すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.悔い改めなければ滅びる

・イエスが話しておられた時、数人がイエスの前に来て、「総督ピラトが巡礼に来ていたガリラヤ人たちを神殿境内で殺した」と報告した。ガリラヤ地方は反ローマの拠点で、治安上の問題で事件が起きたのであろう。それを聞いたイエスは群衆に向かい、「殺されたガリラヤ人はあなたたちより罪が重いのではない。あなた方も罪を悔い改めなければ、同じように滅びる」と厳しく戒められた。
-ルカ13:1-3「ちょうどその時、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。『そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。』」
・当時のユダヤ教では、律法を遵守して罪のない生活をしていれば、災いが臨むことはないという因果応報を教えていた。しかしイエスはこれを否定された。人間の義や正しさを人前で誇っても、神の前では何の意味もない。ヨハネ福音書もイエスが因果応報を否定されたことを伝える。
-ヨハネ9:1-3「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」
・イエスは次にシロアムの塔崩壊で死んだ十八人の例を示し、「彼らもまた犯した罪の罰で死んだのではない。あなたたちも悔い改めなければ同じように滅びる」と戒められた。ファリサイ派の人々は「異教徒に協力した故に天罰が当たったのだ」と言っていたようである。
−ルカ13:4-5「また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」
・現代の私たちは災害や病気が神から来るのではなく、それぞれに原因があることを知っている。中野毅は論文「近代化・世俗化・宗教」で、「人は災害や病気の中に神秘を見なくなっている」と語る。
-中野毅・論文より「多くの国民は、3.11に東日本を襲った大震災や福島原発事故を、『神の怒り』や『宿業』などとは考えていない。われわれは巨大地震発生の自然的メカニズムを知っており、原爆のみならず原発の有効性とともに、制御不能なほどの危険性も知った。宇宙の誕生から人類としての進化過程も解明されてきた。病気を引き起こす遺伝子メカニズムも分かってきた。そして、それらが招く災害や被害への対策・対処も,経験科学的な知識と技術によってのみ可能であり、祈りや呪術では解決できないことを知っている。われわれは運命、宿業、神の命令などの超越的な存在や時間に依拠しない生活を始めており、天災や人災、飢餓や病気への対策も、宇宙や世界の捉え方も、世俗的な時間や空間において考えている」(創価大学社会学報、2012.3)。
・しかし、その現代人も、「大災害の中で、私は生き残って、あの方は亡くなった。何故なのか、これからどのように生きていけばよいのかという実存的な問い」に応えることはできない。ここにイエスが2000年前に提起した問いが、今日においてもなお大きな意義を持つことが示される。

2.「実のならない無花果の木」の譬え

・葡萄と無花果はイスラエルの象徴である。その無花果の木に三年たっても実がならず、園の主は木を切り倒せと命じた。譬えの葡萄園の主は神で、無花果の木はイスラエル民族、三年はイエスの公生涯であろう。それだけ経っても悔い改めの実を結ばぬイスラエル民族を滅ぼせと神が命じている譬えである。
−ルカ13:6-7「そして、イエスは次の譬えを話された。『ある人が葡萄園に無花果の木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。“もう三年もの間、この無花果の木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。”』」
・無花果の木を伐採せよと命じられた園丁は、「もう一度手入れし肥料を与えますから、伐採を待って下さい」と主人に願う。園主は神で、無花果の木を懸命にかばう園丁はイエスである。イスラエル民族を滅びから救う努力を惜しまぬイエスがこの譬えになっている。
−ルカ13:8-9「園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
・この譬えは神と人の間に立つ仲介者としてのイエスの特質を表している。当然イエス自身の言葉ではなく、ルカの編集句であろう。ルカは紀元70年にイスラエルがローマにより滅ぼされた歴史を見据えている。
―ロ−マ8:34「だれが私たちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ復活された方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、私たちのために執り成してくださるのです。」

3.安息日に腰の曲がった婦人を癒す

・イエスは十八年間、腰が曲がった女を憐れみ癒したが、その日が安息日だったので、見ていた会堂長はイエスを批判した。彼は律法の形式にこだわるが、病で苦しむ女への憐れみはそこになかった。
−ルカ13:10-14「安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。イエスはその女を見て呼び寄せ、『婦人よ、病気は治った』と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。ところが会堂長は、イエスが安息日に病人を癒されたことに腹を立て、群衆に言った。『働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。』」
・安息日の癒しを批判した会堂長にイエスは言われた。「安息日に牛や驢馬を引いて水を飲ませに行くあなたたちこそ安息日を犯しているではないか。自らを反省せず、私の癒しを非難するのはまさに偽善ではないか。」イエスの鮮やかな反論に、会堂長らは恥入り、聞いていた群衆はイエスの行った多くの業を褒めた。」
−ルカ13:15-17「しかし、主は彼に答えて言われた。『偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛や驢馬を飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。』こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。」
・当時の人々は、病気は悪霊によるものと考え、イエスもまた癒しを、悪霊追放とみている。「病気を引き起こす遺伝子メカニズムも分かり、それらが招く災害や被害への対策・対処も経験科学的な知識と技術によってのみ可能であり、祈りや呪術では解決できないことを知っている」現代人は、このような癒しの記事をどのように受け取るのだろうか。また私たちはこの記事をどのように現代人に語るべきなのだろう。

4.「からし種」と「パン種」の譬え

・イエスは神の国の成長をからし種の成長に譬えた。からし種は植物の種の中では極小の部類だが、木のように成長して、数メートルの大きさになり、小鳥が巣を作り、その黒い実を好んで啄む。
−ルカ13:18-19「そこで、イエスは言われた。『神の国は何に似ているか。何に例えようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。』」
・またパン種の譬えを語られる。パン酵母は小麦粉に練りこまれ発酵してパンを大きく柔らかく膨らます。1サトンは12.8リッター、3サトンでは150人分のパンになる。神の国の現実もそれと同じで、今はごくわずかな存在であるが、やがて人が驚くような大きな現実になると預言される。ルカはイエスの譬えを用いて、神の支配が既にイエスの中にあることを証しする。
−ルカ13:20-21「また言われた。『神の国を何にたとえようか。パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。』」
・ルカはからし種とパン種の譬えで、天の国の成長する特質を述べているが、天の国の特質は多様で「畑に隠された宝」や「高価な真珠」などにも譬えられている。
−マタイ13:44-45「『天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人はそのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払い、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。』」
・神の国とは神の支配を意味する。それは「信じる者の心の中にある」とイエスは語られる。
−ルカ17:20-21「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。『神の国は見える形では来ない。「ここにある」「あそこにある」と言えるものでもない。神の国は実にあなたがたの間にあるのだ。』」
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