すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  マタイによる福音書  >  2003年6月25日  マタイ25:1−30  今をどのように待つか
1.10人の乙女のたとえ(1−13節)

・イスラエルでは花婿が夜に花嫁の家に迎えに行き、彼女を自分の両親の家に連れ帰って婚宴が始まる。その花婿を待つ役割として10人の乙女が指名された。
―マタイ25:1「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。」
・賢い娘たちはランプと一緒に予備の油を持っていったが、他のものはそうしなかった。愚かな娘たちは花婿が来たときには油が消えそうで、出迎えの役を果たせなかった。
―マタイ25:6-10「真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』・・・愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。」
・私たちは主の復活と再臨の中間期にいる。つまり、私たちは天の国と地の国の双方を生きている。天を捨てて地に執着するとき、その生き方は世俗主義になり、地を忘れて天に走るとき、現実逃避の幻想主義に陥る。天を仰いで地を生きる生き方が求められる。そのために教会に連なる。
―マタイ5:14-16「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

2.タラントンのたとえ(14−30節)

・主人が旅行に出かけ、財産を能力に応じて、僕たちに預けた。主人であるキリストが天に上げられ、後の事を弟子たちに委ねられたとの意味であろう。
―マタイ25:14-15「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。」
・人はそれぞれの賜物(タラントン)を与えられている。最も少ないものにも1タラントン(6000デナリ)であり、活用するのに十分な額だ。二人の僕は賜物を生かして増やした。
―マタイ25:19-22「かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』・・・次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』」
・1タラントンを預かったものは失敗を恐れ、何もせず、主人の叱責を招いた。
―マタイ25:26-30「怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。」
・最後の僕は何のために賜物を与えられているかを理解せず、自分のためだけにその賜物を使った。自分のためだけに賜物を費消する人生は、何物をも生み出さない。
―ヨハネ12:24-26「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
・タラントンを生かして生きる。失敗しても神はそれを認めてくださる。それがキリスト者の生き方であることをこのたとえは示す。
―汽撻謄4:10「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」
・私たちは「出来ることしか出来ない」存在であるが、それは「出来るだけのことは出来る」存在でもある。
―ルターの言葉「大胆に罪を犯せ、そして大胆に信ぜよ、そして神の栄光を現せ」
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