すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ローマ人への手紙  >  2018年2月28日祈祷会(ローマの信徒への手紙11:1-16、イスラエルの残りの者の救い)

1.イスラエルの残りの者に対する神の働きかけ

・パウロは異邦人伝道者として召命を受け、多くの異邦人をキリストに導いた。それはパウロには大きな喜びだったが、同胞ユダヤ人が今なおキリストを拒絶し続けていることが大きな懸念だった。神はユダヤ人の父祖アブラハムに、「地上の氏族は全てあなたによって祝福に入る」と約束された(創世記12:3)。ユダヤ人を通して、神は人類を救おうとされ、その約束はユダヤ人として生まれられたキリストの来臨により成就した。しかし、ユダヤ人たちはこのキリストを殺し、今なおキリストの教会を迫害している。何故彼らは神の憐れみであるキリストを受入れることが出来ないのか。それはユダヤ人が行いによる救いに固執し、神の義ではなく、自分の義を求めたからだとパウロは語る。
−ローマ10:3「神の義を知らず、自分の義を求めようとして、神の義に従わなかったからです」。
・パウロは、イザヤ書を引用し、「(神は)不従順で反抗する民に手を差し伸べ続けた」と述べている。イスラエルは神の義を立てずに自らの義を追い求めているが、それは今に始まったのではなく、イスラエルは遠い過去の時代から、神に反抗し続けていた。「それでも神はイスラエルを見離されない」とパウロは述べる。その証拠に、神は自分のようなユダヤ人をあなた方に遣わしているとパウロは自分の出自を証しし、続いてエリヤの例をあげた。エリヤ時代のイスラエルは偶像神に迷い、神から離れた背信の時代であった。
−ローマ11:1-2「では、尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない。私もイスラエル人で、アブラハムの子孫であり、ベニヤミン族の者です。神は前もって知っておられた御自分の民を退けたりなさいませんでした。それとも、エリヤについて聖書に何と書いてあるか、あなたがたは知らないのですか。彼はイスラエルを神にこう訴えています。」
・パウロはエリヤの祈りを掲げる。その祈りは「神が迫害を重ねるイスラエルを裁いて下さるよう」に訴える祈りであった。パウロ時代のイスラエルもそれと同じであった。イスラエルはキリストを殺し、弟子のステパノを殺し、宣教者のペトロやパウロまでも殺そうとしていた。エリヤ時代の預言者と同じく、神の救いを伝えようとする福音の使者たちを殺し、また殺そうとしている。
−ローマ11:3「『主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。そして、私だけが残りましたが、彼らは私の命をねらっています。』」
・そのようなイスラエルに対し、エリヤは神の裁きを願った。しかし、神はエリヤに「バアルにひざまずかなかった七千人を残しておいた」と言われた。同じように、今の時代にも残りの者がいるとパウロは語る。
−ローマ11:4-6「しかし、神は彼らに何と告げているか。『私はバアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた』と告げておられます。同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています。もしそれが恵みによるとすれば、行いにはよりません。もしそうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。」
・イスラエルは行いによる義を求めたので、神の義に達しなかった。イスラエルは間違った求め方をしたために、誤った義を信じた。神はこのようなイスラエルをかたくなにされた。
−ローマ11:7−8「では、どうなのか。イスラエルは求めているものを得ないで、選ばれた者がそれを得たのです。他の者はかたくなにされたのです。『神は、彼らに鈍い心、見えない目、聞こえない耳を与えられた、今日に至るまで』と書いてある通りです。」
・パウロはダビデの言葉を引用して苦衷を訴える。ダビデはサウル王に殺されそうになり、王になった後も、息子アブシャロムから王位を狙われた。ダビデの時代でさえイスラエルの心は神から離れていた。
−ローマ11:9−10「ダビデもまた言っています。『彼らの食卓は、自分たちの罠となり、網となるように、つまずきとなり、罰となるように、彼らの目はくらんで見えなくなるように。彼らの背をいつも曲げておいてください。』」
・旧約時代のイスラエルは何度も神に逆らい、神から離れることを繰り返した。その度に神はイスラエルを罰し、懲らしめた。しかし、捨てられたのではない。不忠なイスラエルに神は常に恵みの手を差し伸べておられた。福音伝道の歴史を見る時、私たちはユダヤ人の拒絶を通して、異邦人が救われた歴史に驚嘆する。歴史はエルサレム教会に対する迫害があり、エルサレムを追われた弟子たちにより福音は広まっていったことを示す。ユダヤ人の拒絶が福音を広めた。
−使徒行伝8:1-5「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った・・・さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」。

