すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.人の子の来臨

・マルコは13章で終末預言を記す。マルコ黙示録と呼ばれる。発端はイエスの神殿崩壊預言だった。
-マルコ13:1-2「イエスが神殿の境内を出て行かれる時、弟子の一人が言った『先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう』。イエスは言われた『これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない』」。
・当時の人々の信仰の中心はエルサレム神殿だった。その神殿が崩壊する時は世の終わりの時だと弟子たちは思った。だから弟子たちはイエスに、「それはいつ起こるのか」と尋ねる。それに対してイエスが語られた長い説話が、マルコ13章の終末預言だ。イエスは神殿の崩壊を預言されたが、それから40年後の紀元70年の今、マルコはエルサレムがローマ軍に囲まれて、神殿が崩壊しようとしているのを見ている(ユダヤ戦争)。マルコは目の前の現実をイエスの言葉で理解しようとしている。
-マルコ13:14-15「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら(読者は悟れ)、その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい・・・それらの日には、神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来るからである」。
・偽メシアの預言は、「エルサレムに留まって共に戦えというユダヤ人同胞の誘いに乗るな、今は終末の時ではない、惑わされるな、死ぬな」とのマルコの訴えだ。マルコは国家存亡の危機にある信徒たちに、自分の編集したイエスの言葉を伝え、「道を誤るな」と伝えている。
-マルコ13:21-23「その時、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。だから、あなたがたは気をつけていなさい」。
・イエスは、さらに「天体が揺り動かされる時が来る」と警告される。
−マルコ13:24-25「『それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。』」
・その時、「人の子が天空から現れ、地の四方から選ばれた人々を呼び集める」とイエスは預言される。紀元70年にエルサレムは破壊され、神殿も燃え、国は滅びる。その中でマルコ福音書は書かれている。マルコは迫害に苦しむ信徒に、「迫害はいつまでも続かない。主が来られるから、今は忍びなさい」と励ます。
−マルコ13:26-27「『その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを人々は見る。その時、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。』」
・いちじくの木は冬には葉を落とすが、その中で葉を茂らせ、実を結ぶ準備をする。イエスは、「いちじくの葉が伸びると夏が近づくのがわかるように、私は必ず来る」と言われた。
−マルコ13:28「『無花果の木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。』」
・「天地の異変が始まったら、人の子が天空から現れる時が近づいたと悟りなさい。今述べた事が起こるまでは天地は滅びない。たとえ、天地が滅びても、イエスの言葉は滅びない」とマルコは語る。
−マルコ13:29-30「『それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない。』」

2.目を覚ましていなさい

・マルコは「私たちはイエスの十字架と再臨の中間にいる。今イエスは不在だが帰ってこられる。その時に備えて今を生きよ」とイエスの言葉を伝える。それが「目を覚ましていなさい」という言葉だ。人の子が何時来るのか。それは誰にも分からない、だから「目を覚まして待て」と語られる。
−マルコ13:32-33「『その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である。気を付けて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなた方には分からないからである。』」
・それは、旅に出る主人が「帰宅を待ち続けるように」と門番に命じるのと同じである。
−マルコ13:34「『それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。』」
・「ひたすら目を開き、注意して待ちなさい」と語られる。
−マルコ13:35−36「『目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことはすべての人に言う。目を覚ましていなさい。』
・イエスご自身、終末の接近を感じておられた(マルコ9:1「はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる」)。初代教会の人々もキリストの再臨がすぐにも来ると思っていた。
−汽謄汽蹈縫4:15-17「合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、私たち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます」。
・しかし再臨はなかった。初代教会の信仰がこの再臨遅延によって揺らいだことはペテロも証言している。
−競撻謄3:8-13「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます・・・その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかし私たちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです」。

3.マルコ13章をどのように解釈するか

・マルコ13章は単なる黙示論的終末論ではない。「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」等の記述は、当時の弟子たちが遭遇するであろう苦難として語られている。戦争、地震、飢饉、すべてイエスの弟子たちがイエスの死後に体験した出来事である。歴史的には、エルサレムにいたキリスト者たちはマルコの勧めに従い、戦乱の都を逃れて、ヨルダン川東岸のペラに逃れ、滅亡をまぬかれた。イエスの教えに従い、民族滅亡の迫る中で、卑怯者、裏切り者と同胞に言われながらエルサレムを去ったキリスト者によって、福音は守られ、保持された。イエスの言葉が彼らを救った。福音書はイエスの伝記ではなく、福音書記者がイエスの言葉を、「今、どのように聞くか」を示した釈義、信仰告白の書なのだ。
・キリスト教終末論は世界大戦や大災害が起きた時に、終末の前兆として語られることが多い。しかし、それらは、大規模な人的・物的災害であっても、終末ではない。イエスの終末論が福音書に記録されてから、二千年余が過ぎているのに、地球世界は滅んでいない。「世の終わりが来た」との終末預言はいつもはずれた。終末がいつ来るかは人間の知るものではないからだ。
−マルコ13:30-32「はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びないその日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである」。
・しかし人は待つだけでは辛抱できない。ヨハネ黙示録の千年王国待望論がその典型だ。紀元95年ごろ、皇帝ドミティアヌス時代の激しい迫害の中で、多くのキリスト者が殉教し、残された信徒たちは、「殉教していった者たちの死には意味があったのか」を問う。それに応えてヨハネは、「殺されていった殉教者たちは復活し、やがて来る千年王国においてキリストと共に統治する」という幻を語る。
−ヨハネ黙示録20:4「私はまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。私はまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した」。
・迫害下にあった初代キリスト教会はこの千年王国論を熱狂的に受け入れ、来るべき神の国を待望した。中世になってからも、ペストや飢饉、農民一揆、革命といった社会的な危機が起こるとこの千年王国説は息を吹き返し、歴史家はピューリタン革命やアメリカ建国にも、この千年王国論が大きな影響を及ぼしたと言われている(相手をサタンとみなし、サタンと戦うことに神の御心を見る)。教会の父と呼ばれたアウグスティヌスは千年王国的な熱狂主義に警告している。
−アウグスティヌス「神の国」から「教会の聖徒たちは地上で戦う兵士であり、召天した人々は現在キリストと共に世を支配している。この意味で、私たちは現在、千年王国の只中に生きているのである」。
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