すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2017-09-17 21:01:00 (9 ヒット)

1.主の戦いからギデオンの戦いへ

・ミディアン軍を破ったギデオンは、ヨルダン川を越えて、追跡していく。ギデオンはガド族の町スコトの人々に支援を求めたが、人々は拒否する。
―士師記8:4-6「ギデオンはヨルダン川に着き、彼の率いる三百人と共に川を渡った。疲れきっていたが、彼らはなお追撃した。彼はスコトの人々に言った『私に従ってきた民にパンを恵んでいただきたい。彼らは疲れきっている。私はミディアンの王ゼバとツァルムナを追っているところだ』。しかし、スコトの指導者たちは『私たちがあなたの軍隊にパンを与えなければならないと言うからには、ゼバとツァルムナの手首を既に捕らえているのか』と言った」。
・スコトの町は長い間ミディアン人の支配下にあった。彼らはギデオンの貧弱な兵を見て、勝利を危ぶんだ。ギデオンは協力を拒んだスコトを呪って先を急ぐ。ペヌエルの町も同じように協力を断り、ギデオンは報復を誓う。
―士師記8:8-9「彼はそこからペヌエルに上って、同じことを要求したが、ペヌエルの人々もスコトの人々と同様の答えをした。そこで彼は、ペヌエルの人々にもこう言った『私が無事に帰って来たなら、この塔を倒す』」。
・ミディアン軍はヨルダン川東岸の奥深くまで逃げていたが、ギデオン軍が攻め、ついには王も捕らえられた。
―士師記8:10-12「ゼバとツァルムナは、約一万五千の軍勢を率いてカルコルにいた。すべて東方の諸民族の全軍勢の敗残兵であった。剣を携えた兵士十二万が、既に戦死していた。ギデオンは、ノバとヨグボハの東の天幕に住む人々の道を上って、敵の陣営を攻撃した。陣営は安心しきっていた。ゼバとツァルムナは逃げたが、彼はその後を追った。彼はこの二人のミディアンの王ゼバとツァルムナを捕らえ、その全陣営を混乱に陥れた」。
・敵を制圧したギデオンは、スコトとベヌエルの人々を殺した。これは主が命じられた戦いではなかった。6-7章の主語は「主」であったが、8章の主語は「ギデオン」である。戦いの性格が変わり始めている。
―士師記8:16-17「ギデオンは町の長老たちを捕らえ、荒れ野の茨ととげをもってスコトの人々に思い知らせた。またペヌエルの塔を倒し、町の人々を殺した」。

2.個人崇拝に陥った晩年のギデオン

・人々はギデオンに王になって自分たちを治めてほしいと要請するが、ギデオンはこれを断る。
―士師記8:22-23「イスラエルの人はギデオンに言った『ミディアン人の手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください』。ギデオンは彼らに答えた。『私はあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる』」。
・イスラエルを治められるのは主だ。主は王を求める人々に「あなた方は私を拒否している」言われている。
―汽汽爛┘8:7「主はサムエルに言われた『民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上に私が王として君臨することを退けているのだ』」。
・ギデオンは本当に主の支配を求めていたのか。戦利品の金を求めるギデオンの態度はそれを疑わせる。
―士師記8:24-26「ギデオンは更に、彼らに言った『あなたたちにお願いしたいことがある。各自戦利品として手に入れた耳輪を私に渡して欲しい』。敵はイシュマエル人であったから金の耳輪をつけていた。人々は『喜んで差し上げます』と答え、衣を広げて、そこに各自戦利品の耳輪を投げ入れた。彼の求めに応じて集まった金の耳輪の目方は、金千七百シェケルで、そのほかに・・・飾り物があった」。
・集まってきた金は総量20キロにも達した。ギデオンはそれを用いて、大祭司の衣服であるエフォドを作った。王にならなかったが、ギデオンは個人崇拝を求めた。ここからギデオン一族の堕落が始まった。
―士師記8:27「ギデオンはそれを用いてエフォドを作り、自分の町オフラに置いた。すべてのイスラエルが、そこで彼に従って姦淫にふけることになり、それはギデオンとその一族にとって罠となった」。
・ギデオンは王になることを辞退したが、実際には「王のような生活」をむさぼった。晩年のおごりが息子アビメレク(訳すると「わが父は王」)の暴挙(兄弟を殺して王になっていく、9章参照)を生んでいく。
―士師記8:29-31「ヨアシュの子エルバアルは、自分の家に帰って住んだ。ギデオンには多くの妻がいたので、その腰から出た息子は七十人を数えた。シケムにいた側女も一人の息子を産み彼はその子をアビメレクと名付けた」。
・人は成功すれば驕り、やがては自分が正しいと思うことをし始める。そこに世の乱れが生じてくる。士師記が教えるのは、主の言葉で戦った人もやがては堕落する事だ。信仰は主の名を呼び続けない限り、堕落していく。
―士師記21:25「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」。

