すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

投稿者 : admin 投稿日時: 2018-01-22 11:22:57 (13 ヒット)

1.突風を静めるイエス

・イエスが弟子たちと舟に乗り、ガリラヤ湖を対岸へ渡ろうとした時、突然嵐になり、舟は波に翻弄され、水浸しになり、沈没しそうになった。
−マルコ4:35−37「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一諸であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。」
・弟子たちは波をかぶり、嵐に翻弄される舟の中でおびえた。イエスは船尾で眠っておられた。弟子たちがイエスに助けを求めると、イエスは波と湖を叱られた。すると嵐は収まった。
−マルコ4:38−39「しかし、イエスはともの方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、『先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか』と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。沈まれ』と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。」
・イエスは、「なぜ嵐を怖がるのか」と騒ぐ弟子たちを戒められた。苦難の嵐に遭って喜ぶ人は誰もいない。しかし、苦難は人にとって試練であることも忘れてはならない。何故ならば、人は苦難を通して自分が生かされている意味を知るからだ。絶望の中に希望を見続けた人がキング牧師だ。
-マルチン・ルーサー・キング「この世界で為されたことはすべて、希望によって為された。息をしている限り、希望があることを、私は確かに知っています。あなたも私も人間に過ぎません。私たちは未来を見抜くことができません。代わりに、こうなるかもしれないという可能性を思い描くのです。人生がどう展開するかは、神のみがご存知です。希望は神から私たちへの贈り物であり、外を見るための窓です。神が私たちのために計画された将来を知ることはできません。神を信頼しなさい。心に希望を持ち続けなさい。そして、最悪の事態に直面した時でさえ、万全の手を尽くして最善の結果に備えなさい。」

2.物語の背景から考える

・この物語はイエスがガリラヤ湖で嵐を静められたという伝承を元にマルコが編集した。マルコ福音書は紀元70年ごろ、ローマで書かれた。イエスは紀元30年に十字架で死なれたが、復活のイエスに出会って再び集められた弟子たちは、「イエスは神の子であった。イエスの死によって私たちの罪は赦され、イエスの復活によって私たちにも永遠の命が与えられた」と福音の宣教を始めた。その結果、ローマ帝国のあちらこちらに教会が生まれ、首都ローマにも教会が生まれた。しかし、初期の教会は、ローマ帝国内において邪教とされ、迫害され、紀元64年にはローマ皇帝ネロによる大迫害を受け、教会の指導者だったペテロやパウロたちもこの迫害の中で殺されていった。
・マルコが福音書を書いた当時のローマ教会は、迫害の嵐の中で揺れ動いていた。人々はキリスト者である故に社会から締め出され、リンチを受け、捕らえられて処刑されていった。教会の信徒たちは神に訴えた「あなたはペテロやパウロの死に対して何もしてくれませんでした。今度は私たちが捕らえられて殺されるかもしれません。私たちが死んでもかまわないのですか」。ガリラヤ湖の弟子たちは「私たちがおぼれてもかまわないのですか」と訴えたが(4:38)、この「おぼれる=アポルーマイ」の本来の意味は「滅ぼす、殺す」だ。弟子たちは、「私たちが滅ぼされても平気なのですか」、「私たちが殺されてもかまわないのですか」と言っている。つまり、マルコは湖上の嵐の伝承の中に、「主よ、私たちを助けてください。私たちは滅ぼされそうです。起きて助けてください」という教会の人々の叫びを挿入している。
・舟は初代教会のシンボルだった。初代教会は迫害の中で震えながらもイエスにつながり続け、滅ぼされることなく、終には迫害者ローマ帝国の国教となって行く。第二次世界大戦終了後、敵味方で憎しみ合い、血を流しあった世界のキリスト者はコペンハーゲンに集まって、世界教会協議会(World Council of Churches、WCC)を結成した。互いの国の教会がいがみ合い、殺し合いをしたことを悔い改め、新しい共同体を造っていくことで合意し、そのシンボルマークとして「十字架の帆柱をつけた嵐に揺れる舟」が選ばれた。これからも信仰が揺さぶられるような嵐があるかもしれないが、イエスのメッセージを聞き続けていこうと彼らは決意した。
-詩編107編28-29節「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから導き出された。主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、波はおさまった」。

3.感銘を受けた説教から( 2017/1/1東京北地区新年礼拝「マルコ4:35-41、波よ、静まれ」太田雅一牧師)

