すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.中風の人を癒す

・マタイ福音書28章中に、20の癒しの記事がある。医術が進歩した現代からみればイエスの癒しの業は理解し難いだろうが、医術が幼稚で病気の原因が闇に包まれていた古代においては、イエスの癒しの業は病む者にとって、かけがえのない救いであった。癒しの記事の一つ一つが、それを証ししている。癒しは病める民への福音であった。もちろん、イエスの使命は癒しだけに止まらず、癒しが全てではなかった。
−マタイ9:1−8「イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される』と言われた。ところが、律法学者の中に、『この男は神を冒涜している』と思う者がいた。イエスは彼らの考えを見抜いて言われた。『なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。「あなたの罪は赦される」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。』そして、中風の人に、『起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい』と言われた。その人は起き上がり、家に帰って行った。群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。」
・巷で中風という病名を聞かなくなって久しい。高血圧や糖尿病が引き金になり、脳や脊髄からの出血、脳の軟化、炎症が始まり、脳梗塞、脳出血の発作が起きる。意識が戻っても、後遺症で手足の麻痺や言語障害、認知症の症状が出る。それを昔は「風に中って起こる病気」と考え、中風、中氣、卒中などと言っていた。今もこの病を発症した高齢者の約4割が寝たきりになっている。この病が難病であることは、昔も今も変わらないのである。
・中風は昔から不治の病と怖れられていた。一家の稼ぎ手が突然、半身不随で寝たきりになったりしたら、本人はもとより、看護する家族の負担は限りなく重く、貧困の原因となった。さらに中風のような難病には、偏見と差別が影の如くにつきまとっていた。イエスの時代のユダヤ人は、すべての病気は罪の報いであると信じていたから、それが病人をなおいっそう哀れにしていた。自分の病は自分の罪のせいであるという意識が、病を重くしていることをイエスは見抜き、「あなたの罪は赦される」と宣言し、病人の心から罪の意識を断ち切った。イエスの権威ある言葉で罪を赦された病人は、力がよみがえり床の上に立ち上がれた。イエスは神の子の権威をもって、病人を癒されたのであるが、学者らはイエスを神の子と信じられず、「この男は神を冒涜している」と非難し、素直な群衆は、目前にした奇跡を信じ、神を畏れ、イエスを賛美したのである。

2.取税人を弟子にする

・ロ−マ政府は自分の手を汚さぬ間接的取税法を用いていた。まず地域毎の取税権を競売した。この方法で権利を得た者は、定められた額をロ−マ政府に納めておけば、残りを自分のものにすることは容易だった。納税者が税額を不当と感じたとしても、妥当な税額を知るすべもなかった。取税権の競売は競売そのものが不正を生んだので、イエスの時代には廃止され、その代わり取税人は、地域住民から募集して採用するようになった。しかし、それでも取税人の着服は防げなかった。彼らは罪人としてユダヤ人社会で嫌われた。彼らは金銭を得た代わりに、同朋の信頼を失ってしまったのである。そのうえ取税人は、盗賊や殺人者、汚れた物や動物同様に見做され、会堂に入ることを律法で禁じられた。マタイはその取税人だった。彼はエジプトからダマスコに通じる街道「海の道」を通過する物品に、関税を課していた。イエスはその嫌われ者の取税人(あるいは徴税人)マタイを弟子にして食事まで共にしていた。
−マタイ9:9−13「イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、『私に従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、『なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事するのか』と言った。イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。「私が求めるのは憐れみであって、いけにえではない」とはどういう意味か、行って学びなさい。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。』」
・ファリサイ派の人々はイエスが取税人を弟子にして食事まで共にしていたことを見逃すはずはなかった。罪人と一緒に食事をする者は、汚れると見做されていた。しかし、ファリサイ派の人々がイエスをいかに咎めようと、イエスは揺るがなかった。
-ホセア6:6「私が喜ぶのは愛であっていけにえではなく、神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない」。

3.断食についての問答

・断食問答は「なぜ、あなたの弟子は断食しないのか」というヨハネの弟子からの質問で始まった。ユダヤでは年一度、律法の定めに従い、秋の初め「贖いの日」に断食していた。ところが、ファリサイ人の間では回数が次第に増え、イエスの時代には週二回となり、それがファリサイ人の誇りになっていた。ヨハネの弟子たちも、ファリサイ派の人々と同じように断食をしていたから、断食問答になったのである。
−マタイ9:14−17「そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、『私たちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか』と言った。イエスは言われた。『花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。』」
・断食を誇るファリサイ人の、形だけの信仰をイエスは批判している。
−ルカ18:10−14「二人の人が祈るための神殿に上った。一人はファリサイ人派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って心の中でこう祈った。『神様、私はほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者ではなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。私は週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人の私を憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。」
・断食問答で、イエスは婚礼の喩えを用いて、弟子たちが断食しない理由を述べている。喩えの花婿はイエス、花嫁はイエスの弟子である。そして時はまさに婚礼の喜びの最中である。断食は悲しみの象徴であるから、喜びの最中に断食はありえない。断食するとしたら、それは花婿イエスが奪い去られる悲しみの時であると述べている。婚礼の喩えを用いて、イエスが十字架にかけられることを暗示しているのである。
・継ぎ布と葡萄酒の喩えは、形式化した断食の慣習を批判しているようでもあるが、断食の批判の枠から出て、形式化して中味の伴わない古い宗教慣習を批判している。古い服に新しい布で継ぎを当てれば、新しい布の弾力に耐えられず古い服は破れてしまう。古い革袋へ新しい葡萄酒を入れたら、新しい葡萄酒の発酵力で、古い革袋は裂けてしまう。宗教も伝統の継承だけでは、使命は果たせない。いかに丈夫にみえようと、古い革袋は古い革袋に過ぎず、破れる時が必ず来る。宗教改革の歴史はそれを物語っている。

*宗教改革の背景には、カトリック教会が販売した贖宥状いわゆる免罪符の問題があった。中世末、時のマインツ大司教は資金集めのため、贖宥状販売をドミニコ派修道会の説教者テッツエルに委ねた。彼は教皇の紋章を着けた十字架を先頭に街を練り歩き、献金すれば救われるという露骨な説教で贖宥状を売った。1517年、マルティン・ルタ−は、ヴィッティンベルク城教会の扉に贖宥状を批判などの九十五ヵ条の論題を掲げた。この論題が宗教改革の発端となった。その後ルタ−らは洗礼と聖餐以外の教会の秘跡を廃し、信仰のみの福音主義を主張し始め、ラテン語のみで行われていた典礼や聖書のドイツ語化などの改革、ドイツ農民戦争やスイスのカルヴァンの登場など改革は、燎原の火のように各地に広まった。古い革袋のカトリック教会の中で、新しい福音主義のぶどう酒が発酵して、古い革袋を破ったのが宗教改革であった。
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