すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2019年6月26日祈祷会(第一テモテ2章、祈りと教会内の秩序)

1.公同の祈り

・福音がギリシア・ローマの異邦世界に拡がるに従い、初代の弟子たちが伝えたイエスの福音とは違う、「異なる福音」が生まれ、教会に混乱が生じた。エフェソではギリシア哲学の流れを汲むグノーシスによる混乱が生じていた。そのため、パウロはエフェソにいるテモテに手紙を書く。その手紙が「テモテへの第一の手紙」とされる。2章で著者が語るのは、集会の秩序に対する教え、具体的には「礼拝における祈りについての教え」である。
―第一テモテ2:1「まず、第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」。
・「王や高官のためにも祈れ」と勧められている。教会は世の秩序を敬う。秩序は神から来るものだからである(ローマ13:1-7参照)。教会は迫害者のためにも祈る。
―第一テモテ2:2「王たちやすべての高官のためにもささげなさい。私たちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです」。
・キリスト者はこの世において為すべき役割を持つ。キリスト者が目指すべきは、「世から離れての聖化」でなく、「世に尽くす」ことである。神はすべての人が救われることを望んでおられる。そのためにキリスト者を通して働かれる。
―第一テモテ2:3-5「これは、私たちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただお一人なのです」。
・だからキリスト者は「信じない者は呪われよ」とは言わない。キリストは十字架の後、黄泉に行ってまで救いを説かれたとペテロは証言している。キリストが黄泉に行かれたのであれば、キリスト者も黄泉に従う。
―第一ペテロ3:18-19「キリストも罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました」。
・キリスト者は救いを伝えるために召されている。
―第一テモテ2:7「私は、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。私は真実を語っており、偽りは言っていません」。

2.礼拝における秩序

・教会において男性は全ての人のために祈れと命じられている。男性は攻撃的だ。教会内においても争う。しかし、祈り続ける時、敵への憎しみは赦しに変わる。祈りは「祈る人を変える」。
―第一テモテ2:8「だから、私が望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです」。
・他方婦人は、教会においては身を慎むことが求められている。教会は男女交際の場ではない。華美な服装や髪飾りは、礼拝と祈りの妨げになるからである。
―第一テモテ2:9-10「同じように、婦人はつつましい身なりをし、慎みと貞淑をもって身を飾るべきであり、髪を編んだり、金や真珠や高価な着物を身に着けたりしてはなりません。むしろ、善い業で身を飾るのが、神を敬うと公言する婦人にふさわしいことです」。
・2章11−12節の言葉は、教会の中に秩序を乱す婦人たちがいたための勧告と思われる。
―第一テモテ2:11-12「婦人は、静かに、全く従順に学ぶべきです。婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、私は許しません。むしろ、静かにしているべきです」。
・パウロのコリントでの経験でも、婦人たちが霊的恍惚状態になって異言を語る等の混乱があった。
―第一コリント14:34-36「婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい。何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きなさい。婦人にとって教会の中で発言するのは、恥ずべきことです。それとも、神の言葉はあなたがたから出て来たのでしょうか。あるいは、あなたがたにだけ来たのでしょうか」。
・著者は創造の秩序を基に、「教会において、婦人は男子に従いなさい」と説く。現代においては、多くの人たちはこれを受け入れにくいだろう。
―第一テモテ2:13-15「なぜならば、アダムが最初に造られ、それからエバが造られたからです。しかも、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて、罪を犯してしまいました。しかし婦人は、信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、子を産むことによって救われます」。
・パウロはガラテヤ3章で「キリストにあっては男も女もない」と語った。テモテ書の思想は明らかにパウロと異なる。パウロが変質したのか、あるいはテモテ書はパウロの書いたものではないのか。
―ガラテヤ3:26-28「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリストにおいて一つだからです」。
・十字架のとき、刑場に残ったのは婦人たちであり、復活の最初の証人になったのも婦人たちであったことを、同時に覚えよう。男女それぞれが役割を持って主に仕えるのだ。

3.テモテ書における男性優位主義をどう考えるか

・南部バプテスト連盟の2000年信仰告白は「女性教職の任職禁止」を打ち出した。その根拠となったのが第一テモテ2:11-15だった。テモテ書はパウロの弟子が書いたが、イエスの時代から二世代、三世代と下るに従い、教会が保守化し、その中で書かれた。同じ聖書から、女性同権の言葉(ガラテヤ3:28等)も、そうでない言葉も引き出しうる(第一テモテ2:11-15)。聖書は歴史的制約の中で読まないと、誤読を招く可能性がある。
・2002年に日本バプテスト連盟は第49回定期総会において南部バプテスト連盟の女性牧師禁止に反対して声明を発表した。
−連盟総会声明文「アメリカ南部バプテスト連盟では2000年制定の信仰告白の第6項教会で『教会で奉仕する賜物は男性にも女性にも与えられているが、牧師の任については、聖書によって規定されているように、男性に限られている』と女性牧師を認めないとの信仰告白がなされました。私たち日本バプテスト連盟加盟教会においては、現在38人の女性を牧師・副牧師・協力牧師などとして招聘しています。『そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです』(ガラテヤの信徒への手紙 3章28節)。
−「アメリカ南部バプテスト連盟と日本バプテスト連盟の宣教協力が進められている中、アメリカ南部バプテスト連盟が女性牧師を認めないとの信仰告白を採択したとの報に接し、私たちは、深い悲しみを覚えるものであります。 私たちは、イエス・キリストが差別されている人たちの解放を願って祈り行動したように、アメリカ南部バプテスト連盟が、女性指導者の必要性を認め、私たち日本バプテスト連盟の祈りに応えて下さり、女性牧師を受け入れるよう祈りつつ声明します」。
・聖書にある家父長制倫理について、新約神学の授業を受けたある神学生は悩みを語る。「聖書は霊感を受けて書かれたものだからすべて正しいのか、歴史的文書としての制約を受けるのか、わからない」と。
−「時代的制約を受けているエフェソ書の女性観・男女観の奥にある、聖書の原点としての、「キリストの愛」や「天地創造」に見るべきであると教えられました。私もそのように思います。エフェソ書の、現代から見れば、かなりあからさまに思える男性優位の男女観は、生理的な肌感覚として、最早現代人には受け入れられない倫理・道徳であると思います。そうは思うのですが、その一方で、そういった現代に生きる人間の考え・思い・感じ方を規準に、聖書の文言を「時代に制約されたもの」として、あるいは「原点からの乖離」として判断・評価することが許されるのか、そのような判断行為はどのように根拠づけられるのか、正当化されるのかが判然とせず、心の中にモヤモヤしたものが残ります」。
−「確かに、「男女は平等である」ということは真理であると現代の人間には思えますが、この考えとて、時代的に制約された人間の浅はかさの現われかもしれません。「秘められた神の計画」による人間の理解を超えた別の何かがあるのかもしれません。キリスト教は、片や、人間理性の限界を告げ知らせ、文明社会と文化を相対化します。ところが、その一方では、そのような文化の一つに過ぎない現代文化の価値観に基づいて、神の言である聖書を恣意的に理解し、真理を取捨選択し評価しているように感じられます。恣意性のない、なんらかの明確な神学的規準が示される必要があるように思われました。逐語霊感説を採用する原理主義者などは、「そんな規準はない。よって聖書の全てを真理として受け入れるべきだ」と言うのでしょう。感覚的に同意できませんが、首尾一貫していて恣意性がありません」。
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