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みんなの証
みんなの証 : 2017年9月3日聖書教育の学び(2006年6月7日祈祷会、士師記1-2章、約束の地での苦難)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-08-27 22:04:47 (74 ヒット)

2017年9月3日聖書教育の学び(2006年6月7日祈祷会、士師記1-2章、約束の地での苦難)

1.カナン定着の困難

・ヨシュアに率いられたイスラエルの民はカナンに侵攻した。ヨシュア記は「全地域はイスラエルに与えられた」(11:23)と記述するが、実際は拠点のみの征服であり、本来の土地取得はこれから始まる。
−士師記1:1「ヨシュアの死後、イスラエルの人々は主に問うて言った『私たちのうち、誰が最初に上って行って、カナン人を攻撃すべきでしょうか』」。
・1章は士師記の序論であり、ユダ、エフライム、北方部族の土地取得が語られる。ユダは主が共におられたので、山地を征服した。しかし、平地は敵が強大ゆえに征服できなかった。主が共におられても戦車を持つ敵は打ち破れない。士師記は強大な敵に立ち向かう勇気がユダにはなかったことを暗示する。
−士師記1:19「主がユダと共におられたので、ユダは山地を獲得した。だが、平野の住民は鉄の戦車を持っていたので、これを追い出すことはできなかった」。
・ヨセフ族は一丸となった時は敵を破ったが、部族に分かれた時はめぼしい成果はなかった。ユダと同じく、信仰の確信がなかった故であろう。「神にできないことはない」、言うは易いが、実践は難しい。
−士師記1:22-29「ヨセフの一族も同様にベテルに上った。主は彼らと共におられた。・・・彼らは町を剣で討った・・・マナセは、ベト・シェアンとその周辺の村落、タナクとその周辺の村落、ドルの住民とその周辺の村落、イブレアムの住民とその周辺の村落、メギドの住民とその周辺の村落を占領しなかった。・・・エフライムは、ゲゼルに住むカナン人を追い出さなかったので、カナン人はその中にとどまり、ゲゼルに住み続けた」。
・北方に向かった部族は成果を挙げられなかった。「彼らはカナン人の中に住み続けた」という表現は土地の占領がほとんど成されなかったことを暗示する。
−士師記1:31-34「アシェルはこれらの地の住民であるカナン人を追い出さず、彼らの中に住み続けた。ナフタリは、・・・その地の住民であるカナン人の中に住み続けた。・・・アモリ人はダンの人々を山地に追い込み、平野に下りて来ることを許さなかった」。

2.約束の地は完全には与えられなかった

・イスラエルは約束の地カナンに入ったが、全ての土地は与えられず、先住民がその地に残った。それは歴史的には占領地の支配が難航したことを示すが、信仰的にはイスラエルに、目に見えるとげ、罠が与えられたことだ。
―士師記2:1-3「私はあなたたちをエジプトから導き上り、・・・先祖に与えると誓った土地に入らせ、こう告げた。私はあなたたちと交わした私の契約を、決して破棄しない、あなたたちもこの地の住民と契約を結んではならない・・・と。しかしあなたたちは、私の声に聞き従わなかった。・・・私は彼らを追い払って、あなたたちの前から去らせることはしない。彼らはあなたたちと隣り合わせとなり、彼らの神々はあなたたちの罠となろう」。
・荒野の民は苛酷な状況の中で主に従ってきた。しかし、肥沃な地に入れば、厳しい労苦は不要になり、民は安易に偶像礼拝に走る。ヨシュアの世代がいるうちは、民は主に仕えた。しかし、世代が変わると民は主を捨ててバアルの神に走った。
―士師記2:7-11「主がイスラエルに行われた大いなる御業をことごとく見た長老たちの存命中、民は主に仕えた。・・・その世代が皆絶えて先祖のもとに集められると、主を知らず、主がイスラエルに行われた御業も知らない別の世代が興った。イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなった」。
・カナンで信仰されていたバアルは雷,稲妻,雨を支配し、豊かな収穫を与えると信じられ、妻のアシュタロテは豊穰の女神である。農耕生活に移った民にとって、バアル崇拝は大きな誘惑だった。
―士師記2:12-13「彼らは自分たちをエジプトの地から導き出した先祖の神、主を捨て、他の神々、周囲の国の神々に従い、これにひれ伏して、主を怒らせた。彼らは主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えた」。
・偶像崇拝は先住民との婚姻を通してイスラエルの中に入ってきた。それは前にも起こったことだった。
―民数記25:1-3「イスラエルがシティムに滞在していたとき、民はモアブの娘たちに従って背信の行為をし始めた。娘たちは自分たちの神々に犠牲をささげるときに民を招き、民はその食事に加わって娘たちの神々を拝んだ。イスラエルはこうして、ペオルのバアルを慕ったので、主はイスラエルに対して憤られた」。

3.豊かな地における砕き

・主を裏切った民に対する措置は、敵の手に民を放置することだった。
―士師記2:14-15「主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らを略奪者の手に任せて、略奪されるがままにし、周りの敵の手に売り渡された。彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。出陣するごとに、主が告げて彼らに誓われたとおり、主の御手が彼らに立ち向かい、災いをくだされた。彼らは苦境に立たされた」。
・民は苦難に陥ると主の名を呼び、主は士師を送られる。しかし、士師が死ぬとまた同じ堕落を犯す。
―士師記2:18-19「主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、主が哀れに思われたからである。その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった」。
・主は言われた「イスラエルを試すために、私は異邦人を彼らの中に置く」。
―士師記2:20-22「主はイスラエルに対して怒りに燃え、こう言われた『この民は私が先祖に命じた私の契約を破り、私の声に耳を傾けなかったので、ヨシュアが死んだ時に残した諸国の民を、私はもうこれ以上一人も追い払わないことにする。彼らによってイスラエルを試し、先祖が歩み続けたように主の道を歩み続けるかどうか見る』」。
・最大の裁きは人が罪の中に放置されることだ。しかし、主はそうなさらない。民を愛しておられるからだ。主は、人を悔い改めに導くために、私たちに試練を与え、試練を通して、救いの道を開かれる。
―申命記8:2-5「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。・・・四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい」。
―ヘブル12:4-12「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。・・・わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。・・・鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい」。


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