すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  マタイによる福音書  >  2003年4月23日  マタイ21:12−17  イエスの宮清め
1.イエスの宮清め

・エルサレムに入られたイエスは、神殿で動物を売り買いし、両替の商いをしているものたちの机を壊された。
―マタイ 21:12「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。」
・神殿では、犯した罪の代償として犠牲を捧げるためのはとや羊の動物が、境内内で売られていた。
―レビ記 5:6-7「犯した罪の代償として、群れのうちから雌羊または雌山羊を取り、贖罪の献げ物として主にささげる。・・・貧しくて羊や山羊に手が届かない場合、犯した罪の代償として二羽の山鳩または二羽の家鳩、すなわち一羽を贖罪の献げ物として、もう一羽を焼き尽くす献げ物として、主にささげる。」
・神殿税はユダヤの貨幣で納める決りのため、流通していたローマ貨幣(デナリ等)をユダヤ貨幣に両替する必要があった。神殿が形式的礼拝のための場になっていたことが、昔から預言者たちも戒めていたことである。
―エレミヤ 7:10-11「わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。」
・犠牲を捧げ、献金をすれば救われるのか、礼拝とはそのようなものではないとイエスはここで言われている。
―イザヤ 58:6-7「わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて/虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え/さまよう貧しい人を家に招き入れ/裸の人に会えば衣を着せかけ/同胞に助けを惜しまないこと。」

2.神殿でのいやし

・イエスのところに足の不自由な人や目の見えない人がいやしを求めてきた。
―マタイ21:14「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。」
・体の不自由な人は神殿に入ることは禁じられていた。体の障害が祭儀的に汚れだとされたからである。
―レビ21:23「彼には障害があるから、垂れ幕の前に進み出たり、祭壇に近づいたりして、わたしの聖所を汚してはならない。わたしが、それらを聖別した主だからである。」
・その彼らが禁を犯してまで神殿に入り、イエスの憐れみを求めた。イエスにはいやす力があると信じたからである。子供たちはその業に素直に感嘆した。祭司長たちはその業を神に対する冒涜だと感じた。
―マタイ21:15-16「祭司長たちや、律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、「ダビデの子にホサナ」と言うのを聞いて腹を立て、イエスに言った。

3.救いとは何か

・祭司長たちは「正しいものは救われ、罪人は滅ぼされる」と裁きを求めた。自分を正しいとする者は、罪びとが救われるのを喜ばない。
―ルカ15:1-2「 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。」
・イエスは、正しい者などいない、すべての人は神の前に罪びとなのだから、求めるべきものは「裁きではなく、神の憐れみではないか」と言われている。
―マタイ7:1-3「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。」
・裁くのではなく憐れみを求めて祈るとき、神殿が祈りの家となる。
―ルカ18:13「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』」
・最後には、その祈りは自分の救いを超えて他者の救いを祈るとりなしにまで高められる。
―ローマ9:3「わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。」
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