3.ギデオンの子アビメレクの罪

・イスラエルをミディアンから救ったギデオンは、王になってほしいという民の要請を断る。その行為は表面上は謙遜であるが、事実上彼は王の生活を行い、生まれた子にアビメレク(父は王)と名づける。
―士師記8:29-31「ヨアシュの子エルバアルは自分の家に帰って住んだ。ギデオンには多くの妻がいたので、その腰から出た息子は七十人を数えた。シケムにいた側女も一人の息子を産み、彼はその子をアビメレクと名付けた」。
・そのギデオンの高慢が罪を生む。ギデオンが死ぬと子のアビメレクは母方のシケムに行き、「王として立つので支援して欲しい」と要請し、シケムの一族はそれを受け入れる。
―士師記9:1-3「エルバアルの子アビメレクはシケムに来て、母方のおじたちに会い、彼らと母の家族が属する一族全員とにこう言った『シケムの全ての首長にこう言い聞かせてください。あなたたちにとって、エルバアルの息子七十人全部に治められるのと、一人の息子に治められるのと、どちらが得か。但し私が、あなたたちの骨であり肉だということを心に留めよ』。母方のおじたちは、彼に代わってこれらの言葉をことごとくシケムのすべての首長に告げた。彼らは『これは我々の身内だ』と思い、その心はアビメレクに傾いた」。
・ギデオンは王になることは神の主権を侵すことだと拒否した。息子のアビメレクは王になるために兄弟を殺す。しかし、罪の根源は父ギデオンにある。
―士師記9:4-5「彼らがバアル・ベリトの神殿から銀七十をとってアビメレクに渡すと、彼はそれで命知らずのならず者を数名雇い入れ、自分に従わせた。彼はオフラにある父の家に来て、自分の兄弟であるエルバアルの子七十人を一つの石の上で殺した。末の子ヨタムだけは身を隠して生き延びた」。
・彼を支援したのはカナン人であるシケム族、資金は偶像神の神殿から出た。彼はその資金で親衛隊を雇い、兄弟を殺して王位につく。彼の生き方は「自分で正しいと思うことをする」、彼はレメクの末裔である。
―創世記4:23-24「レメクは妻に言った『アダとツィラよ、わが声を聞け。レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。私は傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七十七倍』」。
・王とは神の委託を受けて民を統治するものであり、彼は最初から王の資格を欠いていた。神の召命を受けずに自分の力でなった王位は、神により剥奪される。
―士師記9:23-24「神はアビメレクとシケムの首長の間に、険悪な空気を送り込まれたので、シケムの首長たちはアビメレクを裏切ることになった。こうしてエルバアルの七十人の息子に対する不法がそのままにされず、七十人を殺した兄弟アビメレクと、それに手を貸したシケムの首長たちの上に、血の報復が果たされることになる」。

4.アビメレクの最後

・アビメレクは反抗するシケム族を攻め滅ぼす。シケムで、ミグダル・シケムで、多くの民が死ぬ。
―士師記9:45-49「アビメレクは、その日一日中、その町と戦い、これを制圧し、町にいた民を殺し、町を破壊し、塩をまいた。・・・ミグダル・シケムの人々、男女合わせて約千人が皆、こうして死んだ」。
・別のシケム族の町テベツを攻めた時、女の投げた碾き臼が彼の頭を直撃し、彼は死んだ。
―士師記9:52-53「アビメレクはその塔のところまで来て、これを攻撃した。塔の入り口に近づき、火を放とうとしたとき、一人の女がアビメレクの頭を目がけて、挽き臼の上石を放ち、頭蓋骨を砕いた」。
・この物語は、歴史は誰が支配しておられるのか、人間か神かを問いかける。歴史の主体が人であればそこは弱肉強食の力の世界になる。歴史の主体が神であれば、そこにおいては委託と正しさが求められる。
―申命記8:17-18「あなたは『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである」。
・支配者が悪を行い始めた時、私たちはどうするか。士師記は委託されない者の支配は必ず終わることを告げる。
―ローマ12:19-21「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のすること、私が報復すると主は言われると書いてあります』。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる』。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。
・人は自らまいたものを刈り取る。そこに神の正義がある。それに委ねよ。
―ガラテヤ6:7「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-09-10 19:04:41 (21 ヒット)

1.軍勢が3万人から3百人へ

・ギデオンがミディアン人と戦うために諸部族に召集の角笛を吹くと、ギデオンの元に32,000人の人が集まった。敵は13万人を超えていた(8:10)。ギデオンは3万人でも少ないと感じていたが、主はこの3万人を「多すぎるから減らせ」と言われた。3万人が1万人になった。
―士師記7:1-3「エルバアル、つまりギデオンと彼の率いるすべての民は朝早く起き、エン・ハロドのほとりに陣を敷いた。ミディアンの陣営はその北側、平野にあるモレの丘のふもとにあった。主はギデオンに言われた『あなたの率いる民は多すぎるのでミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルは私に向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。それゆえ今、民にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ』。こうして民の中から二万二千人が帰り、一万人が残った」。
・これはギデオンには予想外のことであったろう。国難にあって馳せ参じた人々が簡単にいなくなる。落胆するギデオンに、神はさらに「1万人でも多すぎるから、さらに減らせ」と求められる。
―士師記7:4「主はギデオンに言われた『民はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。そこで、あなたのために彼らをえり分けることにする。あなたと共に行くべきだと私が告げる者はあなたと共に行き、あなたと共に行くべきではないと告げる者は行かせてはならない』」。
・1万人の人が試みに会わせられる。主は水を手ですくった300人だけを残せと言われた。彼らは水を飲みながらも周囲から目を離さなかった。戦う準備が出来ている者だけが残された。
―士師記7:5-7「彼は民を連れて水辺に下った。主はギデオンに言われた『犬のように舌で水をなめる者、すなわち膝をついてかがんで水を飲む者はすべて別にしなさい』。水を手にすくってすすった者の数は三百人であった。他の民は皆膝をついてかがんで水を飲んだ。主はギデオンに言われた『手から水をすすった三百人をもって、私はあなたたちを救い、ミディアン人をあなたの手に渡そう。他の民はそれぞれ自分の所に帰しなさい』」。

