すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.霊の人と肉の人

・コリント教会はパウロの開拓伝道により生まれた。巡回伝道者パウロはコリントに1年半滞在して教会の基礎を築き、その後を同僚のアポロに託して、エペソに移る。アポロは雄弁家で、聖書に精通し、その説教は人々を魅了し、アポロに惹きつけられた人々はアポロの指導下に新しい方向に導かれることを望むようになって行った。他方、創設者パウロからじかに教えを受け、導かれた人々は、そのような動きを、教会を誤った方向に導くものだと強く反対していた。教会の中に、「私はアポロに」、「私はパウロ」にと争いがあった。
−1コリント1:11-12「あなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい、『私はパウロにつく』『私はアポロに』『私はケファに』『私はキリストに』などと言い合っているとのことです」。
・人は、生まれつき「肉の人」であるが、神の霊を受けて「霊の人」に変えられる。肉の人は、この世の霊=この世の価値基準に動かされる。この世の価値基準に動かされる時、人は相手を妬み、妬みが争いを招く。「あなた方が教会の中で分派争いをするのは、あなた方の信仰が未熟だからだ」とパウロは戒める。
−1コリント3:1-2「兄弟たち、私はあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。私はあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません」。
・「私はパウロに、私はアポロに」と言い張るあなた方は、世の人と同じ価値観に立つのではないか。どこに神の霊があるのか。
−1コリント3:3-4「相変わらず肉の人だからです。お互いの間に妬みや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。ある人が『私はパウロにつく』と言い、他の人が『私はアポロに』などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか」。
・肉を殺す=新しく生まれることなしに神の霊を受けることは出来ないとパウロは言う。今までの古い生活から少しも離れないままに、霊においても富むことは不可能なのだ。富める青年の例えがそれを示す。
−マルコ10:21-22「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。『あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい。』その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。」
・アポロとは何者か、パウロとは何者か、神のために働く奉仕者だ。何故、「奉仕者にすぎない人を見て、頭である神を見ないのか」とパウロは告発する。
−1コリント3:5-7「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」。
・パウロはコリント教会の開拓伝道を行い、アポロはその後を受けた。パウロとアポロは神の同労者なのだ。そしてあなたがたは「神の畑、神の建物」なのだ。
−1コリント3:8-9「植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。私たちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです」。

2.教会とは何か

・私が神学校で学んだ時の牧会学の教師は語った「あなたたちが教会に赴任した時、最初の5年は苦労する。赴任した教会の信徒たちは前の牧師によって導かれた人々であり、あなたたちに違和感を持つだろう。あなたたちがバプテスマを授けた、あるいは導いた人々が教会の半数を超えた時、その時、教会はあなたたちの教会になる」。15年間の牧師生活を通して、この人間的な言葉は真実をついていると思う。しかし、それではいけないのだとパウロは語る。パウロは教会の土台を築き、アポロはその上に建物を築いた。しかし土台石になられたのはキリストだ。
−1コリント3:10-11「私は、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています・・・イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれも他の土台を据えることはできません」。
・キリストの土台の上に立てられる建物はいろいろある。多様な教会形成がありうる。何が良いかは最後の審判の時までわからない。
−1コリント3:12-13「この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです」。
・神の霊を受けた者は神の神殿だ。教会の交わりを破壊するとは、人々に天国の門を閉じる行為だ。それは神の神殿を汚す行為であり、神の霊を辱める行為であり、決して赦されない。
−1コリント3:16-17「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされる・・・神の神殿は聖なるものだからです」。

3.すべてはキリストのため

・パウロは党派争いをするコリント教会へ書いた手紙の3章を素晴らしい讃歌で締めくくる。
−1コリント3:22-23「パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」。
・私たちは何のために生きているのか、今自分の力で生きているのか、それとも生かされているのか、生かされているとしたら神は私たちに何を期待しておられるのか。それをパウロは「パウロもアポロもあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のもの」と簡潔に言い表す。私たちには「神と世の和解の言葉」、世を救う「福音」が委ねられている。パウロはコリント教会を「神の教会」、その信徒を「召されて聖なる者とされた人々」と呼んだ。争いばかり繰り返している教会の人々を、パウロは聖徒と呼ぶ。神に召された故に聖なる者とされたのだ。
−1コリント1:1-2「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところで私たちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちと私たちの主であります。」
・私たちも「キリストの名によって召され、神の言葉を聞き、それぞれの場で福音を伝えるために」集められている、仲間割れや分派争いをしている時ではない。教会には違う者が集められているが、主から使命を委ねられているという理解は一致している。この一致を持って教会を形成し、世に出て行く。内村鑑三の墓は多磨霊園にあるが、その墓碑には次のような言葉が刻まれている。
−内村の墓碑銘「I for Japan. japan for the world. The world is for Christ. And all for God.(私は日本のため、日本は世界のため、世界はキリストのため、そして全ては神のため)」。
・私たちがキリストにある大志を持って教会形成に取り組んでいった時、教会は世に福音を伝える拠点になりうる。ウィリアム・クラークの言葉を最後に覚える。
−ウィリアム・クラーク「“Boys, be ambitious! Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be. Boys be ambitious in God”」
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