2017年11月19日聖書教育の学び(イザヤ46章−48章要約)

投稿日時 2017-11-13 09:04:58 | カテゴリ: みんなの証

1.背負われるバビロンの偶像神と背負う神 (46章)

・第二イザヤの直面した問題は、50年間のバビロン捕囚で疲れ果て、主なる神への信仰を無くしてしまった、イスラエルの民をどのように鼓舞し、もう一度立ち上がらせるかであった。信仰を無くした者は、イスラエルの神を捨て、勝利者バビロンの神マルドゥクに帰依した。そのような民にイザヤは偶像神の本質を見よという。ベルは主神マルドゥク、ネボはその子ナブーの神だ。彼らは自力では歩けない。彼らは人々を守護するどころか、人々の重荷になっているではないかと。
-イザヤ46:1-2「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ、お前たちの担いでいたものは重荷となって、疲れた動物に負わされる。彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず、彼ら自身も捕らわれて行く」。
・ペルシア軍侵攻の噂が飛び交い、バビロンの人々は神殿から主神と子神の像を運び出し、避難させようとした。しかしあまりの重さに車を引く獣たちが倒れ、像もまた倒れた。これがお前たちの信仰する神の真実だとイザヤは言う。捕囚時の預言者エレミヤもまたバビロンの神々が破壊されるとの預言をしている。その預言がまもなく成る。
-エレミヤ50:1-3「バビロンに向かって。カルデア人の国に向かって。主が預言者エレミヤを通して語られた言葉。告げ知らせよ、諸国民に。布告せよ、旗を掲げて布告せよ。隠すことなく言え。バビロンは陥落し、ベルは辱められた。マルドゥクは砕かれ、その像は辱められ、偶像は砕かれた。一つの国が北からバビロンに向かって攻め上り、バビロンの国を荒廃させる。そこに住む者はいなくなる。人も動物も皆、逃れ去る」。
・「私はそのようなものではない」と主は言われる。「偶像は人が担ぎ、背負って立たなければならず、人を救う力はない。しかし私は人を担い、背負い、救い出す」と主は宣言される。
-イザヤ46:3-4「私に聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、私はあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。私はあなたたちを造った。私が担い、背負い、救い出す」。
・46:4は短い文節の中に、私=アニーという言葉が5回も登場する。新改訳はそれをそのままに訳す。
-イザヤ46:4(新改訳)「あなたがたが年をとっても、私は同じようにする。あなたがたがしらがになっても、私は背負う。私はそうしてきたのだ。なお、私は運ぼう。私は背負って、救い出そう」。
・古代の戦争は神々の戦争であり、負けた国の神は焼かれ、神殿から引き摺り下ろされて辱められ、勝利者の国に持ち去られた。そのような偶像と私を同じとするのか。人が自分に似せて造る偶像と私を言うのかと神は言われる。
-イザヤ46:5-7「お前たちは私を誰に似せ、誰に等しくしようとするのか。誰に私をなぞらえ、似せようというのか。袋の金を注ぎ出し、銀を秤で量る者は、鋳物師を雇って神を造らせ、これにひれ伏して拝む。彼らはそれを肩に担ぎ、背負って行き、据え付ければそれは立つが、そこから動くことはできない。それに助けを求めて叫んでも答えず、悩みから救ってはくれない」。
・しかし私はそのようなものではない。私は天地を創造し、人々を動かして歴史を形成する。私の業を見よ、私は東からペルシア王キュロスを呼び起こし、私の計画を遂行させる。私こそ神、あなたを造り、あなたを救うものだ。
-イザヤ46:8-11「背く者よ、反省せよ、思い起こし、力を出せ。思い起こせ、初めからのことを。私は神、ほかにはいない。私は神であり、私のような者はいない。私は初めから既に、先のことを告げ、まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。私の計画は必ず成り、私は望むことをすべて実行する。東から猛禽を呼び出し、遠い国から私の計画に従う者を呼ぶ。私は語ったことを必ず実現させ、形づくったことを必ず完成させる」。
・あなたたちがそれを信じなくとも私は行う。その時、あなたたちは私が主であることを知るだろう。
-イザヤ46:12-13「私に聞け、心のかたくなな者よ、恵みの業から遠く離れている者よ。私の恵みの業を、私は近く成し遂げる・・・私は遅れることなく救いをもたらす。私はシオンに救いを、イスラエルに私の輝きを与える」。
・日本人の宗教心は、名を知らぬ神への帰依だ。西行法師は伊勢で歌った「なにごとのおわしますかはしらねども、かたじけなさに涙こぼるる」。これはギリシャ人の信仰「知られざる神」に近い(使徒言行録17章)。人間の限界を知り、超越者を求めるが、その名を知らない。イザヤはそれに対して、「私こそ神」と主は言われたと繰り返す。