2.ギデオンの奇襲作戦

・ギデオンは不安だった。ゆえにギデオンは、「すぐに下れ」という主の命令には従わない。しかし、敵を視察してみよとの命令には従い、敵陣に忍び寄る。彼が見出したものは、ギデオンを恐れる敵の姿だった。
―士師記7:9-14「その夜、主は彼に言われた『起きて敵陣に下って行け。私は彼らをあなたの手に渡す。もし下って行くのが恐ろしいなら、従者プラを連れて敵陣に下り、彼らが何を話し合っているかを聞け。そうすればあなたの手に力が加わり、敵陣の中に下って行くことが出来る』。・・・ギデオンが来てみると、一人の男が仲間に夢の話をしていた『私は夢を見た。大麦の丸いパンがミディアンの陣営に転がり込み、天幕まで達して一撃を与え、これを倒し、ひっくり返した。こうして天幕は倒れてしまった』。仲間は答えた『それは、イスラエルの者ヨアシュの子ギデオンの剣にちがいない。神は、ミディアン人とその陣営を、すべて彼の手に渡されたのだ』」。
・パンが天幕を倒す、農耕の民イスラエルが遊牧の民ミディアンを倒すとの意味であろう。ギデオンは勝利を確信し、敵陣に夜襲をかけ、敵は総崩れになった。
―士師記7:20-22「彼らは角笛を吹き、持っていた水がめを砕いた。三つの小隊はそろって角笛を吹き、水がめを割って、松明を左手にかざし、右手で角笛を吹き続け、『主のために、ギデオンのために剣を』と叫んだ。各自持ち場を守り、敵陣を包囲したので、敵の陣営は至るところで総立ちになり、叫び声をあげて、敗走した。三百人が角笛を吹くと、主は、敵の陣営の至るところで、同士討ちを起こされ、その軍勢はツェレラのベト・シタまで、またタバトの近くのアベル・メホラの境まで逃走した」。
・平家の大軍が水鳥の音に驚き、敗走した富士川の戦いに似ている。戦いは数ではなく勢いだ。主が自分たちと共におられると信じるとき、少数のものでも大軍を破ることが出来る。
申命記20:2-4「戦いの場に臨んだならば、祭司は進み出て、民に告げ、次のように言わねばならない『イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである』」。

3.主の戦いからギデオンの戦いへ

・ミディアン軍を破ったギデオンは、ヨルダン川を越えて、追跡していく。ギデオンはガド族の町スコトの人々に支援を求めたが、人々は拒否する。
―士師記8:4-6「ギデオンはヨルダン川に着き、彼の率いる三百人と共に川を渡った。疲れきっていたが、彼らはなお追撃した。彼はスコトの人々に言った『私に従ってきた民にパンを恵んでいただきたい。彼らは疲れきっている。私はミディアンの王ゼバとツァルムナを追っているところだ』。しかし、スコトの指導者たちは『私たちがあなたの軍隊にパンを与えなければならないと言うからには、ゼバとツァルムナの手首を既に捕らえているのか』と言った」。
・スコトの町は長い間ミディアン人の支配下にあった。彼らはギデオンの貧弱な兵を見て、勝利を危ぶんだ。ギデオンは協力を拒んだスコトを呪って先を急ぐ。ペヌエルの町も同じように協力を断り、ギデオンは報復を誓う。
―士師記8:8-9「彼はそこからペヌエルに上って、同じことを要求したが、ペヌエルの人々もスコトの人々と同様の答えをした。そこで彼は、ペヌエルの人々にもこう言った『私が無事に帰って来たなら、この塔を倒す』」。
・ミディアン軍はヨルダン川東岸の奥深くまで逃げていたが、ギデオン軍が攻め、ついには王も捕らえられた。
―士師記8:10-12「ゼバとツァルムナは、約一万五千の軍勢を率いてカルコルにいた。すべて東方の諸民族の全軍勢の敗残兵であった。剣を携えた兵士十二万が、既に戦死していた。ギデオンは、ノバとヨグボハの東の天幕に住む人々の道を上って、敵の陣営を攻撃した。陣営は安心しきっていた。ゼバとツァルムナは逃げたが、彼はその後を追った。彼はこの二人のミディアンの王ゼバとツァルムナを捕らえ、その全陣営を混乱に陥れた」。
・敵を制圧したギデオンは、スコトとベヌエルの人々を殺した。これは主が命じられた戦いではなかった。6-7章の主語は「主」であったが、8章の主語は「ギデオン」である。戦いの性格が変わり始めている。
―士師記8:16-17「ギデオンは町の長老たちを捕らえ、荒れ野の茨ととげをもってスコトの人々に思い知らせた。またペヌエルの塔を倒し、町の人々を殺した」。