・新年あけましておめでとうございます。みなさまの上に、今年も豊かな恵みがありますようにお祈りします。といっても、一年間、波も風もない、穏やかな日ばかりというわけにはいきません。時には嵐の日もあるでしょう。そんな日は、今日のみ言葉を思い出したいものです。ある日、イエス様は弟子たちに、ガリラヤ湖の向こう岸に渡ろう、と言われます。そして、弟子たちと共に漕ぎ出しますと、突然、激しい嵐が起こりました。「舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった」。これはどのくらいの嵐だったでしょうか。大変な嵐だったと思われます。「水浸しになる」という元のギリシャ語は「水で一杯になる」という言葉です。たとえば、この言葉がほかに使われているところを挙げますと、カナの婚礼のところです。イエス様が水を葡萄酒に変えるという最初の奇跡です。この時、イエス様は召使いたちに、大きな水瓶にいっぱいに水をくんでくるようにと頼みます。この時の「水で一杯にする」が同じ言葉です。舟は少し波をかぶったくらいではなく、もう水で一杯で今にも沈没しそうです。
・ところが、イエスさまは舟の艫、後ろのほうで、枕を高くして居眠りをしておられる。この泰然自若、悠々たるイエスさまの余裕に、私たちも、見ならいたい。けれども、弟子たちはそれどころではない。必死に叫んで、イエスさまを起こします。そこで、イエス様が起き上がり、「波よ、静まれ」と一言いうと、たちまち凪になった。「凪」という字は、風が前に止まると書きます。風がすっかりやんだ状態です。先ほどまでの嵐が嘘のようにぴたりとやみ、鏡に青空が映るような静かな水面になった。世の中には奇跡は信じられないという方もいて、「おおかた空の様子を見て、そろそろ嵐の静まるころだと判断したのだろう」と言う。けれども、弟子たちはペテロもヨハネもみんなプロの漁師でした。しかも、ガリラヤ湖は勝手知った漁場で、その天気も知り尽くしていたはずです。その漁師たちが、真っ青になって「おぼれてしまいそうです」と言うほどの大嵐でした。やはり、奇跡です。弟子たちは、「風や波までも従うとは、この方はどなたなのだろう」と言う。神の子です。この奇跡は、イエスさまが造り主の子だというしるしです。嵐がやんだ後、イエス様は、弟子たちを、かなりきつく叱っています。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
・同じ記事は、マタイとルカにもあるのですが、そちらはさらにきつい言葉です。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」(マタイ8:26)、信仰がまだまだ薄っぺらいね、紙きれみたいにぺらぺらだね、とおっしゃる。「あなたがたの信仰は、どこにあるのか。」(ルカ8:25)、これもきついですね。信仰を、どこかに置き忘れてきたのではないか、と言う。なぜ、イエスさまは、こんなにきつく叱られたのでしょうか。嵐の時に、弟子たちはこう言いました。「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか」ここで「おぼれる」と訳されている言葉は、原語では「滅びる」という言葉です。同じ言葉が使われているのは、たとえば、次のようなイエス様の言葉です。「体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も、地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10:28)
・今月、遠藤周作の「沈黙」をマーチン・スコセッシが監督した映画が公開されます。このお話で、キリシタンたちは次々に殉教していくのですが、神は沈黙したままです。しかし、「体を殺しても、魂を滅ぼすことはできない。」そう信じて、恐れず殉教した。ところが、このガリラヤ湖で弟子たちは、嵐にすっかり恐れて言うのです。「私たちが、滅びてもかまわないのですか」、だから、イエス様は叱られたのです。滅びるなどと、なぜ、情けないことを言うのだ。おまえたちは、滅びることのない永遠の命を頂いているのだ。まだ信じられないのか。「おぼれてもかまわないですか」と聞かれたら、イエス様はおっしゃるでしょう。「おぼれてもいいのだ。死んでもいいのだ。決して、滅びることはないのだから。」
・けれども、やはり人間というのは、弱いものです。この私がそうでした。私は3年前のクリスマスの頃、大病をして手術をしました。直腸癌のステージ4。再発して、三回手術して、最後は腹膜にも転移して、お腹を空けたけれど、何もせずにそのまま閉じました。後から聞いたのですが、主治医の先生は私の妻に「もうだめだから職場に連絡しておくように。次の人事の都合もあるだろうから」と言っていたそうです。今、回復して生かされて、皆さまの前でお話できることを、神さまに感謝いたします。でも。病院にいたころは、このまま出られずに死ぬのだなと、覚悟していました。正直言って、怖かったです。死を恐れました。まだやることがある、死ねない。クリスチャンになって10年はたっていましたが、平静な気持ちにはなれなかった。「死んでもいい」とは思えなかった。イエス様に、叱られてしまいそうです。
・でも、自分一人だけだったら、やはり怖いのです。恐れは消えないのです。しかし、落ち着いて横を見ると、私の舟にも、イエス様が乗っているのです。ただ、私たちは苦しさのあまりに、そのことを忘れていないでしょうか。「苦しい時の神頼み」で良い。苦しい時こそ、隣にいるイエス様に祈りましょう。眠っているイエス様を、起こせばいいのです。イエス様は、おっしゃるでしょう。「波よ、静まれ」と。しかし、すぐに湖の波は静まらないかもしれない。イエス様は、本当はこうおっしゃりたいのではないか。 「あなたの、心の波を静めなさい」、試練はいつ襲ってくるかわからない。今日、東京に直下型地震が起こるかも知れない。しかし、地震でも津波でも嵐でも、どんな災難が来ても、心が平静ならば大丈夫です。恐れてパニックになったら、助かるものも助からない。たとえ死んでも滅びることはない、そう思って冷静に対処すれば、逃れる道が見えてくる。神様は、試練を与えると同時に、逃れる道を備えてくださる方です。
・短い詩を一つお読みします。韓国のクリスチャン詩人の詩です。ガリラヤの海・鄭芝溶「私の海は、小さなガリラヤの海、絶え間なく、揺れ動く波は、美しい風景を 映すことができない。かつて弟子たちは眠っておられる主を起こした。主をただ起こすことで彼らの信仰は恵まれる。舟の帆はまた広げられ、舵は方向を定めた。今日も私の小さなガリラヤで主はわざと眠っておられる。風と波が静まった後、初めて私はため息の意味を悟ったのだ。」
・さて、今日はもう少し、お話したいところがあります。そもそも、イエス様は、どうしてここで舟に乗っておられたのか。そして、これからどこに舟で向かわれようとしていたのか。まず、ここまでの話を読むと、イエス様はずっと舟の上から、岸辺にいる群衆に説教をしていたのです。なぜか、イエス様に触れただけでも、病が癒やされると聞いて、群衆が殺到していたのです。だから、湖の舟の上で少し距離を置いてお話ししようとされた。また、途中に障害物がなく、湖の水面は声をよく反射して遠くに届きます。スピーカーなど無い時代に、多くの群衆に話すための知恵でした。では、お話された後、そのまま舟に乗って、どこに向かおうとされたのか。「イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。」
・湖の向こう側に何をしにいくのか。伝道に疲れて、慰安旅行に行くのか。そうではない。この後を読むと、ゲラサ地方に行って、悪霊に憑かれた男を癒やした話があります。ガリラヤ湖の西岸がナザレ、ユダヤの地なのですが、東岸のゲラサは異教の地でした。一言で言うと、イエス様と弟子たちは、開拓伝道に向かわれたのです。異境の地に、新たに福音を伝えるために、船出して出発されたのです。ここで、注目したい言葉があります。同じ記事が、マタイとルカにあると言いましたが、マルコにしかない言葉があります。マルコは、4つの福音書の中で一番始めに書かれて、元の形に近いと言われていますね。そのマルコにだけある言葉。それは、弟子たちがイエス様と舟に乗って漕ぎ出した後の所です。「ほかの舟も一緒であった。」(4:36)
・舟は、原語では複数になっています。イエス様と弟子たちの舟だけではない。ほかの舟たちも、イエス様のあとに従い、船出して行ったのです。今日、この新年礼拝の場に、東京北ブロックの皆さま方が集まっておいでです。私たちは、それぞれの舟に、つまり教会に乗って、伝道に向かう船団なのです。昔、神学校の授業で、ある牧師先生がこう言いました。「カトリックは、大所帯でヒエラルキーだからね。大型客船に乗っているようなものだ。プロテスタントは沢山の教派や教会に分かれて、いわば小舟に乗っているようなものだ」。その時に、私は正直言うと、「大型客船のほうが、楽でいいな」と思いました。しかし、今は違います。小舟がいい、小回りもきくし、それぞれ個性がある。昨年、東京北の教会を毎月訪問しました。志村、蓮根、赤塚、目白が丘、茗荷谷、東京北。どれもが個性ある素晴らしい舟ばかりで、思い思いに海を航海されていました。でも、行き先は同じ、向こう岸への開拓伝道。そして、先頭の舟はイエス様です。時には、嵐に襲われることもあるでしょう。そんな時に助け合って船旅を続けましょう。それぞれは小さい舟でも、バプテスト連盟三百艘あまり、けっこう大きな船団です。
・教会暦では1月6日までがクリスマスですが、この頃に召される方は多くいて、天国が近い時期のような気がします。昨年もクリスマスの後、一つのご葬儀に出ました。民家正純先生の奥さんの、民家直子さんです。お二人で酒田に開拓伝道されましたが、民家先生が十年前に病で召され、藤井先生ご一家が後を継いでいました。民家先生ご夫妻は、お二人で大海原に漕ぎ出していった。私が牧師になりたいと思ったのは、民家先生の志に共鳴したことがきっかけでした。年老いてなお、嵐の大海原に小舟で漕ぎ出していく、伝道スピリットに打たれたのです。たとえ、その舟は沈むことになっても、その志は、後の舟に受け継がれます。たとえ、おぼれ死んだとしても、恐れることはない。魂は滅びることはない。今頃、ご夫婦は天国で再会して、ご一緒にお正月を迎えていることでしょう。
・さて、私のお話はこのくらいにしておきます。今日はせっかく元日から集まったのですから、この後、短い時間でもお残りいただいて、船旅の合間、港にいっしょに立ち寄って、それぞれの船旅を分かち合いましょう。「最近、魚の水揚げが少なくて、どこかに良い漁場はないかな」、「あそこの岩場には暗礁があるからね、気をつけた方がいいよ」そんな情報交換もよいでしょう。船旅の疲れをひと時、癒やし合うのもよいでしょう。そして、明日からまた、それぞれ船旅に乗り出してまいりましょう。〈ガリラヤに船乗りせんと時待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でよ〉(万葉集:額田王の歌による)。今年1年、順風満帆でありますように。でも、もし嵐に遭ったら、お祈りしましょう。「イエス様、起きてください。そして、私たちの心の波を静めてください」。


