すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.弟子の条件

・イエスの業と教えに感動した群衆がイエスの後に従った。心酔した群衆の中から「弟子にしてください」と叫ぶ声が起こった。イエスは声の方へ振り向き、厳しい条件を彼らに示した。親子兄弟の情を捨て、罪を憎み、悔い改めなければ、弟子にふさわしくないとイエスは言い切られた。
−ルカ14:25-26「大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。『もし、だれかが私のもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、私の弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、私の弟子ではありえない』」。
・イエスに従うには、「一度この世の人間関係を断ち切ることが必要だ」と言われる。仮にそうであれば、だれがイエスに従えよう。あまりにも厳しすぎる覚悟がここで求められていると思える。
-ルカ9:59-62「(イエスは)別の人に、『私に従いなさい』と言われたが、その人は、『主よ、まず、父を葬りに行かせてください』と言った。イエスは言われた。『死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。』また、別の人も言った。『主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。』イエスはその人に、『鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない』と言われた。」
・イエスと弟子たちはガリラヤでの伝道を終え、エルサレムに向かっている。イエスに従う者たちは、イエスがエルサレムに行かれたら、支配者ローマを倒して王に就かれると思っていた。イエスはメシア、救い主であり、ユダヤ人にとって救い主とはイスラエルを敵から解放する者だ。弟子たちは、イエスが王になられれば、自分たちも重要な役職に就けるのではないかと期待していた。しかし、イエスはエルサレムで待っているは十字架の苦難であることを知っておられた。イエスが捕らえられ、十字架で殺されるならば、弟子たちも無事ではすまない。だから、イエスは弟子たちの覚悟を求められた。しかし、ここにいる弟子たちは、その時イエスのために全てを捨てる覚悟が出来ていただろうか。弟子たちにその覚悟がなかったことはやがて明らかになる。イエスが捕らえられ、裁判にかけられた時、弟子たちは自分たちも捕らえられることを恐れ、逃げてしまった。

2.弟子の覚悟(塔を立てる者の心構え)

・イエスはエルサレムで十字架につかれる。師が殺されるのであれば弟子も危険を負う覚悟が必要だ。イエスの弟子になることはこの世では犠牲や危険が伴う。イエスはそのことを、「家を建てる者の覚悟」というたとえを通して語られる。
−ルカ14:28-30「あなたがたのうち、塔を建てようとする時、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。」
・このたとえでイエスは家を建てるものの覚悟を語られる。家を建てる場合は、どの程度の費用があれば家は立つのか、その費用を最後まで負担できるのかを計算し、費用を負担できると判断した場合のみ、家を建て始める。そうしないと、途中で費用がなくなり、完成することが出来ず、見ていた人々は「あの人は建て始めたが、完成することはできなかった」と言う。これは今日においても真理だ。日本では年間5〜7万人が住宅ローン破綻に追い込まれ、マイホームを追われている。安易に家を建てるからこのような悲劇が起こる。
・私たちは家を建てる時、費用と便益を計算し、費用を上回る便益を得られると思うから、家を建て始める。家にそれだけの配慮を払うのであれば、何故家よりも何倍も大切な命、人生についてそういう検討をしないのかとイエスは言われている。私たちは多くのものをなくてはならないものと思っている。ある人にとっては仕事が生きがいであり、仕事のために人生の全てを注ぎ込む。しかし、「定年になって会社を辞めた時、あなたに何が残っているのか。」と問われる。子供を育てることを自分の全部と思っている母親がいる。そのような母親は子供が結婚し独立した後でも、子供を離れることが出来ず、子供の生活に干渉するから、嫁・姑の問題が起きる。「本当に子供はあなたの全てなのか、子供はあなたの人生のすべてを献げるに値しないのではないか、もっと大切なものがあるのではないか、計算しなさい」とここで言われているのだ。

3.弟子の覚悟(戦をする者の心構え)