4.個人崇拝に陥った晩年のギデオン

・人々はギデオンに王になって自分たちを治めてほしいと要請するが、ギデオンはこれを断る。
―士師記8:22-23「イスラエルの人はギデオンに言った『ミディアン人の手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください』。ギデオンは彼らに答えた。『私はあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる』」。
・イスラエルを治められるのは主だ。主は王を求める人々に「あなた方は私を拒否している」言われている。
―汽汽爛┘8:7「主はサムエルに言われた『民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上に私が王として君臨することを退けているのだ』」。
・しかし、ギデオンは本当に主の支配を求めていたのか。戦利の金を求めるギデオンの態度はそれを疑わせる。
―士師記8:24-26「ギデオンは更に、彼らに言った『あなたたちにお願いしたいことがある。各自戦利品として手に入れた耳輪を私に渡して欲しい』。敵はイシュマエル人であったから金の耳輪をつけていた。人々は『喜んで差し上げます』と答え、衣を広げて、そこに各自戦利品の耳輪を投げ入れた。彼の求めに応じて集まった金の耳輪の目方は、金千七百シェケルで、そのほかに・・・飾り物があった」。
・集まってきた金は総量20キロにも達した。ギデオンはそれを用いて、大祭司の衣服であるエフォドを作った。王にならなかったが、ギデオンは個人崇拝を求めた。ここからギデオン一族の堕落が始まった。
―士師記8:27「ギデオンはそれを用いてエフォドを作り、自分の町オフラに置いた。すべてのイスラエルが、そこで彼に従って姦淫にふけることになり、それはギデオンとその一族にとって罠となった」。
・ギデオンは王になることを辞退したが、実際には「王のような生活」をむさぼった。彼の息子は70人にもなり、息子の一人アビメレク(訳すると「わが父は王」)は兄弟を殺して王になっていく。
―士師記8:29-31「ヨアシュの子エルバアルは、自分の家に帰って住んだ。ギデオンには多くの妻がいたので、その腰から出た息子は七十人を数えた。シケムにいた側女も一人の息子を産み彼はその子をアビメレクと名付けた」。
・人は成功すれば驕り、やがては自分が正しいと思うことをし始める。そこに世の乱れが生じてくる。士師記が教えるのは、主の言葉で戦った人もやがては堕落する事だ。信仰は主の名を呼び続けない限り、堕落していく。
―士師記21:25「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-09-03 17:27:37 (35 ヒット)

1.イスラエルへの鞭としてのミディアン人

・士師記6−9章はギデオンの物語である。著書はイスラエルの罪のゆえに外敵が侵入したと繰り返す。外敵が神の鞭であり、国難は国家の罪に対する裁きである。砂漠の民であるミディアン人は収穫期になると、他の部族とともにらくだの大部隊で襲い掛かり、全ての収穫を持ち去り、人々は平地には住めないほどの略奪を受けた。
―士師記6:3-5「イスラエルが種を蒔くと、ミディアン人は、アマレク人や東方の諸民族と共に上って来て攻めたてた。彼らは・・・命の糧となるものは羊も牛もろばも何も残さなかった。彼らは来てこの地を荒らしまわった」。
・イスラエルの人々は主に助けを求めて祈った。主が使わされたのは、解放者ではなく預言者だった。災いの原因はミディアン人にあるのではなく、イスラエルにあることを知るように、である。
―士師記6:7-10「イスラエルの人々がミディアン人のことで主に助けを求めて叫ぶと、主は一人の預言者をイスラエルの人々に遣わされた。『私は・・・その地をあなたたちに与えた。私があなたたちの神、主であり・・・アモリ人の神を畏れ敬ってはならない、と私は告げておいた。だがあなたたちは、私の声に聞き従わなかった』」。
・解放の前に改革が、赦しの前には悔い改めが必要である。安価な赦しは何も生まない。
―エレミヤ29:10-11「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」。