投稿者 : admin 投稿日時: 2018-01-14 21:46:59 (31 ヒット)

1.マルコ3:1-6「手の萎えた人をいやす」

・イエスは繰り返し、安息日に病の人をいやされた。これは安息日を絶対の聖日(仕事をしてはいけない日)とする律法学者やファリサイ人に対する挑戦であり、ユダヤ人たちはイエスを異端の教師と見始めていた。そのイエスが安息日に会堂に入られた。イエスを待ち受けていたのは、安息日にいやしの業を行うかどうかを試みるファリサイ派の人々の視線だった。
−マルコ3:1-2「イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気がいやされるかどうか注目していた。」
・イエスは試みる者たちの視線にためらうことなく、手の萎えた人に近づかれた。そして監視するファリサイ人たちに、「安息日を守るためなら人の命を救わなくても良いのか」と問われた。彼らは一言も答えなかった。
−マルコ3:3-4「イエスは手の萎えた人に、『真ん中に立ちなさい』と言われた。そして人々にこう言われた。『安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。』彼らは黙っていた。」
・イエスはその日が安息日であるかを問わず、病人を癒された。無視されたファリサイ派とヘロデ派の人々は、イエスを抹殺すべく、共同謀議を始めた。
−マルコ3:5-6「そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、『手を伸ばしなさい』と言われた。伸ばすと手は元通りになった。ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一諸に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。」

2.イエスはあえて安息日に癒しをされた

・イエスは律法を犯すことが死の危険を伴うことを承知の上で、安息日に人を癒される。イエスは自分の身を削って人の命を救われる。福音書記者はそのイエスに、「苦難の僕」の姿を重ねる。
−マタイ8:16-17「イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆癒された。それは預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった『彼は私たちの患いを負い、私たちの病を担った』(イザヤ53:4)」。
・イエスは安息日に麦の穂を摘んで食べた弟子たちを批判するファリサイ人に対して、「安息日は、人のために定められた」と答えられた。安息日の癒しを非難する人々に対しては「安息日に許されているのは、善を行うことではないのか」と問いかけられた。イエスを動かしているのは神への愛と隣人への愛だ。神は人間の休息のために安息日を設けて下さった、それを人は勝手に細かい規定を作り、煩雑にして、束縛の規則に変えてしまった。それは神の御心に反するのではないかと問われた。
・ファリサイ人たちも緊急の場合は安息日規定を破ることを認めていた。当時のラビは言う「人間の命を救うことは安息日を押しやる」。しかしイエスは更に一歩を踏み込まれる「安息日に行うべきは善か悪か」、父なる神は安息日も働いておられる、そうであれば安息日に善を行うことは、何もしないことに優るのではないか」。隣人愛の要求が律法に新しい命を吹き込んだ。しかし、ファリサイ人や律法学者には受け入れがたい要求だった。

3. 安息日(三省堂聖書思想辞典から)

