すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.実によって木を知る

・イエスは「偽預言者を警戒しなさい」と言われた。外見だけで偽預言者を見分けるのは難しい。なぜなら、本物も偽物も外見は、ほとんど変わりなく、ときには偽物のほうが立派に見えることさえあるからだ。彼らは神の言葉を託されていないのに、それらしく自分をみせる術だけは心得ているという者たちだからである。イスラエルの民は、元々は遊牧民だったので、羊に譬えられ、預言者は羊飼いに譬えられていた。羊飼いは羊の毛衣を着ていたが、ときには羊泥棒が羊の毛衣を着て群れに忍びこむことがあった。偽預言者は民を惑わす羊泥棒とも呼ばれていた。
−マタイ7:15−20「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実をむすぶ。良い木は悪い実が結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」
・イエスは外見ではなく、実を見て木を知れと教えている。良い実は生命を養う食べ物になるが、悪い実は生命を損なう。イエスは偽預言者のように、食べられそうで、食べられない物を譬えにしている(「茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか」)。茨の中に自生するクロウメモドキ科のイソノキの小さく黒い実はぶどうに似ているが、ぶどうではない。アザミの一種タカアザミの花を遠目で見ると、いちじくに見える。しかし、近くでみるといちじくではない。イエスは似て非なるものを例にあげて、偽預言者に騙されるなと、警告している。
・時が来ても良い実を結ばない木は、果樹園の主人によって選定され、切り倒され竈で燃やされてしまう。良い木は本物の預言者で、悪い木は偽預言者、果樹園の主人は神である。
−エレミヤ14:14「主はわたしに言われた。『預言者たちは、わたしの名において偽りの預言をしている。わたしは彼らを遣わしはていない。彼らを任命したことも、彼らに言葉を託したこともない。彼らは偽りの幻、むなしい呪術、欺く心によってお前たちに預言しているのだ』」。

2.あなたたちのことは知らない

・口先だけの信仰は、信じるふりをしているだけである。表面だけの信仰はもはや信仰ではない。イエスはそのような信仰の偽装を厳しく戒める。
−マタイ7:21−23「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけでない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」
・偽装以上に悪いのは、イエスの名を自分の名利のために利用することである。偽祈祷師らが、悪霊払いにイエスの名を利用したが、悪霊憑きの男らに嘘を見破られ、失敗する例が聖書に記録されている。
−使徒言行録19:13−16「各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師の中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、『パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる』と言う者があった。ユダヤ人の祭司スケワと言う者の七人の息子たちがこんなことをしていた。悪霊は彼らに言い返した。『イエスのことも知っている。パウロのこともよく知っている。だが、一体お前たちは何者だ。』そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師に飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した。」

3.家と土台

・イエスの「家と土台の教え」は、イスラエルの気候と風土をよく反映している。イスラエル南部の荒野を行くと、乾いた砂地の河床が所々に見られる。河床は雨季には水が溢れるが、乾季は干上がり平らになっている。平らだから家を建てやすいが、雨季には水没するから、家を建ててはいけない。それは、現地の人ならよく知っていることである。「家と土台」の譬えは、イスラエル人の常識を踏まえて語られているから、印象が強いのである。
−マタイ7:24−29「『そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。』イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」
・風雨で家が倒れるか倒れないかは、土台の良し悪しで決まる。建物の重量は基礎となる地盤で支えられるから、地盤の良し悪しはそのまま建物の強度となる。岩盤を基礎に家を建てれば、暴風雨にもよく耐えられる強い家になるが、雨に流されやすい砂地に建てた家はもろく、暴風雨が来れば倒れ、跡形もなく崩壊する。
・信と行が一致する人は、岩の上に家を建てた賢い人と言えるが、信と行が矛盾する人は、砂の上に家を建てた愚かな人と言われている。この譬えのように、イエスの言葉を信じて行う人は、人生の風雨を耐え抜けるのである。まさに大工を経験したイエスだからこその譬えである。ファリサイ派や律法学者は先人の律法解釈を諳んじて語っているのに比べ、イエスは神の言葉を直接語ったから、民衆は威厳を感じ驚嘆したのである。次のイエスとペトロの会話は、イエスという強固な岩の上に教会が建てられたことを証ししている。
−マタイ16:15−19「イエスは言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だというのか。』シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。すると、イエスはお答えになった。『シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現わしたのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上でつなぐことは天上でもつながれる。』」
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