すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  マタイ福音書(二巡目)  >  2014年10月8日祈祷会(マタイによる福音書22:1-22、婚宴の喩え)
1.婚宴の喩え

・婚宴の喩えはルカとマタイにあり、イエスの語録伝承によるものとされる。元々は、イエスの教えを聞きながら、日常の多忙さの中でその教えを無視した人々への警告の喩えだったとされる。
-ルカ 14:16-21「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい』」。
・この喩えをマタイは、イエスを受け入れなかったユダヤ人の不信の罪を語る物語と理解した。招待を受けながら、理由を並べ、婚宴への出席を拒んだ客はユダヤ人である。彼らは、神に選ばれ、生かされてきたにもかかわらず、神の恩寵を忘れ、イエスの招きを拒絶した。
−マタイ22:1-5「イエスは、また、喩えを用いて語られた。『天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。「招いておいた人々にこう言いなさい。『食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴にお出でください』。しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人な商売に出かけた」。
・さらにマタイは「ある者たちは婚宴の知らせをした王の使いを殺してしまった。そのため、王は怒り、軍隊を派遣して彼らを殺し、町を焼き払った」と記す。この部分は紀元70年のローマ軍によるエルサレム破壊を示唆している。ユダヤ人は神から遣わされたイエスも受け入れずに、十字架に架けて殺してしまった、その報いがエルサレムの崩壊だとマタイは理解している。
−マタイ22:6−7「『また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った』」。
・王は婚宴を断った客の代わりに、町の大通りから婚宴客を集めてくるよう家来に命じた。並行のルカは「急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい」(14:21)と記している。王は客の資格など問わない決心をした。神に選ばれた民の無礼と不信仰から、神の招きが異邦人へ向けられことを示す。「見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい」と家来に命じたのは、神による全ての人々への招きが始まったことを指している。
−マタイ22:8−10「そして家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々はふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい』。そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった」。

2.招かれる人は多いが選ばれる人は少ない

・王が婚宴会場を見回すと礼服を着ていない客がいた。王は礼服を着ていない理由を尋ねたが彼は答えられなかった。王は側近に命じて、彼の手足を縛らせ、放り出させた。彼は礼服を着て来なかったことを悔い、暗闇で泣きわめいて悔しがったが、もう手遅れだった。この礼服着用が、異邦人伝道における喩えとするなら、礼服は洗礼によりキリストを着ることを示すのであろう。
−マタイ22:11−14「王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は、『どうして礼服を着ないでここに入って来たのか。』と言った。この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この者の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう』。招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」。
・神の国への招きはすべての人に向けられている。しかし来た人すべてが選ばれるわけではない。「礼服を着る」、キリストを生きることが求められている。
-マタイ7:21-23「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者が私に、『主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、私はきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、私から離れ去れ』」。

3.神のものは神へ

・ファリサイ派とヘロデ派の人々は共同で、イエスに税金論争を持ちかけた。ユダヤ人はロ−マ皇帝に税を納めることを義務づけられていたが、それは神を信じないロ−マ人の支配に服することになり、屈辱的なことだった。彼らはイエスを窮地に追い込もうとして、皇帝に税を納めるのは「律法に適うか、適わないか」と問いかけてきた。
−マタイ22:15−17「それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。『先生、私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であるのを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか。お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか』」。
・ファリサイ派と仲の悪いヘロデ派の人々が、ファリサイ派と一緒にイエスのもとに来たので、彼らに良からぬ企みのあることを、イエスはすぐ見抜いた。イエスは彼らを偽善者と呼び捨て、デナリオン銀貨を出させ、銀貨の肖像と銘は誰かと尋ねた、彼らが「皇帝です」と答えると、イエスは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えた。
−マタイ22:18−22「イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。『偽善者たち、なぜ、私を試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい』。彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは『これはだれの肖像と銘か』と言われた。彼らは『皇帝のものです』と言った。すると、イエスは言われた。『では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい』。彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。」
・「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」は、キリスト者がこの世を生きるときの大原則である。私たちはこの世の秩序に従う。神が定めた秩序だからである。しかし皇帝が「戦争に参加して敵を殺せ」と言えばこれに従わない。神は「殺すな」と言われているからである。鷹巣直美姉の始めた「憲法9条にノーベル平和賞を」運動はイエスの教えを生活の中で実行したものである。
-2014.04.09朝日新聞「戦争の放棄を定めた憲法9条をノーベル平和賞に推した『憲法9条にノーベル平和賞を』実行委員会(事務局・神奈川県相模原市)に、ノルウェー・オスロのノーベル委員会から推薦を受理したとの連絡があり、正式に候補になったことがわかった。推薦運動は、神奈川県座間市の主婦鷹巣直美さん(37)らが始めた。推薦資格のある大学教授、平和研究所所長ら43人が推薦人になった。実行委は2万人の署名を添えて、委員会に送っていた。署名は4月11日現在、4万人を超えているという。鷹巣さんは『一人ひとりの小さな平和への願いがつながって、候補にまでたどりつくことができました。たくさんの方々の協力に感謝で一杯です』と話した(なお、
鷹巣直美姉は東京バプテスト神学校の学生であり、日本バプテスト教会連合大野キリスト教会会員でもある)。
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