すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

みんなの証
みんなの証 : 2017年6月25日聖書教育の学び(2014年8月3日説教、ローマ15:22-33,万事が益となるように働かれる神)
投稿者 : admin 投稿日時: 2017-06-19 09:47:33 (131 ヒット)

1.パウロのお別れの言葉

・ローマ書を読み進めています。これまで1章から14章まで読んできました。手紙はいよいよ最後の段落に来ました。ローマ書は15:22以下が結びの挨拶となり、パウロがどのような思いでこの手紙を書いたのか、これからどのような希望を持っているかが、そこに述べられています。パウロはローマに行って人々に福音を伝えたいと思っていましたが、今までは各地の伝道に忙しく、その時間が取れませんでした。彼は記します「こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います」(15:22-24)。
・パウロはシリアのアンティオキア教会を拠点に、三度の伝道旅行を行い、「エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました」(15:19)。イリリコン州はイタリア半島の対岸、バルカン半島の地です。ローマ帝国の東半分の主要な地にはあまねく伝道したので、これからはローマに行き、さらにその先のイスパニアまで行きたいとパウロは世界伝道の夢を語っています。
・しかし今、彼はエルサレムに帰る必要がありました。異邦人教会から集められた献金をエルサレム教会に届ける必要があったからです。「しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます。マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助することに喜んで同意したからです」(15:25-26)。福音はエルサレムから始まり、ローマ帝国の各地に広がっていきました。パウロや他の使徒たちの働きによるものです。しかし、異邦世界に広がっていった福音はもはやユダヤ教という狭い枠を抜けだした新しい教えになっていました。そのため、まだユダヤ教に強く影響されていたエルサレム教会の人々は、ユダヤ教の中核である「律法からの自由」を唱え、「割礼も不要だ」というパウロの教えに反感を持っていました。エルサレム教会ではまだ「割礼なしに救いはない」と信じる人々が多数派だったのです。このままではエルサレム教会と異邦人教会は分裂すると危惧したパウロは、両教会の和解のために異邦人教会から献金を募り、それをエルサレム教会に捧げようと計画していたのです。その間の事情が27節以降にあります「彼ら(異邦人信徒)は喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。それで、私はこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます」(15:27-28)。
・しかしパウロがエルサレムに戻ることは命の危険がありました。何故ならばパウロは熱心なユダヤ教徒でしたが、復活のイエスに出会ってキリスト教に回心しており、ユダヤ教徒から見れば「裏切者」として命を狙われており、またエルサレム教会の保守的キリスト者からは「律法を軽んじる異端者」として排斥されていたからです。使徒行伝によりますと、エルサレムに向う途中でパウロはエペソ教会の人々に会いますが、その時、身の危険を感じていることを人々に告げます「今、私は、"霊"に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(使徒20:22-23)。しかし彼はそれでもエルサレムに行きます。果たすべき仕事があるからです。パウロは語ります「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません」(使徒20:24)。
・パウロは今ローマの人々への手紙を締めくくるに当たり、ローマの信徒たちに祈ってほしいと伝えます「兄弟たち、私たちの主イエス・キリストによって、また、"霊"が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、私のために、私と一緒に神に熱心に祈ってください、私がユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対する私の奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように」(15:30-31)。

2.それからのパウロに起きた出来事

・パウロは今、エルサレムに向かおうとしています。そのエルサレムでは、「投獄と苦難」が待っていると懸念されます。それでも彼はエルサレムに向かいます。ちょうど、イエスがエレサレムで死が待っていることを承知の上でエルサレムに行かれ、十字架にかかられて死なれたように、です。十字架上でイエスは神に訴えられます「わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)。イエスは絶望の内に死なれましたが、神はその絶望の叫びを聞いてイエスを「起された」(復活させられた)。パウロはイエスと同じ運命が自分を待っているかもしれないと危惧していました。
・パウロはエルサレムに行き、懸念したようにユダヤ教の過激派の人々に襲われ、投獄され、2年間カイザリアの牢獄に幽閉されます。エルサレム教会はパウロの助命のために何の努力もしませんでした。二年間の長い、失望の時が流れました。しかしパウロはあきらめません。彼は獄中からローマ皇帝に上訴し、裁判を受けるためにローマへ移送されます。その結果、パウロは夢にまで見たローマに行きます。使徒言行録は記します「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」(使徒28:30-31)。
・パウロが夢見た出来事が、逮捕・監禁という苦難を通して、実現したのです。これが神の御業、人間には計り知ることの出来ない神の摂理です。神は時に私たちを危険や苦難から救出するのではなく、危険や苦難を通して、その業を実現させられます。箴言は語ります「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」(箴言16:9)。人間は計画し、神が導かれる。従って人間の計画通りには物事は進まない。しかしその結果を見て人は驚嘆する「神の御業は素晴らしい」と。パウロの生涯を見るとまさにその通りだと思えます。

