すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ルカ福音書(二巡目)  >  2016年8月10日祈祷会(ルカによる福音書12:35−59、目を覚ましていなさい)

1.目を覚ましている僕

・ルカ福音書12章後半には、やがて来る「終末にどのように備えるか」という主題を持つ言葉が集められている。イエスは弟子たちに対し、「終末の時が迫っている。だから目覚めていなさい」と言われた。
−ルカ12:35−38「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたく時、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰って来た時、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。」
・イエスは侵入する盗賊の譬えを用いて、予告のない審判に臨む心得を教えた。
−ルカ12:39−40「このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
・イエスの「目覚めていなさい」という警告を、ルカは「主の再臨に備えよ」と聞き直している。12:40「人の子は思いがけない時に来る」とは明らかに、主の再臨を待ち望む教会の言葉であろう。41節から展開される「忠実な僕と悪い僕の譬え」も、主の再臨を主題としている。「主=キュリエ」(復活のキリストの意味)という言葉が繰り返し用いられている。召し使いたちの上に立つ者=羊の群れを管理する者=教会の指導者たちのあり方が、ここで問われている。
−ルカ12:41−44「そこでペトロが、『主よ、この譬えは私たちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか』と言うと、主は言われた。『主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、一体誰であろうか。主人が帰って来た時、言われた通りにしているのを見られる僕は幸いである。確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。』」
・教会の管理者が、「主の帰りは遅くなる(=再臨は今すぐではない)」と考えて、自分の思うままにふるまうならば、帰ってきた主人(再臨のキリスト)は彼を懲らしめるであろうと言われている。
−ルカ12:45−47「しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思い通りにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。」
・初代教会にとって、再臨=終末は差し迫った問題だった。パウロも主の再臨の前に、「すべての人に福音を知らせる」ために、世界伝道の活動を急いでいる。
−第一テサロニケ5:1-6「兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです・・・ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう」。
・しかし終末はなかなか来なかった。だから教会の信仰に緊張感がなくなってしまった。「終末をどう迎えるか」、「目を覚ましている」とは何かを、真剣に考える必要がある。
-第二ペテロ3:8-10「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません・・・主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます」。
・私たちは主の再臨を待望しながら、それぞれ与えられた賜物を生かして、今を生きることが求められる。
−ルカ12:48「しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」

2.分裂をもたらす

・イエスが火の審判を語られるのは、ユダヤ人にとって火は審判の象徴だからである。イエスの到来によって終末の出来事は現在化し、イエスの火によって人々は選り分けられる。初代教会はペンテコステの火によって清められて、その活動を開始した。
−ルカ12:49-50「私が来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。しかし、私には受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、私はどんなに苦しむことだろう。」
・イエスが語る分裂は、イエスを信じて従う者と従わぬ者の分裂である。
−ルカ12:51「あなたがたは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」
・イエスに出会った者(聖霊の火を受けた者=洗礼を受けた者)は、この世とは違う生き方を迫られる。その結果、家族の離反や争いも起きるだろうとイエスは言われる。
−ルカ12:52−53「今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。」
・この世で信仰者として生き続けることは容易な道ではない。迫害も差別もあるだろう。しかし「恐れるな、神は共におられる」とイエスは語られる。
−マルコ10:29-30「イエスは言われた。『はっきり言っておく。私のためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。』

3.時を見分ける

・人々は「西の地中海上に積雲が出ると雨になる、砂漠から南風が吹くと暑くなる」と見分けることができるのに、キリストが来られ、終末が始まっていることに気付いていない。
−ルカ12:54−56「イエスはまた群衆にも言われた。『あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、にわか雨になると言う。実際その通りになる。また、南風が吹いているのを見ると、暑くなると言う。事実そうなる。偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」
・人々は日常様々なものを見てはいるが、見ていてもそのしるしを理解しているわけではない。イエスは「今は終末が差し迫っている時である」ことを何故見分けられないのかと語られる。「時のしるしを見分けよ」、「メシア=キリストが来られて終末が始まった」のだと、福音書記者は力説している。
−マタイ16:1-3「ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った。イエスはお答えになった。『あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。』」

4.訴える人と仲直りしなさい

・あなたたちは「私の言う事が正しいかどうか、どうして自分で判断しないのか」とイエスは問われる。
−ルカ12:57「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。」
・債権者に訴えられ、裁判にかけられる時、あなたは必死に自分を告発する者と和解しようとするだろう。今、審判の時が迫り残された時間は少ない。「早く悔い改め、裁かれる神と和解せよ、私はその和解の使者として来たのだ」とイエスは迫られる。
−ルカ12:58-59「あなたを訴える人と一緒に役人のところに行く時には、途中でその人と仲直りするように努めなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官のもとに連れて行き、裁判官は看守に引き渡し、看守は牢に投げ込む。言っておくが、最後の一レプトンを返すまで、決してそこから出ることはできない。」
・しかし人々はイエスの言葉を聞かなった。そのために紀元70年、エルサレムはローマ軍に攻め滅ぼされて廃墟となり、人々は国外に散らされていった。ルカはその無念の思いをイエスの言葉として語る。
−ルカ13:34-35「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決して私を見ることがない。」
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