すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ルカ福音書(二巡目)  >  2016年10月5日祈祷会(ルカによる福音書16:19-31、金持ちとラザロ)


1.金持ちとラザロ

・「金に執着するファリサイ派の人々」は、イエスが話した「不正な管理人のたとえ」を聞いて、イエスをあざけ笑った(ルカ16:1-13)。ファリサイ派にはこの世の成功者が多く、その努力と正しさゆえに神に祝福され、裕福であると信じていた(申命記28:1-8)。このファリサイ人の考え方は今日でも同じだ。「たくさん働いた人が多くの収入を得るのは当然であり、一部の人が貧しいのは自業自得なのだ」、現代世界を支配する「市場原理主義、自己責任原則」だ。世界ではこの政策によって貧富の格差が拡大し、社会的に大きな問題となっている。この問題を解決するためにイエスは、「金持ちとラザロの物語」を語り始められた。
・ある金持ちがいた。彼は紫の上衣とやわらかい麻布の下衣を着て、ぜいたくに奢り楽しんで暮らしていた。彼の屋敷の門前に、貧しいラザロが置かれていた。ラザロはいつも腹を空かしていて、金持ちの食卓から落ちるパン屑で空腹を満たしたいと願ったが、それさえ適わなかった。彼をさらに惨めにしたのは、野犬が来ては彼の腫れ物をなめるが、追い払う気力もなかったことである。
−ルカ16:19-21「『ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。』」
・やがて貧しいラザロは死に、彼は天使によってアブラハムのもとへ連れて行かれた。金持ちも死んだ。
−ルカ16:22「『やがて、この貧しい人は死んで天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。』」
・死は二人に公平に訪れたが、死後の二人には格差が生じた。死んだラザロはアブラハムのもとに迎えられて安らぎ、金持ちは陰府の炎の中で苦しんでいる。金持ちが目を上げたら、アブラハムの傍らで安らぐラザロをはるか彼方に見た。二人の立場は死を境に完全に逆転していた。
−ルカ16:23「『そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。』」
・ドイツの牧師D.ボンヘッファーは1932年にこの箇所から説教をした。
−ボンヘッファーの説教から「私たちの想像するところでは、多くの病人や貧しい人々、悲しんでいる人々や貧しいラザロのような人々がキリストの回りに集まって来た時、富める人の玄関先で重い皮膚病に悩み、その上、犬にまで悩まされていたラザロのことを、キリストは語り始められたのでしょう。そして、この貧しいラザロが、ついに死に、やがて天使たちに迎えられてアブラハムのふところに送られ、生前は悪いものを受けたが、今は慰めを受けている、と聞いた時、キリストの回りにいた人々にどよめきが起こったでしょう。それが、貧しい者たちと悲しんでいる人たちに語られた神の愛そのものです」。

2.陰府に落ちた金持ち

・金持ちはアブラハムへ向かって大声で叫んだ「ラザロの指先を浸した水で、焼けついている私の舌を冷やさせてください。」と。生前の金持ちは召し使いにかしずかれ、水などいつでも好きなだけ飲めたのに、今はラザロの指先のわずかな水をなめたいと願っている。金持ちは嫌応なく零落した自分に気付かされたのだった。
−ルカ16:24「『そこで、大声で言った。「父アブラハムよ、私を憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、私の舌を冷やさせてください。私はこの炎の中で苦しんでいます。」』」
・金持ちが「父アブラハムよ」と呼びかけ、アブラハムが「子よ」と答えたのは、金持ちがユダヤ人だったからである。しかし、アブラハムの子孫だからという理由だけで、陰府の苦しみから救われるわけはない。アブラハムは、金持ちとラザロの生前と死後の境遇逆転の理由と、ラザロと金持ちの間には越えられない大きな淵があると語った。
−ルカ16:25-26「しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、私たちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこから私たちの方へ越えて来ることもできない。』」
・物語の貧しい人の名前がラザロであることは象徴的だ。ラザロの正式な名前は「エリアザル」、「神、助けたもう」である。ラザロは何も無いから神により頼み、そして神は彼を見捨てられなかった。金持ちは富があるから富により頼んだ、その結果を今受けている。「人は神と富の双方に仕える事はできない」、もし金持ちが生前にラザロの必要に気を配り、彼を食卓に招いていたならば、多分彼もラザロの内に神がおられることを知り、何かを為すことができたであろう。現在の幸福だけを追い求める人は将来の滅亡を招くとイエスは言われる。カール・バルトは1931年の説教の中で語る。
−カール・バルト・貧しきラザロから「富める者としての私たちは、人間を必要としない。それゆえ、私たちはその時、ラザロも見ないし、キリストをも見ない。そしてその時、キリストもまた私たちを見給わない」(カール・バルト「聖書と説教」p155)。