・また戦争をする時に二万人の敵軍に一万人の兵では臨まず、その時には和を求める。「負けるとわかっている戦いをする王はいない」とイエスは語られる。
-ルカ14:31-32「どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとする時は、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。」
・二番目のたとえも同じだ。戦争するものは戦って勝つという成算がなければ戦争を始めない。敵が2万人の軍勢を持ち、自分が1万人しか持たないのであれば、普通に戦っては負ける。その時どうすれば劣勢を跳ね返して相手を負かせるのかを考える。どうしても無理だ、勝てないと計算した時には、戦争を避けて相手に和解の使者を送る。このような計算が出来るのに、何故命の計算が出来ないのか。
-ルカ14:33「同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人として私の弟子ではありえない。」
・なぜそこまでしてイエスに従うのか。イエス以外に救いはないからである。あなたが自分の命を支配できるならば、あなたは命についてわずらうことはない。しかし、あなたが「髪の毛一本すら、白くも黒くもできない」(マタイ5:36)のであれば、「あなたの髪の毛までも一本残らず数えられている」方を求めよ(マタイ10:30)。あなたが命の支配者でないとしたら、誰が支配者なのか、父なる神ではないか。その父なる神が今あなたを招き、祝福を約束されている。信仰とはこちら側だけでなく、向こう側の約束を信じて生きることであり、向こう側の約束を信じることが出来るならば、こちら側を捨ててもおかしくないではないか、とイエスは言われている。
-ルカ 18:29-30「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」

4.塩気のなくなった塩は捨てられる

・イエスは、あなたがたは「地の塩」であると言われた。しかし、「塩は塩気をなくしたら、何の役にも立たなくなり、棄てられる」とルカは語る。
−ルカ14:34-35「塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい」。
・ここにあるのはイエスの弟子となる覚悟である。弟子がその塩味を失い、この世と同じ生き方をするのであれば捨てられるという厳しい教えだ。塩は多くの役割を持つ。一つは防腐剤として働く。塩があれば野菜や肉を新鮮なままで保存できる。キリスト者は世の防腐剤として働くことを神から期待されている。塩の二番目の役割は味付けだ。塩味のない食べ物は味気がなく、おいしくない。塩は周りの食べ物に味をつける。しかし、その時、塩が自己主張し、自分を硬く保っていたら、食物に味をつけるどころか、「辛い」といって捨てられる。塩が自分をなくし、相手に溶け込んだ時、塩は塩として働く。
・塩はなくてはならないものだ。私たちキリスト者も「地の塩」として、この世に不可欠な存在なのだ。その塩が塩としての役割を果たせなくなくなったら、捨てられるだけだ。ここで言われている塩とは死海沿岸で取れる岩塩だ。岩塩は多くの不純物を含むから、空気中の湿気によって溶けてなくなったり、不純物が多すぎて塩として役に立たなくなる。純度の高い塩、いつまでも塩味を保てるような塩になれ。マルコは「火が塩味をつける」とする。塩味になるためには火の精錬(試練)が必要だと語っている。
-マルコ9:49-50「人は皆、火で塩味を付けられる。塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。」
・日本でも明治以降、多くの人々が「地の塩」の働きをしてきた。プロテスタント教会の宣教は、明治になり三か所のバンド(集合体)と人材を輩出した。横浜バンドは植村正久、井深梶之助など日本人指導者を輩出。熊本では熊本洋学校の教師ジエ−ンズの感化で入信した元熊本藩士の子弟らにより熊本バンドが結成され、新島襄、海老名弾正、徳冨蘇峰、徳冨蘆花らを輩出、北海道の札幌農学校ではクラークの感化で内村鑑三や新渡戸稲造らを輩出、日本の教育、言論、社会事業、文学などに大きな影響を与えた。
・また宣教師の開いた私塾から、ミッシンスクールと呼ばれる明治学院やフエリス女学院などキリスト教系学校が誕生、開国当初から1870年までに15校、1880年頃までにはさらに35校が創立され、現在は日本人の一割がキリスト教系の学校出身である。また愛の実践を教えるキリスト教会は日本の社会事業の先駆者だった。「点字毎日新聞」を発行し、日本ライトハウスを創設した岩橋武夫、岡山孤児院創立の石井十次、滝野川学院(知的障碍児支援)を創った石井亮一、日本で最初の消費者組合運動、労働組合を指導した賀川豊彦らも地の塩であった。
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