すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.私はこの男に罪を見いだせない

・ピラトは最初イエスを死刑にするつもりはなかった。ユダヤ人の要求が、あまりにも強硬なので、一歩譲ってイエスを一応有罪とし、過越祭の特赦枠を使い釈放しようとした。鞭で打たれたイエスの弱った姿を見せれば、ユダヤ人が納得するかと思ったが、彼らの納得は得られなかった。
−ヨハネ19:1‐4「そこで、ピラトはイエスを捕え、鞭で打たせた。兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、そばにやって来ては、『ユダヤ人の王、万歳』と言って、平手で打った。ピラトはまた出て来て、言った。『見よ、あの男をあなたたちの前に引き出そう。そうすれば、あの男に何の罪もないことが分かるだろう。』」
・ピラトは血まみれのイエスを群衆に見せ、「この男を見よ」(ラテン語「エッケ・ホモ」)と言った。ピラトは「イエスの、王を象徴する衣装を着せられながら、鞭打たれて血を流している滑稽で惨めな姿を見せて、このような無力な人物がローマの権力に反抗する革命家でありえない」ことをユダヤ人たちに納得させようとした。ピラトがイエスを指さして、「この男を見よ」と言った事実は、象徴として深い意味を持ち、この光景は繰り返し画家によって描かれた。
−ヨハネ19:5‐7「イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着て出て来られた。ピラトは、『見よ、この男だ』と言った、祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、『十字架につけろ。十字架につけろ』と叫んだ。ピラトは言った。『あなたたちが引き取って。十字架につけるよい。私はこの男に罪を見いだせない。』ユダヤ人たちは答えた。『私たちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。』」
・ピラトは現状を打開できず、ただ右往左往する。
−ヨハネ19:8‐11「ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、再び総督官邸の中に入って、『お前はどこから来たのか』と聞いた。しかし、イエスは答えようとされなかった。そこでピラトは言った。『私に答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、この私にあることを知らないのか。』イエスは答えられた。『神から与えられていなければ、私に対して何の権限もないはずだ。だから、私をあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。』」
・ピラトはイエス釈放を考えるが、その考えはユダヤ人の、「皇帝に背くのか」の怒号でかき消されてしまう。ユダヤ人は自らの手を汚さずイエスを十字架に架けるため、ピラトを利用した。
−ヨハネ19:12‐14a「そこでピラトはイエスを釈放しようと務めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。『もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。』ピラトはこれらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち『敷石』という場所で、裁判の席に着かせた。それは、過越祭の準備の日の、正午ごろであった。」
・ピラトはユダヤ人の強硬な態度に押し切られ、優柔不断のピラトと強硬なユダヤ人の間で、イエスの処刑は決められてしまう。
−ヨハネ19:14b−16a「ピラトがユダヤ人たちに、『見よ、あなたたちの王だ』と言うと彼らは叫んだ。『殺せ。殺せ。十字架につけろ。』ピラトが、『あなたたちの王を私が十字架につけるのか』と言うと、祭司長たちは、『私たちには皇帝の他に王はありません』と答えた。そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。」
・イエスを釈放しようとするピラトにユダヤ人たちは、「あなたがこの男を釈放するならば、皇帝に訴える」と脅す。ピラトは自分の立場を危うくしてまで、イエスを守るつもりはない。マルコ福音書とヨハネ福音書は、ピラトが群集の要求に応えてやむをえずイエス処刑に踏み切ったと記述する。ピラトの動機は自分の政治生命を守ることにあり、ローマにユダヤの騒動が伝わらないようにしたいという願いがあったとされる。歴史家エウセビオスはピラトがユダヤ総督を解任された後(紀元36年、イエスの処刑から6年後)カリグラ帝によってガリアに流され、そこで自殺したという伝承を伝えている(エウセビオス『教会史』供7)。


2.十字架につけられる

・イエスは十字架を負わされ刑場へ向かった。共観福音書は途中、通りかかったクレネ人シモンに、イエスに代わり十字架を背負わせたと記録しているが、ヨハネにはそれがない。イエス自身が十字架を最後まで負われたことを強調したのであろう。
−ヨハネ19:16b−18「こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる『されこうべの場所』すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。またイエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして十字架につけた。」
・アウグステイヌスは十字架を背負って歩むイエスを次のように描写した。肉の目で見るか、信仰の目で見るかによって、イエスの姿はまるで異なってくる。
―「何という偉大な光景か。だが不敬虔な者が見れば大いなる戯れである。何と言う偉大な秘儀か。だが不敬虔な者が見れば、大いなる恥辱である。何と言う信仰の出来事か。だが不敬虔な者が見れば、王杖の代わりに十字架を運ぶ道化である」。
・ピラトが罪状書きを「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書き、ユダヤ人からの訂正申し入れにも応じなかった。罪状書きに連ねられた言語はヘブライ語、ラテン語、ギリシア語であった。ヘブライ語はユダヤ人の言語であり、ラテン語はロ−マ帝国の公用語であり、ギリシア語は地中海沿岸の共通語であったから、十字架の前を通るすべての人々に、この罪状書きは読めた。ピラトは悪ふざけで罪状書きを書いたが、結果的には全世界にイエスが王であることを告げ知らせた。
−ヨハネ19:19‐22「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』と書かれてあった。イエスが十字架に掛けられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、『「ユダヤ人の王」と書かずに、「この男はユダヤ人の王と自称した」と書いてください』と言った。しかし、ピラトは、『私が書いたものは、書いたままにしておけ』と答えた。」
・ヨハネは詩編22編を引用してイエスの十字架の有り様を伝える。
−ヨハネ19:23‐24「兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、『これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう』と話しあった。それは、『彼らは、私の服を分けあい、私の衣服のことでくじを引いた』という聖書の言葉が実現するためであった」。
・ヨハネはイエスの十字架刑に旧約の預言(義人の苦難)の成就を見ている。
−詩篇22:17−19『犬どもが私を取り囲み、さいなむ者が群がって私を囲み、獅子のように私の手足を砕く。骨が数えられる程になった私の体を、彼らはさらしものにして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」。
・十字架上のイエスの最後を見守ったのは、女性たちだった。イエスは母マリアを愛する弟子に託した。この弟子はヨハネだと言われている。
−ヨハネ19:25‐27「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロバの妻マリアとマグダラのマリアが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる、愛する弟子とを見て、母に、『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です』と言われた。それから、弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』そのときから、その弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」
・使徒言行録ではイエスの復活・昇天後、母マリアは自分の子供たち(イエスの兄弟たち)と一緒に、イエスの弟子たちと同じ家で祈っている(使徒1:14)。ペンテコステ以後、イエスの兄弟たちはエルサレムに住んで、「主の兄弟ヤコブ」を中心にエルサレム共同体指導部を形成し、母マリアもそこにいた。その後のユダヤ戦争の嵐の中で62年にはヤコブも殺され、エルサレムの信徒はペレアに脱出し、この「愛弟子」が母マリアを連れて危険なエルサレムを去り、安全な場所にかくまったと推察される。古代伝承は、その避難先をエフェソとしている。エフェソにはマリアが晩年を過ごしたと伝えられる家を記念する小さい教会堂がある。また、この「愛弟子」がその証しの働きを通して形成した信徒の共同体がエフェソにあり、その共同体が生み出した福音書が「ヨハネ福音書」として流布していた。この「愛弟子」がヨハネという名で知られるようになり、後に彼を記念する「聖ヨハネ教会」がエフェソに建てられる。
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