3.モ−セと預言者に聞け

・金持ちは自分が陰府に置かれたのは、生前の金にまみれた生活が原因であると気付き、残してきた兄弟五人の行く末が心配になった。彼はラザロを兄弟たちの処に送って、自分のような過ちを繰り返さぬよう、伝えてほしいとアブラハムに願った。
−ルカ16:27-28「金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。私の父親の家にラザロを遣わしてください。私には兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることがないように、よく言い聞かせてください。』」
・アブラハムは金持ちに答えた。お前の兄弟たちには、聖書(モ−セと預言者)が与えられ、教えられているはずだ。彼らは「モ−セと預言者の教えを聞けばよいのだ」と答えた。
−ルカ16:29「しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモ−セと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』」
・アブラハムに願いを入れられなかった金持ちは、食い下がり、陰府へ落ち、悔い改めた死者を兄弟の処へ遣わせば、きっと彼等は悔い改めるに違いない、死者の誰かを遣わすようにと願った。
−ルカ16:30「金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟の処に行ってやれば、悔い改めるでしょう。』」
・アブラハムは金持ちに答えた。モ−セと預言者の教えを聞かない者に、陰府からよみがえった者がいくら悔い改めを迫ったとしても、聞き入れはしないだろう。
−ルカ16:31「アブラハムは言った。『もし、モ−セと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」
・生前の金持ちは、一族の繁栄はすべて自分たちの才覚ゆえと自惚れ、快楽に酔いしれ、神への感謝はなかった。金持ちは陰府の炎の中で、富に仕え、富に執着し、富を与えた神に一片の感謝すらしなかったことを後悔したが、「時すでに遅し」であった。
−マタイ6:24「だれも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは神と富とに仕えることはできない。」
・人は「神と冨に仕えることはできない」が、「富を用いて神に仕える」ことはできる。山崎製パンの創業者、飯島藤十郎は、そのように生きた一人だ。新宿中村屋で働いていた時、社長相馬愛蔵から影響を受けて聖書を読み始めた。製パン業を始めた当初、経営は順調だったが、経営方針を巡って弟の一郎と衝突し、藤十郎の長男が間を取り持とうとしたが、解決できなかった。その打開策として彼等が考えついたのが、「三人揃って洗礼を受ける」ことだった。ところが受洗後、主力工場の武蔵野工場が全焼する。その時、彼等は「この火事は、自分たちがあまりにも商売本位で生きて来たことへの神の戒めだ」と考え、以後は神に喜ばれる会社にしょうと祈った。山崎製パンは、今は年商8000億円、従業員22000人の会社になっている。
・「金持ちとラザロ」の例えを、自分に語られたと聞いて、人生を変えられたのは、A.シュバイツアーだった。彼は30歳の時に医学を学ぶことを決意し、38歳で医者として赤道アフリカに赴いた。自伝「水と原生林のはざまで」に彼は書く。
-「金持ちと貧乏なラザロとのたとえ話は我々に向かって話されているように思われる。我々はその金持ちだ。我々は進歩した医学のおかげで、病苦を治す知識と手段を多く手にしている。しかも、この富から受ける莫大な利益を当然なことと考えている。かの植民地には貧乏なラザロである有色の民が我々同様、否それ以上の病苦にさいなまれ、しかもこれと戦う術を知らずにいる。その金持ちは思慮がなく、門前の貧乏なラザロの心を聞こうと身を置き換えなかったため、これに罪を犯した。我々はこれと同じだ」。
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