【旧約】
1.制度:“安息”とは、宗教的意図をもっておこなわれる“仕事の休止”を意味している。安息日の慣行は既にモーセの律法の最古の部分に現われており(出20:8 出23:12 出34:21)。起源はたぶんモーセ以前にさかのぼると思われるが、明らかでない。安息日は、聖書では週という聖なる周期と密接に結ばれており、休息と歓喜と礼拝集会でこれを終わらせる日となっている(ホセ2:13 恐4:23 イザ1:13)。
2.根拠:契約法典は、安息日のもたらす休息には奴隷にも一息つかせるという人道的な面があることを強調する(出23:12)。申命記も同じ見解を示している(申5:12-14)。しかし、祭司伝承ではこの日に別の意義が付与されている。すなわち、人間の労働は創造主なる神の活動を、7日目の休業は神の聖なる休息を模倣するものと考えられるようになっている(出31:13-17 創2:2-3)。かくて、神は安息日を一つの徴{しるし}としてイスラエルに与え、自分がその民を聖化することを知らせようとしたといえるのである(エゼ20:12)。
3.遵守:律法は安息日の休息をひじょうに厳格に解し、火を起こすこと(出35:3)・薪を集めること(民15:32-36)・食事を用意すること(出16:23-30)などを禁じている。預言者たちは、安息日の遵守は終末的約束が実現するための条件であると考える(エレ17:19-27 イザ58:13-14)。ネヘミヤが安息日を完全に守ることに固執している理由もここにある(ネヘ13:15-22)。この日を「聖別する日」(申5:12)とするために、聖なる集会(レビ23:3)・いけにえの奉献(民28:9-10)・供えのパンの更新(レビ24:8 蟻9:32)などがおこなわれる。エルサレム以外の地では、これらの儀式に代わるものとして、会堂(シナゴーグ)で集会が開かれ、信仰者たちは共同の祈祷{きとう}に従事し、聖書の朗読と講解にあずかっている。マカバイ時代には、安息日の休息を厳守するあまり、武器をとって安息日を犯すよりもむしろ虐殺されることを選ぶハシディームの人々が現われているほどである(汽泪2:32-38)。新約時代に移るころ、エッセネ派の人々が厳格に安息日を守っており、かつファリサイ派の学者が安息日に関する細則をつくりだしていたことは周知のとおりである。

【新約】
1.イエス:イエス・キリストは、安息日の掟{おきて}を明白に廃止したわけではなく、この日に会堂に通い、その機会に福音を宣布している(ルカ4:16 ルカ4:31)。しかし彼は、ファリサイ派の人々が説く形式的厳格主義を非難し、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」(マコ2:27)と断言し、愛を実践する義務を休息の形式的遵守に優先させている(マタ12:5 ルカ13:10-16 ルカ14:1-5)。また「人の子は安息日の主でもある」(マコ2:28)とも明言して、自分が安息日に対して権能を有することも教える。実は、このような行動が律法学者たちの反感を買うことになる(→ヨハ5:9-18)。安息日に善をなすために働いたイエスは、天地創造を終えて安息に入っても、なお世界を治め人間を生かしつづけている父を模倣していたといえよう(ヨハ5:17)。
2.弟子たち:イエスの弟子たちも、最初のころは安息日の掟を守っている(マタ28:1 マコ15:42 マコ16:1 ヨハ19:42)。主の昇天後も、ユダヤ人に福音を宣教するためには安息日の集会が利用される(使13:14 使16:13 使17:2 使18:4)。しかしまもなく、週の初めの日、つまりイエスが復活した日が“主の日”として教会の礼拝日となり(使20:7 黙1:10)、ユダヤ人が安息日におこなっていた施与(汽灰16:2)や神の賛美の実行はこの日に移される。この新しい考え方によると、ユダヤ人のかつての安息日は、旧約の他の多くの制度と同様、前表としての意味をもつことになる。信仰者は、この日に労働を休むことによって、神が7日目に安息したことを記念する。ところで、イエスは復活によってこの神の安息にはいっており、信仰者は彼のあとに従って同じ安息にはいるという約束を受けている(ヘブ4:1-11)。その日こそ、彼らが、創造の業を終えて安息した神を模倣し、かつこの神と一致しながら、いっさいの労苦から解放されて憩う真の安息日となるであろう(ヘブ4:10 黙14:13)。 (C.Spicq, P.Grelot)


投稿者 : admin 投稿日時: 2018-01-08 23:03:51 (37 ヒット)

