すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ルカ福音書(二巡目)  >  2016年11月2日祈祷会(ルカによる福音書18:18-43、金持ちの議員との対話とイエスの受難予告)
1.金持ちの議員との対話

・イエスのところに、ある金持ちの議員が、「永遠の命を得るにはどうしたらよいか」と尋ねて来た。ユダヤ最高法院の議員であり、地位も学識もある人だったと思える。彼は「どうすれば自分が永遠の命に至ることが出来るか」を求めていたが、ユダヤ教のラビ(教師)は誰も納得できる答えを示せなかった。彼はイエスを「善い先生」と呼ぶ。数々の力ある奇跡を行うイエスは神の許から遣わされており、この方なら答えを知っていると思ったからだ。イエスは彼に、「善き方は神お一人ではないか」と反問された。
−ルカ18:18-19「ある議員がイエスに、『善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか』と尋ねた。イエスは言われた。『なぜ私を「善い」と言うのか。神お一人のほかに、善い者はだれもいない。』」
・イエスは彼に「神から命じられた戒めを守りなさい」と答えられる。議員はそれらの戒めなら子供の頃から守っていますと答えた。しかし、彼は救いの確信が持てなかった。
−ルカ18:20-21『「姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え」という掟をあなたは知っているはずだ。』すると議員は、『そういうことはみな、子供の時から守ってきました』と言った。」
・イエスは、議員が財産に執着していることを指摘し、「永遠の生命を受けたければ、持てるすべてを売り払い、貧者に施して、私に従いなさい」と言われた。議員は富への執着を断ち切れず悲しみに沈んだ。
−ルカ18:22-23「これを聞いてイエスは言われた。『あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を積むことになる。それから私に従いなさい。』しかし、その人はそれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。」
・イエスは「全財産を売り払って貧しい者に分けることが救いの条件とされたのではない」ことに留意すべきだ。19章の徴税人ザアカイは「財産の半分を貧しい人に施す」決意を語り、イエスはそれを喜ばれた。
-ルカ19:8-9「ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、私は財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。』イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。』」

2.イエスと弟子たちの対話

・第一幕は終わり、金持ちの議員は去って行った。24節から第二幕が始まる。イエスは議員の悲しむのを見て、らくだがエルサレムの「針の穴の門」を通るより、金持ちが神の国に入るほうが難しいと言われた。
−ルカ18:24-25「イエスは彼が非常に悲しむのを見て、言われた。『財産のある者が神の国に入るのは何と難しいことか。金持ちが神の国へ入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい。』」
・金持ちとの対話を聞いていた人々は、「そんなに厳しくては誰が救われるだろう」と嘆いた。彼等の嘆きを聞いたペトロが、「私たちはすべてを捨てて従って来ました」と証しした。
−ルカ18:26-28「これを聞いた人々が、『それでは、だれが救われるのだろうか』と言うと、イエスは、『人間にはできないことも神にはできる』と言われた。するとペトロが、『この通り、私たちは、自分の物を捨てて、あなたに従ってまいりました』と言った。」
・並行箇所のマタイ福音書は、ペテロが「では、私たちは何をいただけるのでしょうか」と言ったとする。そうであればペテロは何も捨てていない。イエスからより良きものがいただけると思うから、職業を捨ててイエスに従っているだけのことだ。金持ちの議員とペテロと、両者の本質は何も変わらない。
-マタイ19:27「ペトロがイエスに言った。『この通り、私たちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、私たちは何をいただけるのでしょうか』」。
・イエスは「富や家や親族への執着を断ち切り、従った者は、捨て去ったものの何倍もの報いを受け、神の国で永遠の命を受けることができる」と語られた。
−ルカ18:29-30「イエスは言われた。『はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。』」
・イエスが求められたのは「自分の行為や所有によって救われようとせず、神の前に何も持たない者として立ち、ただ神の憐れみを求め、従う」ことだった。しかし金持ちの男は現在の生活を変えられなかった。物語の主題はお金や富ではなく、生き方の問題だ。自分の力に頼って救いを求めた時、それは挫折する。救いは恵みであり、ただ受ければよい。イエスは言われた「人間に出来ることではないが神には出来る」、金持ちの議員はお金や才能があったばかりに自分の力に頼り、「人には出来ない」という処で引き返した。もし彼が、「神には出来る」として留まれば、神の国を見ることは出来たのではないか。

