にパウロを支えてくれた。それにもかかわらず、互いにいがみ合っていた。パウロは教会の長老に、和解の労をとるように求める。教会が一致しないと、本来の福音伝道の業に取り組めないからだ。
−フィリピ4:3 「真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげて下さい。二人は、命の書に名を記されているクレメンス他の協力者たちと力を合わせて、福音のために私と共に戦ってくれたのです」。
・何故いがみ合いが教会の中で生じるのか。キリストは私たちの和解の為に死んで下さった。キリストの死によって私たちは神と和解した。神と和解した者は人とも和解する。人と和解できないとしたら、神との和解がないのだ。
−エフェソ2:14-16「キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」。
・私たちの毎日は常に喜べる状況ではない。挫折も失意も仲たがいもある。しかし、その中で喜んで行く。パウロは獄中にあっても喜んでいる。主が共におられるなら、どのような時も喜べるではないか。
−フィリピ4:4-5「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます」。
・思い煩いがある時は、その出来事を神の前に出して祈りなさい。神は祈りを聞いて下さる。
−フィリピ4:6-7「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」。

2.足るを知る

・パウロはフィリピ教会からの贈り物に感謝の意を示す。それはお金が欲しいからではなく、お金に込められたフィリピの教会員たちの気持ちがうれしいからだ。
−フィリピ4:15-17「フィリピの人たち、あなたがたも知っている通り、私が福音の宣教の初めにマケドニア州を出た時、もののやり取りで私の働きに参加した教会はあなたがたの他に一つもありませんでした。また、テサロニケにいた時にも、あなたがたは私の窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろあなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです」。
・献金は神の恵みだ。それは受ける方にとって恵みであるだけでなく、差し出す方にも恵みだ。自分のことしか考えられない人間が、他者の為に持ち物を差し出すものにさせられた。その事をパウロは喜ぶ。
−フィリピ4:18-19「私はあらゆるものを受けており豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けて下さる生贄です。神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます」。
・神は常に必要なものを必要なだけ与えて下さる。教会の予算についても私たちは思い煩わない。必要なものは与えてくださるし、願っても与えられなければ、今は不要だとの御心として受取っていく。
−フィリピ4:11-13「私は、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です」。
・人は貧しい時は他者を妬み、豊かになれば他者をさげすむ。だから神は常に必要なものだけを与えて下さる。
−箴言30:7-9「むなしいもの、偽りの言葉を私から遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず、私のために定められたパンで私を養ってください。飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、私の神の御名を汚しかねません」。
・神が必要なものは与えて下さるから思い煩わない。自分の救いから他者の救いに思いが移っていく。
−フィリピ4:9「私から学んだこと、受けたこと、私について聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます」。

3.フィリピ4章の黙想

・フィリピの教会に不和があった。教会も人の集まりだから、そこには意見の違いや対立が生じる。信仰の先輩たちは教える「教会に不満を持つ人、意見の違う少数者の人が教会を去ろうとする時、あなたがたはその人たちを無理に引き止めたり、出て行った人たちに戻るように呼びかけない方が良い。それはいたずらに混乱を招くだけだから」。意見の異なる人々が教会を出るならそれに任せよというのは経験に基づく知恵であろう。しかし、パウロは語る「あなたがたはそうしてはいけない。気の合う人、意見を同じくする人とだけ礼拝を共にするのは教会ではない」と。
・パウロは今エペソの獄中から、フィリピ教会に手紙を書いている。フィリピの人々は獄中のパウロを慰めるため、贈り物を持たせてエパフロディトを派遣したが、彼は重い病気になってフィリピに帰ることになった。そのエパフロディトに託して、ピリピの人々に感謝を表したのがフィリピ人への手紙だ。フィリピ書は礼状なのだが、パウロはその礼状の中で、あえて教会の中に争いに触れる。
−フィリピ4:2-3節「私はエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげて下さい」。
・この手紙は個人的な手紙ではなく、教会に宛てて書かれた公式の手紙であり、教会の礼拝の場で読まれることを期待して書かれた。その手紙の中で、パウロは二人の婦人の名前を挙げて和解するように勧め、また教会の人々にも仲裁の労をとるように書いている。パウロは何故この問題を個人的な問題として、教会の外で解決するようにしないのか。教会の指導者に個人的な手紙を書き、問題の解決を依頼することも出来たのに、何故あえて教会全体の場に持ち出すのか。パウロは「都合の悪い事実があってもそれを覆い隠すな。不和があれば、それを公の場に出して、主の名によって解決しなさい」と求めている。「主によって」(4:1)、「主において」(4:2)、教会の主がキリストであれば、そこに集う人々は和解できるはずだ、もしそれが出来なければ教会ではないと言っている。
・ルカ17章の「らい病を患う十人の癒し」は一致の難しさを伝える。共に病苦を患う間は民族の差異は乗り越えられたのに、健常になり、社会が関わってくると、その差異が分裂をもたらす。
−2019.03.24説教草稿(十人の癒しと一人の救い)から「イエスが村に入られると、らい病を患っている十人の人が出迎えた。らい病(ヘブル語ツァーラト)者は、「自分はらい病なので近寄らないでくれ」と叫ぶことを義務付けられていました。だから彼らは遠くからイエスに癒しを呼びかけています。らい病者の集団にはユダヤ人もサマリア人もいました。それは当時のユダヤ教社会ではありえないことでした。らい病という困難な苦しみが民族差別の壁を破らせ、彼らを一つにしていたのでしょう。その彼らにイエスは出会われました。イエスは彼らを憐れみ、言われました「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」。
−「十人はイエスの言葉を受けて祭司の所に向かいます。これは必死の信仰です。癒されるかどうかもわからないのに祭司の所に向かい始めているのです。その彼らの信仰が彼らの病を癒しました。道の途中で「彼らは清くされた」とルカは記します。病気を癒された十人のうち、サマリア人だけがイエスのもとに帰って来ました。サマリア人は、自分の体の清めを証明してもらう前にやるべきことがあると思ったのです。「神のみがらい病を癒しうる。だから行くべきは祭司の処ではなく、癒しを執り成してくださったイエスの処だ」と思った。だからイエスの許に戻ってきた。イエスは彼を見て言われます「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか」。彼ら十人の群れは同じらい病であった時は、生活の絆が固く保たれていました。しかし一度病が癒されると、ユダヤ人はユダヤ人、サマリア人はサマリア人に分離してしまった」。
・この現実の中で、私たちは教会の一致を考える。教会は共通の困難、共通の目標がある時のみ、一致できる。だから目標の共有がぜひとも必要だ。「主によって」(4:1)、「主において」(4:2)、一致を求める。篠崎キリスト教会の2019年度教会標語は、「違いを受容し、喜び合う教会」だ。「違いを受容し」、一致する。そのような教会を目指したい。




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