2.ギデオンの召命

・ギデオンが召命を受けたのは、彼がミディアン人を恐れて、こっそりと小麦を打っていた時だった。彼は召命を受けても、主の言葉を信じない。まさに臆病な、そして不信仰の人間が士師として立てられた。
―士師記6:11-13「ギデオンは、ミディアン人に奪われるのを免れるため、酒ぶねの中で小麦を打っていた。主の御使いは彼に現れて言った『勇者よ、主はあなたと共におられます』。ギデオンは彼に言った。『私の主よ、お願いします。主なる神が私たちと共においでになるのでしたら、何故このようなことが私たちに降りかかったのですか。・・・今、主は私たちを見放し、ミディアン人の手に渡してしまわれました』」。
・ギデオンは主の召しを信じない。彼は繰り返し、しるしを求め、しるしを与えられて、初めて信じる。
―士師記6:21-22「主の御使いは手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンに触れた。すると、岩から火が燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした。主の御使いは消えていた。ギデオンはこの方が主の御使いであることを悟った」。
・ギデオンが最初に行ったことは、町の偶像の祭壇を壊すことだった。しかし、人の目を恐れながら夜に行う。
―士師記6:25-27「その夜、主はギデオンに言われた『あなたの父のものであるバアルの祭壇を壊し、その傍らのアシェラ像を切り倒せ』。ギデオンは召し使いの中から十人を選び、主がお命じになった通りにした。だが、父の家族と町の人々を恐れて日中を避け、夜中にこれを行った」。
・町の人々は怒ってギデオンを殺そうとする。人々は苦難の中で主を求め、主は預言者を通して偶像崇拝こそ苦難の原因と示されたが、偶像が倒されると、人々はその犯人を殺そうとする。彼らには悔い改めが無かった。
―士師記6:30「町の人々はヨアシュに言った『息子を出せ。息子は殺さねばならない。バアルの祭壇を壊し、傍らのアシェラ像も切り倒した』」。
・ギデオンの父は祭司だった。彼はこの時、偶像礼拝の過ちを悔い、息子を弁護する「バアルが神であれば自分で報復すれば良い」。偶像崇拝の神は何も出来ない。偶像であるからだ。
―士師記6:31-32「「あなたたちはバアルをかばって争うのか、バアルを救おうとでもいうのか。バアルをかばって争う者は朝とならぬうちに殺される。もしバアルが神なら、自分の祭壇が壊されたのだから自分で争うだろう」
・この事件を契機に、出身のマナセ族だけでなく、他の部族も加わり、ミディアン人と対峙する軍が生まれた。
―士師記6:34-35「主の霊がギデオンを覆った。ギデオンが角笛を吹くと、アビエゼルは彼に従って集まって来た。彼がマナセの隅々にまで使者を送ると、そこの人々もまた彼に従って集まって来た。アシェル、ゼブルン、ナフタリにも使者を遣わすと、彼らも上って来て合流した」。
・神はギデオンにもモーセにもしるしを与えられた。そのしるしで人々は励まされて、立ち上がることが出来る。私たちの教会もレビ記のしるしに励まされている。
―レビ記19:23-25「あなたたちが入ろうとしている土地で、果樹を植える時は、その実は無割礼のものと見なさねばならない。それは三年の間、無割礼のものであるから、それを食べてはならない。四年目にすべての実は聖なるものとなり、主への賛美の献げ物となる。五年目にあなたたちはその実を食べることができる。こうすれば収穫は増し加えられる。わたしはあなたたちの神、主である」。

3.32,000人から300人へ

・ギデオンがミディアン人と戦うために角笛を吹くと、ギデオンの元に32,000人の人が集まった。敵は13万人を超えていた(8:10)。ギデオンは3万人でも少ないと感じていたが、主はこの3万人を「多すぎるから減らせ」と言われた。3万人が1万人になった。
―士師記7:1-3「エルバアル、つまりギデオンと彼の率いるすべての民は朝早く起き、エン・ハロドのほとりに陣を敷いた。ミディアンの陣営はその北側、平野にあるモレの丘のふもとにあった。主はギデオンに言われた『あなたの率いる民は多すぎるのでミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルは私に向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。それゆえ今、民にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ』。こうして民の中から二万二千人が帰り、一万人が残った」。
・これはギデオンには予想外のことであったろう。国難にあって馳せ参じた人々が簡単にいなくなる。落胆するギデオンに、神はさらに「1万人でも多すぎるから、さらに減らせ」と求められる。
―士師記7:4「主はギデオンに言われた『民はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。そこで、あなたのために彼らをえり分けることにする。あなたと共に行くべきだと私が告げる者はあなたと共に行き、あなたと共に行くべきではないと告げる者は行かせてはならない』」。
・1万人の人が試みに会わせられる。主は水を手ですくった300人だけを残せと言われた。彼らは水を飲みながらも周囲から目を離さなかった。戦う準備が出来ている者だけが残された。
―士師記7:5-7「彼は民を連れて水辺に下った。主はギデオンに言われた『犬のように舌で水をなめる者、すなわち膝をついてかがんで水を飲む者はすべて別にしなさい』。水を手にすくってすすった者の数は三百人であった。他の民は皆膝をついてかがんで水を飲んだ。主はギデオンに言われた『手から水をすすった三百人をもって、私はあなたたちを救い、ミディアン人をあなたの手に渡そう。他の民はそれぞれ自分の所に帰しなさい』」。

