すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.エマオに現れたイエス

・ルカは、十字架に死なれたイエスが三日目に復活されて、エマオに向かう二人の弟子たちに現れたと記す。弟子たちは「イエスが死なれて望みは絶えた」という嘆きと、「今朝、仲間の婦人たちが墓に行くと遺骸が無くなっていた」こと等を、ため息混じりに話し合っていたのであろう。そこにイエスが近づかれて、彼等と一緒に歩かれたが、二人は同伴者がイエスであることに気がつかない。エマオに着いた時、二人の弟子は先へ行こうとするイエスを無理に引き止めた。この情景を歌ったのが、讃美歌39番「日暮れて四方は暗く」(新生讃美歌478番「共にいませわが主よ」)である。
−ルカ24:28-29「一行は目指す村へ近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、『一緒にお泊まり下さい。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから』と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。」
・イエスは二人の求めに応じて、食事の席につかれた。そして、イエスが「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」時に、「二人の目が開き、イエスだとわかった」とルカは記す。イエスがパンを裂くのを見た瞬間、二人の心の目が開いて、目の前にいるお方が、「イエスだ」と気づいた。
−ルカ24:30-31「一緒に食事の席に着いた時、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」
・イエスがパンを割かれた時、二人はその方がイエスであるとわかった。私たちは「パンを割く」、つまり主の晩餐を通じて主キリストに出会う。だから、二人はお互いに語る「道で話しておられる時、また聖書を説明して下さった時、私たちの心は燃えていたではないか」。
−ルカ24:32二人は、『道で話しておられる時、また聖書を説明して下さった時、私たちの心は燃えていたではないか』と語りあった。」
・イエスの時代、多くの自称メシアが出て、一時期人々の注目を集め、弟子たちが集まった。しかし、その多くはその人物の死により、運動が終っている。イエスの場合も十字架死で終るはずだった。ところが、逃げ去った弟子たちが、やがて「私たちは復活のイエスに会った」と宣教を始め、信じる者たちが増やされていく。
・復活があったかどうかは歴史的に証明できない。しかし「私たちは復活の主に会った」と弟子たちが証言を始め、多くの弟子たちが死で脅かされても、その証言を曲げなかったのは、歴史的事実だ。復活は理性で認識できる事柄ではない。弟子たちも目の前にイエスが現れるまでは、「愚かなこと」と復活を信じていない。しかし、失意の中にエマオに戻る途上のクレオパとシモンが、エマオに着くや否や、食事をとることも忘れて、喜び勇んでエルサレムに戻って行ったのは、歴史的な事実であろう。

2.弟子たちの前に現れたイエス

・二人は「時を移さず出発してエルサレムに戻った」。彼等がエマオに到着したのが夕暮時、食事を囲んだのが夕方の7時頃、それからエルサレムまで3時間の道のりゆえ、エルサレムに着いたのは夜中近くであったろう。しかし、二人は「心が燃えて」じっとしておれなかった。「復活の主に出会った」ことを語らずにはいられなかった。そのため、彼らは食事をとることも忘れてエルサレムに急ぐ。エルサレムでは、弟子たちが集まり、「シモンに復活の主が現れた」と語り合っていた。
−ルカ24:33-35「そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も道で起こったことや、パンを裂いて下さった時にイエスだと分かった次第を話した。」
・エマオから引き返して来た二人の弟子が、復活のイエスに出会った次第を話していると、そこへ突然イエスが現れ、彼等を祝福した。弟子たちは亡霊かと恐れおののいた。
−ルカ24:36-37「こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。」
・復活のイエスを眼前にし、疑い恐れる弟子たちに、イエスは亡霊ではないしるしとして体を見せる。
−ルカ24:38-43「そこで、イエスは言われた。『なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いをおこすのか。私の手や足を見なさい。まさしく私だ。蝕ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見える通り、私にはそれがある。』こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、『ここに何か食べ物があるか』と言われた。そこで焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。」
・イエスは、モ―セの律法から始め、預言書、詩編と聖書全体から自らの使命を説き起こし、聖書に書かれている事は必ず実現すると断言された。
−ルカ24:44「イエスは言われた。『私についてモ−セの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は必ず実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。』」
・イエスは自らの十字架の死と復活は、聖書に書かれていることの実現であると語られた。
−ルカ24:45-46「そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に復活する。』」
・イエスは、「これから、世界宣教が始まる。あなたがたは宣教の証人になるのだ」と弟子たちに語られた。
−ルカ24:47-49「『「また、その罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々へ宣べ伝えられる」と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。私は、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都に留まっていなさい。』」

3.イエスの昇天

・すべてをなし終えたイエスは弟子たちとベタニアへ赴き、弟子たちを祝福して昇天された。復活のイエスに出会った弟子たちは、イエスが死に勝利したことを悟り、力を得た。
−ルカ24:50-53「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内に居て、神をほめたたえていた。」
・ルカ福音書はイエスの昇天でその記述が閉じられている。ルカは、地上のイエスの生涯が死への勝利で終わった事を、「イエスが昇天され、天におられる神のところに帰られた」ことで示している。ルカ福音書の続編である使徒言行録は、イエス昇天から物語が始まる。イエスの昇天によって、イエスの働きが、地上の体としての教会に委ねられて行ったことをルカは示す
−使徒言行録1:3「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」。
・弟子たちが最初に行ったことは、集まって祈ることだった。そこには、イエスに従ってきた男や女たち、イエスの母や兄弟もいた。そこにはペテロもいた。イエスの裁判の時に「その人を知らない」と裏切った弟子だ。そこにはトマスもいた。復活のイエスの話を聞いて、「私は自分の手をそのわき腹の傷に入れるまで信じない」と疑った弟子だ。キリストを裏切った者、キリストを疑った者、頑固に信じなかった者たちが、今ここに集められている。みな不完全な、弱い者たちだ。教会は、善人ではなく、罪人の集まりなのだ。その罪人の集まりに、イエスの地上の業を継承することが委ねられている。
−使徒言行録1:12-14「使徒たちは、『オリーブ畑』と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」
・イエスは天に上り、弟子たちは地に残された。使徒信条は語る「(主は)三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、生者と死者を裁くために来られる」。ここにあるのはキリストの復活、昇天、臨在、再臨だ。復活のイエスに出会った使徒たちは、「終末が既に来た」と受け止め、「イエスはいなくなられたが、今なお天におられ、私たちを見守っていて下さる」と理解した。それがペンテコステ(聖霊降臨祭)の時に弟子たちが確認した出来事だ。
-使徒言行録2:33-36「イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いで下さいました。あなたがたは今このことを見聞きしているのです・・・だから、イスラエルの全家ははっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」
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