2.バビロン滅亡の預言 (47章)

・第二イザヤは46章でバビロンの神々への審判を歌い、47章では擬人化された都バビロンへの審判を歌う。アッシリアを倒して世界帝国となったバビロニアも、国運が衰退し滅亡の危機に直面している。この様を第二イザヤは、優雅で贅沢な生活を過ごしていた娘が女奴隷となり、屈辱的な姿で追放されると表現する。
-イザヤ47:1-3「身を低くして塵の中に座れ、おとめである、娘バビロンよ。王座を離れ、地に座れ、娘カルデアよ。柔らかでぜいたくな娘と呼ばれることは二度とない。石臼を取って粉をひけ。ベールを脱ぎ、衣の裾をたくし上げ、すねをあらわにして川を渡れ。お前は裸にされ、恥はあらわになる。私は報復し、一人も容赦しない」。
・バビロン滅亡を歌った記事はイザヤ13-14章、エレミヤ50-51章にもある。おそらくは同時代のものであるが、それらはいずれも民族的な憎悪と復讐が強く出ている。それに対してイザヤ47章はイスラエル民族の覚醒を求めるための呼びかけであり、復讐よりも、神ならぬものを頼る空しさが強く打ち出されている。
-イザヤ47:4「私たちの贖い主、その御名は万軍の主、イスラエルの聖なる神」。
・黙示録は世界審判のしるしとしてバビロン滅亡を描く。バビロン滅亡は神の業だとの第二イザヤの信仰は新約聖書にも継承されている。黙示録18章の記述はイザヤ47章を参考にしている。
-ヨハネ黙示録18:2-8「倒れた。大バビロンが倒れた・・・彼女がおごり高ぶって、ぜいたくに暮らしていたのと、同じだけの苦しみと悲しみを、彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『私は、女王の座に着いており、やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない』。それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、力ある主だからである。」
・バビロンは何故滅ぼされるのか。第一に主によってバビロンに渡されたイスラエルの民を虐待したこと、第二にバビロンの繁栄が主からの恵みであったのに、あたかも自分でこれを為したと驕り高ぶったことである。
-イザヤ47:5-7「沈黙して座り、闇の中に入れ、娘カルデアよ。諸国の女王と呼ばれることは二度とない。私は自分の民に対して怒り、私の嗣業の民を汚し、お前の手に渡した。お前は彼らに憐れみをかけず、老人にも軛を負わせ、甚だしく重くした。私は永遠に女王だ、とお前は言い、何事も心に留めず、終わりの事を思わなかった」。
・歴史は覇者がその栄光を持続することは出来ないことを教える。「奢れる者は久しからず」、そこに神の意思を認めるかどうかが信仰だ。バビロンは嘯いた「私は永遠に女王であり、子を失い、やもめになることはない」と。主はその傲慢を砕かれる。
-イザヤ47:8-10「今、これを聞くがよい、快楽に浸り、安んじて座る女よ。私だけ、私のほかにはだれもいない、と言い、私はやもめになることなく、子を失うこともない、と心に言う者よ。その二つのことが、一日のうちに、瞬く間にお前に起こり、子を失いやもめとなる苦しみがすべてお前に臨む」。
・バビロンでは祭司は神々に犠牲を捧げてこれをなだめ、占い師は天体の動きを見て神意を探り、これを告げる。しかし破滅に瀕した今、それらの魔術や占いは、お前たちを救えず、何の役にも立たないではないかとイザヤは言う。
-イザヤ47:11-12「だが、災いがお前を襲うと、それに対するまじないを知らず、災難がふりかかっても、払いのけられない。思いもかけない時、突然、破滅がお前を襲う。まじないと呪文の数々をもって立ち向かえ。若い時から労して身につけたものが、あるいは役に立ち、それを追い払うことができるかもしれない」。
・魔術師はこうすべきだと言い、占い師は別のことを言い、人々は困惑している。天地を創造された方の御心を占いで知り、魔術で変えられると本当に思っているのか、愚か者たちよとイザヤは嘲笑する。マタイ2:1-2でイエスを訪ねた三人の占星術師はバビロンから来た。魔術師が御子を拝んだ、この出来事をマタイは回心の記事として描く。
-イザヤ47:13-15「助言が多すぎて、お前は弱ってしまった。天にしるしを見る者、星によって占う者、新月によってお前の運命を告げる者などを、立ち向かわせ、お前を救わせてみよ。見よ、彼らは藁にすぎず、火が彼らを焼き尽くし、炎の力から自分の命を救い出しえない・・・彼らはおのおの勝手に迷って行き、お前を救う者は一人もいない」。
・半世紀にわたる捕囚の中で民は主に対する信仰を失い、異教の神々に魅せられていった。しかし、その神々は他人はおろか自分さえも救えない。何故このような神々に頼るのか、天地を創造された主に帰れとイザヤは歌っている。
-詩篇121:1「目を上げて、私は山々を仰ぐ。私の助けはどこから来るのか。私の助けは来る、天地を造られた主のもとから」