4.主共にいませば

・ギデオンは不安だった。ゆえにギデオンは、「すぐに下れ」という主の命令には従わない。しかし、敵を視察してみよとの命令には従い、敵陣に忍び寄る。彼が見出したものは、ギデオンを恐れる敵の姿だった。
―士師記7:9-14「その夜、主は彼に言われた『起きて敵陣に下って行け。私は彼らをあなたの手に渡す。もし下って行くのが恐ろしいなら、従者プラを連れて敵陣に下り、彼らが何を話し合っているかを聞け。そうすればあなたの手に力が加わり、敵陣の中に下って行くことが出来る』。・・・ギデオンが来てみると、一人の男が仲間に夢の話をしていた『私は夢を見た。大麦の丸いパンがミディアンの陣営に転がり込み、天幕まで達して一撃を与え、これを倒し、ひっくり返した。こうして天幕は倒れてしまった』。仲間は答えた『それは、イスラエルの者ヨアシュの子ギデオンの剣にちがいない。神は、ミディアン人とその陣営を、すべて彼の手に渡されたのだ』」。
・パンが天幕を倒す、農耕の民イスラエルが遊牧の民ミディアンを倒すとの意味であろう。ギデオンは勝利を確信し、敵陣に夜襲をかけ、敵は総崩れになった。
―士師記7:20-22「彼らは角笛を吹き、持っていた水がめを砕いた。三つの小隊はそろって角笛を吹き、水がめを割って、松明を左手にかざし、右手で角笛を吹き続け、『主のために、ギデオンのために剣を』と叫んだ。各自持ち場を守り、敵陣を包囲したので、敵の陣営は至るところで総立ちになり、叫び声をあげて、敗走した。三百人が角笛を吹くと、主は、敵の陣営の至るところで、同士討ちを起こされ、その軍勢はツェレラのベト・シタまで、またタバトの近くのアベル・メホラの境まで逃走した」。
・平家の大軍が水鳥の音に驚き、敗走した富士川の戦いに似ている。戦いは数ではなく勢いだ。主が自分たちと共におられると信じるとき、少数のものでも大軍を破ることが出来る。
申命記20:2-4「戦いの場に臨んだならば、祭司は進み出て、民に告げ、次のように言わねばならない『イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである』」。
・イエスが7つのパンで5千人を養われた時、多くの民が集まった。しかし、イエスが「肉のパンではなく、霊のパンを求めよ。私を食べよ」と言われた時、多くは去り、12人のみが残った。教会も12人がいれば十分なのだろうか。
―ヨハネ6:66-69「弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に『あなた方も離れて行きたいか』と言われた。シモン・ペトロが答えた『主よ、私たちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています』」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-08-27 22:04:47 (54 ヒット)

2017年9月3日聖書教育の学び(2006年6月7日祈祷会、士師記1-2章、約束の地での苦難)

1.カナン定着の困難

・ヨシュアに率いられたイスラエルの民はカナンに侵攻した。ヨシュア記は「全地域はイスラエルに与えられた」(11:23)と記述するが、実際は拠点のみの征服であり、本来の土地取得はこれから始まる。
−士師記1:1「ヨシュアの死後、イスラエルの人々は主に問うて言った『私たちのうち、誰が最初に上って行って、カナン人を攻撃すべきでしょうか』」。
・1章は士師記の序論であり、ユダ、エフライム、北方部族の土地取得が語られる。ユダは主が共におられたので、山地を征服した。しかし、平地は敵が強大ゆえに征服できなかった。主が共におられても戦車を持つ敵は打ち破れない。士師記は強大な敵に立ち向かう勇気がユダにはなかったことを暗示する。
−士師記1:19「主がユダと共におられたので、ユダは山地を獲得した。だが、平野の住民は鉄の戦車を持っていたので、これを追い出すことはできなかった」。
・ヨセフ族は一丸となった時は敵を破ったが、部族に分かれた時はめぼしい成果はなかった。ユダと同じく、信仰の確信がなかった故であろう。「神にできないことはない」、言うは易いが、実践は難しい。
−士師記1:22-29「ヨセフの一族も同様にベテルに上った。主は彼らと共におられた。・・・彼らは町を剣で討った・・・マナセは、ベト・シェアンとその周辺の村落、タナクとその周辺の村落、ドルの住民とその周辺の村落、イブレアムの住民とその周辺の村落、メギドの住民とその周辺の村落を占領しなかった。・・・エフライムは、ゲゼルに住むカナン人を追い出さなかったので、カナン人はその中にとどまり、ゲゼルに住み続けた」。
・北方に向かった部族は成果を挙げられなかった。「彼らはカナン人の中に住み続けた」という表現は土地の占領がほとんど成されなかったことを暗示する。
−士師記1:31-34「アシェルはこれらの地の住民であるカナン人を追い出さず、彼らの中に住み続けた。ナフタリは、・・・その地の住民であるカナン人の中に住み続けた。・・・アモリ人はダンの人々を山地に追い込み、平野に下りて来ることを許さなかった」。

2.約束の地は完全には与えられなかった

・イスラエルは約束の地カナンに入ったが、全ての土地は与えられず、先住民がその地に残った。それは歴史的には占領地の支配が難航したことを示すが、信仰的にはイスラエルに、目に見えるとげ、罠が与えられたことだ。
―士師記2:1-3「私はあなたたちをエジプトから導き上り、・・・先祖に与えると誓った土地に入らせ、こう告げた。私はあなたたちと交わした私の契約を、決して破棄しない、あなたたちもこの地の住民と契約を結んではならない・・・と。しかしあなたたちは、私の声に聞き従わなかった。・・・私は彼らを追い払って、あなたたちの前から去らせることはしない。彼らはあなたたちと隣り合わせとなり、彼らの神々はあなたたちの罠となろう」。
・荒野の民は苛酷な状況の中で主に従ってきた。しかし、肥沃な地に入れば、厳しい労苦は不要になり、民は安易に偶像礼拝に走る。ヨシュアの世代がいるうちは、民は主に仕えた。しかし、世代が変わると民は主を捨ててバアルの神に走った。
―士師記2:7-11「主がイスラエルに行われた大いなる御業をことごとく見た長老たちの存命中、民は主に仕えた。・・・その世代が皆絶えて先祖のもとに集められると、主を知らず、主がイスラエルに行われた御業も知らない別の世代が興った。イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなった」。
・カナンで信仰されていたバアルは雷,稲妻,雨を支配し、豊かな収穫を与えると信じられ、妻のアシュタロテは豊穰の女神である。農耕生活に移った民にとって、バアル崇拝は大きな誘惑だった。
―士師記2:12-13「彼らは自分たちをエジプトの地から導き出した先祖の神、主を捨て、他の神々、周囲の国の神々に従い、これにひれ伏して、主を怒らせた。彼らは主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えた」。
・偶像崇拝は先住民との婚姻を通してイスラエルの中に入ってきた。それは前にも起こったことだった。
―民数記25:1-3「イスラエルがシティムに滞在していたとき、民はモアブの娘たちに従って背信の行為をし始めた。娘たちは自分たちの神々に犠牲をささげるときに民を招き、民はその食事に加わって娘たちの神々を拝んだ。イスラエルはこうして、ペオルのバアルを慕ったので、主はイスラエルに対して憤られた」。

