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2018年11月21日祈祷会(第二コリント13章、最後の勧告と祝祷)

1.最後の勧告をするパウロ

・パウロは手紙を閉じる前に、「今度、教会を訪問する時は、きちんと調査の上、処罰が必要な人は処罰します」と強い言葉を送る。処罰とは教会からの除籍を含む行為であろう。
−第二コリント13:1-2「私があなたがたのところに行くのは、これで三度目です。全てのことは、二人ないし三人の証人の口によって確定されるべきです。以前罪を犯した人と、他のすべての人々に、そちらでの二度目の滞在中に前もって言っておいたように、離れている今もあらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったら、容赦しません」。
・前回訪問で、パウロは反論せず、戻ってきた。そのため「パウロは口ほどのことはない」と高をくくる者も出た。私は個人としては弱いが、キリストの力を持つから強い、この強さを次回訪問で示そうとパウロは言う。
−第二コリント13:3-4「あなたがたはキリストが私によって語っておられる証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です。キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。私たちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています」。
・パウロは言う「あなたがたは他者の意見に惑わされ、私を非難した。そのことはあなたがたが真性な信仰に立っているかを逆に問うのだ」と。非難は個人の思いから出る、それは信仰に基づくものではない。
−第二コリント13:5-6「信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが」。
・私の願いは、私の正しさが証明されることではなく、あなたがたが正しい道に戻ることだ。
−第二コリント13:7-9「私たちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈っています。それは私たちが、適格者と見なされたいからではなく、たとえ失格者と見えようとも、あなたがたが善を行うためなのです。 私たちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。私たちは自分が弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になることをも、私たちは祈っています」。
・キリストにある悲しみは人を命へと導く。従って、必要があれば厳しい措置もとる。しかし、あなたがたがその前に悔い改めてくれることを願うとパウロは書く。
−第二コリント13:10「遠くにいてこのようなことを書き送るのは、私がそちらに行ったとき、壊すためではなく造り上げるために主がお与えくださった権威によって、厳しい態度をとらなくても済むようにするためです」。

2.祝祷で書簡は閉じられる

・これまで厳しい言葉を連ねてきたパウロは一転して、祝祷を述べ始める。厳しい言葉もコリントを愛すれば故であったからだ。ここでパウロは五つの祝福を述べる。
−第二コリント13:11「終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます」。
・喜ぶこと、これが聖徒の第一の条件だ。何故なら、喜ばしい祝福である福音を受けたものが信徒になる。
−ローマ12:1 5「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」。
・完全な者になること、信仰に成熟した者になることだ。成熟していないから、争いが生じる。
−第一コリント3: 3「お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか」。
・励ましあうこと、それは相手の弱さを責めることではなく、その弱さを担っていくことだ。
−第二コリント12:9「主は、『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」。
・思いを一つにする。お互いが祈りあう時思いは一つになる。
−エペソ4:13「私たちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」。
・平和を保ちなさい。聖徒のあり方の基本は平和である。相手が兄弟であれば争いようがないではないか。
−ローマ12:17-18「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。・・・全ての人と平和に暮らしなさい」。
・最後に祝祷を述べる。聖徒の交わりにおいては、どのようなことがあっても最後は祝福の言葉で別れる。
−第二コリント13:13「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」。

3.第二コリント13章の黙想

・これまで厳しい言葉を連ねてきたパウロは、手紙の末尾で、一転して、祝福の言葉を述べ始める。
−第二コリント13:11-13「終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」。
・エルサレム教会から派遣された巡回伝道者たちの言動により、コリント教会は混乱に陥った。彼らは自分たちが霊の人であることを誇り、その霊が雄弁な説教や異言を語らせるとしていた。彼らにとって、見て触れることの出来る霊の現れが極めて重要だった。そのため、彼らはパウロの十字架の神学、「異言は自分を造り上げるが、預言は教会を造り上げる」(1コリント14:4)、「キリストは、弱さのゆえに十字架につけられた」(13:4)、「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」(12:9)という真理を理解できなかった。
・しかし私たちが留意すべきことは、これらの伝道者たちがパウロと異なる信仰を持ったから、彼らは異端であると排除してはいけないということだ。いろいろな信仰の形がありうることを受け入れる必要がある。現代でもホーリネス教会やペンテコステ教会では、神癒(神の癒し)を強調する。彼らは私たちの信仰、「癒しと救いは異なり、癒されない恵みもある」、「人は苦難を通して神と出会う」という信仰に同意しないかもしれない。しかし、それはそれで良い。彼らのためにもキリストが死なれたからだ。

4.現代の自己責任社会の中でのコリント書の意味

・2018年11月20日朝日新聞に公益財団法人「あすのば」事務局長の村尾政樹氏が「弱さを知ることの意味」という文章を寄稿した。「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」と彼は語る。
「公益財団法人で、高校生や大学生世代の意見を聞きながら、貧困対策の調査や子どもたちの支援などをしています。以前、児童扶養手当の拡充を国に求めた時、「甘えだ」とお叱りの電話を受けました。一人親として子どもを育てたお母さんでした。そう思ってしまう気持ちはわからなくもありませんでした。私も学生時代、同世代に「努力不足だ」、という感情をぶつけていたことがあったからです。私は幼い頃、阪神大震災で避難所に暮らし、小学6年生だった2002年に精神を患っていた母が自殺しました。母に冷たくしたことが原因だったのではと、自責の念にかられました。父から「今後は自分のことは自分でやるように」と通告され、当然だと受け止めました。体調が悪かった姉や弟の分も家事をしました」。
・「高校1年からアルバイトを続け、その稼ぎと奨学金で一人暮らしをして、大学を卒業しました。何とかはいつくばってきていたので、親の仕送りがある友達を「甘い」と責めてしまいました。何かに支えられている人の話を聞くと、自分の頑張りが否定されていると感じました。一方で高校時代に、私と似た境遇で「母に迷惑なので進学できない」と泣く友達や、「自殺する人間は弱い」と言う教師を見たとき、「個人の力だけではどうしようもないことを責めるのは理不尽だ」とも感じていました。」。
・「私の心境が変化したきっかけは、東日本大震災でした。ボランティア活動で無力さを痛感して相談した知人に、『弱さを持っているほうが人間くさくていいよ』と言われました。強がり続けて、頑張らないと認めてもらえない、という不安感から楽になれた気がしました。自分の弱さを受け止められたことで、他の人の弱さを受け止めつつ、支えを必要とする人の力になれればと感じ、今の仕事につながっています。今の社会は、みんなどこか余裕なく息苦しさも感じながら生きているのが現実です。私は今、「自立」=「誰にも頼らない孤立状態」を子どもや若者に強いていることを課題ととらえ、大学院で研究もしています。簡単に「ぜいたくだ」「甘えだ」と個人を責めても本質的な解決になりません。自分の人生に責任を持てるだけの社会的な支えが不足していないか十分に確認せず、個人に責任を押しつけるような社会でいいのか。まず問うべきだと思います」。
*1990年生まれ。社会福祉士。学生時代から自殺対策や子どもの貧困対策の推進に関わり2015年から現職。
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2018年11月7日祈祷会(第二コリント12章、弱さを誇る)
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