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2019年5月1日祈祷会(第一テサロニケ2章、キリストの苦しみを共に担う)

1.テサロニケの信徒への第一の手紙の背景

・テサロニケはマケドニア州の州都であり、陸海の交通の要所として栄えた大都市だった。パウロとその同行者シラス、テモテはヨーロッパ伝道の最初にマケドニアのフィリピに渡るが、そこで激しい反対運動を受け、テサロニケに逃れて行く。テサロニケにはユダヤ教の会堂があり、一行はその会堂を拠点として、福音の宣教活動を行う。「イエス・キリストこそ聖書に約束された救い主である」とパウロは説いたが、ユダヤ人たちはパウロの言葉を信じなかった。しかし、「ギリシア人や・・・婦人たちは二人に従った」、こうしてユダヤ教会から分離する形でキリスト教会が生まれていくが、それは土地のユダヤ人に大きな反発をもたらした。
・これまで自分たちの会堂に集っていた人々が、会堂を出て、パウロの集会に行くようになったからで、そのため、ユダヤ人たちは市当局者のところに行ってパウロたちを告発する。ローマ帝国に対する反逆者としてパウロたちが告発され、この騒動のため、身の危険が迫り、パウロたちはテサロニケを出た。パウロはその後、コリントに行き、そこで伝道を始めるが、テサロニケに残してきた信徒たちのことが気がかりになる。生まれたばかりの教会が、牧会者のいない状況の中に放置されることになった。信徒たちはバプテスマを受けて間もない信仰者たちであり、周囲の人々の無理解と迫害の中にある。自分たちだけで礼拝を守っていくことが出来るのか、福音の種が消えてしまうのではないか、心配したパウロは弟子テモテをテサロニケに派遣する。そのテモテがコリントへ戻り、教会の様子を知らせてくれた。「テサロニケの人々はパウロたちがいなくなった後も信仰に固く立っている」、そのことを聞いた喜びと感謝が、パウロに手紙を書かせた。
−第一テサロニケ2:1-2「兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、私たちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、私たちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、私たちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした」。

2.伝道活動における誤解と中傷

・伝道活動にはいつも誤解と中傷が伴う。世の人は、伝道活動を教勢拡大運動とみなすからだ。パウロに対しても、自分の為に伝道を行っているとの批判があった。
−第一テサロニケ2:3-4「私たちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。私たちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、私たちの心を吟味される神に喜んでいただくためです」。
・伝道活動が教勢拡大運動になる時、そこには人々に対する迎合が入る。戦前の教会は、国の戦争に協力するための献金を呼びかけ、飛行機を献納した。しかし、パウロはこのようなことは一切しなかった。
−第一テサロニケ2:5-6「私たちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。そのことについては、神が証しして下さいます。あなたがたからも他の人たちからも、人間の誉れを求めませんでした」。
・パウロはテント造りを職業として自給伝道に徹し、教会から報酬を受けようとはしなかった。それはいらざる誤解を避けるためであった。
−第一テサロニケ2:9「兄弟たち、私たちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。私たちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした」。
・伝道者は働きの為に報酬を受ける権利を持つ。しかし、パウロはその権利を受けようとはしなかった。伝道者には、職業的な専門性と時間が要求される。その時、伝道の働きと伝道者の生活をどう配慮すべきか。基本は教会が伝道者に十分に報い、出来ない状況にあれば、伝道者は生活維持のために働くべきだ。
−第一コリント9:13-15「神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。しかし、私はこの権利を何一つ利用したことはありません」。
・宣教に対する誤解と中傷は常に発生する。解決策は御業の為にひたすらに働くことしかない。
−第一テサロニケ2:10-12「あなたがた信者に対して、私たちがどれほど敬虔に、正しく、非難されることのないようにふるまったか、あなたがたが証しし、神も証ししてくださいます。あなたがたが知っているとおり、私たちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます」。

3.テサロニケの人々に対する感謝と愛惜の思い

・パウロが感謝してやまないのは、テサロニケの人々がパウロの言葉を神の言葉として受け入れてくれたことだ。宣教者が聖霊に満たされて語り、聞く人がそれを真摯に受け入れる時、人の語る宣教の言葉が神の言葉となる。
−第一テサロニケ2:13「私たちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、私たちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」。
・テサロニケの人々はパウロの勧めで入信したばかりに、同胞ユダヤ人から排除されるという迫害にあう。しかしパウロは「神はあなた方を迫害するユダヤ人を裁いて下さる」と彼らを励ます。
−第一テサロニケ2:14-16「あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちから苦しめられたように、あなたがたもまた同胞から苦しめられたからです。ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、私たちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、異邦人が救われるように私たちが語るのを妨げています。こうして、いつも自分たちの罪をあふれんばかりに増やしているのです。しかし、神の怒りは余すところなく彼らの上に臨みます」。
・パウロは今コリント伝道に従事し、動くことは出来ない。しかし、体は離れていても、パウロの心は常にテサロニケの人々と共にいる。
−第一テサロニケ2:17-18「兄弟たち、私たちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので(顔を見ないというだけで心が離れていたわけではないのですが)、なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。だから、そちらへ行こうと思いました。殊に、私パウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました」。
・しかし、どんなにサタンの力が強くとも、私の心はあなたがたから離れないとパウロは言う。
−第一テサロニケ2:19-20「私たちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、私たちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、私たちの誉れであり、喜びなのです」。

4.牧会者の役割

・パウロはテサロニケ教会に書き送る「あなたたちのためならば、自分の命さえ、喜んで与えたいと願っている」と。
−第一テサロニケ2:7-8「私たちは、キリストの使徒として権威を主張することができたのです。しかし、あなたがたの間で幼子のようになりました。ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、私たちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたは私たちにとって愛する者となったからです」。
・牧師の牧師たるゆえんは教会の信徒に対する愛だ。それがなければ、彼は牧師を続けることは出来ない。
−第一コリント13:2「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」。
・何故なら、牧師の職務は「羊のために命を棄てる」ことである。だから彼は「牧会者=羊飼い」と呼ばれる。また「囲いにいない羊を追い求めていく」ことが伝道だ。その思いが「召命」であり、それが切れた時が、牧師の退任の時である。
−ヨハネ10:14-16「私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じである。私は羊のために命を捨てる。私には、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」。
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