すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ルカ福音書(二巡目)  >  2016年6月22日祈祷会(ルカ9:1-27、ガリラヤでの最後の日々)
1.12人の派遣

・イエスは巡回伝道の途中で、弟子たちを派遣された。洗礼者ヨハネは既に殺され、イエスにも同じ運命が迫っている。イエスは自分を後継する弟子たちを訓練する必要を感じられたのであろう。イエスは弟子たちに「何も持っていくな」と言われる。必要なものは神が与えて下さるからだ。
−ルカ9:1-3「イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気を癒す力と権能をお授けになった。そして、神の国を宣べ伝え、病人を癒すために遣わすにあたり、次のように言われた『旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。』」
・イエスは弟子たちに対し、家に入ったら、まず「シャローム」(平和があるように)と挨拶を交わすよう命じている。その挨拶が返されないような家は、彼らが留まるのにふさわしくない。宣教はいつでも、どこでも歓迎されるわけではない。「来る者は拒まず、去る者は追わず」、しかし必ず「来る者がいる」。
-ルカ9:4-6「どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていく時、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい』。十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気を癒した。」

2.ヘロデとイエス

・イエスの評判は、ヨハネを殺したヘロデ・アンティパスを悩ませた。イエスがヨハネの生まれ変わりと恐れたのであろう。
-ルカ9:7-9「ところで、領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、『ヨハネが死者の中から生き返ったのだ』と言う人もいれば、『エリヤが現れたのだ』と言う人もいて、更に、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいたからである。しかし、ヘロデは言った。『ヨハネなら、私が首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。』そして、イエスに会ってみたいと思った。」
・やがてヘロデはイエスの命をねらい始める。イエスがガリラヤを離れてエルサレムに向かわれたのも、逮捕・処刑という無用な混乱を避けるためであろうか。今はまだ死の時ではないからだ。
-ルカ13:31-32「ちょうどその時、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。『ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。』イエスは言われた。『行って、あの狐に、今日も明日も、悪霊を追い出し、病気を癒し、三日目にすべてを終えると私が言ったと伝えなさい。』」

3.5千人の給食

・イエスはヘロデを逃れて、ベッサイダに退かれた。しかし、群集はイエスの後を追いかけてきた。
−ルカ9:10「使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた。イエスは彼らを連れ、自分たちだけでベトサイダという町に退かれた」。
・イエスの周りには、病気の癒しを求めて大勢の人が集まって来ていた。
-ルカ9:11「群衆はそのことを知ってイエスの後を追った。イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々を癒しておられた」。
・やがて日が落ち、暗くなって来た。場所は人里離れた寂しい所だ。弟子たちは群集を解散させ、それぞれの食べ物を買いに行かせたほうが良いと判断して、イエスに「群集を解散させてください」と進言する。しかしイエスは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言われた。
-ルカ9:12-13a「日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。『群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。私たちはこんな人里離れた所にいるのです。』しかし、イエスは言われた。『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。』」
・弟子たちは困惑して言う「私たちには五つのパンと魚二匹しかありません」。
-ルカ9:12b-14a「彼らは言った。『私たちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、私たちが食べ物を買いに行かない限り。』というのは、男が五千人ほどいたからである。」
・イエスは弟子たちが差し出した五つのパンと二匹の魚を見て、天を仰いで感謝の祈りを唱えてから、人々にパンを分けられた。すると、「全ての人が食べて満腹する」ことが出来た。
-ルカ9:14b-17イエスは弟子たちに、『人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい』と言われた。弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。」
・弟子たちは「パン五つと魚二匹しかない」とため息をついた。しかし、イエスは「パンが五つもあり、魚も二匹あるではないか」と言われた。聖書学者は想像する「当時、出かける時には、相応の食糧を携帯するのが当たり前だった。弟子たちは自分たちのためにパンと魚を持っていたが、イエスに命じられてそれをイエスに差し出した。イエスはパンを与えて下さった神に感謝して、それを裂き、人々に分け与え始められた。それを見て、他の人たちもそれぞれが持っている物を差し出した。この結果、5つのパンしかなかったものが、数十個、数百個のパンとなり、みんなが満腹して食べるほどの量になったのではないか」と。5つのパンで5千人が養われるのは奇跡だが、私たちの手元にあるパンが差し出されない限り、そのような奇跡は起きない。私たちがパンを差し出せば神が豊かにそれを用いて下さる。奇跡とはmiracle(不思議な出来事)ではなく、wonder(驚嘆すべき出来事)ではないだろうか。
・岡山県に博愛会教会・病院という社会施設があり、その裏庭に「祈りの場」がある。博愛会の前身、岡山孤児院を創設した石井十次が祈った場所だとされている。石井十次は、1923年に起きた関東大震災の後、震災にあった5600人の孤児たちを収容したが、5600人の子どもたちを養っていく米がない。祈るしかない。そういう日々、石井十次は庭に行って、ひざまずいて祈った。その都度、それこそ、一日一日、一食一食、どこからか食料が与えられて、孤児たちを育てていくことができた。やがて石井の熱心に感動した大原孫三郎等の篤志家の支援で経営が安定していった。ここにも5千人の給食の奇跡がある。どのような絶望の中に置かれても、私たちには「祈る」という最終手段が与えられている。

4.イエスの受難予告

・イエスはガリラヤ伝道を終えられ、エルサレムに向かわれる前、一人退いて祈られた。イエスの内なる声は「エルサレムに行け」と促した。しかし、エルサレムは律法学者やパリサイ人の牙城であり、そこに行けば捕らえられ、殺されるかもしれない。「御心であれば、エルサレムに行きます。待っているものが苦難であっても従います」とイエスは祈られたのではないか。祈り終わった後、イエスは弟子たちに問われた「群衆は、私のことを何者だと言っているか」。弟子たちは人々の評判を語った。
-ルカ9:18-19「イエスが一人で祈っておられた時、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、『群衆は、私のことを何者だと言っているか』とお尋ねになった。弟子たちは答えた。『洗礼者ヨハネだと言っています。ほかに、エリヤだと言う人も、だれか昔の預言者が生き返ったのだと言う人もいます。」
・イエスはさらに弟子たちに問われる「それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか」。それに対してペテロは答える「神からのメシアです」。このペテロの告白はイエスを励ました。今こそ、弟子たちに自分の使命を話す時だとイエスは思われ、エルサレムで何が起こるかを話された。最初の受難予告である。
-ルカ9:20-22「イエスが言われた。『それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか。』ペトロが答えた。『神からのメシアです。』イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。『人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。』」
・「私はエルサレムで捕えられ、殺されるだろう」というイエスの言葉は、弟子たちにとって衝撃的だった。並行箇所マタイ16章では、受難予告を聞いたペテロがイエスを諫める。それに対してイエスは「サタン、引き下がれ」とペテロを一喝されたという。理解できなくとも、従っていくのが信仰だ、それを自分の思いでゆがめるのはサタンの業だとイエスは言われた(マタイ16:22-23)。
・そしてイエスは、「自分を捨て、自分の十字架を背負って従いなさい」と弟子たちに言われた。それは「苦しみを負い、それを忍耐する」生き方ではない。イエスが言われるように「自分の命を救いたいと思う者はそれを失い、私のために命を失う者はそれを救う」生き方である。命を与える源であるキリストから離れた時、その命は失われていく。
-ルカ9:23-26「イエスは皆に言われた。『私について来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。私と私の言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。』」
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