3.豊かな地における砕き

・主を裏切った民に対する措置は、敵の手に民を放置することだった。
―士師記2:14-15「主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らを略奪者の手に任せて、略奪されるがままにし、周りの敵の手に売り渡された。彼らはもはや、敵に立ち向かうことができなかった。出陣するごとに、主が告げて彼らに誓われたとおり、主の御手が彼らに立ち向かい、災いをくだされた。彼らは苦境に立たされた」。
・民は苦難に陥ると主の名を呼び、主は士師を送られる。しかし、士師が死ぬとまた同じ堕落を犯す。
―士師記2:18-19「主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、主が哀れに思われたからである。その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった」。
・主は言われた「イスラエルを試すために、私は異邦人を彼らの中に置く」。
―士師記2:20-22「主はイスラエルに対して怒りに燃え、こう言われた『この民は私が先祖に命じた私の契約を破り、私の声に耳を傾けなかったので、ヨシュアが死んだ時に残した諸国の民を、私はもうこれ以上一人も追い払わないことにする。彼らによってイスラエルを試し、先祖が歩み続けたように主の道を歩み続けるかどうか見る』」。
・最大の裁きは人が罪の中に放置されることだ。しかし、主はそうなさらない。民を愛しておられるからだ。主は、人を悔い改めに導くために、私たちに試練を与え、試練を通して、救いの道を開かれる。
―申命記8:2-5「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。・・・四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい」。
―ヘブル12:4-12「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。・・・わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。・・・鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-08-20 23:05:44 (43 ヒット)

1.バベルの塔

・創世記は1-11章が原初史で、バビロン捕囚時代に最終編集された。イスラエルは紀元前587年、祖国をバビロニア帝国に滅ぼされ、指導者たちは異国の地バビロンに捕囚となった。自分たちは「選民である」という誇りを持っていたイスラエル民族にとって、この亡国・捕囚の出来事は衝撃的だった。神は何故自分たちを捨てられたのか、自分たちは異国の地で滅び去るのか、もう故郷エルサレムに戻ることはできないのかと苦悩する。70年に及ぶ捕囚の中で、彼らは祖先から伝えられた伝承を調べ、その記録がやがて創世記といわれる書にまとめられていった。
・「ノアの洪水物語」もバビロンに伝えられていたギルガメシュ叙事詩に題材を得て、裁き=洪水=国の滅亡を通して、イスラエルの民がどのようにして神の救いを見出していったかの信仰の記録である。洪水物語の焦点は洪水そのものにあるのではなく、洪水の後、「もう人を滅ぼすことはしない」と言われた神の言葉に、国を滅ぼされたイスラエルの民が希望を見出していった点にある。
-創世記8:20-22「ノアは主のために祭壇を築いた。すべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。主は宥めの香りをかいで、御心に言われた『人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。私は、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも、寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない』」。
・その原初史の締めくくりとして、創世記11章は「バベルの塔」の物語を伝える。
-創世記11:1-4「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。彼らは『れんがを作り、それをよく焼こう』と話し合った。石の代わりにれんがを、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。彼らは『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った」。
・シンアルの地はバビロンを指し、物語は都市と塔の建設というメソポタミアの歴史を背景にしている。メソポタミアでは、複数の町で最上階に神殿を築いた巨大な方形の塔(ジッグラト)が発見されている。それらは山を模した人工丘で、日干しれんがとアスファルトを用いて作られている。バビロンで見つかった粘土板に楔形文字で記された物語によれば、この塔の土台は幅と奥行が約90メートル、高さは90メートルほどあったという。バベルの塔のモデルになったのは、このジグラットだといわれる。
・国を滅ぼされたイスラエル人は強制的にメソポタミア地方に移住させられ、首都バビロンで高い塔を見せられた。バビロニア人はその塔を「エ・テメン・アンキ」(天と地の基礎なる家)と呼び、「これこそ神が立てられた世界の中心だ。我々こそ世界を治める民族であり、この塔はそのしるしだ」と誇った。イスラエル人は屈辱の中でその言葉を聞き、そのようなバビロニア人の高慢を主なる神は決して許されないと心で思い、その思いがバベルの塔の崩壊物語を書かしめたのではないかと言われている。