1.「子よ、あなたの罪は赦される」

・毎月第四主日は水口が宣教を担当しております。昨年4月の就任以降、マタイ福音書「山上の説教」を読んできましたが、先月の「主の祈り」で一応の区切りが付きましたので、今月から聖書日課に従って宣教させていただきます。篠崎キリスト教会では2009年1月からマルコ福音書を通じてイエスの宣教を学んでいます。イエスは人々に「神の国の福音」を宣べ伝え、「神の国が来たしるし」として、人々の病を癒され、悪霊を追い出されました。当時の人々は、病気は人間の罪のためだと理解していました。病と罪が関連付けられていますから、「病の癒し」は、必然的に「罪の赦し」の意味を持ってきます。イエスは「父なる神はあなた方を愛しておられるのであって決して呪われているのではない。そのしるしとして父はあなたの病を癒されるであろう」として、癒しの業を行われました。
・しかしイエスの働きを喜ばない人々もいました。エルサレムから来た律法学者たちで、彼らは病気は罪の故であり、病気の人々は神から呪われた罪人だとして社会から排除していました。それが神の御心だと信じていたのです。その人々にとって、イエスの行われた病の癒し=罪の赦しは、「神の名を冒涜する」涜神行為そのものでした。ユダヤ当局はイエスを監視するためにエルサレムから律法学者を派遣し、彼らはイエスとしばしば論争します。今日読みますマルコ2:1-12の個所も、単なる「中風の人の癒し」物語ではなく、律法学者との論争を通じて、「イエスとはどなたか」が浮き彫りになる物語構成になっています。
・物語を読んでいきましょう。マルコは記します「数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった」(2:1-2)。この家とはおそらくイエスがガリラヤ伝道の拠点にされておられたシモン・ペテロの家であったのでしょう。マルコは続けます「イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした」(2:2-4)。
・戸口に人があふれ、病人をイエスのところに運び込めなかったので、彼らは屋根に上り、屋根に穴を開けてそこから病人をつり下ろしたというのです。日本の家屋ではこんなことは出来ません。しかし当時のユダヤ家屋は天井の梁の上に木の枝や柴を編んだものを渡し、その上に粘土の覆いを乗せた簡単な構造でしたから、こんなことが出来たのです。それにしても乱暴な行為です。この物語はペテロが弟子のマルコに話したことが記述の背景にあるといわれています。ペテロにしても、これまで聞いたことの無い非常識で突飛な話、同時にそこまでしてイエスの癒しを求めた人々の信仰を見た、忘れがたい出来事だったのでしょう。
・「中風=パラリュティコス」とは「不随のもの」と言う意味で、何らかの理由で身体麻痺になり、起き上がることも出来ない状態になった。今日でいう脳溢血、あるいは脳梗塞の後遺症で苦しんでいた人かもしれません。彼はイエスの癒しの評判を聞き、この人ならば治してくれるかもしれないとの期待を持って来ました。ところが、家は戸口まで人があふれて中に入ることは出来ません。しかし、それくらいではあきらめません。彼は四人の担ぎ手に頼んで、屋根から自分をイエスの前に降ろして欲しいと願いました。イエスも驚かれたでしょう。しかし、驚きと同時に、そこまでして癒しを求めてきたこの人の熱心さの中に、信仰を見られました。ある説教者はこの物語を「救いへの突進」と名付けます。救いへの突進、信仰は文字通り「壁を突き破る力」を持っているのです。
・イエスはもうもうたるほこりと共に降りて来た人に言われました「子よ、あなたの罪は赦された」(2:5)。イエスは「病が癒された」とは言わずに、「罪は赦された」と言われました。「神はあなたの罪を赦された」との意味です。病が人間の罪の結果として生じるとされた当時においては、霊的回復が身体の健康に不可欠だと考えられていたのです。今日でも状況は同じです。現代の精神医学が明らかにしましたのは、「人間精神に潜在する根深い罪悪感や自己嫌悪感が身体機能の麻痺の原因になりうる」と言うことです。女性連合機関紙「世の光」2008年12月号に、宮崎丸山町教会の金子千嘉世牧師が「父のこと」と題する証しをされていますが、それを読みますと、罪の赦しが身体の回復につながった一つの例を見ることが出来ます。金子先生の父親は長い間船乗りとして生活されていましたが、晩年には多発性脳梗塞になられ、また認知症も出て、夜になると徘徊し、病院ももてあまして追い出されたそうです。先生は書きます「自宅に引き取ったその日から三日間、父は一睡もせず夜になると元船長だった父は“魚が来たぞ、起きろ”と怒鳴り、家中の窓をたたきます。仕方が無いので、母と私は網を引くまねをしたり、魚を数えるふりをして夜を過ごしました。私も母も限界でした。ところが三日目の朝、父がすっきりした顔で“おはよ”というのです。そして“お前のイエス様が真っ暗な穴の中にいるわしの手をぐっと握って引っ張りあげてくれた。頭がすっきりした”と言うではありませんか。私は半信半疑ながら、とりあえず感謝のお祈りをしました。“天のお父様”と私が言うと、父がその後に続いて“天のお父様”とお祈りしたのです。気が付いたら、母がエプロンをはずして一緒に父の横でお祈りをしていました」。
・金子先生の証しは続きます「父が召される半年前、父は病気が再発し入院生活をしていましたので家族そろって父を見舞いに行きました。その帰りがけ、父は私を呼び止めて言いました“わしも天国に入れてもらえるのか”と聞くのです。“なんで”と問い返すと、父は“自分は戦時中、食糧輸送団の船団長をしていて、空爆を受けてわしの舟だけが助かった。わしは残りの船の仲間を助けることが出来なかった。あれたちにも家族がおった。わしは死ぬのも怖いが、生きているのもつらかった。幸せになったらいかんと思って今まで生きてきた。こんなわしでもイエス様は赦してくれるんか。天国にいれてもらえるんか”。私は十字架のイエス様のこと、罪の赦しのこと、信じる者は皆御国にお招きくださるイエス様の福音を伝えました。父は“ありがたい”と涙をこぼし、今までに見たことの無いような笑顔を見せてくれました。その日が父の笑顔を見た最後の日となりました」。罪の赦しが金子先生の父親を癒しに導いたのです。

2.罪を赦す権威

・イエスは中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われました。そこにいた律法学者はイエスの言葉を聞いて、つぶやきました「神お一人の他に罪を赦すことの出来るお方はいない。この男は神を冒涜している」(2:7)。イエスはそれを悟って言われました「中風の人に『あなたの罪は赦された』というのと、『起きて床をとって歩け』というのとどちらがたやすいか」(2:9)。「罪が赦された」と宣言されても、誰もその結果を検証できません。しかし「起きて歩け」と言うのは難しい。歩けといって歩けなければ、言った人はうそをついたことになります。イエスは続けられました「人の子が地上で罪を赦す権威を持っている事をあなたが知るために、私は言う『起き上がり、床を担いで家に帰りなさい』」(2:10)。中風の人の病はいやされ、床から起き上がり、歩き始めました。
・イエスは病のいやしに先立って、罪の赦しを言われました。何故でしょうか。「罪の赦し」と「病の癒し」のどちらが大切なのかと言う問題が今日の私たちの主題です。私たちが人生において求めることは、自分の力ではどうしようもない困難や苦難が取り除かれることです。失業すれば、生活の困難の問題が生じます。子供が不登校になれば、家庭は荒れます。元気な人が病気で倒れれば、生きる力さえなくなります。生きることは苦難の連続です。その現実の中で、私たちは現実を打ち破る力、病を癒し、困難を取り除いてくれる力を求めています。だから、シモンの家には癒しを求める人々があふれ、教会にも人が訪ねて来ます。数百人、数千人が礼拝に集う教会では、多くの場合、病の癒しが語られ、癒しの祈りが行われています。私たちが求めているのは、目に見えない罪の赦しではなく、目に見える病や不幸の癒しです。
・イエスは中風の人に、まず罪の赦しを語られました。ユダヤの宗教では「病は罪の結果であり、病人は罪人だ」と切り捨てていました。ユダヤ人は、神を「天にいます裁き主」と理解していました。神を「人を罰する万能者」と受け止めていたのです。しかし、イエスは言われます「父なる神はそのような方ではない。神はあなたを子として愛して下さる、そのために私を遣わされた。そのしるしとして、神はあなたの病を癒されるであろう」と。イエスは中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われました。「父はあなたを罰しない、それは私が一番知っている、だから私が父の名においてあなたを赦す」。