2.異邦人の救いを通してのユダヤ人の救い

・イスラエルが信仰につまずいたゆえに異邦人に救いがもたらされた。イスラエルのつまずきにより、異邦人が救われ、異邦人が救われることで、イスラエルにねたみが起き、それによってイスラエルが救いを求めるという壮大な未来図をパウロは描く。
−ローマ11:11「では、尋ねよう。ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。」
・パウロ自身最初はユダヤ人同胞に伝道したが、彼らが受け入れなかったため、進路を異邦人に向けた。
−使徒行伝13:46「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、私たちは異邦人の方に行く」。
・もしユダヤ人がイエスを受け入れたならば、キリスト教はおそらくユダヤの民族宗教に留まり、全世界に述べ伝えられることはなかったであろう。しかし神の民ユダヤの反逆によって、キリスト教は民族を超え、ローマにまで伝えられて行った。ユダヤ人の背信が神の経綸の中で決定的な役割を果たした。それだけではなく、救いが異邦人に及ぶことを通して、福音を拒絶したユダヤ人がまた神の下に帰るという幻をパウロは与えられた。私たちの家族や友人が今は福音に心を閉ざしているとしても、それは神のご計画の中にあり、いつの日家族もまた福音を受け入れるという希望を持つことが許されている。
−ローマ11:12「彼らの罪が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいことでしょう。」
・では先に救われた異邦人の役割は何か。それはユダヤ人に妬みを起させることだとパウロは言う
−ローマ11:13−14「では、あなたがた異邦人に言います。私は異邦人のための使徒であるので、自分の務めを光栄に思います。何とかして自分の同胞にねたみを起こさせ、その幾人かでも救いたいのです。」
・イスラエルが救われることを願うのは、死者が生きかえることを願うのと同じである。しかしその奇跡が起こることをパウロは信じた
−ローマ11:15「もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命でなくて何でしょう。」

3.私たちのとってのローマ11章の意味

・パウロにとってのユダヤ人の救いは、私たちにとっての家族や、教会を離れて行った友の救いのことだ。私たちは信仰を与えられたが、家族の中で信仰を持っているのは自分一人の方も多い。自分は救われるかも知れないが、家族はどうなるのか。キリストを知らないまま死んでいった家族はどうなるのか。教会から離れていった人たちは捨てられるのだろうか。しかしパウロはそうではないと語る
−ローマ11:24「もしあなたが、もともと野生であるオリーブの木から切り取られ、元の性質に反して、栽培されているオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、まして、元からこのオリーブの木に付いていた枝は、どれほどたやすく元の木に接ぎ木されることでしょう。」。
・神の知恵は人間の思いを超える。誰が救われたとか、救われていないとかいうことは、神の領分であり、私たちは、ただ神が私たちを選んでくれたことに感謝するだけでよい。だからパウロは賛美する。
−ローマ11:33-35「神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。だれがまず主に与えて、その報いを受けるであろうか。」。
・600万人のユダヤ人が殺されたホローコストは人間の罪により起こされたが、神はその悲惨な出来事を通して世界中の関心をユダヤ人に集中させ、イスラエルの地に彼らが国を建てることを許された。2000年間国を無くして放浪していた民族が、国を再建したことは歴史上ありえない出来事だ。その出来事を神は起こされた。そうであればキリストを信じないで死んでいった家族も、今でも福音を拒む友の救いも神が為してくださることを私たちは信じ、そのために私たちを用いられるように祈っていく。
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