すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  マタイによる福音書  >  2002年12月11日  マタイ14:22−36   湖上を歩まれるイエス
1.舟の中であえぐ弟子たちのところに行かれるイエス

・イエスは祈る為に一人山に登られ、弟子たちは湖に舟を漕ぎ出したが、嵐のために舟は翻弄されていた。
―マタイ14:22-24「舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。」
・翌朝、イエスは弟子たちを救うために湖を歩いて行かれたが、弟子たちはイエスを見て、幽霊だと思った。
―マタイ14:25-26「イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。」
・「私だ」という言葉で弟子たちは安心する。ペテロは「主よ、御許に行かせて下さい」と言い、歩き始めた。
―マタイ14:28-29「『主よ、あなたでしたか。では、私に命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください』。イエスは、『おいでなさい』と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。」
・ペテロがイエスを見つめている間は、水の上を歩くことが出来た。しかし、波を見た時怖くなり、沈み始めた。

2.教会はこの話をどう聞くのか

・マタイは旧い伝承(マルコ6:45-52)を教会へ語られた言葉として編集している。初代の弟子たちは既に死に、教会は迫害の中にあり、残された人々は「主よ助けたまえ」と叫んでいた。
―マタイ14:30-31「風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、『主よ、お助けください』と言った。イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』」
・信仰の薄いもの(オリゴ・ピストス)は不信仰者ではない。しかし現実の厳しさで彼らの信仰は揺らいでいる。
―マタイ6:30-31「ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。」
・彼等はペテロのように大波の中を歩き出す勇気はある。しかし、大波に目が行ったとたんに信仰はくじける。教会はそのくじけ(挫折)を通じて主に出会い、信仰を告白するものとされていく。
―マタイ14:32-33「ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。舟の中にいた者たちはイエスを拝して、『ほんとうに、あなたは神の子です』と言った。」
・重要なことは嵐がないことではなく、嵐を通して神の救いを経験することである。その時、本当の告白になる。
―ヨハネ4:42「彼らは女に言った、『私たちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである』」
・神は恵みを与える為に信仰者に苦難をお与えになる。人間の計画が挫折した時に神の不在を見るのが不信仰者であり、与えられる現実の背後に神の現存を見るのが信仰者である。
―ヘブル12:4-6「あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている『私の子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。主は愛する者を訓練し、受け入れる全ての子を、むち打たれるのである』」

3.現代の教会にとって嵐とは何だろうか

・豊かな消費時代にあって、人々の生活は無風であるが、平安ではない。危機がないことが危機なのである。
―自分の悩みや苦しみを話す場がないため、孤独に苦しむ。また欲しいと思ったものを手に入れても感動や達成感はない。多くの人たちが悩んでいる。
・しかし、彼等は教会に来ない。教会に来ても救いがない、教会そのものが嵐(危機)が見えないからだ。
―ヨハネ9:40-41「パリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った、『それでは、私たちも盲人なのでしょうか』。イエスは彼らに言われた、『もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。』」
・教会に何故人々が来ないのか、危機が教会にとってどれほど大事かを教会は知る必要があろう。バプテスト連盟の教会・伝道所(330)の内、現在会員30名未満が142教会、年間バプテスマ0が130教会である。
―汽撻謄1:7「こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。」
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