すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2005年8月3日祈祷会(第二コリント8章、献金について)

1.エルサレム教会への献金の勧め

・パウロは異邦人教会で伝道をしながら、エルサレム教会への献金活動も進めていた。一つは不和が目立つユダヤ人教会と異邦人教会との融和を進めるため、もう一つは実際に貧しいエルサレム教会を支援するためだった。
−ガラテヤ2:9-10「彼らは私に与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目される主だった人たちは、私とバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、私たちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。ただ、私たちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうど私も心がけてきた点です」。
・マケドニアの諸教会は貧しかったが、自発的にエルサレム教会への献金の申出てくれた。彼らを動かしたのは、「一つの部分が苦しめば他の部分も共に苦しむ」(第一コリント12:26)という教会の信仰だった。
−第二コリント8:1-4「兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。私は証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりに私たちに願い出たのでした」。
・他方、コリント教会は豊かであったのに、献金に対して消極的だった。始められた募金活動もいつの間にか、停止してしまった。苦しむ人と共に苦しむことを忘れたら、あなた方は教会ではなくなるとパウロは警告する。
−第二コリント8:6-7「私たちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、私たちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい」。
・信仰者にとって「献金」とは「献身」だ。キリストの愛に動かされた行為だ。「キリストがあなた方のために貧しくなってくださったのだから、あなたがたも貧しくなりなさい」とパウロは勧める。
−第二コリント8:9「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」。
・コリントの人たちは「エルサレム教会へは与えるだけで、もらうことはない。それは馬鹿らしい」と献金を嫌ったらしい。パウロは「与えることは受けることなのだ。多く与える人こそ豊かになる」と語る。
−第二コリント8:13-14「他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです」。
・パウロは出エジプトの出来事を引用して、「主は必要なものは与えて下さるから、余剰があれば差し出しなさい」と勧める。
−第二コリント8:15「『多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった』と書いてある通りです」。
・砂漠で欲張って二日分のマナを集めた者のマナは腐ってしまった。自分の富に固執する時、その富は祝福ではなく、人を滅ぼすものになる。
−出エジプト記16:17-21「ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。モーセは彼らに『だれもそれを、翌朝まで残しておいてはならない』と言ったが、彼らはモーセに聞き従わず、何人かはその一部を翌朝まで残しておいた。虫が付いて臭くなったので、モーセは彼らに向かって怒った」。
・パウロはここで語っている「必要なものは主が与えて下さる。今、あなたがたが生きるために必要なもの以上をいただいていれば、それを主に捧げなさい。多く持つことにより、私たちの心の中に惜しむ気持ちが生まれる。必要以上のゆとりは腐ったマナになりかねないのだ。必要以上に持っているものを、持たない人と分かち合う行為が献金なのだ。キリストは私たちを愛するあまり、貧しくなって下さった。だから、私たちもキリストの相続人として隣人のために貧しくなるのだ」と。

2.お金を取り扱う者の心得

・パウロはテトスを再びコリントへ派遣する。コリントでの献金活動を再開させるためだ。
−第二コリント8:16-17「あなたがたに対して私たちが抱いているのと同じ熱心を、テトスの心にも抱かせてくださった神に感謝します。彼は私たちの勧告を受け入れ、ますます熱心に自ら進んでそちらに赴こうとしているからです」。
・その際にパウロは同行者を共に派遣する。献金の取り扱いについて、疑惑をもたれないためだ。
−第二コリント8:18-21「私たちは一人の兄弟を同伴させます。福音のことで至るところの教会で評判の高い人です・・・私たちは、自分が奉仕しているこの惜しまず提供された募金について、だれからも非難されないようにしています。私たちは、主の前だけではなく、人の前でも公明正大にふるまうように心がけています」。
・教会のお金の使い方も同じだ。主の前だけでなく、人の前でも公明正大であることを心がける。だから教会は毎月の会計を隠さずに公示する。
−第一ペテロ2:11-16「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。・・・自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい」。

3.献金をどう考えるか

・コリントの教会は、賜物が豊かな教会であった。異言を語る人、奇蹟を行う人、癒しを行う人、教育を行う人、様々な能力のある人で溢れていた。経済的にも豊かであった。しかし、いざ献金となると、その豊かさとは裏腹の弱さがあった。それは他の教会に対する無関心から出ていた。しかし、教会はキリストの体である。一つ一つの地域教会が集まってキリストの体を形成する。だから一つの教会が傷めば、他の教会も共に苦しむ。
-第一コリント12:26-27「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」。
・日本バプテスト連盟には325の教会・伝道所があるが、そのうち礼拝参加者が10名に満たない教会・伝道所が26もある。多くは地方教会で、礼拝参加者10名以下の教会は概ね経常献金300万円以下であり、経済的に牧師招聘が難しく、牧師のいない教会は消滅危険性が高い。連盟ではこのような小教会に様々な財政支援をしている。牧師給補助、会堂借入補助、無牧師教会礼拝支援費、教会施設整備補助、研修会参加費補助等の支援で、その財源は諸教会から捧げられる協力伝道献金である。だから私たちも自分たちの教会の財政が苦しい時も、この協力伝道献金は精一杯行う。
・アーネスト・ベストはコリント書注解で、「献金は献身のしるしであり、イエス・キリストの恵みに対する応答」という信仰の行為であると語る。
−現代聖書注解・第二コリントから「もしコリントのキリスト者がエルサレムのキリスト者について心配をしないのならば、コリントにはもはや教会は存在しなくなる。共に集まって礼拝する集団は存在し続けるかもしれないが、そこにはキリストはいない。捧げ物の最終基準は捧げた後にどれだけ残るかという計算の結果によるものではない。唯一の基準はキリストの愛である」。
・大宮傅は語る「献身無き献金は、心理的強制を伴う義務上のこととなり、神の恵みに関する全生活を挙げての応答という性格が見失われて、自分の側の負担能力と額の大小に注意が集中してしまう」。献金は献身であるということを忘れた時に負担となる。
−第二コリント9:6-7「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めた通りにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」。
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