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みんなの証
みんなの証 : エレミヤ29章と私
投稿者 : admin 投稿日時: 2010-06-19 16:48:13 (2000 ヒット)

今、木曜日の祈祷会でエレミヤ書を読んでいますが、今週の箇所はエレミヤ29章でした。このエレミヤ29章には個人的な思い出があります。以下は前に説教でお話した一部をここに再録させていたただきます。

ある時、聖書の言葉がその人間を捕え、一生を変えてしまう出来事になることが起きる。私にとってエレミヤ29章はそのような言葉である。エレミヤ29章は、バビロンで捕囚になっている人々へ書かれたエレミヤの手紙だ。イスラエルは前597年にバビロニアに国を占領され、主だった人々は捕囚として首都バビロンに連行された。王や貴族、祭司、軍人、技術者等1万人に上る人が捕囚になったと列王記下24章は伝えている。捕囚から4年たった前594年頃にこの手紙は書かれたと言われている。当時、捕囚をめぐっていろいろの動きが出ていた。故国エレサレムにおいては、バビロニアの支配から逃れるためにエジプトに頼って国を救おうという動きが活発化していた。他方、捕囚地バビロンでは、早期に帰還できるのではないかという楽観論と、前途に希望はないという悲観論の双方が対立していた。

その人々に対しエレミヤは手紙を書いた「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。 妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない」(29:5-6)。捕囚はあなた方の罪のために主が与えた鞭である。それは2年や3年で終らず、70年続く。だからその地に家を建て、園に果樹を植えて自立できるようにせよ。また、帰還はあなた方の子や孫の時代になるから、妻をめとり、子を生み、その子たちにも子を生ませ、民を増やして帰還に備えよと。

状況を考えればこの手紙は驚くべき内容を伝えている。捕囚が70年続くということは、手紙の受信人たちは生きて故郷に帰る事はないと言うことだ。人々はそれを呪いと受け取るだろう。捕囚地の人々は、ある者は速やかな祖国帰還を熱狂的に確信し、エルサレムに残った人々と反バビロニアの画策をしていた。他の者は前途を諦め、何の気力もなくなり、絶望的になっていた。その人々にエレミヤは勧める。自分たちの置かれた状況を冷静に見つめよ。あなたたちはすぐには帰れないから、その地で日常生活を営め。絶望や熱狂に陥って、日常与えられた仕事を着実に果たしえないようでは、正しく神を信じているとは言えないではないか。しかしまた捕囚は永遠に続くものではなく、試練の時が終れば祖国に帰ることを主は許される。故にその地で子を設け、子供たちにあなた方の信仰を伝えよ。

私がこの言葉を自分への言葉と受取ったのは、1998年11月のことである。私は大学を卒業して東京に本社を持つ生命保険会社に入社し、大半を東京本社で過ごしてきた。1998年3月、私は福岡支社駐在財務課長への転勤を言い渡された。その当時は本社の財務部で仕事をしており、部下も20人いた。本社の課長から支社駐在への転任は異例であり、明らかな左遷であった。知らされた時は目の前が真っ暗になったことを覚えている。また、子供たちの学校の関係で家族は動けないため、単身で福岡に転任した。赴任後、支社の仕事には身が入らず、東京本社への早期帰還だけを考えていた。教会は福岡教会に行き始めたがなじめず、籍は前の教会に置いたままであった。神学校は東京バプテスト神学校で2年を終えていたが、九州バプテスト神学校に転校した。勉強に熱が入らなかった。福岡は仮の地、やがて東京に帰る時までの短期滞在の地と考えていた。

その時、教会学校の学びを通して、エレミヤ29章に出会った。この言葉を読んだ時、これは今の自分に語られた主の言葉だと思った。東京に帰ることのみ考えて、現在の仕事や学びに上の空だった私に対して、「その地に根を下ろせ、訓練し育てるためにあなたを福岡に送った」と主は言われた。この言葉に接して福岡での生活が変わった。仕事は九州管内企業への財務営業であったが、取引のない地場企業への接触を活発に始めた。教会も福岡教会に転籍し、成人科の教師として毎週の学びのためのテキストを作り始め、大勢の人が出席し始めた。神学校の学びも本格化し、東京では持てなかったような先生たちとの個人的交わりも持てるようになった。福岡に行って最初の1年間は地獄だった。エレミヤ29章に出会った残りの1年間は充実した時であった。そして2年の時が過ぎ、神学校を卒業するという時に、会社がリストラ策として希望退職者を募り始めた。その時まで家族の生活や子供の学資を考えれば牧師になることは考えられなかった。しかし、退職金によって、子供の学資と当面の生活費の目処がつき、会社を辞め、牧師になった。災いとしか思えなかった福岡への転任と会社の業績悪化が牧師になる道を開き、エレミヤ29章がその道を導いた。

エレミヤの手紙は当時の捕囚民には慰めにならなかった。捕囚民はエレミヤの勧めを無視し、祖国に残った人たちと手を組んで、バビロニアに反乱を起こし、その結果、前587年にはエレサレムの町は再度占領され、イスラエルは滅ぼされた。捕囚民が帰還を許されたのはバビロニアが滅ぼされた前538年、最初の捕囚から60年後のことだ。国を滅ぼされ、帰還の道を断たれた民は、神は何故イスラエルを滅ぼされたのかを求めて父祖からの伝承を集め、編集していった。創世記や出エジプト記等のモーセ五書が最終的に編集されたのは、この捕囚期であると言われている。イスラエルの民は捕囚により、ダビデ王家とエルサレム神殿を中心とする民族共同体から、神の言葉、聖書を中心にする信仰共同体に変えられて行った。


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