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みんなの証
みんなの証 : 2018年7月29日聖書教育の学び(創世記21:1-8、サラの笑い)
投稿者 : admin 投稿日時: 2018-07-22 17:31:34 (168 ヒット)

1.創世記17章のサラ

・妻サライも名を変えるように言われる(サライ→サラ)。そしてサラを通して後継ぎを与えると約束されるが、アブラハムはこれを笑う。
―創世記17:15-17「神はアブラハムに言われた『あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。私は彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。私は彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る』。アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った『百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか』」。
・疑うのが当然である。24年間も成就しない約束を信じ、高齢になった老夫婦に子を与えるとの約束を信じることができるだろうか。アブラハムは先に側女ハガルとの間にイシマエルをもうけている。彼を跡継ぎにすると言明するが、神はその子ではないと言われる。
-創世記17:18-19「アブラハムは神に言った『どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように』。神は言われた『いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。私は彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする』」。
・サラもアブラハム同様に神の約束を信じることはできない。
―創世記18:11-12「アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、サラは月のものがとうになくなっていた。サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである」。
・100歳の男と90歳の女からどうして子が生まれよう、冷笑するしかない出来事ではないか。信仰の父と呼ばれるアブラハムでさえ、信じることはできなかった。そのアブラハムを主は用いられる。二人が信じたのは約束が現実になった時である。
-創世記21:1-6「主は、約束された通りサラを顧み、先に語られた通りサラのために行われたので、彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。それは、神が約束されていた時期であった。アブラハムは、サラが産んだ自分の子をイサクと名付け、神が命じられた通り、八日目に、息子イサクに割礼を施した。息子イサクが生まれた時、アブラハムは百歳であった。サラは言った『神は私に笑いをお与えになった。聞く者は皆、私と笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう』」。
・神はアブラハムに言われる「私は全能の神であるゆえに、あなたは全き者となれ」。この全き=ターミームは道徳的な完全ではなく、神を信じることにおいての完全である。アブラハムはこれまでも繰り返し神を疑い、約束を待てず、自分の力で子を持とうとしてきた。そのアブラハムに改名が言い渡され、この日から疑う者、待てない者ではなく、信じて待つ者、神に己を委ねる者になれという意図がそこに込められている。

2.創世記18章のサラ

・三人の旅人がアブラハムの天幕を訪れ、アブラハムはこれを歓待する。過酷な砂漠にすむ遊牧民には、旅人をもてなすのは当然の慣習だった。アブラハムは旅人たちが主の使いであることには気づいていない。
−創世記18:1-5「主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた。目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。アブラハムはすぐに天幕の入り口から走り出て迎え、地にひれ伏して、言った『お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないでください。水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから』。その人たちは言った『では、お言葉どおりにしましょう』」。
・アブラハムは三人にパンを提供し、子牛の料理を用意してもてなした。
−創世記18:6-8「アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った『早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい』。アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させた。アブラハムは、凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べた。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をした」。
・やがて「サラに子供が生まれる」との予告がなされ、その時アブラハムは彼らが主の使いであることがわかった。
―創世記18:9-10「彼らはアブラハムに尋ねた『あなたの妻のサラはどこにいますか』。『はい、天幕の中におります』とアブラハムが答えると、彼らの一人が言った『私は来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう』。サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた」。
・サラはこの予告を聞いて冷笑する。彼女は生理もとっくの昔に終わり、今更アブラハムと性的交わりをする年齢ではない。その自分に子が与えられるはずがない。笑うしかないではないか。
―創世記18:10-12「アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである」。
・主の使いは冷笑するサラを叱咤する「主に不可能なことがあろうか」と。サラは思わず「笑っていません」と弁解する。
―創世記18:13-15「主はアブラハムに言われた『なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、私はここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている』。サラは恐ろしくなり、打ち消して言った『私は笑いませんでした』。主は言われた『いや、あなたは確かに笑った』」。
・ヘブル書の著者は、このときサラは「不可能を可能にする主を信じた」と記述するが正しくない。サラは信じなかったし、アブラハムも信じなかった。「不可能を可能にする」主を信じるためには、私たちはその事実を直接見る必要がある。そして神は私たちに見せて下さる。信仰はそこから始まる。
―ヘブル11:11「信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。」

3.創世記21章のサラ

・長い間約束されていた子が終に生まれた。サラは男の子を生み、アブラハムは子にイサクという名前を与える。イサク(彼は笑う)、高齢のアブラハム夫妻に笑いが与えられた。
−創世記21:1-4「主は、約束された通りサラを顧み、先に語られた通りサラのために行われたので、彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。それは、神が約束されていた時期であった。アブラハムは、サラが産んだ自分の子をイサクと名付け、神が命じられたとおり、八日目に、息子イサクに割礼を施した」。
・サラは不可能を可能にする神を賛美して歌う「神は私に笑いをお与えになった」と。
−創世記21:5-7「息子イサクが生まれた時、アブラハムは百歳であった。サラは言った『神は私に笑いをお与えになった。聞く者は皆、私と笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう』。サラはまた言った『誰がアブラハムに言いえたでしょう、サラは子に乳を含ませるだろうと。しかし私は子を産みました、年老いた夫のために』」。
・イサクが生まれた時、アブラハムは100歳、サラは90歳であったとされる。不可能を可能にする神の業が示された。後代の人々は二人の信仰がそれを可能にしたと二人を讃える。
―ローマ4:18-22「彼は希望するすべもなかった時に、なおも望みを抱いて、信じ、『あなたの子孫はこのようになる』と言われていた通りに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。だからまた、それが彼の義と認められたわけです」。
・しかしパウロの称賛は事実と異なる。創世記のアブラハムは子の誕生を疑ったし、サラも信じなかった。私たちは事実を見つめたうえで神の奇跡を見る必要がある。神は人間の不信にもかかわらず、その業をなさる。
−創世記17:17「アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った『百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか』」。
−創世記18:12「サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである」。


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