すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.七十二人を派遣する

・イエスは七十二人の弟子を各地に派遣されたとルカは記す。十二人の派遣はルカ9:1-6、マルコ6:7-12、マタイ10:5-42も記すが、七十二人の派遣はルカのみである。
−ルカ10:1−3「その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。『収穫が多いが働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。私はあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。』」
・イエスは「財布も袋も履物も持って行くな」と命じられる。財布は旅費、袋は下着などを入れる物、徒歩の長い旅に履物の予備は欠かせない。いずれも旅に欠かせないものだった。それをあえて「何も持つな、挨拶もするな」と指示される。
−ルカ10:4「『財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶するな。』」
・イエスは「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい」と命じられる。現代ユダヤ人の挨拶もシャロ−ム・アレ−へム(平和あれ)、返事はアレ−へム・シャロ−ムである。
−ルカ10:5−6「『どこかの家に入ったら、まず、「この家に平和があるように」と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなた方に戻って来る。』」
・「泊まった家で出されたものを飲食しなさい」と命じられる。与えられたものを食べなさいと命じられる。
−ルカ10:7−9「『その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのが当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町へ入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人を癒し、また、「神の国はあなたがたに近づいた」と言いなさい。』」
・「拒否する町があれば、衆目の集まる町の広場で堂々と足の埃を払い落し、町を立ち去れ」と命じられる。−ルカ10:10−12「『しかし、町へ入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。「足についたこの町の埃さえも払い落して、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ」と。言っておくが、かの日には、その町よりソドムの方が軽い罰で済む。』」
・七十二人、あるいは七十人(そのように読む写本もある)は聖なる数である。「十二人の派遣」の場合には「イエスが派遣された」が、「七十二人の派遣」の場合は「主は遣わされた」とルカは区別し、ここでは復活者イエスを指す「主」(ホ・キュリオス)を用いる。七十二人の派遣は生前のイエスによる派遣ではなく、復活後のイエスによる派遣命令と理解するべきであろう。復活されたイエスにより派遣されてパレスチナやシリアで福音を告知した最初期の巡回伝道者が、周囲から激しい反対と迫害を受けた状況を反映している記事と思われる。

2.悔い改めない町を叱る

・イエスは福音と救いを拒んだ町々の名前をあげて厳しく叱られた。それらの町々はガリラヤ湖北岸の三つの町コラジン、ベトサイダ、カフアルナウムで、イエスの弟子たちの福音伝道を拒んだゆえに、古に滅ぼされたティルスやシドンより罪が重いとされる。
−ルカ10:13−15「『コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうに粗布をまとい、灰の中に座り悔い改めたに違いない。しかし、裁きの時には、お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽い罰で済む。また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。』」
・イエスが派遣した伝道者を受け入れる者は、イエスを受け入れる者であり、イエスを受け入れる者は、神の救いを受け入れる。イエスが派遣した伝道者を拒む者はイエスを拒み、神まで拒むことになる。
−ルカ10:16「『あなたがたに耳を傾ける者は、私に耳を傾け、あなたがたを拒む者は、私を拒むのである。私を拒む者は、私を遣わされた方を拒むのである。』」
・イエスがガリラヤで「神の国」の福音を告知された時、民衆は熱狂的にイエスを迎えた(特にカファルナウムの人々はそうであった)。イエスご自身がこのような町全体を断罪するような言葉を投げつけられたとは想像しにくい。おそらく、復活者イエスが遣わされた使者を拒む町に対する、終末的な断罪を宣言する言葉として理解すべきであろう。イエス処刑後、ガリラヤの町々ではイエスの教えは異端視され、弟子たちの宣教は拒否された。「あなたがたを拒む者は、私を拒む」等の表現は、イエスが派遣された使者の使信を信じなかった町への断罪であることを示す。

3.七十二人、帰って来る

・派遣した七十二人の伝道者は帰着し、彼等は伝道の成功を喜び勇んで報告した。イエスは伝道隊の成功の喜びと派遣する際の心配を、天上から転落する悪魔や、蛇やさそりなど忌むべき存在を用いて象徴的に語った上で、成功に浮かれないよう彼等を戒めた。
−ルカ10:17−20「七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。『主よ、お名前を使うと悪霊さえも私たちに屈服します。』イエスは言われた。『私はサタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を私はあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。』」
・マルコ福音書補遺は復活されたイエスの言葉を伝えている。その内容はルカ10章のイエスの言葉と同じである。復活のイエスから聖霊を受けた弟子たちは悪霊に勝つ力を与えられた。
−マルコ16:14-18「その後、十一人が食事をしている時、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らは私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。』」

4.喜びにあふれる

・21節以降のイエスの言葉は、イエスの派遣命令を受けて伝道活動を行う弟子たちへのイエスの祝福であろう。イエス復活後の福音告知活動において、霊感を受けた預言者が、「アーメン、私はあなたたちに言う」という定式で、主イエスの言葉を語り、それが主イエスの言葉として共同体に伝承され、福音書に残されたのであろう。
−ルカ10:21−22「そのとき、イエスは聖霊にあふれて言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ。これは御心に適うことでした。すべてのことは、父から私に任せられています。父のほかに子がどういう者であるか知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。』
・今、弟子たちは、復活されたイエスに出会い、その栄光を拝し、そのイエスから遣わされて、復活者イエスがなされる力ある業を体験している。彼らは預言者たちによって約束され、王たちによって予表されていた終末の時代を体験している。「それはなんと幸いなことか」、と復活者イエスは言われる。
−ルカ10:23-24「それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。『あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。』」
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