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2019年2月6日祈祷会(エペソ4章、キリストにある一致)

1.キリストにある一致

・キリスト者は神に召された。だから「聖なる者」と呼ばれる。私たちキリスト者はこの神の選びと召しにどう応えるべきかが4章のテーマである。
−エペソ4:1-3「主に結ばれて囚人となっている私はあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」。
・「神の招きにふさわしく歩む」とは何だろうか。著者は「柔和で寛容であれ」と語る。それは「愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて、御霊の一致を熱心に保つ」ことだ。教会ではお互いが愛し合う兄弟姉妹として生きるように招かれている。
−エペソ4:4-6「体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます」。
・ここにある一致は、「違いを持ったままの一致」である。違う人が一致するためには、互いに「柔和で寛容」であることが求められる。それは「相手の罪を責めない」ことだ。その時に、違いを持った相手を受け入れることが出来る。
−ガラテヤ3:27-28「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」。
・教会の二つの役割は、教えること(教育)と、伝える(伝道)だ。祈祷会で学び、礼拝で押し出されていく。お互いが争い合っているならば、キリストの体は分裂し、世に対して証しする存在とはなり得ない。
−エペソ4:11-13「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、私たちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」。
・こうして私たちは誤った教え、違った福音が来ても、迷わされることなく、キリストの体を形成していく。何故ならば「教会の頭はキリスト」という信仰で一致しているからである。
−エペソ4:14-15「こうして、私たちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます」。
・教会はキリストの体であり、私たちは教会に召されて集められたのに、実際は「居心地の良い」、「満足できる」教会を求める。しかし教会はエクレシア(召された者の群れ)であり、私を超えた存在だ。私たちが全てではなく、私たちは一部なのだ。
−エペソ4:16「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです」。

2.新しく創造された者として生きる

・「新しく生まれ変わったのだから、もう元の生活に戻るな」と牧会者は語る。神を知らない時のあなたがたは、欲望のままに生き、他者を貪っていた。肉の思いは死を招く。あなたがたは闇の中にあったのだ。
−エペソ4:17-19「主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません」。
・エペソ教会の会員のほとんどは異邦人であった。その彼らに「もはや、異邦人と同じように歩んではなりません」と語られる。キリストを知った者は人格が変えられる。もう「新しい人」になったのだ。
−エペソ4:21-24「キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません」。
・「新しい人を着る」とは「キリストを着る」ことだ。キリストに聞き、キリストに学ぶ生き方だ。
−エペソ4:25「偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに体の一部なのです」。
・エペソ4章2節で、「柔和で、寛容の心を持ちなさい」と勧められている。「寛容」、マクトロミュア=怒りから遠く離れる、「怒ることがあってもその怒りを明日に持ち越すな」。カトリックの聖書学者エスティウスはこれを言い換える「あなたの怒りの日はあなたの和解の日となるべきである」。
−エペソ4:26-29「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい」。
・「悪い言葉(ロゴス・サプロス)」を口にするな、ルターは悪い言葉を「腐ったおしゃべり」と翻訳した。私たちは聖霊を悲しませてはいけない。キリストの体なる教会は「聖霊によって生かされる教会」なのだ。
−エペソ4:30-31「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい」。

3.エペソ4章の黙想

・エフェソ書が書かれた目的の一つは、教会内にユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の争いがあり、両者が融和できなかったことだ。人はキリストによって霊をいただいた後でも、異民族を自分の仲間として受け入れることが難しい。この差別はいくら説明されても、また信仰があっても、解決できない根深さを持つ。だから著者は繰り返し、「キリストによる一致」を語る。
−エペソ4:1-4「主に結ばれて囚人となっている私はあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです」。
・その一致とは違いを持ったままの一致である。異なる人とどのように共存するのか。外国人寄留者が増えている日本の教会では多言語・多文化の中での教会形成が求められる。東京大学副学長の石井洋二郎氏(フランス文学者)は「言語がいくつもあることに積極的な意味を見いだすべきでは」と話す。
−2019.02.03朝日新聞・日曜日に思うより「言葉はコミュニケーションツールであるとともに思考そのものです。日本語ならば考えられることが、英語では考えられないということがあります。外国語なら日本語とは違うことを考えることもできます。言語にはそれぞれの文化的背景や世界観がある。外国語と母語を行ったり来たりすることが「自己相対化」の手がかりになる。もし世界に言語が一つしかなかったら人類は成長しない。自分を相対化できるのは、違うものがあるからです。差異が存在するから思考が育つ。違うからこそわかろうとする欲望も生まれます」。
・相手を責めない。相手に怒らない。悩む人が慰められ、立ちすくんでいる人が励まされる教会。そのような教会を形成していきたい。
−エペソ4:32「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦して下さったように、赦し合いなさい」。
・2003年〜2015年の12年間にわたって、別府国際教会の拠点開拓にあたった吉田真司牧師は語る。「別府の町に立命館アジア太平洋大学が設立され、町は国際都市となり、教会も他民族・多言語になって行った(2015年現在の教会員は70名、国籍は日本・外国が半々)。12年間で習得した、違う人たちと共に教会形成する時のコツは“7割の満足、3割の不満足”である。3割の不満足を相手のために譲った時に合意形成ができる」。別府国際教会のHPは記す「国際的な特性を生かし、地域における国際交流の拠点となります。それは単なる文化的交流にとどまらず、キリストの愛に基づき、様々な違いを受容し喜び合う関係から、キリストの平和を具現化します」。まさにエペソ書の精神が教会を形成したと言える。
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