すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

みんなの証
みんなの証 : 信仰とは何か(2012年4月1日礼拝説教より)
投稿者 : admin 投稿日時: 2012-04-01 08:41:57 (1011 ヒット)

創世記はアブラハムとサラが、神の約束を信じることが出来なかったことを隠しません。人間は、絶望的な状況に置かれた時、それでも約束を信じ続けることはできないのです。アブラハムとサラが「神には出来ないことはない」と信じるに到ったのは、奇跡としか思えない状況の中で子が与えられてからです。人間は本質的に不信仰であり、「神に出来ないことはない」と観念的に信じても、絶望的な状況の中では信じ切ることが出来ません。しかし、信じ切ることの出来ない人間に神の奇跡が与えられ、人は信じる者とされて行きます。獄中のペテロは、自分はやがて殺されるだろうと諦めていました。しかし神は救って下さった。この時、ペテロは「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」であることを知りました。ペテロの救済を祈っていた教会も、祈りながらも本当に実現するとは思っていなかった。しかし実現した。彼らもまた「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する」ことだと知りました。奇跡を目の前に見た時、人は信仰者になるのです。

信仰とは「信じることの出来ない不合理なことを、理性を殺して信じる」ことではありません。「ただ、信ぜよ」というのは本当の信仰ではありません。信仰とは、自分が不信仰であることを知らされ、それでも神は信じることの出来ない人間に恵みを与えられる、それを知ることから始まるのです。人間は「信仰するから救われる」のではなく、「救われたから信じる」のです。


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