すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  マタイによる福音書  >  2002年5月1日  マタイ4:1−11  荒野の誘惑
1.これらの石をパンに変えてみよ。(1−4節)

・悪魔はイエスに三つの誘惑を試みている。第一の誘惑は「石をパンに変えてみよ」との誘いである。
―神の子であれば人々を救うために来たのであろう。今、多くの人々が貧しさのために飢えに苦しんでいる。もし、おまえがこれらの石をパンに変えれば彼らの命を救うことができるではないか。
・人々はパンを求めていた。
―ヨハネ6:11-15「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。・・・人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。」
―マルクス主義は、貧しい人々にパンを与えようと言う運動であった。社会の不正が人々からパンを奪っていると考えた彼らは革命を起こしたが、出来上がった社会は化け物のような社会だった。人間の力で神の国を作ろうとする行為は悪魔の試みに従う行為であり、人間が変らない限り、社会の構造を変えても何の成果もない。

2.神の子であるしるしを見せてみよ(5‐7節)。

・第二の誘惑は神殿の屋根から飛び降りてみよとの誘いであった。
―おまえが神の子であれば、神が守ってくださる。今、この屋根から飛び降りて、神の子であるしるしを見せれば、多くのものが信じるだろう。そうすれば容易に神の国を造れるではないか
・人々はイエスに繰り返し、しるしを求めた。
―マタイ27:39-40「通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
・もし、イエスが悪魔の誘いに乗って十字架から降りられたら、その後の教会は形成されなかっただろう。
―イエスは十字架上に死なれて、復活された。弟子たちは神の子が自分たちのために死なれたことを知った。人はしるしを見て変えられるのではなく、神が自分を愛され、行為されたことを知るときに、変えられていく。

3.世の支配権をあげよう(8‐11節)。

・三番目の誘惑は、この地上に神の国を立てよというものだった。
―あなたがこのローマの圧制から人々を解放すれば、ここに神の国ができるのではないか。
・イエスはその気になれば、民衆を扇動して、ローマに反乱を起こさせることも出来た状況であった。
―紀元66年ゼロータイ(熱心党)は「武器の力を持ってローマを制圧し、エルサレムの神殿を全世界の中心となし、イスラエルに世界支配を許す神の奇跡に信頼しよう。その時、天からマナが降るであろう」と人々を誘い、ユダヤ戦争が始まり、紀元70年にエルサレムは破壊され、国は滅びた。生まれたばかりの教会は戦争に参加せず、エルサレムを脱出して生き残った。世の支配権を与えるという悪魔の誘惑に従った人々は、国を亡くした。

4.誘惑物語から見えてくること

・三つの誘惑はいずれも地上に神の国を作れとの誘いである。弟子たちもイエスが王になることを熱望していた。
―民衆にパンを与えれば、民衆はおまえを王にするであろう。ローマを倒してイスラエルを独立国にしたら民衆はおまえを王にする。奇跡を起こせば、人々はおまえに従い、おまえは王になる。
・イエスご自身も、十字架に死ぬことに意味があるのかという疑いを持たれた。イエスの中にも迷いがあった。
―マタイ26:39「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
・歴史を振り返れば、十字架以外の選択肢は全て悪魔の道であり、それに従った人たちは全て滅んだ。
―ヨハネ12:24「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」
―1コリント1:25「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。」
プリンタ用画面
前
2002年4月24日  マタイ3:1−17  バプテスマのヨハネ
カテゴリートップ
マタイによる福音書
次
2002年5月8日  マタイ4:12−25  伝道の始め