すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.聖霊が降る

・五旬節(ぺンテコステ)は、初めは麦の収穫を祝う農耕祭であったが、やがてモ−セがシナイ山で神から律法を授けられた記念の日となり、「使徒言行録」では復活のイエスが使徒たちに約束した聖霊が降り、人々の回心が起き、キリスト教会の出発点となる。
−使徒2:1-4「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」
・「激しい風が吹いてきた」、「炎のような舌が見えた」、風は見えないが感じることが出来るように、見えない聖霊が風のように弟子たちに下り、その霊によって弟子たちに語る言葉が与えられたとルカは記している。風、炎、舌、いずれも神の臨在を示す言葉である。ルカが語るのは、語ることの出来なかった弟子たちが、語るための舌(言葉)を与えられた。それがペンテコステの日に起こった出来事の意味の一つだ。
−使徒2:5-8「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうして、私たちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。』」
・もう一つの出来事の意味は、「神が為された偉大な業」を、人々にわかる言葉で伝えることができたということだ。神の業が異なる言語で語り始められた。ある人はそれを受け入れ、別の人はそれを愚かなこととして切捨てる。
−使徒2:9-11「『私たちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方に住む者もいる。また、ロ−マから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教に改宗した者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは』。人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざける者もいた」。
・イエスも弟子たちもアラム語で語っていた。アラム語で語られた出来事が、やがてギリシャ語という当時の共通語で新約聖書として書き記されることを通して、福音が世界に伝えられていった。その出発点がペンテコステの日に起こった「異なる言葉」の奇跡だった。その後キリスト教がローマ帝国の公認宗教になると、帝国の言葉ラテン語に翻訳され、ラテン語聖書(ウルガタ)が権威を持つようになる。その壁を破ったのが、宗教改革であり、宗教改革は言葉の革命であった。イギリスではウィクリフが聖書を初めて英語に翻訳し、ドイツではルターによりドイツ語聖書が生まれ、それらがグーテンベルクの発明した印刷術によって、世界各地に伝えられていく。福音を伝達したのは各国語に翻訳された聖書の力だった。

2.ペトロの説教

・朝から酒に酔って戯言を語る者はいない。「これはヨエルの証しした預言の出来事が起こったのだ」と、ペトロは語り始める。
−使徒2:14-16「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ話し始めた。『ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。私の言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。』」
・ペトロはヨエル3:1-5を引用して、終わりの時に、神は全ての人に聖霊を注ぎ、若者も老人も、僕やはしためも、すべての人が預言するようになり、主の名を呼び求める者は全て救われると証言する。
―使徒2:17-21「『「神は言われる。終わりの時に、私の霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。私の僕やはしためにも、その時には私の霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では天に不思議な業を、下では地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。」』」
・ペトロは、「イエスは復活された、彼は死に支配されたままではない」と人々に証言する。
−使徒2:22-24「『イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた人です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っている通りです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存知のうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者の手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。』」
・ペトロの説教には説得力があった。何故ならば、語る出来事を彼自身が経験していたからだ。イエスが捕らえられた時、ペトロはイエスを見捨てて逃げた。十字架でイエスが死なれた時、ペトロは自分たちも捕らえられるのではないかと恐れていた。そのペトロに復活のイエスが現れ、残された群れを委ねられた。そしてペトロは今、説教者として立たされている。まさにペトロ自身が一度死に、その絶望の底から復活した。イエスの十字架と復活の出来事は、まさにペテロ自身が経験した出来事だった。だから、彼の説教は力に満ちていた。
−使徒2:32-36「『神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です。それでイエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、私たちの主にお告げになった。「私の右の座に着け。私があなたの敵を、あなたの足台とするときまで。」だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。』」

3.教会の誕生

・ペトロが語った内容は驚くべきものだった。ユダヤ人にとって十字架につけて殺された者は、「神に呪われた者」(申命記21:22)であるのに、ペトロはその人を「神の一人子」と呼ぶ。彼の説教は、常識的には気が狂ったとしか思えないような説教だった。それをペトロは何のためらいもなく説き、民衆はその説教に心を動かされた。彼らはペトロに尋ねます「私たちはどうしたら良いですか」。ペトロは「悔改めてバプテスマを受けなさい」と勧め、多くの者がこの日にバプテスマを受け、ここに教会が形成された。
−使徒2:37-42「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、私たちはどうしたらよいのですか』と言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼(バプテスマ)を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも。あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、私たちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。』ペトロはこのほかにもいろいろ話しして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼(バプテスマ)を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」
・ペトロの説教により、終末-再臨の日が近いと信じた人々による信仰共同体が誕生した。
−使徒2:43-47「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じて、皆がそれを分けあった。そして、毎日心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心を持って一緒に食事をし、神を賛美していたので民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」
・初代教会は毎日集まり、礼拝を捧げ、食卓を共にし、兄弟姉妹へのとりなしを祈った。このような活動を通して、彼らは一つになって行った。現代の私たちは、週1日か2日しか、共に集まることが出来ない。それだけに、主日の礼拝と水曜日、木曜日の祈祷会、また家庭集会での交わりが大事である。共に集まって聖書を読み、相手のために祈ることこそ、主にある交わりであり、この交わりなしには、信仰の成長はない。私たちの信仰は、自分一人が救われて「良し」とする信仰ではなく、共に救われる信仰だからだ。ルカは初代教会の成長の様子を、「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた」と記す。教会が健全かどうかの指標は、「新しい兄弟姉妹が常に加えられているかどうか」にあるのではないか。
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