2.神のようになろうとする人を神は砕かれた

・バベル(神々の門、バビロンのヘブライ語読み)に代表される大都市は、古代文明の担い手であり、その首都にそびえる神殿の塔は、王国の政治的・宗教的権力の象徴だった。その大都市を拠点とするアッシリヤやバビロニアの帝国は、周辺の国々を制圧し、併合して、支配体制に組み込んでいった。「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」という言葉は、自分たちが世界の中心になろうということであり、「全地に散らされることのないようにしよう」とは、周辺諸国の自由な在り方を許さないとの意思表明だ。そしてイスラエルの民も、周辺の諸民族を一つの支配体制のもとに統合しようとする、権力一元化のうねりに飲み込まれ、国を滅ぼされた。
・しかし亡国の民イスラエルは思った「私たちの神はそのような暴力を許されず、それを断ち切ろうとされるはずだ」と。その思いが5節以下の記述にあると思われる。
-創世記11:5-7「主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた『彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう』」。
・こうして古代世界の中央集権国家は滅ぼされていく。アッシリヤ帝国は紀元前612年に滅亡し、バビロニア帝国も紀元前539年に滅ぶ。バビロン捕囚時代に立てられた預言者(第二イザヤ)は、バビロニア帝国を滅ぼしたペルシャ王キュロスを「主が油を注がれた人」と呼び、神がペルシャを用いて傲慢の極みに達していたバビロニアを滅ぼし、イスラエルを捕囚から解放して下さったと述べている。バベルの塔の崩壊は、直接にはバビロニア帝国の崩壊を意味していた。
-イザヤ45:1-3「主が油を注がれた人キュロスについて、主はこう言われる。私は彼の右の手を固く取り、国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれ、どの城門も閉ざされることはない。私はあなたの前を行き、山々を平らにし、青銅の扉を破り、鉄のかんぬきを折り、暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える」。
・バベルの塔の物語は私たちに何を伝えるのか。「文明や技術の進歩が人間に何をもたらすのかということを見つめよ」とのメッセージがそこにある。人々は「石の代わりにれんがを、漆喰の代わりにアスファルトを用いて」、高い建築物を造ることができるようになった。技術革新がそれを可能にした。その技術革新を人間はどのように用いてきたのか。創世記4章によると、青銅や鉄を人間が見出したのは、レメクの子トバルカインの時であるといわれている。
-創世記4:22「チラもまたトバルカインを産んだ。彼は青銅や鉄のすべての刃物を鍛える者となった」。
・「刃物を鍛える」、人類最初の発明は、人を殺す為の銅や鉄の精錬であった。創世記記者はそこに「人間の罪」を見据えている。アルフレッド・ノーベルは土木工事や鉱山開発のための道具としてダイナマイトを発明し、それにより生産性は上がったが、やがてダイナマイトは人間を殺すための爆弾に転用されていく。ノーベルがその遺産の全てを投じてノーベル賞基金を作り、その中に平和賞を設けたのも、自分の発明が戦争に用いられ、多くの人命を奪うものになった、その悔い改めのためだと言われている。また人間は原子力を用いて病気を診断し治療し(X線や放射線治療)、発電に応用する(原子力発電)ようになるが、その原子力も軍事転用されて核爆弾を生み、ヒロシマ・ナガサキで用いられ、驚異的な破壊力を見せつけた。
・2011年に起きた福島原発事故が問いかけるのも、「人間は本当に原子力や核廃棄物を管理できるのか」という問題だ。今回の事故は津波等により、核燃料の冷却ができない状態になり、核燃料がメルトダウンし、周囲に放射性物質を拡散させた。また使用済み核燃料(核廃棄物)は完全に無害化することはできず、最終処分の方法がない。今回の原発事故をある人々は、「人間の傲慢が砕かれた現代のバベルの塔ではないか」と語る。

3.バベルの塔崩壊によって何が生まれたのか

・神はバベルの塔を壊された。創世記は語る。
-創世記11:8-9「主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである」。
・この言葉は神の裁きとして聞かれるが、聖書においては、「裁きこそ救い」である。神はバベルの塔を壊され、人々は全地に散らされ、互いに言葉が通じない存在になって行った。しかし、神は洪水からノア一族を救われたように、バビロニアの地から一人の人を選び出し、彼を通して、人類を救おうとされる。それが創世記12章から始まるアブラハムからのイスラエル民族の歴史であると創世記は主張する。アブラハムの出身地はカルデア(メソポタミヤ)のハランであった(創世記11:31)。
-創世記12:1-3「主はアブラムに言われた『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める・・・あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る』」。
・「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」。アブラハムの末裔から、イエス・キリストが生まれた。イエスが地上の生涯を終えられた時、神は弟子たちに聖霊を下され、それぞれの民族にその国の言葉で福音が語られた。キリストの十字架を通して、自己中心の思いが砕かれ、相手との交わりが始まった時に、言葉は再び通じるようになることを使徒言行録は示す。
-使徒2:7-8「人々は驚き怪しんで言った『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうして私たちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか』」。
・神はバベルにおいて傲慢な民を散らされると同時に、その民の中からアブラハムを召し出し、新しい救いを開始された。神の不思議な業は今日でも継続している。福島原発事故を通して、ドイツやスイスでは今後は原子力発電所を新しく造らず、既存の発電所も耐用年数が来れば廃棄すると発表した。日本でも原子力発電所のこれ以上の増設は中止し、自然エネルギー開発に注力するという政策の変更が為されようとしている。原子力発電所というバベルの塔が崩壊することを通して、新しい良いものが始まろうとしている。「散らされて生きる」ことの中に、神の祝福がある。


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