3.罪を赦し、病を癒す力

・今日の招詞に詩篇41:4-5を選びました。次のような言葉です「主よ、その人が病の床にあるとき、支え、力を失って伏すとき、立ち直らせてください。私は申します『主よ、憐れんでください。あなたに罪を犯した私を癒してください』」。詩篇の作者は自分の罪を認め、最初に「罪の赦し」を求め、次に「病の癒し」を求めています。マルコ2章でイエスの前に中風の人を連れてきた人々もまた、自分たちは罪人である事を認め、イエスの前にひざまずきました。その結果、罪から解放され、自由が与えられました。他方、律法学者たちは、自分たちは神の前に正しい、罪はないとして、イエスの権威を認めませんでした。その結果、彼らは神の子に敵対し、やがては神の子を十字架につけます。しかしイエスを殺しても彼らには何の平安も訪れず、やがて歴史の中に消えていきました。「罪とは神との関係の破れ」であり、その回復こそ「罪の赦し」です。そしてイエスは自らが十字架で死ぬことにより、この赦しの権能を神から委ねられたのです。イエスに罪を赦す権能が与えられたのは彼がそのために死なれるからです。イザヤは言いました「私の僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。それゆえ、私は多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで罪人のひとりに数えられたからだ」(イザヤ53:11-12)。
・イエスは言われました「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される」(3:28)。私たちは神の赦しの中にあるのです。ですから、教会はイエスの権威を継承して、罪の赦しを宣言します。「神はあなたを赦して下さった、あなたは神の子とされた、その事を喜びなさい」と伝えます。人は求めます「イエスは神の国のしるしとして病を癒して下さいました。あなたも私の病を癒して下さい。そうすれば信じます」。赦しという目に見えないものではなく、癒しという見えるしるしを下さいと人々は望みます。ここで、私たちは、「癒しはあくまでも神の出来事である」ということを伝えなければいけません。神は必要な時には病を癒し、また必要な時には病をそのままにされます。河野進牧師は歌いました「病まなければ ささげ得ない祈りがある 。病まなければ 信じ得ない奇跡がある 。病まなければ 聞き得ない御言葉がある 。病まなければ 近づき得ない聖所がある 。病まなければ 仰ぎ得ない御顔がある 。おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない」(河野進「病まなければ」)。病が祝福になることがある、癒されないこともまた神の恵みとして受け止めていくのが聖書の信仰です。
・では、癒しは教会の業ではないとして、かかわる必要はないのでしょうか。イエスは癒しを求めてきた中風の人を拒否されませんでした。私たちも自分たちに出来る癒しの業に取り組む必要があると思います。私たちは足の不自由な人に「起きて歩け」ということは出来ません。しかし、足の不自由な人が、教会に来ることが出来るように、玄関の段差をなくし、車椅子のままトイレを使えるように改造することは出来ます。私たちは、病気で寝ている人の病気を治すことは出来ません。しかし、寝ている人を訪ね、祈り、その枕元に週報をおいて帰る事は出来ます。ペテロは自分の家の屋根が壊されても文句を言いませんでした。私たちも自分の家を解放して、家庭集会を行うことは出来ます。私たちはイエスのように癒しを行うことは出来ませんが、イエスの前に中風の人を運んだ四人の男にはなりうるのです。イエスの前に人を運ぶ、その先は、赦しと癒しの権能を持たれるイエスにお委ねすることは出来るのです。教会は多くの癒しの業を行うことが出来ることを覚えたいと思います。


投稿者 : admin 投稿日時: 2018-01-01 09:42:03 (49 ヒット)

