すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.変貌の山

・イエスは弟子たちに受難予告をされ、その後、祈るためにヘルモン山に登られる。三人の弟子が従った。
−ルカ9:28-31「この話しをしてから八日ほどたった時、イエスはペトロ、ヨハネおよびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変り、服は真っ白に輝いた。見ると二人の人がイエスと語り合っていた。モ−セとエリアである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後について話していた。」
・山上で、イエスの姿が変わり、服は光のように白く輝いた。ペテロは感激して言う「先生、私たちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう」。弟子たちは恍惚状態の中にあった。
−ルカ9:32-33「ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとした時、ペトロはイエスに言った。『先生、私たちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリアのためです。』ペトロは自分が何を言っているのか分からなかったのである。」
・イエスが神の子である証拠を示され、弟子たちは興奮した。気が付くとモ−セとエリアは去り、イエスだけがその場におり、天から言葉が響いた「これは私の子、選ばれた者、これに聞け」。
−ルカ9:34-36「ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、『これは私の子、選ばれた者、これに聞け』と言う声が雲の中から聞こえた。その声がした時、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。」
・ヘルモン山上で何があったのか、ある人々は復活後のイエスの栄光を生前に投影した教会の信仰告白であり、実際の出来事ではないと見る。別の人々はペテロが目撃し、それを伝えた現実の出来事だと考える。ペテロ自身がこの出来事を証言しており、何らかの神秘体験を弟子たちがしたことは事実と思われる。
-第二ペテロ1:16-18「私たちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、私たちは巧みな作り話を用いた訳ではありません。私たちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から『これは私の愛する子。私の心に適う者』というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。私たちは、聖なる山にイエスといた時、天から響いてきたこの声を聞いたのです」。

2.悪霊に取りつかれた子を癒す

・一同は山を下りた。地上では残った弟子たちが「何もできない」として、責められていた。
−ルカ9:37-43a「翌日、一同が山を下りると、大勢の群衆がイエスを出迎えた。その時、一人の男が群衆の中から言った。『先生、どうか私の子を見てやってください。一人息子です。悪霊が取りつくと、この子は突然叫び出します。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした。』イエスはお答えになった。『なんと信仰のないよこしまな時代なのか。いつまで私はあなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい。』・・・イエスは汚れた霊を叱り、子供を癒して父親にお返しになった。人々は皆、神の偉大さに心を打たれた。」
・子供の病気は「てんかん」であろう。てんかんは病気や事故で脳が損傷を受けた時に起こるが、当時は悪霊の働きと考えられていた。だから父親は「悪霊がこの子に取り付く」と表現する。弟子たちはてんかんの子を癒やせず、群衆から「あなたたちは本当に権能者イエスの弟子なのか」と問い詰められていた。病の癒しは神の権能だ。仮に子を癒せないとしても、その汗をふき取って楽にしてあげるとか、抱きしめて共に泣くとか、出来ることはあった。しかし弟子たちは何もしなかった。だからイエスは叱責された。

3.再び自分の死を予告する

・悪霊つきの子供を癒した後、イエスは弟子たちに再び自らの死を預言した。二度目の受難予告である。イエスは残された時が少ないことを感じておられた。
−ルカ9:43b―45「イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。『この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。』弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたからである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。」
・再度の受難予告をされても、弟子たちの関心は自分にしかない。彼らは誰が偉いかで論争する。
−ルカ9:46-48「弟子たちの間で、だれがいちばん偉いかという議論が起きた。イエスは彼らの心を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、言われた。『私の名のためにこの子供を受け入れる者は、私を受け入れるのである。私を受け入れる者は、私をお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。』」
・弟子たちの間に論争が起きた時、イエスは彼等に「何の価値もない幼子を受け入れる者こそ神の国に入る」と教えられた。社会での偉さの物差しは能力だ「何が出来るか、どのような能力を持っているか」が価値の判別基準になる。しかし神の国では「小さな者にいかに仕えるか」で偉さが決まるとイエスは語る。

4.逆らわない者は味方

・社会の中には宗派の争いがある。イエスは「そんな愚かなことはやめなさい」と言われる。神の国の福音は、いろいろな人がいろいろな形で伝えればよいのである。
−ルカ9:49-50「そこでヨハネが言った。『先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、私と一緒にあなたに従わないので止めさせようとしました。』イエスは言われた。『止めさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。』」
・サマリア人の村で冷遇された弟子たちが、イエスに報復を求めるがイエスに戒められる。違う民族もまた神の民なのである。
−ルカ9:51-56「イエスは天に上げられる時期が近づくと、エルサレムへ向かう決意を固められた。そして先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村へ入った。しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、『主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか』と言った。イエスは振り向いて二人を戒められた。そして一行は別の村に行った。」

5.弟子の覚悟

・イエスの前に三人の弟子志願者が現れる。イエスは彼らに三者三様の覚悟を求める。第一の志願者には、「伝道者は泊まるべき宿すらない時があるが、その覚悟はあるか」と問われる。
−ルカ9:57-58「一行が道を進んで行くと、イエスに対して、『あなたがお出でになる所なら、どこへでも従ってまいります』と言う人がいた。イエスは言われた。『狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。』」
・第二の志願者には、「肉親への執着を捨てて使命に生きよ」と説かれる。
−ルカ9:59-60「そして別の人に、『私に従いなさい』と言われたが、その人は、『主よ、まず、父を葬りに行かせてください』と言った。イエスは言われた。『死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を広めなさい。』」
・第三の志願者には「家族への執着を断ちきれ」と言われた。
−ルカ9:61-62「また別の人も言った。『主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。』イエスはその人に、『鋤に手をかけてから、後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない。』と言われた。」
・「両親を敬え」と律法(十戒)が求める世界で、「親の葬儀に行くな」と戒めるのは大胆な発言だ。イエスが求めたのは、一時の感激から従う決心をすることではない。一時の感激は一瞬燃えて、燃え尽きる炎のようにはかない。イエスの求めた弟子の覚悟は厳しいものであった。
−ルカ14:26−27「もし、だれかが私のもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、さらに自分の命であろうとも、これを憎まないなら、私の弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来るのでなければ、誰であれ、私の弟子ではありえない」。
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