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トップ  >  ローマ人への手紙  >  2017年10月11日祈祷会(ローマの信徒への手紙2:1-16、ユダヤ人の罪)


1.ユダヤ人の罪

・ローマ教会の中でも、ユダヤ人信徒と異邦人信徒の間に対立が起きていた。同じ教えを信じる信仰者の間に、なぜ対立や争いが生じるのか、パウロはその根本原因に人間の罪を見た。そのため最初の挨拶の言葉を終えるや、パウロは「罪とは何か」を説き始める。パウロは最初に異邦人の罪を指摘した。異邦人は「神を知りうるのにこれを知ろうともしなかった」、そこに彼らの罪があるとパウロは指摘する。彼が語る相手は教会内の異邦人キリスト者だ。キリスト者になってもかつての悪い習慣から解放されていない。
−ローマ1:20「世界が造られた時から、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。」
・パウロは続く2章では、異邦人信徒の罪を裁くユダヤ人キリスト者の罪を暴いている。神を認めようとしない異邦人信徒を裁くユダヤ人信徒も、その行いにおいて何ら異邦人と変わらない。「神はそのようなユダヤ人信徒を許されない」とパウロは語る。
―ローマ2:1−2「だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、私たちは知っています。」
・パウロはユダヤ人キリスト者に語る「あなたたちは他人の罪を裁くが、自分たちが同じ罪を犯していることに気付いていない。自分たちを顧みず、他人の罪ばかりを責めている。」と。
−ロ−マ2:3−4「このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。」
・人は他人の罪は見えても自分の罪は見えない。名君と言われたダビデでさえ、自分の罪に気付かず他人の罪に厳しかった。預言者ナタンはそれを明らかにした。
−サムエル記下12:9「ナタンはダビデに向かって言った。『その男はあなただ・・・あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした』」。
・同じように、「自分をさておいて他人を裁くものにも神の怒りが臨む」とパウロは語る。
−ロ−マ2:5−6「あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる、怒りの日に現れるだろう。その日には、神はおのおのの行いに従ってお報いになります。」
・「目に見えるものに惑わされず、神の栄光と誉れを求める者には、神は永遠の命を与えられる。しかし、神の教えに従わず、欲望のままに行動する者には神の怒りが下るだろう」とパウロは語る。
−ロ−マ2:7−8「すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。」
・第一章においてパウロは、異邦人信徒に対して、呵責のない罪の追及をした。パウロの異邦人批判を、ユダヤ人信徒は歓迎した。ユダヤ人信徒からみれば、異邦人社会は偶像だらけで、唯一神への信仰などあるはずがない。そして、自分たちユダヤ人は彼らと違うという優越感を持っていた。パウロの異邦人に対する厳しい追及を聞いた彼らは快哉を叫んだが、彼らを驚かせたのは、異邦人信徒を批判したパウロが、今度は彼らユダヤ人信徒の不信仰を追及し始めたことである。

2.律法と良心

・「神はユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと悪を行う者には罰を下し、善を行う者には誉れを与えられる」とパウロは語る。
−ロ−マ2:9−10「すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシャ人にも、苦しみと悩みが下り、すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシャ人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。」
・神はユダヤ人とギリシャ人を分け隔てすることはなさらない。律法を知る者も律法を知らない者も、律法を犯せば、同じように神によって裁かれる。
−ロ−マ2:11−12「神は人を分け隔てなさいません。律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。」
・律法を知らないで罪を犯した異邦人は罪の故に滅ぼされ、律法を知りながら罪を犯したユダヤ人もまた、その罪の行為によって裁かれるとパウロは追求する。「律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が義とされる」とパウロは語る。
−ロ−マ2:13−14「律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が義とされるからです。たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。」
・ユダヤ人は、神に選ばれた民として、紙に書かれた律法を与えられ、律法を拠り所としていた。パウロが異邦人伝道で突き当たった問題は、律法を持たぬ異邦人に、何をもって律法の役割を果たさせることであった。そこでパウロが行き着いたのが人間の良心であった。
−ロ−マ2:15「こういう人々は、律法の言うことが心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証しており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って同じことを示しています。」
・聖書が良心について語るのは、この箇所だけであろう。その理由は、人間のすべての在り方が良心によって解決するわけではないからだ。律法が完全ではない様に、良心も完全ではない。それは一時的方便であり、福音へと人を繋ぐ継ぎ手に過ぎない。
−ロ−マ2:16「そのことは、私の福音の告げる通り、人々の隠れた事柄を、キリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。」

3.パウロは何を語るのか

・ユダヤ人キリスト者たちは、異邦人改宗者に割礼を受けることを求め、律法を守らなければ救われないと主張していた。そして自分たちこそ正しい者であり、異邦人のような罪人ではないと驕っていた。パウロはそのユダヤ人信徒に対して、選民として特権意識を持ち、異邦人を見下して傲慢となっているあなたたちこそ、神の目から見れば罪人なのだ。あなた方はローマ教会の中で異邦人キリスト者と対立し、そのことによって「神の御名を汚しているではないか」と語る。
−ローマ2:24「『あなたたちのせいで、神の名は異邦人の中で汚されている』と書いてあるとおりです。」
・パウロは語る「割礼も律法を守るからこそ意味があり、守らなければ無割礼と同じだ」と。
−ローマ2:25-27「あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです。だから、割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けた者と見なされるのではないですか。そして、体に割礼を受けていなくても律法を守る者が、あなたを裁くでしょう。あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから」。
・パウロは「心に割礼を受けなさい」と勧める。心の割礼とは洗礼者ヨハネの言う「霊の洗礼」だ。ヨハネは「私は水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」と語った。私たちは自分たちの罪を認め、先ず水に入る。その後の信仰の歩みの中で、旧い自分が火によって焼き尽くされ、霊に満たされて新しくされる時を迎える。これが霊による洗礼だ。心に割礼を受けるとはそういうことだ。
−マルコ1:8「私は水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
・アカデミー賞を受けたアメリカ映画「それでも夜は明ける」は、1840年代の米国南部における奴隷労働の実態を描いた映画だ。その中で、黒人奴隷に厳しく当たる農園主も日曜日には教会に行き、説教を聞き、その説教を黒人奴隷たちにも語る。聖書は「奴隷が主人に従うことを求めている」という説教だ。
-コロサイ3:22-24「奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。」
・パウロの言葉を自分の都合で聞く農園主たちは「水の洗礼」を受けていても、「霊の洗礼」は受けていない。彼らは清められる必要がある。だから南北戦争が起こった(1861年)とリンカーンは理解し、彼は「この戦争によって私たちが流す血は、奴隷たちが流した血を贖うためのものだ」と語った。
−鈴木有郷「リンカーンの祈り」から「奴隷の250年に及ぶ報いなき苦役によって積まれた富がすべて費やされ、また笞によって流された奴隷の血の一滴一滴に対して、剣によって流される血の贖いがなされるまでこの戦いが続くことがもし神の御意志であるならば、三千年前に言われたごとく、今もなお、『主の裁きは真実であってすべて正しい』(詩編9:9)と言わなくてはなるまい」。
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