すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

みんなの証
みんなの証 : 2017年12月31日聖書教育資料(ルカ2:22-40、イエスの奉献)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-12-24 20:04:41 (58 ヒット)

1.イエスの奉献

・イエスは8日目に割礼を受けられ、ヨシュア(主は救い)と名づけられた。そして清めの期間が過ぎて、神殿に奉げものを捧げるために連れて行かれた。両親が奉げたのは貧者の奉げものとされた鳩であった。
−ルカ2:22−24「モ−セの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎた時、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは、主の律法に『初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される。』と書いてあるからである。また、主の律法に言われている通りに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。』」

2.シメオンの賛歌

・ヨセフとマリアが宮に入った時、預言者シメオンに出会う。老預言者シメオンは「自分はメシアに出会った」と讃歌を歌い始める。このシメオンの賛歌は「ヌンク・ディミティス」(今こそ主よ、僕を去らせたまわん)として、カトリック教会の典礼歌になっている。
−ルカ2:29-32「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」
・しかし賛歌の後半はイエスの十字架を預言する。メシアは信じる者には救いの石であるが、信じないものにはつまずきの石になると彼は預言する。
−ルカ2:33-35「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるからです。」
・むさしの福音ルーテル教会の牧師・大柴譲治師は、この記事を「死を前にした最後の言葉」と語る。
−2006年12月1日週報巻頭言から「クリスマスの出来事は私たちに真の希望とは何かを教える。望みなしに人は片時も生き得ない。人間を最後まで支えるものは神の整えられたこの「救い」であり「啓示の光」であるとシメオンは歌う。神の希望に向かって生き、死の門を越えて行ったキリスト者たちの言葉を思い起こす。「これが最後です。しかしこれが始まりです」(ボンヘッファー)。「ああ、これでオレは安心してジタバタして死んでゆける」(椎名麟三)。「人生は神さまと出会うためにあるのではないでしょうか」(松下容子)。それらは「永遠の今」を讃美する一人ひとりの「ヌンク・ディミティス」だった。」

3.バッハ「カンタータ第82番「我は満ちたれり」

・J.S.バッハはカンタータ第82番「我は満ちたれり」でこの記事を作曲している。ルカ2:29にあるシメオンの「満ち足りて死を思う」言葉をその中心として描いた。そして,その「死」の思いを焦点化し発展させることによって「聖霊の啓示の成就の喜び」という主題を浮き上がらせた。また,その歌詞は祈る「私」たちとも密接に関連づけられ,さらにバッハの圧倒的な表出力を持つ音楽言語によってそのテーマはより具体化され,映像を見るかのような具体性をもって聴衆に訴えかける。
−第1曲「私は満ち足りています、私は救い主を、敬虔な者たちの希望を、待ち望むこの腕に抱きしめたのです。私は満ち足りていすます。私はあのお方を見たのです、私の信仰はイエスをこの胸に抱きしめたのです。今や私の望みは、今日にでも喜びのうちにこの世を去ることです。」
−第2曲「私は満ち足りています。私の慰めはただ一つ、イエスが私のもの、そして 私はイエスのものになりたいのです。信仰において私はイエスを抱き、シメオンと共に、すでにあの世の命の喜びを見ています。さあ、このシメオンと共に歩みましょう。ああ、この肉体の鎖から主が私を救って下さいますように!ああ、この世からの別れが来たら、世よ、喜びをもってお前に言おう、お前はもう沢山だと。
−第3曲「まどろめ、疲れた目よ、おだやかに浄福のうちに閉じるがよい。世よ、私はもはやここにはとどまらない、お前の中には私の取り分はない、魂の益になるような取り分は。まどろめ、疲れた目よ、おだやかに浄福のうちに閉じるがよい。この世で私の建てるものは惨めなものばかり、だが、あそこでは、あそこでは見るだろう、甘い平安と静かな憩いを。まどろめ、疲れた目よ、おだやかに浄福のうちに閉じるがよい。」
−第4曲「私の神よ、その美しい今はいつ来るのですか。私が平安の中で世を去り、冷たい大地の砂の中に入り、そして彼の地であなたの懐に憩う日は。別れの用意はできています。この世よ、おやすみ。」
−第5曲「私は私の死を喜び迎えよう。ああ、今日にでもそうなれば!その日、すべての苦難から私は解放される、この世で私を縛っているすべての苦難から。ああ、今日にでもそうなれば!その日、すべての苦難から私は解放される、この世で私を縛っているすべての苦難から。」 (作詞者不詳)


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