1.イエスのバプテスマ

・今日から半年間にわたってマルコ福音書からイエスの生涯の物語を見て行きます。これまで礼拝説教で読んできました聖書教育誌は5月から旧約聖書の学びに入りますが、今、私たちの教会に必要なものは旧約ではなく、イエスの福音であると判断し、マルコ福音書を学び直すこととしました。聖書には三つの福音書がありますが、その中で、マルコは最初に書かれた福音書です。紀元60年代から70年代にかけて書かれたと言われています。紀元64年、ローマ帝国はキリスト教徒の大迫害を行い、この時、ペテロやパウロはローマで殉教しています。またユダヤの地ではローマ帝国支配に反対する内乱が生じており、その混乱の中でエルサレム教会の指導者ヤコブも殉教しています(62年)。これまで教会を支えて来た使徒たちが次々に殺され、国そのものが滅亡に直面する中で、これから何を基準に教会を形成していけば良いのか。その時、使徒たちに親しく仕えていたマルコが使徒たちから聞いたイエスの出来事や言葉を集め、「神の国は既に来ている」とのメッセージを記しました。それがマルコ福音書です。最初に書かれた福音書、新約聖書の最初に来るべき書がマルコの福音書なのです。
・マルコは福音書を次のように書き始めます「神の子イエス・キリストの福音の初め」(1:1)。ギリシャ語原文を直訳すると次のようになります「始まった、福音が、イエス・キリストの」。「始まった」という言葉はギリシャ語アルケーです。このアルケーと言う言葉は、当時の人々が読んでいた70人訳ギリシャ語聖書では創世記冒頭に使われています「初めに神は天地を創造された」(創世記1:1)、「初めに」、ヘブル語「べレシート」がギリシャ語「アルケー」に翻訳され、その言葉をマルコは福音書冒頭に用いています。旧約聖書も新約聖書も、「初めに」と言う言葉で始まっているのです。この「初めに」と言う言葉を通して、マルコは「天地創造によって世界は始まったが、イエス・キリストが来られてこの天地は再び創造された」と宣言しています。
・何が始まったのか、「福音が始まった」とマルコは言います。福音=ギリシャ語「エウアンゲリオン」、良い知らせの意味です。「イエスが来られて良い知らせが始まった」とマルコは言います。当時エウアンゲリオンという言葉はローマ皇帝即位の告知に使われました。ローマ皇帝=世界の支配者、人類に平和と救いをもたらす皇帝の出現こそ、エウアンゲリオン=良い知らせであると帝国の人々は告知されたのです。その言葉をマルコはイエス・キリストの出現に用いています。敬愛するペテロやパウロがローマ皇帝によって殺され、祖国ユダもローマ帝国の支配下にあえぐ状況の中で、あえて「福音」という特別な言葉をイエスに用いています。マルコは、「ローマ皇帝が王ではなく、イエス・キリストこそ真の王であり救い主である」と命をかけて信仰告白をしているのです。
・マルコは続けます「イエス・キリストの」、イエスはヘブル名「ジョシュア」のギリシャ語訳、キリストはヘブル語「メシア」のギリシャ語訳です。ナザレのイエスこそ救い主なのだとの信仰告白です。マルコはその信仰をマラキ書やイザヤ書を引用して説明します「預言者イザヤの書にこう書いてある『見よ、私はあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」(1:2-3)。イエスが生まれられた時代は混乱の時代でした。当時のユダヤはローマの支配下にありましたが、ローマからの独立を求める反乱が各地に起こり、多くの血が流されていました。神を信じぬ異邦人に支配されることは、自らを選びの民と自負するユダヤ人には忍び難い屈辱であり、今こそ神は、彼らを救うためにメシアをお送り下さるに違いないという期待が広がっていました。
・その期待が、引用されたマラキ書とイザヤ書の言葉の中にあります。マラキは歌います「見よ、私は使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は、突如、その聖所に来られる」(マラキ3:1)。「神が世を救うために来られるしるしとしてまず使者が送られる」とマラキは預言し、マルコはその使者こそ「洗礼者ヨハネ」であり、そのヨハネの紹介でイエスが世に出られることを予告します。そしてイエスが来られた時こそ解放の時であることを、マルコはイザヤ書40:3を通して歌います「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、私たちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」。国を滅ぼされ、異国の地に捕囚として捕らえられている民に、故国に戻る時が来たので準備せよ、バビロンからエルサレムまでの長い道のりは既に整えられたという喜ばしい知らせが与えられました。その言葉をマルコはイエスの宣教の始めに用いています。

2.ヨハネのメッセージとイエスのメッセージの違いを見よ

・マルコは1:4から洗礼者ヨハネの記事を書き始めます。ヨハネは「荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」(1:4-5)と。イエスは故郷ガリラヤで、ヨハネがユダヤ全土に悔い改めを宣教し始めたとの知らせを聞かれ、「時は満ちた」、「神がイスラエルを救うために行為を始められた」との燃える思いに駆り立てられ、ガリラヤを出られました。その時、30歳であったとルカは伝えています。それまでイエスは故郷のナザレで、家業である大工をされていましたが、ヨハネの呼びかけに答えて、故郷を捨て、ユダヤに向かわれたのです。イエスはヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられますが、その時、「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった」とマルコは記します(1:10)。この洗礼を通して、イエスはご自分が神の子として召されたことをお知りになりました。
・人びとは力強い言葉で神の言葉を語るヨハネこそが、メシア=救い主ではないかと思いましたが、ヨハネは人々の思惑を否定し、「私よりも優れた方が、後から来られる。私は、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。私は水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」(1:7-8)と言いました。マルコは「その方こそ、ナザレのイエスであった」と主張しています。マルコは、ヨハネに「私はかがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない」と言わせています。ヨハネはイエスの準備をしただけであって、私たちはヨハネではなく、イエスをこそ見つめるべきであるとマルコは言います。
・ヨハネが宣べ伝えた宣教は「悔い改めよ、そうしなければお前たちは滅ぼされるだろう」というものです。ルカ3章にヨハネの言葉が残されていますが、彼は述べます「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ・・・斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(ルカ3:7-9)。ヨハネの宣教は終末時の審判です。「今こそ神が世界を裁かれる時が来た」と彼は告知しました。だから荒野で、預言者の衣を着て、悔い改めを人々に迫ったのです。
・それに対してイエスは荒野を出てガリラヤに行かれ、神の国の福音を説かれて言われました「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1:15)。イエスの最初の肉声は「時は満ち、神の国は近づいた」というものでした。ヨハネの宣教とイエスの宣教の違いを理解することは大事なことです。何故ならば多くの場合、私たちはイエスではなく、ヨハネの宣教を宣べ伝えているからです「罪を認めなさい。悔い改めなしには救いはない」、「信じなさい、信じない者は地獄に行く」。これは良い知らせ=福音ではありません。「神の国は近づいた」、イエスは信じない者のために活動された、そこに「良い知らせ」があるのです。