3.万事が益となるように共に働かれる神

・今日の招詞にローマ8:28を選びました。次のような言葉です「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています」。パウロは多くの論敵との戦いの中で伝道を進めました。パウロが開拓伝道したガラテヤ教会は「割礼を受けなければ救われない」と主張するユダヤ主義者の影響の中で、パウロから与えられた福音を捨てました(ガラテヤ5:13-15)。コリントの教会の中にもパウロではなく、ペテロこそが本当の使徒であり(1コリント1:12)、パウロは「手紙では重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と非難する人も出ています(2コリント10:10)。パウロの伝道活動は失望の連続だったのです。しかしパウロは希望を捨てません。自分の業は神の御心に沿っていることを信じていたからです。彼は「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように神が共に働く」ことを信じていました。
・パウロはローマに行った2年後、紀元62年ごろ、ローマで殉教したと言われています。人間的に見れば無念の死です。しかし、信仰的に見れば、栄光の生涯です。人にとって最も大事なものは何でしょうか。事業の成功でしょうか。華々しい成功をおさめることでしょうか。生前のパウロは現在のような「大使徒」との評価を受けていませんでした。パウロの評価が高まったのは、紀元70年にエルサレムがローマにより破壊され、それに伴いエルサレム教会が消滅した後です。エルサレム教会消滅後、教会の主力はコリントやローマ等の異邦人教会となり、異邦人伝道に尽くしたパウロの評価が高まってからです。多くの偉人の生涯も似ているように思います。画家のヴァン・ゴッホの評価が高まったのは彼の死後で、生前に売れたゴッホの絵は1枚だけだと言われています。その値段は400フラン(4万円)、いま彼の絵は数十億円で取引されています。
・人の生涯の意味を何なのでしょうか。他者評価ではありません。イザヤは語りました「私は思った、私はいたずらに骨折り、うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、私を裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのも私の神である」(イザヤ49:4)。この御言葉と同じ心境を歌った「無名戦士の詩」が残されています。次のような言葉です「大きなことを成し遂げる為に、強さを求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった 。偉大なことをできるようにと健康を求めたのに、より良きことをするようにと病気を賜った。幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。世の人々の賞賛を得ようと成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった 。人生を楽しむためにあらゆるものを求めたのに、あらゆるものを慈しむために人生を賜った 。求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた 。私はもっとも豊かに祝福されたのだ」(加藤諦三著「無名兵士の言葉」より)。
・この詩は、南北戦争に従軍した南軍の兵士がつくったものであろうと言われています。この無名兵士の詩が広く人びとに知られるようになったのは、1950年代、元大統領候補だったA.スティーブンソンがクリスマスカードに記したことがきっかけです。彼は1952年と1956年の大統領戦に民主党候補として出馬しましたが、二度とも、アイゼンハワー大統領に敗北します。失意のさなかに、彼は田舎の教会でこの詩をみつけ、深い感銘を受け、それをクリスマスカードに記し、その贈られたカードを見て、多くの人が口ずさむようになりました。「人生を楽しむためにあらゆるものを求めたのに、あらゆるものを慈しむために人生を賜った 。求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた 。私はもっとも豊かに祝福されたのだ」。聖書は私たちに「幸福な人生」を約束しません。しかし「意味ある人生」を約束します。人の評価ではなく、神の評価を求める生き方です。神の前に富むとはそのような人生ではないでしょうか。時なのです。


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