3.第一部の締めくくりの歌 (イザヤ48章)

・第二イザヤは40−48章がバビロンからの解放預言、49−55章が祖国帰還の預言だ。48章は第一部の締めくくりであり、前半は解放預言の再確認、後半は祖国帰還が予告される。48章冒頭は、主との関係の中に置かれながら真実を持って応答しない民に、「聞け、イスラエル」と叱責の預言が為される。
−イザヤ48:1-2「ヤコブの家よ、これを聞け。ユダの水に源を発し、イスラエルの名をもって呼ばれる者よ。まこともなく、恵みの業をすることもないのに、主の名をもって誓い、イスラエルの神の名を唱える者よ。聖なる都に属する者と称され、その御名を万軍の主と呼ぶイスラエルの神に依りすがる者よ」。
・「この民は頑なであった」と主は言われる。多くの恵みを受けながら、捕囚と言う逆境になればすぐに主を忘れ、偶像の神に走る。イスラエルがその選びに値しない民であることは繰り返し預言されてきた(申命記31:16-21)。
−イザヤ48:3-5「初めからのことを私は既に告げてきた。私の口から出た事を私は知らせた・・・お前が頑固で、鉄の首筋をもち、青銅の額をもつことを知っているから。私はお前に昔から知らせ、事が起こる前に告げておいた。これらのことを起こしたのは、私の偶像だ、これを命じたのは、私の木像と鋳像だとお前に言わせないためだ」。
・歴史は一度滅ぼされた国が再び国家を形成することを知らない。しかし、イスラエルにおいてそれは起こる。それはこれまでの歴史が知らない「新しいこと」だ。諸国の民は驚くであろう。
-イザヤ48:6-8「これから起こる新しいことを知らせよう、隠されていたこと、お前の知らぬことを。それは今、創造された。昔にはなかったもの、昨日もなかったこと。それをお前に聞かせたことはない。見よ、私は知っていたとお前に言わせないためだ。お前は聞いたこともなく、知ってもおらず、耳も開かれたことはなかった。お前は裏切りを重ねる者、生まれたときから背く者と呼ばれていることを私は知っていたから」。
・「お前は頑なであるが私はお前を救う。何故ならばお前を選び、民としたのは、私だからだ」と主は言われる。ここに救済は、人がそれに値するからではなく、神の一方的な恵みとして為されることが宣言されている。
-イザヤ48:9-11「私は、私の名のために怒りを抑え、私の栄誉のために耐えて、お前を滅ぼさないようにした。見よ、私は火をもってお前を練るが、銀としてではない。私は苦しみの炉でお前を試みる。私自身のために、私自身のために、私は事を起こす。私の栄光が汚されてよいであろうか。私はそれをほかの者には与えない」。
・バビロンを滅ぼし、民を解放する者は、ペルシア王クロスだ。しかし、ここではクロスの名前を出されていない。クロスもまた主の器に過ぎない。器に過ぎない者がやがて「私は自分の手で為した」と言い始める時、彼もまた砕かれる。
-イザヤ48:14-15「皆、集まって聞くがよい。彼らのうちに、これを告げた者があろうか。主の愛される者が、主の御旨をバビロンに行い、主の御腕となる人が、カルデア人に行うことを。私が宣言し、私が彼を呼んだ。彼を連れて来て、その道を成し遂げさせる」。
・イスラエルを贖われる主は言われる「あなた方が私の戒めを守り、道からそれないならば、私はあなた方を祝福する」と。祝福には物質的な利益が、具体的な幸福が付随することを主は明言される。信仰は報われるのだ。報いのみを求めた時に信仰はゆがむが、信仰は結果としての報い(平安)をもたらすことは銘記すべきだ。
-イザヤ48:17-19「私は主、あなたの神、私はあなたを教えて力をもたせ、あなたを導いて道を行かせる。私の戒めに耳を傾けるなら、あなたの平和は大河のように、恵みは海の波のようになる。あなたの子孫は砂のように、あなたから出る子らは砂の粒のように増え、その名は私の前から断たれることも、滅ぼされることもない」。
・帰国の道が整えられる。さあ、祖国に帰れとイスラエルの民は励まされる。
-イザヤ48:20-22「バビロンを出よ、カルデアを逃げ去るがよい。喜びの声をもって告げ知らせ、地の果てまで響かせ、届かせよ。主は僕ヤコブを贖われた、と言え。主が彼らを導いて乾いた地を行かせるときも彼らは渇くことがない。主は彼らのために岩から水を流れ出させる。岩は裂け、水がほとばしる。神に逆らう者に平和はないと主は言われる」。




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