すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.イエスの十字架への道行とクレネ人シモン

・死刑判決を受けたイエスは、ローマの兵士たちに引き渡され、兵士たちはイエスに高貴を象徴する紫の服を着せ、侮蔑を象徴する茨の冠を被せ、全員で「ユダヤ人の王、万歳」と叫び、敬礼した。
−マルコ15:16-18「兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、『ユダヤ人の王、万歳』と言って敬礼し始めた。」
・部落解放運動を進めた全国水平社はその旗印に荊冠旗を選んだ。荊冠はナザレのイエスが十字架の上で被せられた荊の冠であり、受難と殉教の象徴である。栗林輝夫は1991年「荊冠の神学〜被差別部落解放とキリスト教」を書いた。日本の神学として世界に知られているのは、栗林輝夫「荊冠の神学」、北森嘉蔵「神の痛みの神学」、小山晃佑「水牛の神学」の三冊しかないと言われている。
−栗林輝夫の言葉「聖書とは、やはり被差別者の目、中央ではなく周縁の目を通して読まれるべきで、故に聖書を差別された者に取り戻していく必要があると思います。私は聖書学者ではないが、聖書学者の中でそういうことをやってくれる人が一人もいないから、専門外でもやらざるを得ないというのでしているのが、聖書を本来の読み手に返していくことをしていくことなのです」。
・兵士たちは節のついた葦の棒でイエスの頭を叩き、唾を吐きかけ、イエスを弄んだあげく、十字架につけるため、イエスを外へ引き出した。イエスは鞭打ち刑を受けた後、兵士たちの嘲笑を浴びた。イエスはこれらの侮辱行為に対して、沈黙して、なすがままに任せられる。沈黙のキリスト、嘲笑され、つばを吐きかけられるメシア、この方こそ、私たちの救い主だとマルコは主張する。
−マルコ15:19-20「(兵士たちは)また何度も葦の棒で頭を叩き、唾を吐きかあけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるため外へ引き出した。」
・イエスは夜中に捕らえられ、裁判を受け、鞭打たれ、その体力は極度に衰弱していた。そのため、十字架を運ぶ途中で倒れ、ローマ兵はクレネ人シモンという男にイエスの十字架を無理矢理に担がせる。
−マルコ15:21「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた」。
・クレネ人シモンはアフリカ・クレネ出身のユダヤ人で、過越祭りをエルサレムで祝うために、一時帰国していたのであろう。そして運悪く、イエスの十字架の道行きに遭遇し、十字架を担ぐ羽目になった。彼は、重い十字架を担がされ、ゴルゴダまで行かされ、見知らぬ罪人の処刑を見させられた。早く忘れてしまいたいような、いやな出来事であったろう。しかし、この出来事がシモンの生涯を変えていく。イエスの十字架を代りに背負った人の名前が明記され、その出身地まで記されていることは、シモンが教会の人々に知られていたことを示す。またシモンの子たちは教会に知られ(アレクサンドロとルフォス)、その妻はパウロとも懇意であった。
−ローマ16:13「主に結ばれている、選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女は私にとっても母なのです」。
・シモンは無理やりに十字架を背負わされた。十字架の重みは、歩くたびに肩に応えてくる。目の前を、血とほこりにまみれたイエスが歩いておられる。「この方は何をされたのか」、「何ゆえにこのような苦しみを負わされているのか」、シモンは従いながら繰り返し考えたであろう。十字架を負わされたシモンは、イエスの痛みを知り、その痛みを避けようともされない姿を見た。彼はその姿に神を見、やがて弟子の仲間に加わり、復活のイエスに出会う恵みを得たのであろう。その時、彼はイエスの前に膝まづいた。
−マルコ8:34-35「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」。

2.刑場のイエス

・イエスは刑場に連行される。刑場はゴルゴダ(アラム語=頭蓋骨)と呼ばれていた。この名はやがてラテン語カルバリに転化し、英語でも受難の場所はカルバリと表記される。エルサレム城外にあった処刑場であり、今日、聖墳墓教会が立つ。兵士たちはイエスを十字架につけ、その服を分け合い、通りがかりの人々は頭を振って、「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」と罵った。
−マルコ15:25-30「イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。『おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ』」。
・マルコはイエスの受難を詩篇22編に即して描いている。兵士たちはイエスを十字架につけ、その服を分け合い、通りがかりの人々は頭を振って、「神の子なら神に救ってもらえ」とののしった。記述の背景には詩篇22編が流れている。
−詩篇22:8-19「私を見る人は皆、私を嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る。『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら助けてくださるだろう』・・・ 犬どもが私を取り囲み、さいなむ者が群がって私を囲み・・・骨が数えられる程になった私のからだを、彼らはさらしものにして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」。
・イエスはユダヤの王として処刑された。彼に従う者は共に十字架につけられた強盗たちであった。祭司長たちは「他人を救ったのに自分は救えない」とイエスを嘲笑する。「自分を救わない」、ここに贖罪の意味がある。
−マルコ15:31-32「祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。『他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう』。一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった」。
・通りがかりの人も祭司長たちも同じ言葉でイエスを罵る「他人は救ったのに自分は救えない」、「神の子なら十字架から降りて自分を救え」。この世においては「自分を救う」ことが人生の最終目標だ。自力救済、自己実現、それが世の理想だ。そこにおいては、自分を救える力の強い者、能力の高い者が勝者となり、そうでないものは敗者として卑しまれる。しかし、聖書はそのような価値観に真っ向から反対する。
−ルカ6:20-21「イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。『貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる』」。
・「神の子なら十字架から降りてみよ」、「神の子なら自分を救え」、もしイエスが誘惑に負けて十字架から降りられたら何が起こったのだろうか。人々は感動し、イエスを神の子として拝み、イエスはユダヤの王になったかもしれないが、それだけだ。イエスはやがて死なれ、死後は別の王が過酷に人々を支配したであろう。力で世の中を変えようとした時何が起こるのか。フランス革命の結果起きたことは、血で血を洗う殺し合いだった。ロシア革命もしかり、中国共産革命もそうだ。神の働きは人間の力を断念する所から始まる。「自分の命を救う」ことが人生の最大目標ではない。人生の最大目標は「神に生かされて生きる」ことにあるのではないか。

3.十字架を負う者

・イエスは十字架に架けられた。だから、キリスト教を十字架教と呼ぶ人がいる。キリストは空しい論理は説かれず、死をかけて神の愛を説かれた。その結果の十字架である。しかし十字架は、救済を信じない者にとっては躓きの石となる。私たちは十字架抜きの福音は成り立たないことを忘れてはいけない。
−第一コリント1:18「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です。」
・内村鑑三の生涯は、十字架を負う者の生涯であった。内村は1891年(明治24年)の不敬事件で教職を追われた。彼は当時、第一高等学校教員だったが、教育勅語奉読式において、勅語に対して最敬礼をしなかったとして、新聞で非難され、家に石を投げつけられた。この事件で内村は教員の職を失い、二か月後には妻加寿子を心労と流感で失う。妻の死で憔悴し、不敬事件で教員の道を閉ざされた内村は、その後伝道者の道を歩む。彼は1893年(明治二十六年)『基督信徒の慰め』を書き、その中で内村は自分の生涯を苦難の人ヨブに例えている。この書で語られている「苦難」は、「愛するものの失せし時」、「国人に捨てられし時」、「基督教会に捨てられし時」、「事業に失敗せし時」、「貧に迫りし時」、「不治の病に罹りし時」、の6つであるが、いずれも内村自身が体験したものだ。内村自身が負った「苦難の十字架」である。それだけに読者の心を強く捕らえるものがある。
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