すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

みんなの証
みんなの証 : 求める者には与えられるが、求めない者は
投稿者 : admin 投稿日時: 2012-02-24 12:58:09 (1383 ヒット)

・2012年2月19日の礼拝でルカ19章のザアカイ物語を読みました。彼はエリコの徴税人の頭であり、金持ちで社会的地位もありました。しかし人々から嫌われ、冷たい視線の中にさらされていた孤独な人でした。そこにメシアと評判されるイエスが来られます。噂ではイエスの弟子には同じ徴税人仲間のレビがいました。ユダヤ教社会で差別され、疎外されていた徴税人をあえて弟子にするイエスの人柄に彼は心惹かれ、「ぜひ会いたい」と思い、走って先回りし、木に登りました。人々はザアカイのそんな姿を見て笑ったことでしょう。社会的地位も富もある、大の大人が、思いつめたように走り、木に登ったりしたのです。

・しかしイエスはそのザアカイの一途な求めに感動され、その感動がザアカイの家の客になることを決意させます。この決意は摩擦を伴うものでした。徴税人の家の客になることはユダヤ人民衆の批判を受けることだからです。ザアカイはイエスから声をかけられ、びっくりし、また喜びました。誰もが汚いものでも見るような目で彼を見ていました。しかしこの方は違う、自分の家に泊まると言ってくださった。「ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた」。

・このザアカイ物語の前、ルカ18章に盲人バルティマイの癒しの話があります。「イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、『これは、いったい何事ですか』と尋ねた。『ナザレのイエスのお通りだ』と知らせると、彼は『ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください』と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます『ダビデの子よ、私を憐れんでください』と叫び続けた」。人々はこの男を黙らせようとしましたが、彼は必死にイエスに叫び続けます。イエスは彼の必死さを見て、彼に声をかけられます「何をしてほしいのか」。盲人は答えます「主よ、目が見えるようになりたいのです」。イエスが言われます「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」。

・バルティマイ物語とザアカイ物語には共通点があります。共に必死に求め、イエスがそれに答えて下さったという点です。人生の機会は一度しかありません。バルティマイもザアカイも自分の前に来た機会を逃しませんでした。バルティマイは必死に叫んで目を癒されました。救いをもたらしたものは彼の応答でした。ザアカイは必死にイエスを求め、木の上にさえ登りました。そしてイエスから言葉をいただきました。私たちもまたこのイエスに出会いました。その出会いを生かすも殺すも私たちのこれからの応答次第なのです。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」。求めれば与えられます。言い換えれば「求めない者には与えられない」。これは真理です。


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