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みんなの証
みんなの証 : 2017年12月2日聖書教育の学び(ルカ福音書1:1-25、洗礼者ヨハネの誕生予告)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-11-26 21:37:45 (20 ヒット)

1.洗礼者ヨハネの誕生が予告される

・洗礼者ヨハネの両親となる祭司ザカリアとエリサベトの夫婦は、子はなく、高齢だった。その彼らに子が与えられるとの告知がなされる。その誕生予告は高齢のアブラハムとサラに対する約束の子の誕生予告(創世記17章、18章)と近似しており、神の介入による神的誕生が強調されている。
−ルカ1:5-7「ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリザベトと言った。二人とも神の前に正しい人で、主の教えと定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。」
・そのザカリアが、神殿聖所の当番を務めていた時、突然天使が現れた。
−ルカ1:8-12「ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていた時、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が外で祈っていた。すると主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。」
・天使は語る「あなたの妻エリサベトが男の子を産む」。ザカリアは妻が高齢で赴任であったため、信じることができない。17節はマラキ書からの引用である。旧約で預言された出来事の成就がここで示される。
−ルカ1:13-17「天使は言った。『恐れることない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人となり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいる時から聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとへ立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。』」

2.父ザカリアに与えられたしるし

・信仰は口によって言い表される。従って信じない者は口がきけなくなる。天使ガブリエルは旧約ではダニエル書のみに現れる。ルカはダニエルに将来を見通す預言が与えられたように、ザカリアに未来を告げる預言者が子として与えられることを暗示する。
−ルカ1:18-21「そこで、ザカリアは天使に言った。『何によって私はそれを知ることができるのでしょうか。私は老人ですし、妻も年をとっています。』天使は答えた。『私はガブリエル、神の前に立つ者、あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、このことが起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現する私の言葉を信じなかったからである。』民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを不思議に思っていた。」
・ザカリアは聖所から、口が利けない状態で戻ってきた。しかし預言通り、高齢のエリサベトが懐妊する。
−ルカ1:22-25「ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口がきけないままだった。やがて務めの期間が終わって自分の家へ帰った。その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そしてこう言った。『主は今こそ、こうして、私に目を留め、人々の間から私の恥を取り去ってくださいました。』」
・この物語はルカ福音書のみにあるが、歴史的事実に基づくのだろうか。多くの聖書学者はこの話は洗礼者ヨハネの預言者としての誕生を象徴するルカの創作と理解している。
-岸本羊一・葬りを超えて「ザカリアとエリサベトの物語は、ルカが創った寓話であって、事実ではありません。つまり起こった出来事そのものではなく、旧約聖書の中の人物たちの姿を幾重にも反映しながら、人間とはこういう者だという仕方でルカが展開したものです。・・・作り話を通してしか伝えられない、事実を超えた真実をルカは伝えているのです」。

3.洗礼者ヨハネの誕生

・エリサベトは生まれた子をヨハネと名付け、夫ザカリアも承認する。これは人々には驚きだった。通常は父親の名前を子につけるのに、二人はそうしなかった。
−ルカ1:57−63「さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜びあった。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、『いいえ、名はヨハネとしなければなりません』と言った・・・父親に『この子に何という名をつけたいか』と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、『この子の名はヨハネ』と書いたので、人々は皆驚いた。」
・やがてザカリアの舌がゆるみ、神を賛美し始めたので、近隣の人々は驚き、目に見えぬ大きな力の働きを感じ恐れた。子の名前「ヨハネ」は、「主は恵み深い」である。子供の名は親の期待と祈りを表すものだが、ヨハネの名はすでに神の恩寵を表していた。
−ルカ1:64−66「すると、ザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、『いったい。この子はどんな人になるのだろうか』と言った。この子には主の力が及んでいたのである。」
・ザカリアはヨハネの誕生を祝って歌う。「ベネディクトス」と呼ばれる賛歌である。ザカリアは神が「救いの角」を用いてイスラエルを救うと預言した。この「救いの角」はヨハネではなく、イエスである。ザカリアはヨハネ賛歌ではなく、イエス賛歌を歌っている。
−ルカ1:67−70「父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。『ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。昔から聖なる預言者の口を通して語られた通りに。』」
・イスラエルは周囲を敵に囲まれた国で、敵からの解放は民族の悲願であった。
−ルカ1:71−75「それは、我らの敵、すべて我らを憎む者からの救い。主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていて下さる。これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、生涯、主の前に清く正しく。」
・ザカリアは、幼子ヨハネを「主に先だって行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせる者」と預言した。「ヨハネではなくイエスこそメシアである」とのルカの宣言がここにある。
−ルカ1:76−80「『幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先だって行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを、知らせるからである。これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所から曙の光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。』幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。」
・ヨハネが生まれた頃、人々は神に油注がれたメシア(救済者)が現れるのを待ち望んでいた。彼らはヨハネこそメシアではないかと期待したが、ヨハネは「自分はメシアを導くための先導者だ」と語った。
−ルカ3:15−17「民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。『私はあなたたちに水でバプテスマ(洗礼)を授けるが、私よりも優れた方が来られる。私はその方の靴のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちにバプテマ(洗礼)をお授けになる。そして手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。』」
・マリアとエリサベトが会った時、エリサベトの胎内の子が「喜んで躍った」とルカは記す。ルカは成人した後のイエスと洗礼者ヨハネの関係が、このマリアとエリサベトの会話の中に先取りされていると理解している。しかし、これは伝承であり、実際はイエスとヨハネは旧知の間柄ではなかったと思われる。
−ルカ7:18-19「ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、主のもとに送り、こう言わせた『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』」。
・おそらくはヨハネ福音書の伝えるように、洗礼者ヨハネが神の国運動を始めた時、イエスはヨハネの許に行って洗礼を受け、そこからイエスの宣教活動が始まったのであろう。洗礼者ヨハネは「イエスを教育し、世に送り出す」ための役割を果たした。
−ヨハネ1:32-34「私はこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるために私をお遣わしになった方が、“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人であると私に言われた。私はそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」


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