3.イエス、死と復活を予告する

・やがてペテロたちはイエスの十字架を通して、捨てることの意味を強制的に学ばせられる。イエスの十字架を通して、彼らもまた受難の中に巻き込まれていく。第三回目の受難予告である。
-ルカ18:31-34「イエスは、十二人を呼び寄せて言われた『今、私たちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する』。十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである」。
・元々の受難予告はもっと簡潔なものだったと思われる。おそらく第二回目の受難予告がイエスの言葉の原型を伝え、その後に初代教会の人々が出来事の詳細を書き込み、現在の受難予告になったのであろう。
-ルカ9:43-46「イエスは弟子たちに言われた。『この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。』弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。」
・イエスは「人間に出来ることではないが神には出来る」と言われた。どのようにして神には出来るのか、それは、神の子が、「人間の弱さを自らの身に引き受けることによって」死なれたからだ。十字架の上で砕かれたのは私たちの自我だった。自我を砕かれる、幼子のようにさせられていく時に、私たちは救われる。

4.エリコの盲人のいやし

・イエスと弟子たちがエリコの近くまで来た時、騒ぎを耳にした盲人が、イエスに大声でいやしを願った。マルコ10:46ではこの盲人はバルティマイと呼ばれている。
−ルカ18:35-38「イエスがエリコに近づかれた時、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、『これは、いったい何事ですか』と尋ねた。『ナザレのイエスのお通りだ』と知らせると、彼は、『ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください』と叫んだ。」
・盲人の叫びがあまりにもうるさいので、先行の人たちが叱りつけ、黙らせようとしたが、盲人は怯むことなく叫び、その声がイエスを立ち止まらせ、イエスは盲人の願いを聞かれた。
−ルカ18:39-41「先に行く人々が彼を叱りつけて、黙らせようとしたが、ますます、『ダビデの子よ、私を憐れんでください』と叫び続けた。イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。『何をしてほしいのか。』盲人は、『主よ、目が見えるようになりたいのです』と言った。」
・盲人はいやされ、目が見えるようになり、それを見ていた人々も共に神を賛美した。
―ルカ18:42-43「そこで、イエスは言われた。『見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。』盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した、」
・この盲人が救われたのは、彼の信仰のゆえであった。彼はイエスが各地で病人をいやされた奇跡を耳にしていた。そして彼は自分がいやしを受けられる日を待ち望んでいた。だから、イエスが自分の前を今、通り過ぎたと聞いた時、その思いが爆発して叫んだ。彼は人々の制止も聞かず叫び続けた。自分の救いがかかっているからである。それは丁度「不正な裁判官に叫び続けたやもめ」(ルカ18:1-8)のようである。世の多くの人々は、この盲人のように、やもめのように叫び求めることもせず、救いの機会を逃している。
・イエスは多くの人々をいやされたが、福音書に名前が記されている人は少数だ。バルティマイがその後どのような生涯を送ったのか、私たちは知らないが、彼が初代教会で名前が知られていたのは事実だろう。そのため、福音書に名前が残った。イエスはバルティマイがこれまでどれほど苦しんできたかを理解された。その彼が目を開けられ、イエスの弟子になることが許され、十字架と復活の証人とされていく。彼は繰り返し、イエスが自分に何をしてくださったかを語ったのだろう。彼の叫び「イエスよ、憐れんでください」が、有名な祈祷の言葉「キリエ・エレイソン(主よ、憐れみたまえ)」として記憶されるようになる。
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