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2019年4月10日祈祷会(コロサイ書3章、キリスト者としての生き方)

1.旧い衣を脱ぎ捨てよ

・コロサイ書はパウロがコロサイ教会にあてて書いた手紙だ。コロサイ教会の中に異なる福音が侵入し、教会が混乱し、それを正すためにパウロは手紙を書く。教会の一部の人々は、「禁欲すれば清められる」、「善行を積めば天国に行ける」、「苦行すれば救われる」と語っていた。人は「恵みによって救われる」と教えられてもそれだけでは不安で、「断食をし、苦行をし、禁欲して救いを確保したい」と思う。しかし、パウロは「それは邪道だ」と語る。
−コロサイ2:23「これらは、独り善がりの礼拝、偽りの謙遜、体の苦行を伴っていて、知恵のあることのように見えますが、実は何の価値もなく、肉の欲望を満足させるだけなのです」。
・戒律を守ることから生まれるのは自己満足であり、それは信仰ではない。3章では、キリスト者の日常生活に関する勧めが述べられている。基本にあるのは、キリスト者とは、「古い自分に死に、新しい存在になった」という認識である。
−コロサイ3:1 「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます」。
・人は洗礼を受けて、キリスト者となる。水に入れられて死に、水から引き出されて新しく生きる。その結果、キリスト者は地上で生活しながら、既に国籍は天に移された存在になる(ピリピ3:20)。それゆえ、キリスト者はこの世では「寄留者として生きる」。その生き方をコロサイ書は語る。
−コロサイ3:2-3「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです」。
・これまで私たちは、復活とは「死後に永遠の命にあずかる」と考えていた。しかしコロサイ書ではさらに一歩を深めて、「あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されている」、つまり私たちは今「復活の命を生きている。その命はまだ隠されているから見えないが、確かに与えられている」と語る。
−コロサイ3:4「あなたがたの命であるキリストが現れる時、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう」。
・キリスト者は国籍を天に持ちながら、この地上で生きる。地上の生活では、肉の欲望、罪の力が押し寄せてくる。しかし、私たちは地上に死んだ者であるから、天上のものを求めて生きる。それは具体的には、地上の身体である古い衣を脱ぎ捨てることだ。
−コロサイ3:5-8「地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい・・・あなたがたも、以前このようなことの中にいた時には、それに従って歩んでいました。今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい」。
・新しく生まれ変わっても、私たちの内には、不品行や汚れた行いを招く情欲や悪欲がなお残されている私たちは舌で神を讃美しながら、同じ舌で人を呪う存在なのだ。
−ヤコブ3:8-10「舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。私たちは舌で父である主を賛美し、また、舌で神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです」。
・洗礼によって人は義とされる。そこから、私たちの聖化が始まる。私たちは天国への途上にいるのだ。
−コロサイ3:9-10「互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです」。
・あなたがたは旧い自分に死に、新しいものとされたのだから、新しい衣を着なさい。それは具体的には「忍び合い、赦し合い、愛し合う」生活だ。
−コロサイ3:12-14 「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです」。

2.新しい衣を着る生き方(積極的従属)

・では新しい衣を着た生き方とは具体的にはどのような生き方なのか。パウロはコロサイ書3章後半で、その生き方を生活の中で提示する。
−コロサイ3:18-21「妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです。父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです」。
・コロサイ書では、「妻は夫に仕えなさい」、「子は親に従いなさい」、「奴隷は主人に従いなさい」と説かれる。ある人は語る「パウロはキリストにあっては男も女もなく、奴隷も自由人もないと教えたのに、ここでは逆のことを教える。パウロでさえ、世の慣習、制度から自由でなかったのか」。別の人は言う「ここには弱者の従属が説かれている、この従属規定のために、古代・中世は暗黒の時代だった。近代はこの従属から解放され、自由・平等・博愛の理想を求めた所から始まった」。ここで説かれている家庭訓は古い教え、家父長的倫理で、男女の平等・親子の人格的尊重の説かれる現代では聞く価値がないのだろうか。
・18-19節では妻たちに対して「夫に仕えるように」命じられている。単に「夫に仕えよ」と言われているのではなく「主を信じる者にふさわしく」夫に仕えよと言われている。ギリシア語「エン・キュリオー=主において」、キリストに従うように夫に従いなさい、信仰の行為として夫に仕えなさいと言われている。同じ言葉が夫にも向けられる「夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない」。古代において「妻は夫に従え」という教えはあり、夫に対しては「妻を治めよ」との勧告はあった。しかし、夫に対して「妻を愛せよ」という教えはなかった。当時、妻は夫の隷属物であり、愛する存在ではなかったからだ。従って、「妻を愛せ、つらく当たってはいけない」と夫に呼びかけられていることは、革命的な教えであった。
・次に子どもに対して「親に従いなさい」と説かれるが、親に対しても「子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです」と語られている。親に対して子の人格を尊重せよと語られている。それはこれまでになかった教えだ。
・最後に、奴隷は「肉による主人に従いなさい」と言われている。
−コロサイ3:22-24「奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです」。
・当時は奴隷制社会であり、パウロは奴隷制を当然のものとして受け入れることを求めているのだろうか。そうではない。パウロは主人に対しても語る。
−コロサイ3:25-4:1「不義を行う者は、その不義の報いを受けるでしょう。そこには分け隔てはありません。主人たち、奴隷を正しく、公平に扱いなさい。知っての通り、あなたがたにも主人が天におられるのです」。
・奴隷が主人に従うことを定めた掟は多くあるが、主人に対して「奴隷を正しく、公平に扱うように」求めた文書は聖書以外にはない。当時の社会では奴隷は殺そうが、病気で死なせようが、主人の意のままだった。しかし、パウロは主人に語る「あなたがたはそうではあってはならない。あなたがたにも主人が天におられる」ではないか。ここに従うことを通して与えられる解放が述べられている。
−コロサイ3:9-11「互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです」。
・ここにおいて、従属の意味が明らかになってくる。現在の境遇は神が与えてくれたものであり、それに不満を言い、一時逃れの行為をしても、そこからは何も生まれない。むしろ、与えてくれた夫、与えてくれた父、与えてくれた主人を敬い、仕えることを通して、道が開かれて来る。ここに「支配と従属」に代わる新しい掟、「積極的従属」の道が示されている。それはイエスが語られた言葉の具体化なのである。
−マルコ10:43-44「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。
・パウロはコロサイの人々に語る「現在の苦しみを忘れるために霊の力を借り、神秘を求めても仕方がないのだ。現在の与えられた境遇の中で、何が神の御心であるかを求めていくのが、足が地に付いたキリスト者の生き方ではないか」と。
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