すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.狭い戸口から入りなさい

・イエスは旅先で出会う人々に、何時も当意即妙の答えをしていた。13章後半の問答もまさにそれである。エルサレムへ向かうイエスに、会衆の一人が「救われる者は少ないのでしょうか」と質問した。矢内原忠雄はこの人物は「ファリサイ人であり、心の中で、救われる者が少ないのは、モ−セの律法を守っているファリサイ派の我々だけだからである」と自負していたのではないかと推測している。
−ルカ13:22-23a「イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。すると、『主よ、救われる者は少ないのでしょうか』と言う人がいた」。
・イエスは「狭い戸から入りなさい」と質問者の意表を突く答えをされた。戸口は夜になると閉まる。だから明るいうちでなければ入れない。終末を前に悔い改めを急げと言われている。
−ルカ13:23b-25「イエスは一同に言われた。『狭い戸口から入るように努めなさい。入ろうとしても入れない人が多いのだ。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。』
・家の主人とねんごろであっても、そのよしみで頼んでも、情は通じない。
−ルカ13:26-27「そのとき、あなたがたは『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、私たちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。しかし主人は『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆私から立ち去れ』と言うだろう。」
・イエスは救われる者が少ないことを、狭い戸口のたとえで語られた。「ユダヤ人は選民だから自分たちは間違いなく神の国へ入れるなどと自惚れるな」と戒められた。ルカはイエスの言葉を用いて、「イエスを信じようとしないユダヤ人は、父祖たちに約束されていた神の国から追放され、信じた異邦人たちが諸国から来て救いにあずかる」と宣言する。
―ルカ13:28-30「あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」
・狭い戸口と対比される広い戸口の一つに偶像礼拝がある。カナンの地は偶像礼拝が盛んで、豊作と豊穣の男性神バアル、女性神アシュラなどが拝まれていた。対するイスラエルには天地創造の神、イスラエルを奴隷の地エジプトから救い出した救済の神ヤハウエがある。カナンの地に入植したイスラエルはやがて偶像礼拝に走り、国は滅んだ。偶像礼拝は人間の欲望に直接つながり、欲望を満たしてくれる広い道だ。他方、ヤハウエ信仰は、自分を捨て神に従うことを求められる狭い戸口である。広い戸口から入るか、狭い戸口から入るか、どちらを選ぶかは選ぶ者の責任である。
−マタイ7:13-14「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
・「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」という問いは、救いを第三者的に見ている。それに対してイエスは「救いを自分の問題として考えなさい」と言われた。キリスト教神学の流れの中では、「万人救済説」と「排他主義」の双方の流れがある。「万人救済説」とはキリスト教信仰の有る無しに関わらず、全人類が救われるとの思想である。正統派神学はアウグスティヌスらが唱えた「排他主義」(信者のみが救われる)を採る。私たちはどちらが正しいか知らない。それを議論するのは「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と同じく愚かな問いである。神の秘儀に属する「救い」を論争しても無意味であろう。

2.イエスとヘロデ

・エルサレムへ向かっていたイエスが、ヘロデ・アンティパスの領内を通過中、数人のファリサイ人が現れ、ヘロデがあなたの命を狙っているから、早くこの地を離れた方が良いと勧めた。
−ルカ13:31「ちょうどその時、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。『ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。』」
・イエスはヨルダン川東岸のペレア地方を通ってエルサレムを目指しておられたのであろう。そのペレアはガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスの領土だった。ヘロデは洗礼者ヨハネを騒乱罪で逮捕し、処刑している。今、ヨハネの弟子イエスをも捕らえて殺そうとしているとの情報がファリサイ派の人々に入り、この警告となったのであろう。福音書(特にマタイ)はファリサイ派の人々を激しく批判するが、それは福音書が書かれた当時のユダヤ教団に対する批判であり、イエスご自身はしばしばファリサイ派の人々と会食しており、すべてのファリサイ派がイエスの敵だったわけではない。現にパウロもファリサイ派だった。
-ルカ9:7-9「領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、『ヨハネが死者の中から生き返ったのだ』と言う人もいれば、『エリヤが現れたのだ』と言う人もいて、更に、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいたからである。しかし、ヘロデは言った。『ヨハネなら、私が首をはねた。一体、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。』そして、イエスに会ってみたいと思った。」
・ヘロデはローマから任命された領主だった。ローマの意向次第では、その地位は吹き飛ぶ。だから彼は権力者ローマに取り入るために、自分を偽る狡猾な領主だ。イエスはヘロデを「あの狐」と呼ばれた。
-ルカ13:32「イエスは言われた。『行って、あの狐に、今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終えると私が言ったと伝えなさい。』」
・人は権力者の前にひざまずき、いつかは自分もそうなりたいと願っている。しかしイエスはその道は滅びに至る道だと語られる。上に立つためには生存競争を勝ち抜く必要があり、上に立った後も、いつ地位が覆されるかわからないため、候補者を排除していく必要がある。イエスが生まれた当時のユダヤ王ヘロデは、自らの権力の座をおびやかす者をことごとく殺していった。彼は、妻、妻の兄、妻の母を殺し、妻の叔父と自分の叔父を殺し、さらに三人の息子まで殺している。歴史家は歴代のローマ皇帝の65%は自然死以外の死因で死んでおり、死因のトップは暗殺、次が自殺だと言う(ギボン「ローマ帝国衰亡史」)。イエスは私たちに、世の支配者になるということは、「暗殺や自殺で終わるような人生を歩むことだ」と示される。だから「狭い戸、狭い門から入れ」とイエスは語られる。
-マルコ10:42-44「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、全ての人の僕になりなさい」。

3. エルサレムのために嘆く

・イエスはエルサレムでの死を覚悟しておられる。「預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえない」という言葉がその決意を示す。そのイエスにとってヘロデの脅しは何の意味もない。イエスはイスラエルを愛し、救う努力を重ねられた。その愛はあたかも、めんどりが翼の下にひなを集めるような思いだった。しかし、彼らにイエスの愛は通じず、彼等は預言者を殺し続け、イエスを殺害する。
−ルカ13:33-34「だが、私は今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めんどりがひなを羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。』」
・イエスはイスラエルの滅びを宣言された。この言葉は、もしかするとイスラエル滅亡を知るルカの言葉かもしれない。イエスの十字架死後40年でイスラエルは滅ぶ。
−ルカ13:35「見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決して私を見ることがない。」
・イエスはエルサレムのために嘆かれる。ユダヤ人はローマ支配から脱却するため紀元66年反乱を起こし(ユダヤ戦争)、完膚なきまでに撃たれ、エルサレムは廃墟となり、国は滅んだ。地上の国を求めて神の国を拒絶した結果、ユダヤ民族は自滅したとルカは考えている。
-ルカ19:41-44「エルサレムに近づき、都が見えた時、イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。』」
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