すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.私が命のパンである

・パンの奇跡の後、イエスは一人山に登られる。「それからすぐ」は、イエスが五千人の群衆に満腹するまで食べさせた、あの「五つのパンと二匹の魚」の奇跡の、「それからすぐ」の出来事である。なぜ、イエスは弟子たちを強いて対岸に渡らせ、群衆を解散させたのか。それは、イエスの奇跡で満腹した群衆が、さらなる食べ物の奇跡を求めて、イエスに付きまとったからである。
−マタイ14:22−23「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向う岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るために山にお登りになった。夕方になっても、ただ、ひとりそこにおられた」。
・彼らは目先の食物にのみ執着し、イエスの教えには耳をかそうとしなかった。イエスはそんな彼らとの関わりをいったん断つため、弟子たちを強いて対岸へ渡らせ、群衆を解散させた。イエスの宣教は空振りだったのだろうか。イエスはひとり山へ登り、余人を混じえず静かに祈る時を必要とした。しかし、そのとき群衆の一部はなおイエスを追い続けていた。その経緯を「ヨハネによる福音書」は記している。
−ヨハネ6:24−27「群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカフアルナウムに来た。そして、湖の向う岸でイエスを見つけると、『ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか』と言った。イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物ではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。』」
・イエスは食べ物目当てに、イエスを追いかける群衆に「朽ちる食べ物」ではなく、「永遠に命に至る食べ物」を求めるよう促したのである。イエスは食べても、空腹になる一過性の食べ物を「朽ちる食べ物」、神の義を「永遠の命に至る食べ物」と区別して彼らに教えたが、彼らの心に届かなかった。イエスは荒野で悪魔に試みられたとき「人が生きるのはパンだけではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(申命記8:3b)と言われた。「永遠の命に至る食べ物」は神の口から出る一つ一つの言葉なのである。
−ヨハネ6:32−42「そこで彼らが、『そのパンをいつも私たちにください』と言うと、イエスは言われた。『私が命のパンである。私のもとへ来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。しかし、前にも言ったように、あなたがたは私を見ているのに信じない。』ユダヤ人はイエスが、『私が天から降って来たパンである』と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。『これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今「私は天から降って来た」などと言うのか。』」
・イエスは言葉を尽して彼らに、食べ物への執着から離れて、神の国と神の義を学ぶよう諭したが、彼らはイエスの諭しを聞くどころか、イエスの出自につまずいてしまい、とうとう「永遠の命に至る食べ物」を理解するにいたらなかった。
−マタイ6:30b−34「信仰の薄い者たちよ。だから、『なにを食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って思い悩むな。それらはみな、異邦人がせつに求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことはご存知である。なによりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日一日だけで十分である。」

2.湖上を歩くイエス

・ガリラヤ湖は、海抜約マイナス200メートル、水面は東西13キロ、南北21キロと狭く、上流のヨルダン渓谷から流れ落ちる水が、窪地の底に溜まったような湖である。ガリラヤ湖はふだん穏やかだが、湖が窪んでいるせいで、吹き下りた風が抜けにくく、湖上に溜まり、圧縮された風が突然向きを変え、逆風になることがある。1スタディオンは約185メ−トル、弟子達の乗った舟は、すぐには岸に戻れない距離、岸からおよそ5,6キロは離れた湖の真ん中あたりで、急に風向きが逆に変わった。逆風を避け、向きを変えれば舟は横波をうけ転覆する、進退きわまった状態だった。
−マタイ14:24「ところが、舟は陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた」。
・イエスは逆風に悩む船上の弟子たちを救うため、湖上を歩いて沖へ向かった。しかし、弟子たちはイエスを見て、喜ぶどころか恐れた。弟子たちの中で、ただひとり、ペトロだけは恐れより好奇心が勝っていた。彼はイエスのように湖上を歩きたいとイエスに申し出た。彼には湖上歩行が可能に思えた。しかし、少し歩いただけで恐怖心から沈みかけた。沈みかけたペトロを引き上げたイエスは「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」とペトロを叱った。
−マタイ14:25−30「夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところへ行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。『安心しなさい。私だ。恐れることはない。』すると、ペトロが答えた『主よ、あなたでしたら、私に命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。』イエスが『来なさい』と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、『主よ、助けてください』と叫んだ」。
・ペトロも他の弟子たちも信仰を試みられた。それも平常ではない、嵐のただ中の命がけの状態で試みられたのである。私たちの人生にも逆風の時が必ずある。その時逆風が、試練だと気付くだろうか。信仰を試みられていると考えらえられるだろうか。どのような苦難の時であっても、自分は孤独ではないと信じることができるだろうか。孤独ではないと信じられてこそ、イエスの言葉が聞こえてくるのではないだろうか。「信仰の薄い者よ、なぜ疑うのか」と、今もイエスの叱る言葉が聞こえてくるのではないだろうか。
−マタイ14:31-33「イエスはすぐ手を伸ばして捕まえ、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、『本当に、あなたは神の子です』と言ってイエスを拝んだ。」

3.ゲネサレトで病人を癒す

・湖を渡ったゲネサレトでは、イエスの姿のある所、人々は群れをなして集い、癒しを求めた。イエスの教えを信ぜず、食べ物だけを求め続け、ついにイエスの出自につまずいた群衆、どのような人々に出会っても、イエスの人々に対する愛に変化はなかった。ここゲネサレトでは、イエスの説教の記録はなく、イエスがひたすら病人を癒し続けたことだけが記されている。イエスは無償の愛で病人を癒し続けたのである。
−マタイ14:34−36「こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いた。土地の人々は、イエスだと知って、付近にくまなく触れ回った。それで、人々は病人を皆イエスのところに連れて来て、その服の裾にでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆癒された。」
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