すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.エルサレム入城

・イエスは自ら先頭に立ってエルサレムへ向われる。近郊のオリ−ブ山のふもと、べトファゲとベタニアの村に差しかかった時、イエスは二人の弟子を先の村へ使いに出された。
−ルカ19:28-30a「イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、『オリーブ畑』と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいた時、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。」
・イエスは使いの弟子たちに、村に繋がれている、子ろばの綱を解き、連れて来るよう命じられた。
−ルカ19:30b-31「『向うの村へ行きなさい。そこに入ると、まだ誰も乗ったことのない子ろばがつながれているのが見つかる。それをほどいて引いて来なさい。もし、だれかが、「なぜほどくのか」と尋ねたら、「主がお入り用なのです」と言いなさい。』」
・ベタニアにはイエスと親しかったマリアとマルタが住んでおり、イエスはあらかじめ、ろばの準備を彼らに依頼しておかれたのであろう。
−ルカ19:32-34「使いに出された者たちが出かけて行くと、言われた通りであった。ろばの子の綱をほどいていると、その持ち主たちが、『なぜ、子ろばをほどくのか』と言った。二人は、『主が御入り用なのです』と言った。」
・群衆はエルサレムをローマ人の支配から解放する政治的解放者としてのメシアを求めていた。その期待に応えるには馬に乗って、威風堂々と入城するのが普通だ。しかし、イエスは馬を選ばれず、ろばで、エルサレムに入られた。イエスがろばに乗って入城された背景には、ゼカリア書の預言の存在がある。
−ゼカリア9:9「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よあなたの王が来る。神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って。」
・イエスは象徴行為を通して人々に語られる「馬は人を支配し、従わせるための乗り物だ。しかし、私は支配するためではなく、仕えるために来た。ろばは人の重荷を負う。私はあなた方の罪を背負うためにろばに乗って来た」と。私たちはこの柔和な、しかし断固たるイエスに従うように招かれている。私たちがイエスに「神の子であれば私の病を治して欲しい、私を幸せにして欲しい」と願う時、イエスは言われる「私が約束するのはそのようなことではない。私が何故ろばの子に乗って入城したかを理解しないのか」。
・イエスの気持ちを知り、自分も子ろばのようになりたいと思った人に、榎本保郎牧師がいる。ちいろば(小さなろば)先生として有名な人だ。彼は著書『ちいろば』の後書きで述べる。
−榎本康郎・ちいろば後書きから「ろばの子が、向こうの村につながれていたように、私もまたキリスト教とは無縁の環境に生まれ育った。知性の点でも人柄の点でもキリストに相応しいものではなかった・・・ろばは同じ馬科の動物でも、サラブレッドなどとは桁外れに、愚鈍で見栄えがしない。しかし、その名もないろばの子も、一度主の御用に召されれば、その背にイエスをお乗せする光栄に浴し、群集の歓呼に迎えられて、エルサレムに入城することが出来た。私のような者も、キリストの僕とされた日から、身に余る光栄にひたされ、不思議に導かれて、現在に至った。あのちいろばが味わったであろう喜びと感動が私にもひしひしと伝わってくる。その喜びを何とかして、お伝えしたい」。

2.この人たちが黙れば石が叫びだす

・イエスが進む道には群衆が立ち並び、まるで凱旋将軍を迎えるようだった。群衆は服を脱ぎ、イエスの進む道に並べ敷いた。
−ルカ19:35-36「そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。」
・エルサレムを見た弟子たちの心は勇み、歓喜が声になり、メシアを賛美した。弟子たちの歓喜は群衆に伝わり、歓呼の渦となって広がった。
−ルカ19:37-38「イエスがオリ−ブ山の下り坂にさしかかられた時、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。『主の名によって来られる方。王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。』」
・弟子たちと群衆が和して起こった大歓声は、ファリサイ派の人々を不快にした。彼等は弟子たちを黙らせるようにイエスに抗議したが、イエスはとりあわなかった。
−ルカ19:39-40「するとファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、『先生、お弟子たちを叱ってください』と言った。イエスはお答えになった。『言っておくが、もしこの人たちが黙れば石が叫びだす。』」

3.エルサレムのために泣かれるイエス

・一行はさらにエルサレムに近づき、都が見えた時、イエスは感極まって涙された。イエスはエルサレムのために嘆かれる。
−ルカ19:41-42「エルサレムに近づき、都を一望した時、イエスはそのために泣いて、言われた。『もし、この日に、お前も平和への道をわきまえていたなら・・・しかし、今はお前には見えない。』」
・イエスはやがて来るエルサレム滅亡を預言された。
−ルカ19:43-44「『やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいる子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。』」
・エルサレム滅亡はイエス死後40年後である。紀元66年、時のローマ総督が神殿から金を強奪したのを知ったユダヤ人は武力で立ち上がり、ユダヤ戦争が始まった。最初はユダヤ人側が優勢だったが、次第に劣勢となり、70年にエルサレムは、三つの塔と西側の城壁(嘆きの壁)だけを残して破壊され、百万人以上の犠牲者が出た。その後ユダヤ人はディアスポラ、離散の民となる。イエスが預言された「神殿崩壊」は現実となった。
−ルカ21:20-24「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近いことを悟りなさい。その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都に中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである・・・この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国へ連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」

4.神殿から商人を追い出す

・イエスは、神殿に入られると、境内で商いをしていた商人たちを追い出された。宮清めである。
−ルカ19:45-46「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人を追い出し始めて、彼らに言われた。『こう書いてある。「私の家は、祈りの家でなければならない。」ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にした。』」
・神殿で贖罪に献げる動物は羊か山羊と定められていたが、貧しい人々は値段の安い家鳩や山鳩を身代わりに献げた。犠牲の動物は、清く傷のないものとされており、清いかどうかの判定は、祭司の権限に委ねられていた。そこに祭司と動物を商う業者が結託する隙間が生じていた。また両替は当時流通していたギリシャやローマの貨幣をユダヤ貨幣(シュケル)に交換するため必要で、そこには大きな利ざやが生じていた。民に仕えるべき神殿祭司が犠牲獸の販売や両替という商行為を通して、民から利益を貪っていることを批判された。イエスは怒りにまかせて商人を追い払ったのではなく、商人を追い払うという象徴行為を通して、本来の神殿のありかたを人々に示された。そしてイエスは預言書を引用して、神殿のありかたを語られた。
−イザヤ56:7「私の家は、すべての国の人の、祈りの家と呼ばれるべきである」。
−エレミヤ7:11「ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしてしまった」。
・イエスはこの行為が支配者たちの憎しみを招くことを承知しておられ、死を前提に行為されている。神殿体制を批判することは当時の最高権力を否定する行為だったからだ。事実、イエスはこの後に捕らえられ、裁判にかけられるが、その主たる罪状は「神殿冒涜罪」だった。
−ルカ19:47-48「毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話しに聞き入っていたからである。」
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