すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  マタイによる福音書  >  2002年12月18日  マタイ15:1−20  神の戒めと人の戒め
1.清めについての論争

・弟子たちが手を洗わないで食事した時、パリサイ人たちは、それはしきたりに反した行為だと言った。
―マタイ15:2 「あなたの弟子たちは、なぜ昔の人々の言伝えを破るのですか。彼らは食事の時に手を洗っていません」。
・ユダヤ人にとって、清めは大事だった。食事の前に身を清めるのはもちろん、汚れたもの(豚肉や甲殻類等)は食べない。各家庭には清めの水が置いてあり、イエスがカナンでぶどう酒に変えられた水は清めの水だった。
―ヨハネ2:6-7「そこには、ユダヤ人の清めのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。イエスは彼らに『かめに水をいっぱい入れなさい』と言われた」
・イエスは形式のみに囚われて、実質を重んじないパリサイ人を批判された。
―マタイ15:10-11「イエスは群衆を呼び寄せて言われた、『聞いて悟るがよい。口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである』」
・本当に人間を汚すものは口から入るものではなく、口から出るものであるとイエスは言われた。
―マタイ15:17-20「口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして、外に出て行くことを知らないのか。しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、これらのものが人を汚すのである。しかし、洗わない手で食事することは、人を汚すのではない」。
・人を汚すのは人間の中にある罪の思いだ。その思いが言葉となり、人を傷つける。
―ヤコブ3:8-9「舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。」

2.神の戒めを人の戒めに変えてしまうパリサイ人たち

・パリサイ人たちは神殿に供え物をすれば父母を養わなくとも良いと教えていた。
―マタイ15:3-6「なぜ、あなたがたも自分たちの言伝えによって、神の戒めを破っているのか。神は言われた、『父と母とを敬え』、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。それだのに、あなたがたは『だれでも父または母にむかって、あなたに差し上げるはずのこの物は供え物です、と言えば、父または母を敬わなくてもよろしい』と言っている。こうしてあなたがたは自分たちの言伝えによって、神の言を無にしている。」
・何故第5戒で「父母を敬え」と命じられているのか、恐らくは父母の扶養責任を果たさない人々が多かった為であろう。人は責任を逃れるために、神の戒めを何時の間にか人の戒め(昔の人の言い伝え)にしてしまう。
―マタイ15:7-9「偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」(イザヤ書29:13)。
・信仰の本質の部分(神の戒め)と、そうしたほうが望ましい部分(人の戒め)を峻別しなければならない。クリスチャンの飲酒・喫煙も人の戒めであり信仰の本質の問題ではない。イエスが清めの水を使ってぶどう酒に変えられたも、それを教えるためであった。
―汽灰螢鵐10:23-24「すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。」
・現代の教会も、聖書に書いてないことを聖書と同等、あるいはより大事なことと教える過ちを犯している。
―カトリック教会では、司祭は独身でなければならないとする。
―バプテスト教会では、浸礼によらないバプテスマを認めない。
・人を救うものは水によるバプテスマではなく、霊によるバプテスマである。水のバプテスマを受けることが救いの条件ではないとすれば、浸礼か滴礼かもまた本質的な議論ではない。神の前にどう生きるかが問題なのだ。
―マタイ3:11「私は悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、私のあとから来る人は私よりも力のあるかたで、私はそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。」
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