すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.神の言葉を聞く者こそ幸いである。

・悪霊を追い出したイエスの力ある業に感動した、一人の女が、群衆の中から声をあげ、イエスの母の幸いを褒めた。しかし、イエスは神の言葉に従う者こそ幸いであると応じられた。
−ルカ11:27「イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。『なんと幸いなことでしょう。あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。』しかし、イエスは言われた。『むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。』」
・11章の記事はルカ独自である。使徒言行録によればイエスの母や兄弟たちはイエスの死後、エルサレム教会に参加し、イエスの親族、特に母マリアに対する「聖母」として特別視が強まり、ルカはそれに対する警告としてこの言葉を編集したのであろう。後の教会はマリアを「神の母」として、礼拝の対象にさえした(431年エフェソ公会議)。これは明らかに聖書を超えた読み込みである。
・イエスを信じない人々は、悪霊払いが「神によるしるし」なら、その証拠を見せよとイエスに迫った。それに対しイエスは、ヨナがニネベの人々に対し「神のしるし」であったように、今、彼らの眼前にある私が「神のしるし」であるとイエスは言われたが、人々は信じなかった。
−ルカ11:29-30「群衆の数がますます増えてきたので、イエスは話し始められた。『今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。』」
・南の国の女王は神の言葉を聞くためソロモンを訪れ、ニネベの人々はヨナの告げた神の啓示を聞いて悔い改めた。今、ヨナにまさるイエスが神の言葉を語られるのに、人々は信じようとはしない。
−ルカ11:31-32「『南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者と一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来た。ここにソロモンにまさるものがある。またニネベの人々は裁きの時、今の時代の者と一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めた。ここに、ヨナにまさるものがある。』」
・「ヨナのしるし」とは、神に命じられたヨナがニネベへ遣わされ、人々の罪を指摘し「四十日後、この国は滅びる」と預言した処、ニネベの人々は国を挙げて悔い改め、滅びを免れた故事である(ヨナ3:1-10)。ルカではヨナのしるしは「語られる神の言葉」であるが、マタイではヨナのしるしは「ヨナが三日三晩魚の腹にいて助け出されたように、イエスも三日目によみがえる復活」がしるしとされている。
−マタイ12:39-40「イエスはお答えになった。『よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる』」。
・復活も神の子の受肉も証明できない。信じるだけである。奇跡が、あるいはしるしが信仰を生み出すことはない。ファリサイ派の人々はイエスの病の癒しや悪霊追放を見たが、イエスが神から来られた人であることを信じていない。むしろ信じる(神の言葉を聞く)者に奇跡が生まれるのである。
-青野太潮・苦難と救済から「絶対的に帰依した対象である教祖なり指導者なりの一言一句が、血となり肉となる形で、信徒の内に本来備わっている能力(自然治癒力)を引き出し、想像もしなかったような病気の治癒がそこで為されたりする」 。
・イエスはイスラエルの失われた信仰を喚起するため、光の比喩を用いられる。イスラエルは世界を照らす「神のともし火」となるため召されたのに、今その火は不信仰の覆いをかけられている。そしてイスラエルはその不信仰の覆いに気付いてもいない。
−ルカ11:33-36「『灯し火を灯して、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に見えるように、燭台の上に置く。あなたの体の灯し火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身は明るいが、濁っていれば、体も暗い。だから、あなたの体の中にある光が消えていないか調べなさい。あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、灯し火がその輝きであなたを照らす時のように、全身は輝いている。』」
・「人は見ようとしない限り、真理は見えない」とイエスは語られる。そして真理を見出したら、それを「隠すな」と語られる。迫害の中で人は自分の信仰を隠したがる。隠れキリシタンになりやすい。しかしその中にあっても「信仰の火」を消すな、「灯し火」を灯し続けよとルカは信徒を励ましている。

2.ファリサイ派批判

・ファリサイ人は食前に手を洗わないイエスにつまずいた。彼らにとって手洗いは衛生上の問題ではなく、律法の問題であった。ファリサイ人は外出から帰ると、必ず手を洗った。不浄な民やものとの接触による宗教的な汚れを清めるためであった。ファリサイとは分離、自らの清さを誇る人々だった。
−ルカ11:37-38「イエスがこのように話しておられた時、ファリサイ派の人々から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。」
・人々にイエスは語られた「あなた方は外側を清く見せるが、内側は汚れている」のではないかと。
−ルカ11:39-41「主は言われた。『実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。愚かな者たち、外側を造られた神は内側もお造りになったのではないか。ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。』」
・11:37では「イエス」とされていた主体が、11:39では「主(キュリオス)」に変えられている。復活者イエスを主と仰ぐ共同体が、対立するユダヤ教共同体を批判するために、イエスの言葉を援用しながら、語っているのであろう。イエスは続けられる「形式的に十分の一の献げ物をしても、心からでなければ真の価値はない」と。
−ルカ11:42「『あなたたちファリサイ派の人は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。』」
・名誉を欲し、おおげさな挨拶を好む、彼らファリサイ派は、人々に謙虚に仕えるべき使命を忘れている。それはまるで墓の中で腐敗している死骸のように醜い。
−ルカ11:43-44「『あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない。』」
・イエスはユダヤ教そのものを否定されているのではない。イエスは律法を守ることのできない人々、ユダヤ教においては罪人と排除されていた人々を無条件に受け入れられた。人を神の子にするのは、父なる神の無条件の恩恵によるものだとの信仰の故である。それをファリサイ派の人々は、「ユダヤ教という宗教の規定を守るか守らないか」に貶めた。イエスはそれを批判しておられるのである。

3.律法学者批判

・ファリサイ人に対する激しい批判に、律法の専門家が反発した。
−ルカ11:45-46「そこで、律法の専門家の一人が、『先生、そんなことをおっしゃれば私たちを侮辱することになります。』と言った。イエスは言われた。『あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。』」
・イエスは律法学者たちが、「表面的には預言者を敬うが、実際は彼らを殺した先祖と同じことをしている」と批判を始められる。彼らは神から遣わされた預言者ヨハネの警告を無視し、今は神の言葉を語るイエスを殺そうとしている。
−ルカ11:47-50「『あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。だから神の知恵もこう言っている。「私は預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。」こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。それはアベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。言っておくが、今の時代の者たちは責任を問われる。』」
・彼等は聖書から民衆を遠ざけてしまった。イエスの指摘は正論であり、批判された律法学者らのイエスへの憎しみは増した。ルカはイエスの使信を、自らの信仰において聞き取り、対立するユダヤ教共同体への批判を自分の教会に伝えていく。
−ルカ11:51-54「『あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。』イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、何か言葉じりをとらえようとねらっていた。」
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