3.福音〜喜ばしきおとずれ

・今日の招詞としてルカ7:22-23を選びました。次のような言葉です「それで、二人にこうお答えになった『
行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない人は幸いである』」。
・洗礼者ヨハネはその後、捕らえられ、牢に幽閉されていましたが、牢の中でイエスの言動を聞き、この人は本当にメシアなのかを疑い、弟子たちをイエスのもとに派遣して聞かせます「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(ルカ7:20)。ヨハネが期待したメシアは罪人たちを滅ぼし、正しい者のための世を来たらせる裁き主でした。しかし、イエスは罪人と交わり、貧しい人を憐れみ、病人を癒されています。裁きの時に罪人は滅ぼされる運命にあるのに、イエスは罪人の救いのために尽力されている。神の国は裁きではなく救いであることをヨハネは理解できなかったのです。ヨハネはイエスにつまずきました。そのヨハネにイエスはイザヤ61章を引用してお答えになりました。それが招詞の言葉です。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」、「福音とは喜ばしき訪れであり、その喜びの知らせを聞いて、人は神の前にふさわしい者に変えられて行く」のだと。
・街中を宣伝カーで走りながら、「信じなければ死んで裁きにあう」、「洗礼を受けない者は地獄に落ちる」などと音声を流している団体があります。彼らの伝えていることは福音ではありません。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われる」ためです(ヨハネ3:17)。イエスは言われました「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」、イエスが来られて神の国が始まった、誰でもそれを信じる者は救われる、その良い知らせを伝えるために私は来たのだとイエスは宣教の業を始められたのです。イエスは後にナザレの会堂でも同じ事を宣言されます「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4:21)。
・神の国は既に来ているのです。どこに、この教会の真ん中に。マルコ1:12-13は暗示的な文章です「それから、霊はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」。洗礼を通して御子イエスの霊を受け、神に向かって「父よ」と呼びかける私たちも、イエスと同様にサタンの試練にさらされています。人として生きる苦しみ、事故や病気などの災難、また差別や戦争などの苦難は、信仰者にも襲いかかります。「野獣たち」、私たちの周囲にあって私たちの思い通りにならないものも、私たちと共にあります。しかし天使たちが荒れ野のイエスを守ったように、イエスが私たちのそばにいて私たちを支えてくれます。洗礼を受けて信仰の道を歩む私たちが出会う試練と、それでも与えられる守りと仲間たちがここに描かれています。「ときは満ちた、神の国は来た、ここに神の国がある」、これこそ私たちがイエスから託された福音、良い知らせなのです。


投稿者 : admin 投稿日時: 2017-12-24 20:04:41 (57 ヒット)

1.イエスの奉献

・イエスは8日目に割礼を受けられ、ヨシュア(主は救い)と名づけられた。そして清めの期間が過ぎて、神殿に奉げものを捧げるために連れて行かれた。両親が奉げたのは貧者の奉げものとされた鳩であった。
−ルカ2:22−24「モ−セの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎた時、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは、主の律法に『初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される。』と書いてあるからである。また、主の律法に言われている通りに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。』」

2.シメオンの賛歌

・ヨセフとマリアが宮に入った時、預言者シメオンに出会う。老預言者シメオンは「自分はメシアに出会った」と讃歌を歌い始める。このシメオンの賛歌は「ヌンク・ディミティス」(今こそ主よ、僕を去らせたまわん)として、カトリック教会の典礼歌になっている。
−ルカ2:29-32「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」
・しかし賛歌の後半はイエスの十字架を預言する。メシアは信じる者には救いの石であるが、信じないものにはつまずきの石になると彼は預言する。
−ルカ2:33-35「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるからです。」
・むさしの福音ルーテル教会の牧師・大柴譲治師は、この記事を「死を前にした最後の言葉」と語る。
−2006年12月1日週報巻頭言から「クリスマスの出来事は私たちに真の希望とは何かを教える。望みなしに人は片時も生き得ない。人間を最後まで支えるものは神の整えられたこの「救い」であり「啓示の光」であるとシメオンは歌う。神の希望に向かって生き、死の門を越えて行ったキリスト者たちの言葉を思い起こす。「これが最後です。しかしこれが始まりです」(ボンヘッファー)。「ああ、これでオレは安心してジタバタして死んでゆける」(椎名麟三)。「人生は神さまと出会うためにあるのではないでしょうか」(松下容子)。それらは「永遠の今」を讃美する一人ひとりの「ヌンク・ディミティス」だった。」

3.バッハ「カンタータ第82番「我は満ちたれり」

・J.S.バッハはカンタータ第82番「我は満ちたれり」でこの記事を作曲している。ルカ2:29にあるシメオンの「満ち足りて死を思う」言葉をその中心として描いた。そして,その「死」の思いを焦点化し発展させることによって「聖霊の啓示の成就の喜び」という主題を浮き上がらせた。また,その歌詞は祈る「私」たちとも密接に関連づけられ,さらにバッハの圧倒的な表出力を持つ音楽言語によってそのテーマはより具体化され,映像を見るかのような具体性をもって聴衆に訴えかける。
−第1曲「私は満ち足りています、私は救い主を、敬虔な者たちの希望を、待ち望むこの腕に抱きしめたのです。私は満ち足りていすます。私はあのお方を見たのです、私の信仰はイエスをこの胸に抱きしめたのです。今や私の望みは、今日にでも喜びのうちにこの世を去ることです。」
−第2曲「私は満ち足りています。私の慰めはただ一つ、イエスが私のもの、そして 私はイエスのものになりたいのです。信仰において私はイエスを抱き、シメオンと共に、すでにあの世の命の喜びを見ています。さあ、このシメオンと共に歩みましょう。ああ、この肉体の鎖から主が私を救って下さいますように!ああ、この世からの別れが来たら、世よ、喜びをもってお前に言おう、お前はもう沢山だと。
−第3曲「まどろめ、疲れた目よ、おだやかに浄福のうちに閉じるがよい。世よ、私はもはやここにはとどまらない、お前の中には私の取り分はない、魂の益になるような取り分は。まどろめ、疲れた目よ、おだやかに浄福のうちに閉じるがよい。この世で私の建てるものは惨めなものばかり、だが、あそこでは、あそこでは見るだろう、甘い平安と静かな憩いを。まどろめ、疲れた目よ、おだやかに浄福のうちに閉じるがよい。」
−第4曲「私の神よ、その美しい今はいつ来るのですか。私が平安の中で世を去り、冷たい大地の砂の中に入り、そして彼の地であなたの懐に憩う日は。別れの用意はできています。この世よ、おやすみ。」
−第5曲「私は私の死を喜び迎えよう。ああ、今日にでもそうなれば!その日、すべての苦難から私は解放される、この世で私を縛っているすべての苦難から。ああ、今日にでもそうなれば!その日、すべての苦難から私は解放される、この世で私を縛っているすべての苦難から。」 (作詞者不詳)


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